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怪異探偵雛菊香  作者: LostAngel


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『告げ、噤み』

 ※この話はフィクションです。この話に登場する人物、企業、団体、建造物、事件は全て架空のものであり、実在する人物や企業、団体、建造物及び事件を指すものではありません。ご了承ください。



『告げ、噤み』



 一



 二〇二〇年、十二月三十一日、午後八時二十四分。


 東京都某所。複合型デパートビルディング『Kin−Ji-Tower』、『VIP専用 From-1F-To-100F 直通エレベーター』内。72F相当。


「くそっ!」


 大手ITロボティクス企業『ネオテクメカ』社長、石見誠一いわみせいいちは、苛立たしげにボタンの並んだパネルを叩いた。


 彼の会社が開発し、このKin−Ji-Towerに導入されたセキュリティサービスとエレベーター運行システムが逆手に取られ、彼らは今超高層の牢獄に閉じ込められている。


「なんで七十二階で止まった!セキュリティはどうなっている!」


「ハッキングされてるみたいだね。例の国際的ハッカー集団に」


 家にいながらにして巨万の富を築き上げた『豪運の引きこもり』、一流デイトレーダーの西彰吾にししょうごが、スマホの画面を見ながらボソボソと言った。


 東京の一等地に百階建てのKin−Ji-Towerが建設できたのは、彼の巨額の投資によるものが大きい。


 だからこうして、タワーが開業してから初の新年を迎えるカウントダウンパーティに招待され、この牢獄にぶち込まれる羽目になった。


「確か、『電脳レイヴン』でしたか。良い噂は聞きませんが、ここまでするとは」


 丸く出っ張った腹をさすり、宙の一点を見つめながら、ふくねこ銀行の頭取、磯又幹二郎いそまたかんじろうが漏らす。


 日本有数の金融機関であるふくねこ銀行の融資もまた、タワーの完成に大きな貢献を果たした。


「はあ?またあの薄汚いカラスどもなの!?この間、私のところに盗みに入られたばかりなのに!」


 大手ジュエリーブランド『グローリーシャイン』を展開する宝石メーカー社長、美楽智子みらともこがほとんど叫びに近い声を上げる。


 開業後、タワー九十九階のテナント営業に一番乗りで立候補したグローリーシャインは、他の企業の追随を促す激しい呼び水となった。結果として、Kin−Ji-Towerの十一階から九十九階のテナントは全て埋まり、タワーの商業的成功を後押しした。


「システムの脆弱性を突かれたね。まったく、ハードの設備に勝るセキュリティはないのに」


 稀代の建築アーティストとして知られる一級建築士、三橋嶺孝みはしみねたかは、どこか斜に構えた様子だ。


 彼が設計したタワーは言うまでもなく世間の注目を集め、建築の芸術的価値と日本の技術力の高さを世界に喧伝した。一階と百階にしか乗り降り口のない、このVIP専用 From-1F-To-100F 直通エレベーターのデザイン、開発も、彼が担当した。従って、彼がパーティに招かれてこのエレベーターに乗ったのは、至極当然の結果だった。


「なんでもいいわよ。どうにかして降りれないの?」


「無理です。セキュリティシステム、ソフト的な設備の主導権を電脳レイヴンから取り戻さない限り」


 ふくよかな黒縁眼鏡のオフィスウーマン、金森道乃かなもりみちのが誰にともなく聞くが、三橋にすぐさま否定される。


 東京都副知事の金森は、タワーへの直接的な支援には関わらなかったものの、建設には意欲的だった。タワーの保守点検や企業のテナントが生む雇用や社会にもたらす経済波及の大きさを都知事に進言し、都内への誘致を実現させた影の立役者だ。


