『プラスチック混じりのテセウスの船』
『プラスチック混じりのテセウスの船』
一
『これは抗議だ。現代社会への警鐘だ。現代を過不足なく生きている、いや生きることのできている、愚かな人間たちへの警告だ。
私たちの現在の世界は、過去の積み重ねを少しずつ崩すことで成り立っている。埋蔵資源の話だ。石油も天然ガスもレアアースと呼ばれる希少な金属類元素も、全て今までゆっくりと歩んできた地球の歴史が生んだもので、その存在する量は限られている。
それらの資源は、我々人間が無から生み出すことはできない。全く別のものを、化学的なアプローチを駆使して変換して生み出すことは不可能ではないが、現実的ではない。
普遍的に需要の高い石油やガスの成分を合成しようとしても、どうやってもコストとエネルギーの収支がマイナスになるようにできているのだ。今の人間社会を維持できるほどの量を賄うことなど、到底できない。
レアアースはもっと非現実的だ。あれはそもそも特定の金属元素の総称に等しい。どんな元素も無から生み出すことは不可能であり、別の元素をレアアースの元素に変換するには莫大なエネルギーと優れた物理化学知識と科学技術、大規模な工学的設備が不可欠だ。
理論的には、原子番号の大きい元素は、それより小さな原子番号を持つ二つの元素どうしの原子核を超高速で衝突させることによって生み出すことができる。2016年の、理化学研究所による原子番号113の新元素、ニホニウムの合成と発見は記憶に新しい。
が、これで上手くいっているのはあくまで特定の元素の合成のみで、それも研究レベルの段階だ。極めてサイズの小さい原子核どうしを衝突させるのは、至難の業という表現では表現できないほど難しいし、たとえ元素が合成できたとしても資源として使えるほどの量が得られるはずがない。原子核どうしの衝突なので、できあがった目的の元素は1個しかないのだ。連続して安定して、資源として回収可能なレベルにまで衝突を成功させる技術は、まだどこの国、研究機関でも確立されていない。
そもそも、このやり方でレアアース元素を合成した前例がない。ニホニウムにしても、新しい原子番号の大きな新しい元素を生み出そう、発見しようという目的で誕生したものだ。決して、資源を賄う目的ではない。その道の研究者たちも、この技術でレアアース元素を大量に生み出すことは不可能に近いと分かっているのだ。
私が言いたいのは、人間がいくらがんばろうが、埋蔵資源が有限であるという事実を覆すことはできない、ということだ。どれだけテクノロジーを駆使しようが、コストと時間とエネルギーの収支において遠回りしようが、今の社会が消費するペースを上回る勢いで、石油や天然ガスやレアアースを生むことはできないのである。
にも関わらず、人間たちは傲慢で怠惰な姿勢を取り続けている。安価で使いやすい製品を製造するために石油を採掘し続け、人間が快適に暮らすためのエネルギーのあてとして天然ガスを採取し続け、スマートフォンや自動車を利用するためにレアアースを採掘し続けている。
地球はもう、後戻りできないほどに傷つけられている。埋蔵資源の喪失だけではない。石油製品由来のプラスチックゴミやマイクロプラスチックが環境を汚染し、ガスや石油、石炭を火力発電の燃料にして、大気に温室効果ガスを垂れ流している。有害な化学物質を含む廃液や重金属の溶液が河川や海に流れ出し、水生生物が苦しみ過去には公害が発生した。
もう、やめにしないか。私は環境生態学者の末席として、地球の現状を痛いほど理解しているつもりだ。人間の所業を体系的に把握しているつもりだ。
人間は間違いなく、地球で最も発展した生物種であるが、それは地球上でなにをしてもいいという理由にはならない。
因果応報、自業自得、盛者必衰。やったことは必ず返ってくる。公害や気温上昇の歴史を思い出してくれ。地球はなにも言わないが、確実に人間に報復をしているのだ。
地球の報復は、なにも環境上のものだけではない。マイクロプラスチックや工業由来の化学物質、金属類の生物濃縮は、人間を含めた生物たちの体を、今この瞬間も蝕んでいるのだ。
テセウスの船という哲学的命題は、半ば愚問だ。生物学的に考えると、人間の体は細胞分裂によって数日かけ、数兆個の全身の細胞を入れ替えているからだ。細胞が全て入れ替わろうが、その人はその人である。その人がその人じゃなくなったり、別の誰かになるわけではない。よって、テセウスの船は半分自明の理なのである。
しかし、もう半分は違う。我々人類は違うと思い知らされている。取り込んだ非分解の物質が、体内に蓄積するという残酷な現実に直面している。
私たちは体中の細胞を入れ替えながら、同時にマイクロプラスチックを、化学物質を、金属類を溜め込んでいるのだ。テセウスの船は静かに少しずつプラスチック製や金属製に変化し、化学物質にまみれていっているのだ。
