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怪異探偵雛菊香  作者: LostAngel


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『歌』

『歌』


 僕は歌が好きだ。男性の声。女性の声。日本語や英語、曲によっては韓国語やフランス語、ドイツ語などで刻まれるリズム。様々な楽器が奏でるハーモニー。歌を構成する全てが好きだ。

 

 歌には、人に思いを伝える力がある。応援ソングは元気になるし、静かなバラードは落ち着く。人間どうしのあれこれを表現した恋愛ソングは甘酸っぱい気持ちでいっぱいになるし、かっこいいアニソンは自分もかっこよくなった気がする。

 

 詞が、曲が、旋律が、歌手が好きだ。歌うことも好きだ。まるで自分が作詞作曲し、自分が初めて口に出したかのように、そして自分なりに好き勝手にアレンジできるから、人の歌を歌うことが好きだ。

 

 なにも考えず、歌の持つ力に依存することが好きだ。いつもイヤホンを両耳につけ、歌を垂れ流すのが好きだ。耳から、歌が主張する属性に染まっていく感覚に溺れられるからだ。無色透明の自分を偽物の色で塗りつぶせるから好きだ。

 

 大学受験に失敗し、滑り止めの三流大学に入学した自分を誤魔化せるから歌が好きだ。元気もないのに、今の自分に落ち着いたことなんかないのに、聞くだけで元気になって落ち着ける気になれる歌が好きだ。恋愛経験もないのに、お世辞にもかっこよくないのに、聞くだけで恋愛してイケメンになった気分に浸れる歌が好きだ。

 

 灰色に明るい講義室の一番後ろの席で、現実逃避ができる歌が好きだ。どうしようもない今から、どうしようもない自分から逃げることのできる歌が好きだ。黒い頭の生徒たちが黙って佇み、白いボードに書かれた黒い字を白いノートに黒い字で書き写すことで時間が経過していく、この拷問のような時間から逃れられる歌が好きだ。

 

 歌が好きだ。自分を赦し、肯定する言葉しか吐かない歌が好きだ。諦めた表情と蔑んだ視線で接してくる、両親や弟よりも好きだ。

 

 僕は、歌が好きだ。他のどんなものより好きだ。

 

 今の僕自身より、ずっと好きだ。


「すいません」


「……」


 ふと、左から肩を叩かれた。


「あの、すいません」


「……はい?」


 僕は左耳のイヤホンを外し、声をかけてきた隣席の女子学生に応えた。


 名前は、えーと……。僕と同じ学科なことは分かってるんだけど、出てこない。


「雛菊香です。文学科三年です」


「……雛菊さん。なんですか?」


 講義中に話しかけてくるのだ。なにか重要なことなのだろう。僕はそう思って、丁寧語で聞く。


「音漏れしてます。イヤホン」


 雛菊さんは右の手を右の耳に当て、声を潜めて言った。


「あっ、すいません」


 恥ずかしい。もしかして講義の最初からだろうか。


 僕は慌ててスマホの側面のボタンを連打し、ほとんどゼロに近い音量まで下げる。


「……ありがとうございます。気づきませんでした」


「Uta-Hime、お好きなんですか?」


「え?」


「ずいぶん前のバラードですよね。彼女が今より有名じゃないときにリリースした」


 Uta-Himeとは、ここ数年でヒットした女性ソロシンガーのハンドルネームだ。どうやら歌のことを言っているらしい。僕は遅れて理解した。


「なにか聞かないと寝ちゃいそうで……。かといってパワフルすぎるのも合わないから、静かなこの曲を聞いてます」


 本当はちっとも眠くなんかないけど、ありきたりな言葉を並べた。


「確かに、教授の声は眠気を誘いますね」


 雛菊さんは小さくあくびする仕草をする。


「とはいえ、物騒な曲を聞きますね。バラードと言っても、ほとんどレクイエムと言っていい歌詞をしてますが」


「そうですか?あまり歌詞を気に留めてなかったです」


「『突然自分以外が死に絶えた世界で、孤独に打ち震える自分の喉から搾り出されたような詞。楽器の演奏もメロディーラインもひたすら殺風景で寒々しく、まさに崩壊とその後の静寂を表現した曲』。とても大人数がいる教室の中で聞くような曲じゃありません」


「インタビューの文章も覚えてるんだ……」


 Uta-Himeがこの曲をリリースした直後に、雑誌かなにかのインタビューで答えた文言を諳んじる雛菊さん。すごい記憶力だ。


「ええ。私もこの曲が好きですから」


「そうなの?」


 気づけば、いや気づかないうちに敬語が取れていた。

 

 正直、この曲はかなり人を選ぶ曲だ。華やかで活気に満ちた今のUta-Himeのブランディングとも反している歌詞だし、ファンの中でも好きな曲の中に挙がることが少ない曲なのに。


「はい。突然自分以外の世界中の生命が死に絶える可能性は、往々にしてあり得ることですので。私が一人になったときは、その曲を流そうと思っています」


「……なるほど」


 曲内の世界観を現実で想定したことはなかったので、僕は素直に感心した。


 雛菊さんも一人が好きなのか。僕と似ている。


「あなたは一人じゃありませんよ」


「え?」


 雛菊さんは真顔で言い切る。


 どういう意味だろうか。まるで僕が、一人で孤立しているみたいじゃないか。


「私がいます。あなたが一人になったときはその曲を流して、私のことを思い出してください。私が一人になったら、同じようにあなたを思い出しますので」


 もしかして、慰めてくれている?


 こんなおかしな曲を聞くくらい、精神が参っているのではないかと疑われている?


「……なに言ってるんですか、僕はまともです」


「そうですか」


 僕がつっけんどんに返すと、雛菊さんは緩く笑みを作って、


「なら、私もまだまともなようです」


「え?」


「あなたがまともなら、あなたの好きな曲を同じく好きで、インタビューの内容も覚えている私もまた、まともの範疇にいる。そうでしょう?」


 なにそれ。


 真面目な顔して自分もまともって、なにそれ。


 あまりに幼稚な言葉遊びが極まりすぎていて、僕は吹き出しそうになるのをこらえる。


「いや、ふふ、それはどうだろうね……」


「絶対にそうです」


 僕は板書を写すことすら忘れて、雛菊さんと会話を楽しんだ。


「まあ、Uta-Himeの求心力は、今も昔も変わらないとは思うよ」


「むしろ、ハングリー精神あふれる下積み時代にリリースした曲の方が胸を打つことが多いです」


「僕もそう思う。力強い応援歌がブレイクしたせいで最近はポジティブな曲ばかりで、正直退屈してる」


「全くその通りですね。一応聞いてみるんですが、私もリピートするほどでは……」


「そこっ!」


 久しぶりにした楽しい会話は、前に立って授業をしている教授の叱責によって幕切れを迎えた。


「あ、怒られちゃいました……」


 てへへと舌を出してウインクする雛菊さん。


 その顔はとても、美しかった。歌からは摂取できない、触れることすらためらわれる女性の美の一面が垣間見えていた。


「ごめん……」


 僕は頭を下げて、複雑な表情をしてしまっている自分の顔を隠す。


 今この瞬間、僕のモノクロな世界に、白紙に引かれた五線譜では表現できない、色というものが戻ってきたような気がした。

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