「すごいよ、SNSが大炎上。大晦日に大迷惑!だって」


「余計なことに電池を使うな。Wi-Fiが繋がるとはいえ」


 新進気鋭の女子高生ヒップホップダンサー、よしまあやの軽口を、総フォロワー数二億のオレ様系イケメンインフルエンサー、アキト、本名樋口亜城斗ひぐちあきとが諌める。


 数多の大会で活躍し、国内外でその実力が認められている吉は、カウントダウンパーティのダンスパフォーマンスを行う予定だった。


 樋口は、一般開業が開始された初日にタワーを訪れ、利用者として大々的に宣伝を行ったことで、黎明期におけるタワーの商業的、観光業的発展に計り知れない影響を与えたことを評価されている。今日は百階の特別展望台で開かれるカウントダウンパーティで、タワーの最高責任者から表彰される予定だった。


 そしてこれは知る人ぞ知る情報だが、二人は付き合っている。


「電波が繋がるのは不思議ですな。やっこさんたちは真っ先に封じる思てましたわ」


 コメディアンの波風龍なみかぜたつ本名並木龍磨なみきりゅうまが砕けた調子で言う。


 東西を忙しなく行き来し、お呼びとあらば場を沸かす、日本で知らない人のいないお茶の間のお調子者は、パーティのゲストの一人だ。今宵は『波風龍のスペシャルステージぃ!!』と題して、漫談を披露する手はずだった。


「酸素もあるようで。完全に密閉されているわけではあるまい?」


「ええ、ドアの隙間や空調の換気口がありますので、この人数でも空気がなくなることはありません」


 伝統派の陶芸家、風雲寺源斎ふううんじげんさいもこぼしたのを、説明したがりで自慢したがりの三橋が拾う。


 風雲寺が八十五階に構えるアトリエ兼瀬戸物屋のテナントは、グローリーシャインと比肩するほどの繁盛店だ。近年では職人としての高い技術力を評価する機運が高まっており、人間国宝獲得も秒読みとされている。


「とはいえダン、大人しくしてた方がいいな。俺たちはただでさえ図体がでかいし」


「でも安心しました。僕たち迷惑かと……」


 界隈ではレジェンドたちと評される日米のプロレスラー、佐藤さとうタイガーストライプ、本名佐藤弘毅さとうひろきとダンベルト・アレックスは、揃って安堵の一言を吐いた。


 両者は、元日に開かれるスペシャルマッチに向けて数日前に来日していた。それを機に熱心なプロレスファンである主催の一部が特別にゲストとして招き、パーティの参加者に加わっていた。


「あの〜、一ついいですか?」


 スマホをいじっていた指を止め、日本一有名な若手女優、岡井静音おかいしずねはおずおずと手を挙げた。


 甘く、蠱惑的な顔立ちに抜群のプロポーションを兼ね備える彼女は、テレビで引っ張りだこの大スター。所属事務所の売り込みもあり、今年のコマーシャル出演本数、ドラマ出演本数、バラエティ出演本数1位の三冠を果たしている。


「なんだい、岡井さん?」


「私たち、助かるんですか?身代金、一兆円、らしいんですけど……」


 岡井はスマホを裏返し、返事をした三橋たちに見せる。


 どこかのニュースサイトの記事の見出しのようだ。『新着』と、見出しの最初にマークがついている。


「いっちょうっ!?……ほんまや」


「近いぞ、おっさん」


「老眼や、言わすな」


 分かりやすく画面に顔を近づけた並木を、樋口が茶化す。


 波風龍は、中年いじりを飄々と捌くのがお家芸だ。アキトはそれを知っていて、ボケを挟んだのだ。


「犯行声明はなになに、『エレベーターに閉じ込められた十二人の命が惜しければ、今から年を越すまでの間に、指定された銀行口座に一兆円を振り込め。さもなければ、日本が世界に誇る著名人、十二人の命はない』、やと」


 並木は、見出しの下に太字で書かれた文章をすらすらと読んだ。流石はコメディアン、読み方一つとっても様になっている。


「命が惜しければ、命はないって、私たち死ぬんですか?エレベーターが止まっているだけじゃなくて、もしかして……」


「その心配はない」


 最悪の想像を明かす岡井に、石見は苦虫を噛み潰した顔で言う。


「エレベーターには安全装置が搭載されている。それが働いている限り、かごが落下することはない。メインの管制システムとは独立したものだから、ハッキングに遭っても関係ない」