私は提唱する。人間は、自分たちのエゴによって生み出した物質たちにより、やがて体の内側から滅んでいく運命にあるだろう。私はそんな未来を予測している。
我々は変わらなければならない。資源を消費せず、有害物質を排出しない方法を模索していくべきだ。世界全体でSDGsが叫ばれて久しいが、まだまだ意識が足らない。我々全員が当事者であるのに、当事者意識が一向に養われていない。
現代社会には変革が必要だ。肉体というテセウスの船の危機を、少しずつプラスチック製に、金属製に、化学物質にまみれていく恐ろしさを、私がこの命を以て世に知らしめようではないか。
私の犠牲で世界が変わるのなら、一生態学者冥利に尽きる。
今日までありがとう。私を育ててくれた天国の両親に。私を支えてくれた妻の美里に、かけがえのない息子の秀哉に。私の志に理解を示してくれた中島教授に、研究室の久保助教授と生徒たちに。
そして、愛する我々の星、地球に。
私の遺志を残す。
以上』。
※※※
四月の某日。十四時すぎのこと。
A4サイズのコピー用紙に印字された文章を読み終わった怪異探偵の雛菊香は、顔を上げて対面の刑事の顔を見た。
香行きつけの喫茶店のテーブル席の一つに向かい合う形で、香と警視庁捜査一課の畠山巡査部長は腰を下ろしていた。
「一週間前に自殺した南條秀夫さんという人物が自宅のパソコンに遺していた遺書だ。パソコンにはログインに必要なパスワードがかかっておらず、この文章がテキストファイルとかいう形式で、デスクトップにあったそうだ」
「色々と気になることはありますが、一つずついきます。文章の通り、南條さんは環境生態学者でいらっしゃったのですか?」
「ああ」
畠山は手帳を開き、南條の所属する大学の名前や研究分野の要約を読み上げた。
「知名度のある方だったんですね。報道はされていないと記憶していますが」
「ああ。現場の状況から見て、自殺には間違いないんだ。遺書もあるし、事件性は認められていない」
「一応、亡くなった経緯についてお話し頂けますか?」
「もちろんだ」
畠山はホットのブラックコーヒーで口を潤した。
「南條さんは一週間前の四月三日の夜、彼の研究室がある大学の研究棟の屋上から、自ら身を投げたとされている。屋上には彼がいた形跡しかなかった。出入り口からまっすぐに柵に向かうゲソ痕と、柵を両手で掴み、両足を擦った跡が残っていた。その証拠から推測するに、彼は自分で柵を乗り越え、屋上の縁から落下したとみられる」
「自殺で間違いない、と。靴はどうでしたか?」
「履いたままだった。だが、さっきも言った通り、自宅のパソコンに遺書があったから、自殺の前に靴を脱がなかったからと言って、怪しいとは限らない」
「そうですか……」
一般的に、誰かが飛び降りて自殺する場合、その者は間際に靴を脱ぎ、飛び降りる地点に揃えて置くことがよくある。絶対にそれをしなければいけないというわけではないが、嫌な『お約束』として、世間一般に広まってしまっている作法だ。
だが南條は、それをしなかった。自殺の意を示すのに、遺書で事足りると思ったのだろうか。それとも、警察の捜査能力の優秀さを信頼した上で、あえてそうしなかったのかもしれない。現場の状況で自殺が確定するのだから、わざわざ靴を脱がなくてもいいだろうと思っていたのかもしれない。
それか……。
それか、自殺は目的ではなく、ただの手段だからしなかった、か。香は、自らが呼び出された理由に結びつけて考えを巡らせていた。
「飛び降りは、三日の未明に行われた。教職員のカードキーで管理されている大学の入退場記録や出入り口の監視カメラの映像には、南條さんが三日の十七時に大学に入ったことが確かめられている。そして翌朝四日の七時頃、大学の清掃員が南條さんの遺体を発見。事故が発覚した」
「他の方、生徒や教職員の中で、三日の夜に大学に残っていた人は他にいませんでしたか?飛び降りの音を誰かが聞いていれば正確な時間が分かりそうですが」
「もちろん調べた。日を跨いで残っていた生徒や教授、警備員などは何人か判明したが、誰も飛び降りたときの音を聞いていないし、南條さんを見かけてもいなかったそうだ」
「南條さんは研究室を持っていますよね?そこの生徒さんはどなたか会っていなかったのでしょうか?」
「何人かは会っていたようだ。中でも、一番最後に帰った生徒は二十時ごろに挨拶したそうだから、南條さんは少なくとも二十時以降に飛び降りたことになる。ただ、二十二時くらいまでは生徒の移動や警備員の巡回があるから、誰かが南條さんを見たか、飛び降りる音を聞いていないとおかしい。だが、そうした証言はないから、事故は二十二時よりも後、未明に発生しただろうというのが警察の見解だ」
