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怪異探偵雛菊香  作者: LostAngel


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17/20

『絶対に通さない現場の警察官は、探偵を殺すのか?』

『絶対に通さない現場の警察官は、探偵を殺すのか?』


 殺人事件が起きた。殺された人には失礼だが、ありふれた殺人事件だった。


 どこかで見たことのある顔をした犯人が、よくある動機を胸に、一般的な市販の包丁で、これまたそこら辺の路地を歩いてそうな人相と身なりをした被害者を刺し殺した。言ってしまえばそれまでだった。


 犯人は明らか。動機も明瞭。凶器は間違いない。被害者の身元はすぐ割れた。


 万事上手くいっていた。警察による初動捜査はいつも通り淡々と行われたし、第一発見者の証言に矛盾はない。


 遺留品も証拠品も十分に揃っていた。指紋や髪の毛、皮脂、ゲソ痕などの重要な証拠も大量に集められた。


 現場にも違和感はなかった。事務作業をする会社のオフィスと言えば誰でも想像するような、灰色の床と天井の狭間に白いデスクとモニターとデスクトップPC、黒いオフィスチェアがいくつも並んでいる、ありふれた職場。そこが現場だった。


 どこにも違和感は見つけられなかった。警察も職場の関係者も犯人も、そして生きていたら被害者でさえも、この事件に不思議なところはないと答えるだろう。


 普通。そう、この事件は普通の事件だった。探偵が、ましてや怪異すらも守備範囲とする怪異探偵の出る幕など、どこにもないはずであった。


「通してください」


「関係者以外の立ち入りはお断りさせて頂いています」


「関係者です」


「嘘はやめてください。主要な関係者は把握しています」


「なら、その主要な関係者に私を加えてください」


「では、誰とどのような関係があるのですか?」


「……それは言えません」


「……お引き取りを」


「そこをなんとか、以前のよしみで……」


 香は両手を合わせ、顔の前で上下して頼み込む。


 香はこのありふれた殺人事件の現場である、雑居ビルのワンフロアまでやってきていた。だが、エレベーターを出てすぐのところに黄色い規制線が引かれ、どこか見覚えのある制服の警察官が仁王立ちしていたのである。


「確かに、雛菊さんの『閻魔大王殺人事件』を解決に導いた手腕には感服致しました。あなたにも、あなたなりの正義があるのですね」


 香も警察官も覚えていたが、二人は以前会っている。二か月前、巷では『閻魔大王殺人事件』と称される、まだ十六歳の女子高生、梅川春魅が起こした事件の現場前で。


「それに免じて、どうかお願いします」


「いえ、それとこれとは話が違うので」


 警察官の態度は変わらなかった。変わらず、すげなかった。


 現場を守る警察官の辞書に、忖度や職務怠慢の文字は存在しない。捜査関係者以外、何人たりとも現場に入れない。それが彼に課せられた職務だ。


「分かりました。交代しましょう」


「はい?」


「お疲れ様です。何時間も立ちっぱなしで、疲れましたよね。交代しますよ」


「なにを言ってるんですか?」


「交代です」


「駄目です。公務執行妨害で……」


「すいません、それだけは……」


 前科前歴を科せられるのはまっぴらごめんだった。すぐさま香は、土下座にも移れるくらいの腰の低さで平謝りした。


「では、お引き取りを。分かりますよね、あなたは入れません。無理やり入れば公務執行妨害、住居侵入です」


「……仕方ないですね」


 香はゆっくりと棒立ちに戻り、警察官に告げた。


「犯人は現場にいます。あなたがすぐにここを張っていたとすると、今も現場から出られていない可能性が高い」


「……それは、本当ですか?」


 警察官の顔が訝しげになる。


「本当です。犯人は二人いた。刺し傷は一ヶ所ですが、今犯人とされている人が浅く刺した後、真犯人が深く刺し直したんです。だから、殺害に至ったのは真犯人の方で、その人に殺人罪の容疑をかけるべきです。今犯人とされている人は傷害罪、もしくは殺人未遂罪が適当です」