「じゃあ、なんでそんなに汗だくなんだよ!なに焦ってんだよ!」


 樋口が責めるように指摘する。


 指摘の通り、エレベーターパネルの前を陣取る石見の顔には脂汗が浮かんでいた。やや面長で丸まっただるまのような色黒の肌は、冷や汗でつるつるだった。


「問題は……」


 ITとロボティクスに詳しいだるまが喋った。声が掠れている。


「問題は、その安全装置が働いているにもかかわらず、エレベーターが停止したままだということだ。停電などで、かごを支えるワイヤーロープを巻き上げる機械を操る機械室からの命令が途絶えても作動するよう、安全装置は独立した電源を持っている。その電源から供給される電力を用い、速やかに最上階に上昇するはずなんだ、本来なら」


「でも、止まったままですな?」


「だから焦っている。……いや、申し訳ない」


 落ち着いた声色で疑問を挟む風雲寺に、石見はかぶりを振って答えた。


「この状況から鑑みるに、ハッカーたちは電力を完全に遮断しているのではなく、機械室と巻き上げ機の主導権を操作し、エレベーターを七十二階に固定させているようだ。我々を閉じ込めるために」


「そんな……!」


 金森が息を呑む。


「そ、そんなことできるの!?」


「ああ。とんでもなく難しいが、理論上は可能ではある。他の、商業用のエレベーターは一階ずつ止まれるから、おそらくこのエレベーターにもその命令を適用しているのだろう。ただこのエレベーターは一階と百階にしか乗降口がないから、到着しても降りられないわけだ」


「な、なにか、切り抜ける方法はないのですか……?」


 ヒステリックに動揺する美楽と、動揺しながらも知識人に救いを求める磯又。


 亀の甲より年の功とは、まさにこのことか。


「あるにはある。それこそ、古典的なやり方で」


「どんなやり方ですか!?助かる方法がある!?」


 佐藤が掴みかかりかねない勢いで石見に詰める。


 横にも縦にも大きい体のせいで、プレッシャーがものすごかった。


「さあ、IT工学専門の社長様のソリューションは?」


 三橋が嫌味ったらしく問うた。


 まるで、この事態に陥ったのは石見のせいだと言わんばかりだ。


「……エレベーターを吊るしているワイヤーロープを伝って、一階まで下りる方法だ。不可能ではない」


「バカ言いなさんなっ!!七十階分やで?」


「同感だ。絵空事ではないかね」


 すぐさまほぼ同時に、並木と風雲寺が難色を示す。


「百階までだったらどうですか。二十八階分です」


「それだと百階のドアが開かないから、ピンチなままだ。エレベーターの外扉は、かごが到着しない限り容易に開けることができない。百階の人員と設備では、外からこじ開けるのは不可能に近い」


 岡井の次善策は、すぐに否定された。


「一階なら外部からの支援があるし、外扉を物理的にこじ開けられる可能性が高い。よって、一階を目指した方がいい」


「でもよ、センセイ。常識的に考えて、命綱もなしに七十階を降りるのは流石に……」


「自殺行為、と言いたい気持ちも分かる。私もそう思う。だが、これしかないんだ」


 石見はジャケットの袖で乱暴に、額の汗を拭う。


「でなければ、大人しく待つしかない。電脳レイヴンが目的を果たして手を引くか、警察と我が社のサイバーチームがハッキングを打ち破るまで、ここで」


「……ハッカーどもがやすやすと手を引くとは、考えづらいけど」


「この前グローリーシャインに盗みに入ったやつらの実働部隊は、警備の人間を殺害している。まあ、望み薄だね」


 西の意見に、三橋が乗っかる。


「ほんと、最低……」


 やりきれない怒りを込めた美楽の一言が、かごの中に響いた。


 彼女は、殺された警備員を雇った一経営者として、また曲がったことを許さないプライドを持った一人の人間として、電脳レイヴンを心底嫌っていた。名前を聞くだけで気分が悪くなる。