「なるほど。警察がそこまで調べているのならば、他の可能性を疑う必要はなさそうですね。自殺で間違いないでしょう」
香は重々しく頷き、アイスコーヒーを一口飲む。
そして手元に視線を落として、
「この遺書は、その後の警察の捜査で発見されたのですよね?」
「ああ。パソコンのログイン?にパスワードが設定されてなく、デスクトップ?に置かれていたからすぐ見つかった。遺書はそれで全文だ」
「そうですか……」
言いながら香は再び、用紙の文章を目でなぞっていく。
「原稿の主張を尊重するなら、南條さんは現在の社会を憂いて、自ら命を絶ったように思えます」
「そうだな。俺もそう思うし、表向きにもそういうことになっている」
「表向き?」
畠山の引っかかる物言いに、香はあえて食らいつく。
周辺状況はインプットできたが、目の前の刑事は多分なにかを隠している。本題は、これから話そうとしている。香はそれを察知し、促した。
「私にわざわざ遺書を見せたということは、表沙汰にできないなにかがある、ということですか?」
「そうだ。科学では説明できないことが、彼が亡くなってから今まで起きている」
「教えてください。私なら解決できるかもしれません」
まだなにも知らないが、香は断言した。
畠山は香と関わったいくつかの事件で、常識で測ることのできない『怪異』の存在を目の当たりにしている。この現実世界に、怪異が存在することを受け入れている。
そんな畠山が『科学では説明できないこと』が起きていると香に明かしたのだ。彼は、なんらかの怪異が働いていると睨んでいる。
当然、怪異は警察では調べられない。そもそも、警察は科学を第一に動いている、怪異の存在を否定していると言ってもいい組織だ。よって、畠山は警察官として事件事故を調べることはできても、怪異を調べることはできない。それは香の領分だ。
領分だから、こうして香に依頼してきているのだ。非公式に、極秘裏に、けれども勤務時間中に、捜査情報を漏洩することも厭わずに。
香はそうした事情を理解している。だから断言している。
それに、天使の主、獣へと堕ちた神から奪われた怪異の源とも言える、神性というエネルギーのようなものが利用されている可能性もある。香は男性の姿をした天使から半ば強制的に、神性の回収に協力させられている。疑わしい怪異を暴き、無力化された相手から神性を取り戻すのを手伝わされている。
「俺も話すつもりで来た。今までの情報もそうだが、くれぐれも他言無用で頼む」
「心得ています」
畠山は大きく深呼吸してから、口を開いた。
「これはホトケさんの行政解剖で明らかになったことなんだが、胃の中から船の模型の一部が発見された。模型は大部分が胃液で溶け、船首が、プラスチックと金属でできており、基準値をはるかに超える濃度の化学物質にまみれた船首の部分が、かろうじて摘出できた」
その言葉を聞いた途端、香は思い出した。ついさっき読んだ文章に書かれていたことだ。
「『テセウスの船』……。徐々にプラスチック製に、金属製に、化学物質まみれになっていく、肉体というテセウスの船……」
「そうだ。奇妙にも一致している」
少しずつ、香には理解できてきた。怪異の輪郭が、ゆっくりと露わになっていく。
「後の家族への聞き込みで判明したが、南條さんの部屋に飾ってあったボトルシップがなくなっているそうだ。知ってるか、ボトルシップだ」
「瓶の中に入った船の模型、ですよね?」
「ああ、そうだ」
畠山は一呼吸置き、
「そのボトルシップが、四日以降なくなっているそうだ。状況から鑑みるに、南條さんが持ち出したと思われる」
「そして、飲み込んだということですか……」
「そういうことになる。奥さんと息子さんの証言では、ボトルシップの船の模型は見たことのない構造をしており、触るのはおろか、近づくことすら躊躇われる見た目だったと。瓶は普通だったそうだが」
「現物を見ていないので推測ですが、恐らく、船の模型は汚染された肉体と同じ組成をしていたんでしょうね。ほとんどが有機物、例えば生き物の組織でできていた。ただ一部分は、汚染された『肉体というテセウスの船』のように、プラスチックや金属、有害な化学物質でできていた。だから胃で分解されなかった」
「現実の証拠と遺書の内容を無理やり結びつけると、そうなるな」
畠山は溜め息を吐き、肩を落とす。憑き物が晴れたようだった。
「そのボトルシップが気になります。もしかしたら、それが南條さんが自殺した原因かもしれません」
「俺もそう思う。勘だが」
畠山は再び話し始める。
「妻の美里さんによると、ボトルシップは誰かから譲り受けたらしい。学会の出張から帰ってきた日に南條さんが言っていたそうだ」
「誰からもらったとかは、言っていませんでしたか?」
「一目見たボトルシップが気味が悪くて、聞けなかったそうだ。口ぶりからして、教授仲間だろうとのことだったが」