「……主張は分かりました」


 だが警察官は、両手を後ろで組んで足を肩幅まで広げ、絶対に通さない体勢を作った。そして左肩のホルスターから、無線の受話器を取り出す。


「はやく捕まえた方がいいです。なにを……」


「応援を呼びます。私はここを見ていないといけないので」


「あなたが飛び込んだ方が速い。行きましょう」


「いえ、あなたが嘘をついているかもしれません。私が中に入ればあなたがついてくる。あなたを中に入れることはできないので、このまま応援を待ちます」


 警察官は難攻不落だった。絶対に落とせないと言えば聞こえは良いが、やってることは現場に入れろ入れないという無益な問答だった。


「いいですか?」


 今にも右手の受話器の電源をつけようとする警察官。香は慌てて言葉を絞り出す。


「や、やっぱり、いない気がします。連絡しないでください」


「やはり嘘ですか」


 警察官は真顔で手を下ろした。再び後ろで組む。


「どうしても駄目ですか」


「駄目です」


「どうして、そんなに強情なんですか」


「強情ではありません。仕事なので当然のことをしているだけです」


 警察官には一切の隙がなかった。


「……では、攻め方を変えます」


「この争いに攻めも守りもないと思いますが……」


 呆れる警察官の前で、香はわざとらしく咳払いした。


「私は、この事件が普通の事件ではないと確信しています。その証拠があります」


「情報提供ですか。では、それを担当の刑事に報告してください」


「それは、まだできません。証拠としては弱いからです」


 香は推理を披露するかのように、自信満々に言った。


「証拠として弱いかどうかを決めるのは、捜査担当者です。あなたは大人しく情報を提供してください」


「それはできません。探偵としてのポリシーがありますので」


「一探偵としてのポリシーを掲げる前に、一日本国民としてのポリシーを守ってください。情報提供、捜査協力は義務ではありませんが、権利として行使してください。ただ、本事件で警察側があなたに捜査協力を依頼していないので、聞いてくれるかは分かりませんが」


 警察官は、すらすらと捜査協力の仕組みについて述べた。


 流石に詳しい。適当並べて管を巻く作戦も通用しなさそうだ。


「お願いします。捜査協力は後で必ずするので、関係者として入れてくださいませんか?」


「駄目です。あなたは関係者ではないでしょう」


「探偵っていうのは関係者みたいなものです。どんな作品でも、探偵はしれっと事件現場にいますよ」


「それは創作の中の話でしょう。現実と創作を混同してはいけません」


「事実は小説より奇なりと言いますよ。現実と創作の区別なんて存外、ないのかもしれません」


「なに言ってるんですか?」


 駄目だった。駄目元で適当並べて管に巻いてみたが、やはり駄目だった。


 だが、香は諦めない。探偵として、現場に踏み込みたい。明らかにせねばならない真実が隠されたままになっているのが許せない。


「お願いです。通してください。事件の前提が根本から覆されるかもしれないんです。この事件は普通じゃないんです」


「だったら、尚更入れられません。再捜査の余地があるなら、現場を毀損してはいけないので」


「毀損しません。約束します」


「雛菊さんはもう既に、二回も嘘をつきました。オオカミ少年はご存知ですよね」


「私は女です」


「そういう意味ではありません」


 揚げ足取りは悪手だ。元々譲らない警察官に対する心象が、さらに悪くなってしまった。香は彼の曇った表情から、そう感じた。


「分かってますよね、雛菊さん。あなたはもう何度も事件に携わったことがある。警察の知り合いもいる。色んな人を見てきた」


「……」


「私は話の通じない人間です。小さい頃からこの性格で、軋轢も多く生んできました。いじめのようなことも受けたことがあります。自分でも、融通の利かない正義感を何度も直そうと思いました」


「……」


「それでも、これが私なんです。警察官である私の、この正義感が必要とされているんです。誰も現場に通さない制服警察官として、評価されているのだと思っています。今では、この性格を誇らしく感じてさえいます」


「……それです」


「どれですか?話し過ぎてしまいました」


「いじめです」


 香は真剣な顔つきで言った。彼女の言葉を耳に入れた瞬間、警察官の顔が引き締まる。


「入れてもらえないのならせめて、全て話します。私が被害者から依頼された内容を」


「……いじめが、あったんですか?」


 ずれたピントを合わせるように、警察官は恐る恐る聞いた。


「はい。客観的に見て、社内でいじめがあったことは明白です。被害者から証拠を頂きました」


「では、この事件はただの殺人事件ではなく、行き過ぎたいじめによる殺人事件なのですか?」


「そうです」


 香は頷き、肩に提げていたトートバッグからスマホを取り出した。側面のボタンを押し、画面を数回タップする。


「被害者と加害者のやり取りの一部です。再生してもいいですか?」


 警察官は頷く。本来は探偵の香が音声を流す権利も、事件を直接担当していない彼がそれを聞く義務もないのだが、彼は香の迫力に飲まれてしまった。口車に乗せられたとも言う。