「なら、やることは一つしかないですね」


 少したどたどしい日本語で、ダンベルトが言った。


「地獄に垂らされた蜘蛛の糸、です。ワイヤーロープを伝って降りるんです」


 難しい比喩表現を並べながら、のしのしとドアの前に移動する。


「本気か、ダン?」


「本気、です」


 ダンベルトはドアの真ん中のわずかな隙間を掴み、力を込める。


 みし、という音がし、徐々に両開きの戸が開かれていく。かごの外の、空洞の黒が幅を広げていく。


「ねえ、ちょっと待って」


「まあや、スマホはやめろって」


「大事なことに気づいたの」


 吉と樋口が言い合う間にも、扉は開かれていく。


 そして遂に、全開になる。暗い闇が、七十二階の高さの奈落が、"十三"人の前に現れた。


「私たち、全員で"十三"人なんだよ。私、アキト、石見さん、西さん、磯又さん、美楽さん、三橋さん、金森さん、波風さん、風雲寺さん、佐藤さん、静音ちゃん、ダンベルトさんの、十三人!!」


「……」


 奈落の前に立つダンベルトが、左右に伸びきった両腕を静かに下ろす。そしてゆっくりと、吉たちの方を振り返る。


 ひゅうううと、底なしの穴を空気が流れる音がした。


「ど、どういうことなの?」


 金森が困惑しながら聞く。


「声明にはこうも書いてあります。『"日本が"世界に誇る著名人、十二人の命はない』」


「あっ!」


 三橋が気づいた。


「これじゃあ、人質が日本人だけっていう書き方だよ」


「そうです。ダンベルトさんはアメリカ人。声明によると人質ではないことになる。そう考えると、十二人と一人少ないのも納得がいく」


「……つまり、なにが言いたいんですか?」


 掘りの深い顔立ちが、真顔になっていた。短い金髪が天井の照明に反射し、怪しく光っている。二つの碧眼はどこまでも暗く、濁っていた。


「つまりあなたは、人質ではない。なら、なんなのか」


「も、もしかして……?」


「ええ」


 頭の回転の速い西は、気づいたようだった。


 吉が続ける。


「ダンベルトさん、あなた、電脳レイヴンのメンバーなんじゃないんですか?実働部隊の一人なん……」「これでっ!」


 唐突に……。


 吉の宣告を、ダンベルトは唐突に遮った。


 そして唐突に、左腕を伸ばした。


「えっ?」


 筋力に裏打ちされた、俊敏な動きだった。エレベーターパネルの傍にいた石見は完全に虚を突かれ、抵抗する間もなく二の腕を掴まれる。


「なにを……!?」


「十二人、ですねっ!!」


 ダンベルトは石見と位置を入れ替えるようにステップを踏み、石見を、闇の奥へと投げ飛ばした。


「ああっ!!…………あああああぁぁぁぁぁ」


 悲鳴は、落下に伴って小さくなっていった。光だけでなく、音すらも奈落に吸い込まれたみたいだった。


 数秒後、ぐしゃっ、という鈍い音がかすかに聞こえた。


「……きゃあああああっ!!」


 金森の黄色い悲鳴が轟いた。



 ※※※



 二〇二六年二月五日、十四時ちょうど。行きつけの喫茶店、一番奥のテーブル席。


 大学の期末考査が終わって暇をしている怪異探偵の雛菊香ひなぎくかおるは、人を待っていた。マグカップになみなみ注がれたホットコーヒーを飲みながら、片手でスマホをいじる。