「その辺り、詳しく調べる必要があるかもしれません」
「ああ、俺もそう思って、日時から彼が出席した学会を特定し、参加者名簿を手に入れるところまではやった。それがこれだ」
畠山は傍らの鞄から、新たなコピー用紙を取り出してテーブルの上に置いた。
香は手に取って、その文面を眺めた。
「見て分かる通り、出席者は膨大な人数だ。日本中の大学教授や生態学者、環境学者が一堂に会する大規模な学会らしく、南條さんが誰と会って、いつどこでボトルシップをもらったかまでは追えていない。仕事をほっぽるわけにはいかないからな。流石に手が回らん」
「私がやった方がよさそうですね」
全国の大学や研究機関を当たる必要がある。南條さんの死の隠された理由を解明するために。遺書で思いが綴られており、既に自殺として警察に処理された案件に、怪異が関わっていたことを証明するためだけに、奔走しなければならない。
だが、香はやる気だった。怪異探偵としての使命の下に。
「そうしてもらえると助かる。市井の安全を守る一公務員として、今は無視できない状況にあるからな」
「どういうことでしょう?まだなにかあるのですか?」
「ああ。これは関連が分からないが……」
言葉を濁らせる畠山。
「教えてください。どんなことでもいいので」
「分かった。言うよ」
手にしていたマグカップを煽り、コーヒーを全て胃に収めた畠山は、迷いのない目力で香を見据える。
「南條さんが亡くなってから、全国規模でおかしなことが起きている。学校給食に金属片が混入していたり、水道水から基準値を超える化学物質が検出されたり、メーカーが製造する食品にプラスチックの欠片が混ざっていたり。分析結果の異常や異物混入の報告が全国の自治体から寄せられている。俺も、自治体の役所や地域の保健所に片っ端から問い合わせて分かった。そのリストがこれだ」
畠山は鞄からアルバムのような冊子を一冊取り出し、広げた。
香は開かれた最初のページを覗き込む。
「スクラップブックですか。ここ一週間のですか?」
「ああ。たった一週間で、冊子に収まりきらないくらいの件数が起きている。俺が把握したものだけでこれだから、実際はもっと多いだろう」
「これを全部、畠山さんが?」
香は、新聞記事が貼られ、ところどころに汚い字でメモ書きがされてあるページをぺらぺらとめくりながら、聞いた。
「ああ。仕事の合間を縫ってやった。大変だったよ」
もうやりたくないのだろう。うんざりした表情で畠山は言った。
どうみても、畠山は調べ物が好きなタイプではない。という香の失礼なプロファイリングは当たっていた。
「遺書の、『私の遺志を残す』という部分が気になってな。学会の参加者を当たるよりは楽だから、インターネットで調べてみた」
「それは私も気になりました。前の文に『そして、愛する我々の星、地球に』とありますが、これは次の『私の遺志を残す』という文につながっているんだと思います。つまり……」
香は言った。考え得る中で最も非科学的で、しかし最も合理的で最悪な予想を、言葉にする。
「つまり、南條さんは肉体という『テセウスの船』を模した船の模型を飲み込み、そして自らの命を代償にして、地球を迫害する行為を止めない人間の社会を呪った。ボトルシップは俗に言うところの、呪物だった。そう考えるなら、遺書の最初で抗議の意を表明していること、それとここ一週間で分析結果の異常や異物混入が多発していることに説明がつきます」
言った。畠山が薄々勘づいていたことを、香は具体的な言葉にして言ってのけた。
「俺も同意見だ。呪いが実在するなんて、公務員としては口が裂けても言えないが」
「……」
「依頼だ。受けてくれるか。この邪悪な呪いを解いてくれ。社会を元に戻してほしい。同時にボトルシップを、呪物を南條さんに渡したクソ野郎を、見つけ出してくれないか」
畠山の頼み方は一部汚い表現があったが、ほとんど懇願に近かった。
ただ香も、畠山と同じ気持ちだった。南條さんを死に導いた何者かが許せない、という気持ちで通じ合っていた。
「承りました。必ず解決します」
怪異探偵の香はきっぱりと言い放ち、この大きな依頼を受諾するのだった。
二
「ボトルシップを誰が渡したかはこれから調べますが、呪いの方はどうにかなるかもしれません」
「本当か?」
「確証はありませんが、人に頼んで破壊するか、無力化してもらいます。つきましては、そのために、模型の残骸を私に預けてもらいませんか?」
「それはなかなか難しいな……」
畠山は顎に手を当てて唸った。
「事件性はないとはいえ、証拠品だからな。しかも、現在は厳重に保管されている。有害な物質で汚染されていて、なおかつあらゆる種類の放射線も検出されたから、所轄の試料室に置けなくてな。今は科捜研のところにある」
「そこに行って持ち出してくるのは、畠山さんでも難しいですか?」