「ではいきます」


 香は仰々しく画面をタップし、録音が再生される。


『こんな量の仕事なんて、無理ですよ!しかも月曜までなんて!』


『無理じゃねえよ!死ぬ気でやればできんだろうが!明日も明後日も出社しろ!』


『今週はもう、無理ですよ……。昨日だって、徹夜して……』


『ああ!?お前、自分の都合で仕事やらないとか、許されるわけねえだろ!何年社会人やってんだ!』


『無理なものは無理です!もう休ませてください……!』


『つべこべ言わずにやれ!俺や係長のメンツがかかってんだ、分かってるよな!?』


『……』


『はいと言え!』


『無理……』


『口答えすんな、ヒラは黙って従ってればいいんだよ!』


『……』


『返事は!?』


『……はい』


『っし言ったな、月曜の朝までな』


『……』


 香は再生を停止した。素早くスマホをしまう。


「被害者の声が分からないので決めつけるのは早計ですが、加害者の声は確かめられます。後で担当刑事に渡します。声紋鑑定が必要でしょう」


「……ぜひ、そうしてください」


 警察官はかろうじて声を絞り出した。


「現場を見られたらもう少し分かるのですが。被害者の住まいにはいじめを証明するものが残っていなかったので」


「どうやって家の中に入ったんですか?あそこもまだ立ち入れないはずですが」


「……」


 香は真顔で微笑んで返した。


「だからあるとしたら、職場であり犯行現場でもあるここだと思ったのです」


「それで、頑なに入りたがっていたと?」


「はい」


 香は頷き、警察官に歩み寄る。


「例えば、凶器。加害者は給湯室にあった果物ナイフで刺したと供述したそうですが……」


 どこからその情報を?警察官は思ったが、またはぐらかされるだろうから口にするのはやめた。


「給湯室にナイフって、おかしいと思うんですよね。社員の誰かが、お昼休みに果物でも食べていたんでしょうか?」


「それは私には分かりかねます」


「さらに犯行時、現場には被害者と加害者の二人きりしかいなかったとのことですが、これもよく考えると変です。犯行時刻は昼休み中とはいえ、他の社員が皆出払っていたというのは無理があるでしょう。もし給湯室で果物ナイフを使う人がいるのなら、その人はお店に行かずにオフィスの自分の席でお昼ご飯を食べるはずです」


「ナイフがあったことと、加害者と被害者が二人きりだったことが矛盾するということですか」


「そうですね、不自然です。まあ、加害者か被害者のどちらかが普段ナイフを使うのなら、この矛盾は解消されますが」


 気づけば、警察官も推理に参加してしまっていた。


「第三に、関係者の業務について。これも現場を見れば一目瞭然ですが、事件によってオフィスが使用不可になっているにも関わらず、社員の業務に支障がない場合、事件の計画性を疑わなければなりません」


「どういう意味でしょう?警察の見解では、仕事のトラブルで加害者が衝動的に被害者を刺したということですが」


「その供述も怪しいです。私は、加害者のいじめがエスカレートした結果、被害者が殺されるに至ったと思っています」


 香はきっぱりと言った。


「日頃行っている加害者のいじめが激しいものとなり、いよいよ殺してしまった。でも周りの社員たちは、そろそろ加害者が被害者を殺してしまうのではないか、そう思っていた。そこで、事件が起きても業務が続けられるように取り計らった。リモートワークができるなら、可能な限りリモートワークする。できない業務でも、ノートパソコンなどの備品を持ち帰っておく。または、いじめや事件に居合わせるのが嫌で、できるだけオフィスにいないようにした人もいると思います」


「加害者の計画性ではなく、社員の計画性というわけですね。社員たちはいじめを止めることも告発することもなく、ずっと見て見ぬふりをしてきた。そういうことですか?」


「そうです。まあ、まだ確証はありませんが……」


「確証がないのに、そこまで考えているんですか?」


「これも現場を、社員たちのデスクを見ればはっきりするんですけど……」


「駄目です」


 香は流し目を送って訴えるも、断られた。


「いじめは実際にあったんでしょうが、周囲が察知していたかについては少し飛躍し過ぎかと。裏は取れてないんでしょう?」


「はい。どうせ隠蔽するに決まっているので、聞き込みはしていません。それに、依頼者の希望もあります」


「希望?」


「はい。一言で言うと、『復讐がしたい』、と。私に全ての証拠を託したのは、第三者の探偵によっていじめが明るみに出ることで、加害者に、社員たちに、公正な社会的制裁を加えられると被害者が考えたからかもしれません」


「それはおかしくないですか?被害者が自分で告発することもできたでしょう。追い込まれていてできなかったのかもしれませんが……」


「あるいは……」


 香は小さく息を吸って、答えた。


「……殺されることも覚悟の上だった。いやむしろ、自分の命すら捧げて、加害者たちへの罪を、復讐という罰を、より重いものにするという狙いがあったのかもしれません」


 考え過ぎだ、とは言えなかった。警察官は、いじめられることの辛さと苦しさを知っていたからだ。


「被害者の本懐である復讐は、私に託されました。もちろん警察に伝えます。再捜査をしてもらいます。加害者も社員たちもこの会社も、ちゃんと裁かれなければなりません」


「そうですね。ぜひ、そうしてください。いじめをなくすために」


 警察官は言った。本心からの言葉だった。


 雛菊香という探偵は推理力に優れるだけでなく、警察に勝るとも劣らないくらいの正義感も持っているのか。警察官は密かに感心した。


「もう、現場を見せてくれとは言いません」


「いいんですか?」


「はい。却ってよかったかもしれません」


 香は微笑んで、


「決心がつきました。加害者と会社を告発する決心が。いじめを全て暴いて、被害者の分まで闘い抜く決心が、あなたと話している間に固まりました」


 香は、真っ直ぐな目で制服警官の目を見て言った。


「私はなにもしていません。いや、したかな……」


 警察官も正義にあふれた目つきを返して、言った。


「あなたを通さない。私の仕事をしたまでです」

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