 『自殺した有罪率100%の女検事!その理由に迫る』。センセーショナルな見出しのネットニュースを、香は食い入るように読んでいた。


 『梅川沙羅うめかわさら検事は先月二十七日、都内の自宅で首を吊った状態で発見された。第一発見者は、彼女の娘(16)で……』。


「すまない、待たせた」


 香はスマホをスリーブモードにし、ポケットにしまった。


 顔を上げると、冴えないおじさんの顔があった。待ち合わせの相手、警視庁捜査一課の畠山巡査部長だった。


「いえ、それほど待っていません」


「そうか」


 実際には数分の遅れだが、畠山は微塵も悪びれずに香の向かいの席に座る。店員を呼び、ホットコーヒーを注文した。


「今回はどんな事件ですか?怪異が関わっているものか、それとも解けないトリックがあるものか」


「残念ながら前者だ」


 香は一応、探偵だ。本来は摩訶不思議な要素のない、純粋に"自然な"トリックやミステリーに挑むだけの推理力がある、と自負している。灰色の頭脳は磨きに磨かれているのだ。


 にもかかわらず、この冴えないおじさん刑事は、近頃怪異ばかりを持ってくる。もちろん、それらの"自然ではない"事件にも謎はあるし、怪異に対しての警察の手に負えないという気持ちも、怪異までカバーしている香を頼る気持ちも分かるが……。


 最近、怪異が多くないか?天使と出会ってからというもの、"超自然"に振り回される機会が増えた気がする。神と知り合う機会が増えた気がする。


 これも、天使の言う『盗まれた神性』が悪用されているせいなのだろうか。それとも、香が『なんでも解決してくれる探偵』として有名になったからか。それとも、畠山の口が軽くなったせいか。


「はあ……」


「お疲れか、探偵さん?」


「警察の人に言われたら終わりですね。大丈夫です。畠山さんこそ、寝れていないんじゃないですか?」


 畠山の目の下に隈ができている。いつもは目立たないくらいだが、今日は一段と濃い。


「あ、ああ……。ここ二、三日捜査本部に泊まり込みでな。やはり堪える」


「もしかして、例の連続殺人事件を捜査されているんですか?」


「流石だな」


 香が全く感情を込めずにお世辞を言うと、畠山はやってきたコーヒーを啜った。


「報道されていますし、誰でも見当がつきますよ」


 香も澄まし顔で、一口飲む。


「先月の三十日朝、都内の自宅兼設計事務所で一級建築士の三橋嶺孝さんが全身を殴打されて失血死しているのを従業員が発見。続いて今月二日朝、テレビ番組の収録で東京に来ていた波風龍さんが、宿泊先のホテルの一室で他殺体で発見された。これも全身の打撲痕に由来する失血死。この二件は遺体の状態ととある共通点から関連があるとみられ、警察は連続殺人事件として捜査を進めている。そうですね?」


「そうだ。俺の係で担当している」


 畠山は目を細める。心なしか脂じみた眉間にしわが寄る。


 やや間を置いて、口を重そうに開けた。


「ここから先は、報道されていない情報だ」


 警察の機密情報か。香は身構えた。


「そして昨日、三件目の事件が起きた。亡くなったのは風雲寺源斎という名前の陶芸家だ。自宅のアトリエ内で遺体で発見された。今朝のことだ」


「それで、急いで電話をくれたのですね」


「ああ。前の二件と同様に、遺体のあちこちに生活反応のある打撲痕があった。そして、失血死だ」


「またしても同じですか。その人も、六年前の『Kin-ji-Towerエレベーター殺人事件』の関係者ですよね」


「ああ。今までの事件を踏まえ、警察は『電脳レイヴン』による報復の可能性を考えて、彼の自宅や警護を行っていたんだが、アトリエでは一人にしてくれと言われたそうでな。作業が終わったら寝るから今日はもういいと、家から締め出されたらしい」


「風雲寺さんは、家の中に一人でいたということですね。でも、家の周りは警備していましたよね?」


「もちろんだ。だが事件当夜、怪しい人物はいなかった。遺体が発見された朝もな」


「犯人がどうやって忍び込んで、どうやって逃げたのか。そこに怪異が関わっているとお考えですか?」


「いや、そうじゃない。警備してたのはしょせん人間だからな。人員はそれなりの数まわしていたが、それでも100%カバーできるかと言われたら、無理だ。だから、犯人はどうにかして監視の目を掻い潜り、犯行現場を出入りしたんじゃないかというのが警察の見立てだ。具体的な方法は分かっていないが」