「不可能ではないが、時間をくれ。慎重に遠回りして、なんとかする」
「助かります」
香は最大限の謝意を込めて言った。
「呪いや呪術には詳しくありませんが、南條さんの呪いは、模型の残骸が要かと思われます。なので喫緊の問題は、模型の残骸をどうにかすれば解決に向かう、はずです」
「しか、ないよな。分かっちゃいたが……」
畠山は上体を反らし、頭の後ろで手を組んだ。覚悟を決めたようだ。
「うし、やってみる」
「私も取りかかります。それでは」
香は立ち上がり、勢いで伝票を掴みかかるが、寸前で大きな手に奪われた。
「奢らせてくれ。依頼料のうちだ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
香はにっこりと微笑み、きびきびと歩き始めた。
いつの間にか、グラスのアイスコーヒーは空になっていた。
※※※
喫茶店をあとにした香は、寄り道することなく帰宅した。落ち着いて電話ができる環境は、自宅しかなかったからだ。
「さて」
香は1Kの部屋の中央にある、背の低いテーブルの前に正座する。トートバッグから遺書のコピーと学会の出席者名簿、それと畠山お手製のスクラップブックを取り出して、テーブルの上に並べていく。
これら三つの資料のうち、出席者名簿を目の前まで引き寄せる。ポケットからスマホを取り出した。
香はこれから、名簿に書かれている連絡先に片っ端から電話をかけるつもりだった。電話番号の記載のない人にはメールアドレスが書いてあればメールを送り、メールアドレスも記載のない人は所属機関に直接問い合わせる。
「ひとまず、落ち着きましょうか」
いよいよ作業に取りかかる寸前、香は立ち上がり、シンクの方に向かう。蛇口を捻って水を出し、近くにあるコップに一杯注ぐ。
この水道水も汚染されているかもしれない。呪いが生きている今の時点ではまだ安心できないが、香は気にしないで飲むつもりだ。
テーブルに戻り、座り直す。今度こそ始めるか。
「……」
だが香は、名簿をじっくりと読み込み始めた。出席者の名前を一つずつ確認していく。
「ああ……」
かと思えば紙から目を離し、傍らのトートバッグに手を突っ込む。ペンケースを引っ張り出し、中から蛍光ペンのマーカーを取り出した。そして、参加者の氏名を確認する作業を再開する。
香はなにを思いついたのか。その答えは、過去の経験にあった。とある男女の学生が奇蹟の雨によって振り回された、あの事件のことを香は思い出したのだ。
あの事件では縁結びの神が登場し、現実では起こり得ない奇蹟を実現させていた。そしてその神は『神田結』という名前で、男女の友人に扮していた。
となると、今回はどうだろうか。今回も、なんらかの神が関わっているのではないか?人間になりすました神が、南條に奇蹟をもたらし得るボトルシップを贈ったのではないか?そのせいで、彼は自ら命を絶ったのではないか?香はそう考えた。
だから、名簿の一番上から連絡していくのではなく、探すことにした。神田結のように、名前に『神』という漢字が含まれている人物をマーカーで印をつけ、始めにそれらの人物たちを当たってみることにしたのだった。
「確率的に考えても、妥当ですね」
数分後。香は名前のチェックを終えた。
数百の学会参加者のうち、名前に神という字が含まれる人物の数は両手で数えられるくらいだった。かなり効果的に絞り込めた。まずはこれらの人物にコンタクトを取ってみよう。
香はスマホを持ち上げ、側面のボタンを押してスリープモードを解除した。
※※※
数日後。香は南條が所属していた某大学の研究室を訪れていた。
あの後、名前に『神』が含まれる人物たちに電話をかけてみたが、本人か所属機関につながった相手は全て外れだった。いずれも南條と面識がなく、ボトルシップのことも知らないと応えた。
電話番号の記載のない相手にはメールを送ったが、こちらも外れ。一、二日後に返ってきた返信は電話と同じようなものだった。南條という名に覚えはない、知らない。ボトルシップなど持ってきていない、譲り渡した覚えもない、という内容の返答だった。
結果、見事な空振りに終わった香は、攻め方を変えることにした。南條の研究室の教員や生徒に学会やボトルシップのことを聞くことにしたのだ。
「そこにお座りください。コーヒーでいいですか?」
「ありがとうございます。はい、恐縮です」
亡くなった南條の代わりに研究室を切り盛りしている久保助教授は、学者らしからぬフレンドリーな態度で香を迎えた。研究室の隅にあるテーブルとソファに香を案内する。
「……確か、去年の学会について聞きたいことがあるんですよね?」
「はい。事故に直接関わってはいないのですが、どうもその学会で南條さんは貰い物をしたそうで。それの所在が今分からず、こうして所轄の署員が探し周っているというわけです」
「なるほど。そんなこともしなくちゃいけないなんて、警察の人は大変ですね」
「そうなんです」
コーヒーの入ったマグカップを両手に、対面の席に腰を下ろした久保に対して、香は平然と身分を詐称していた。
「できれば、学会で南條さんと関わった人のことを知りたいんです。久保さんはご存じですか?」
香は久保がご存じないことを把握していたが、あえて聞く。
名簿に久保という名前はなかった。だから用があるのは、学会で研究発表をした当時修士一年の研究室の生徒たちだ。ここの生徒たちの名前が名簿にあったことは確認済みであった。
「いいえ、私は留守番を言い渡されていたので、学会のことはほとんど……。そうだ、修士の子たちの方が知ってるかもしれない」
「そうなんですか?」
知らない体を装う。
「大勢の専門家の前で自分の研究についての発表をしましたから。少し待っててください。……おーいっ!野島くん、加藤さん!」
久保が研究室中に響く大声で名前を呼ぶと、すぐに「はあいっ!」という男女の声が別々の場所から返ってきた。
数秒後。パソコンやら書類やら本やらが雑多に置かれている部屋の奥の方から男性の生徒が、大きく背の高い実験用テーブルが立ち並ぶ部屋の手前側から女性の生徒がやってくる。
「応用環境生態学専攻修士二年の野島くんと加藤さんです。野島くん、加藤さん、こちらは警察の雛菊さんです」
「初めまして。雛菊香と申します」
香は立ち上がって軽く頭を下げ、フォーマルに見えるジャケットの懐から偽の警察手帳を取り出して二人の院生に見せた。
完全に犯罪である。
「警察の方……。野島大輝です。よろしくお願いします」
「加藤万梨花です。よろしくお願いします」
香は緊張を隠していたが、野島と加藤は香を警察官だと信じてしまったようだ。少し硬いが、協力的な姿勢を見せてくれる。
「お忙しい中申し訳ありません。お時間は頂きません。確認したいことがあって参りました」
香は年上の院生二人に、立ったまま話し始める。
「南條教授のご家族によりますと、教授は去年に開催された学会で、誰かからボトルシップという瓶に入った船の模型を頂いたそうなのですが、その贈り主が誰であったか、お二人はご存じないですか?」
「ああ。あの気持ち悪い瓶詰めのことですか」
「ちょっと野島」
粗野な物言いの野島を、加藤が窘める。
「なんだよ加藤。お前も気味悪がってただろ。あれを見たとき、悲鳴を上げて飛び退いてたじゃないか」
「ちょっと、そこまで言わなくてもいいでしょ」
「つまりお二人とも、お心当たりがある?」
恥ずかしいことをばらされて取り乱す加藤と、なにが失言か分かっていない野島の顔を交互に見て、香は真剣な口調で言った。
「ああ。俺は今でも覚えてるよ。確か発表の合間の時間に、カミシマさんが先生にあげたんだ」
「カミシマさん?」
名簿で掴めていなかった姓の発音を聞き返すと同時に、香は気づいた。
まさか、神たちは漢字の『神』だけじゃなく、読みで『カミ』とつく名前も偽名に用いるのか。
香は、読みまで考慮して参加者を絞り込まなかった自分を後悔した。
「上島って書いて、かみしまと読むらしいです」
「都内の国立大で教授をされている方です。専門は水循環」
「その上島さんが、南條さんにボトルシップをプレゼントした?」
「そうです。先生は驚いてましたよ。上島さんとはそれが初対面だったのに、いきなりジュラルミンケースを渡されて」
「そしてケースを開けたら、なんというか奇妙な見た目をしたボトルシップだったんです。まるで……」
思い出して気分が悪くなったのか、片手で口元を押さえる加藤。
「まるで、生きているかのようでした。僕はあんまりちゃんと見ませんでしたが、フォルムがかろうじて船の形をしてるってだけで、あれはほとんど生物の組織の一部のようでした。肉塊と言えばいいでしょうか」
しかし、ノンデリの野島ははっきりと言葉にした。加藤が小さく悲鳴を上げる。
「だからやめてってば!」
「ちゃんと説明した方がいいだろ。それで、そのボトルシップがないんですか?もしかして、本当に生きてたり?あれが先生を……」
「それはあり得ません。断言します」
野島の不謹慎すぎる発言に、香は冷たく応えた。
「私はあくまで、遺失物の行方を追っているまでです。南條さんは不幸な目に遭いましたが、証拠から判断するに紛れもない自殺です。冗談でも、亡くなった方を揶揄するような言い方は控えた方がいいと思います」
「俺は別に、揶揄しようとは……」
「都内で国立大で教授をされている、上島教授がボトルシップの元々の持ち主なのですね。間違いないですか?」
野島を無視し、香は一方的に確認を迫った。
香の目で凄まれた加藤は、ゆっくりと首を縦に振る。
「……分かりました。本日はどうもありがとうございました」
確認が取れた香は早口で礼を言い、研究室の扉に向かって歩き出した。
三
それから数日後の、二十一時すぎ。都内某所にある国立大のキャンパス内の、とある棟の中のとある研究室。
香は、一人の男と相対していた。
暗い紺色のスーツ一式に身を包み、真っ白なワイシャツに青いネクタイを締め、黒の革靴を身に着けたこの部屋の長、上島教授が、人気のない時間帯を狙ったかのようにアポ無しでやってきた香を快く迎えたのは、つい先ほどのことだった。
「よくぞ私にたどり着いた」
無機質な白い実験用テーブルが一定の間隔で並ぶ室内で、上島は両手を挙げた。低く渋い声で、黙って佇む香に言葉を浴びせる。
「手がかりはいくつかあった。奇妙な言い回しの遺書、胃の中で朽ちかけた謹製の『テセウスの船』、基準値以上の化学物質の検出報告やプラスチック、金属の異物混入事例。それらをまとめて関連付けて、怪異ではあるが無理やり理屈に当てはめてみて、私にたどり着くことは難しかったはずだ。南條教授が人間社会への呪いを込めて自殺したと、誰が気づけるだろうか!」
上島の口振りは大仰だった。まるで、舞台に上がった役者のようだった。
基本的に、神は全知全能である。香と畠山の動向を、上島が把握していないはずがなかった。
「くだらない答え合わせはいいです。いいから早く、呪いを解く方法を教えてください」
「きみがやろうとしている方法で合ってるよ、怪異探偵の雛菊香さん。天使の小間使いで、いくつかの神と関わりのある人間」
上島は鋭い目つきを香に寄越した。
香の氷のように冷たい視線と、上島の妖しい熱のこもった視線がぶつかり合う。
「ずいぶんと活躍しているようじゃないか。地獄の神から話を聞いたよ」
「その神様と因縁があるから、私に嫌がらせしたんですか?南條さんを死なせて」
「おいおい、それはいくらなんでも買い被りすぎじゃないか?」
上島は頭を振って、
「たかだか一人の人間風情にそんなことするわけないだろう。思い上がるな」
一瞬で距離を詰め、香の耳元で囁いた。
「……」
香は動けなかった。反応できなかった。
いざとなったら逃げればいいと思っていた。精神を揺さぶられても、耐性があるからなんとかなると思っていた。メタ認知で切り抜けられると思っていた。
だが、甘かった。いや、今日このときまで上手くやれていたから、大丈夫だと思ってしまっていた。話が通じて説得できる神ばかりだったから、安心していた。
話の通じない、人の命などなんとも思わない神がいるという事実を、香は知ろうとしていなかった。
「……なんて、冗談だよ」
上島がそっと身を引くと、香は体中の力が抜け、その場に崩折れそうになる。
いつの間にか、どこからともなくやってきた熱が、いや自分のうちから湧いてくる熱が、香の体と心を焦がす。そのあまりの激しさに視界が揺らぐ。
「生意気だと思ってはいるが、度胸はあるみたいだ。あの刑事にも内緒で来るとは」
「これから、神に会ってくるだなんて、口が裂けても言えませんよ」
香は呼吸することを許され、息も絶え絶えに応える。
「それもそうだな」
上島はやんわりと笑んだ。
「そうそう、呪いの解除方法だったか。きみの推理通り『テセウスの船』を破壊すれば、分析結果の異常や異物混入は収まるよ。あれはそういう仕組みだ」
「それを、信じてもいいんですか?」
「信じるもなにも、信じるしかないだろう。きみは」
「それはそうですが……。あなたが今後、このようなことを繰り返さないという保証はありません」
「また、生意気言うね」
上島の真っ黒な両目が光った。
人ならざるものの威圧感が、神の威光が、再び香を襲う。睨まれているだけなのに体が火照り、頭や背から汗が噴き出すような感覚が去来する。
「……私は、あなたにやめてほしくて、ここに来ました」
香は耐えながら、言葉を少しずつ吐き出していく。
上島はそれを、ただじっと眺めていた。
「人間社会に害を及ぼすのは、これっきりに、してください。人間の業に対する罰は、然るべき形で、自然環境や地球から執行されるべきです。神の気まぐれによってではなく、科学と法則に即した求刑を、私は求めます」
「面白い言い回しだ。私は裁判長ではないのだがね」
「では、なんなのですか?あなたは、なんの神様、なんですか?」
「当ててご覧よ。聡明な頭脳を働かせて」
そろそろ苦しくなってきた頃、上島は視線を反らした。
手近なところからキャスター付きの椅子を引っ張ってきて、どっかと腰かける。それから、香の方に視線を戻す。
すると、香はまた熱さを覚えた。
ひょっとすると、上島に見られると、熱を帯びるのではないか。まともに働かない思考の中で、香は仮説を弾き出した。
「水循環が専門だと聞きました。そして、あなたの名前は上島巡。名は体を表すと言いますし、あなたは水に関わらず、循環を司る神様なのではないですか?であるならば、地獄の神様、死者の魂を裁いて輪廻に導く閻魔大王と関わりがあることも頷けます」
「驚いた。だいぶ揺さぶってみたが、その中でよくそこまで推理できるものだ」
上島、循環の神は大げさな素振りで立ち上がった。
「あなたの視線は、私の体の熱の循環を滞らせ、体温を上昇させることで暑がらせることができる。違いますか?」
「当たり。怖いくらいに的中させるね」
「これでも探偵ですから」
上島、循環の神が自分の体を抱いてオーバーリアクション気味に怖がってみせると、香も笑ってみせた。
「私は死にたくありません。死ぬのは怖いですが、あなたのホームグラウンドに来た時点で覚悟はできています。私の死で丸く収まるのなら、仕方ありません」
「また、そうやって話を急ぐ」
循環の神は、香の据わった顔を人差し指で差してくる。
「いいか、きみの死などどうでもいい。むしろ命を循環させて、永遠に死なせないことだってできる。ただ、それではつまらない」
「では、どうすれば今後も干渉しないで頂けますか?」
「対価など要らんよ」
あっけらかんと言う循環の神。
「きみはきみで、もっと活躍してくれたまえ。今回、私は学友の命を賭した悲願を叶えたまでだ。今の今まで、私はボトルシップに込めた呪いの他に、現世の地球には干渉していない。そしてこれからも、干渉するつもりはないよ」
「……本当ですか?」
「本当さ。循環とは、誰が手を加えずともひとりでに持続していくものだろう?」
「それはそうですが……」
「神の気まぐれは、これにておしまいというわけさ」
循環の神は両腕を胸の前で畳み、パンと手を叩いた。
「なに、彼の論じる『プラスチック混じりのテセウスの船』という言い回しを、ちょっと良いなと思ってね」
「……そうですか」
そんな理由で大勢の人を苦しめるなんて、とは非難できなかった。神を前に、これ以上の無礼を働く勇気は香にはなかった。
「話はこれで以上かな?……それでは帰って休みたまえ、怪異探偵。鼻持ちならないが、私も陰ながら見守らせて頂こう。きみがこれからどんな物語を生み出してくれるのか、実に楽しみだよ」
神は、上島は右腕を持ち上げ、手で扉の方を指した。
その途端、香の体中の熱が引き、まともに動けるようになる。
「……分かりました。信じることにします」
結果として、循環の神は話の通じない相手ではなかった。しかし、水がぐつぐつと沸騰するかのように熱しやすい性格の持ち主ではあった。一時は殺されるかと思った。
だが、なぜか許された。『私も』という表現が引っかかったが、今の香に追求する余裕は残っていない。
「失礼しました……」
香はなんとも言えない後味の悪さを感じながら、重い一歩を踏み出した。
※※※
「これが、循環の神の呪物か」
感情のこもっていない低い声で、香の協力者である天使は言った。
香が循環の神と邂逅した夜の、数日後の深夜。人気のない屋外駐車場の隅で、香は天使と会っていた。
「今回は盗まれた神性は関係していませんでしたが、私たちの手ではどうしても破壊できないので、あげます。有害ですし」
「廃品回収か。初めて会ったときを思い出すな」
「私は思い出したくありません」
香はぴしゃりと言い、手に持っていた瓶を天使に押しつけた。天使は特に抵抗することなく、受け取る。
瓶は小さい。もとは三百グラムほどのジャムを入れるのに使われていたものだ。
中には水が詰まっていて、底に『く』の字の形をした船首の一部分にも見える透明な物体が沈んでいる。これが、昨日畠山が科捜研から回収した(盗み出した)『プラスチック混じりのテセウスの船』の残骸だった。
「向こうが所有権を放棄したのだ、盗まれたものでなくてもありがたく頂くよ」
瓶の上部をそっと撫で、天使はこれが自分のものになったと主張する。
「ちゃんと無力化してくださいよ」
「無論だ。これの危険性は神性によって成り立っている。神性を回収してしまえば、ただの廃品だ」
「それならいいです。……それで、あなたの神様は復活できそうなんですか?」
「まだだな。まだ全然足らない」
「そうですか……」
また、神と接近し、あんな思いを経験しなければならないのか。香は内心うんざりしたが、言動には出さなかった。
「割合で言うと、今どれくらいまで貯まっているんですか?」
「一割未満だ」
「……」
「言わない方がよかったか?引き続き励め、怪異探偵。私も陰ながら見守らせて頂こう」
「……循環の神とのやり取りを、見ていたんですか」
だとしたら悪趣味だ。人が死にかけていたところを、助けもせず眺めていたのだから。
「心配するな。本当に危なかったら助けた」
「……次は期待しています」
香は全く期待せずに告げ、一方的に天使との話を終わらせる。
そして、街灯の光の届かないアスファルトの道路の上に、今度はしっかりとした一歩を踏みしめるのだった。