「まあ、それが普通ですね」


 では、どうして私に?香は聞いた。


 こちらも真剣にならざるを得なかった。畠山の顔が、なにかとても大事なことを打ち明けようという表情になっているからだ。


「舌を抜かれてたんだよ」


「舌?」


「報道ではぼかしていたが、直接の死因は、舌を無理やり引き抜かれたことによる出血多量、なんだよ。三橋嶺孝も波風龍も、風雲寺源斎も」


 玄関のドアは開いていないのに、香の背中に冷たいものが走った。


「怪異探偵雛菊香さん。三人を痛めつけ、舌を引き抜いて殺した犯人を、見つけてくれないか。とても人間業と思えない残虐な犯行を繰り返す、悪魔のような犯人を」



 ※※※



 許せない。


 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない。


 私の父を、母を、両親を奪ったあいつらが許せない。許せない許せない許せない。


 嘘を騙るその口が。告げ口で父を追い詰めた、その口が。


 真実を言わないその口が。素知らぬ顔をして口を噤み、父を見殺しにし、母に全てを押しつけたその口が。


 許せない、許せない許せない許せない許せない。


 告げ、噤む。お前らの口が、私は許せない。


「痛い、痛いよう……」


「……」


「なんで、こんなことするのう……?」


「……」


「な、なに!?もういたいのやめ……、んぐっ!」


 だから私が、断罪する。


 神に選ばれた私が、神のような力で。


「……ぐううぅぅっ……ぅぅぅ!……、……ぅぅ……ううううぅぅぅっ、ううぅぅぅぅぅ!!」


 ぶちいぃぃっ。


「……」


 これでまた一つ、復讐を果たした。


 でも、許せない。許せるわけがない。


 お前らは全員、私が殺してやる。



 二



「シャラアアアアップッ!!」


 悲鳴や叫びで木霊するエレベーター内で、ダンベルトが一喝する。


 それだけで、他の皆は静かになった。黙った。この集団の中で最も強い者に逆らってはいけないと、本能が判断を下したのだ。


「……少し狭っ苦しいですね」


 そう言って、首をゆっくりと回して睥睨するダンベルト。


 その殺意に満ちた視線に晒された者たちは震え上がり、声にならない声を漏らした。それがまた、彼の神経を逆撫でした。


 視線が、ある一人を捉えた。


「お前」


「ひいっ!」


 腕を掴み、引っ張る。


 人質たちの中から引きずり出されたのは、西彰吾だった。


「落ちろ」


「やめ……!」


 抗議の言葉はそこまでだった。


 石見と同じように呆気なく投げ捨てられ、西はエレベーターから消えた。奈落へと落ちたのだ。ひゅううという空気を切り裂く音、次いでぐしゃっという、なにかが潰れたかのような音。


 石見に続き、西も死んだ。殺された。


「ダンベルトおおおおおっっ!!」


 半ば不意打ち気味に、雄叫びを上げて放たれた佐藤のタックルはひらりと躱された。


 ダンベルトは彼の頭を掴み、


「ダマレジャップが!」


 思い切り壁に叩きつけた。ガンッ!という鈍い音が響く。


「……おっと、死んでないですよね?きみには生きていてもらわないと、タイガーストライプ」


 四肢を投げ出して気を失った佐藤の体を転がし、ダンベルトは言った。


「女は服を脱げ。男は……、地面にホールドアップしとけ」


「は……?」


「文句あるのか?」


「い、いや……、ありません」


 威勢を示したものの、樋口は閉口せざるを得なかった。


 王様の言うことは絶対。そして、これから王様がすることにも、絶対服従。


 他の全員は悟った。今夜、エレベーターに閉じ込められたのは不運だが、本当の地獄は、むしろこれから始まることだと。


「脱げ。それとも死にてえのか?」


「は、はい……」


 下世話な性欲を隠そうともせず気色悪い笑みを浮かべ、ダンベルトは脅した。


 金森、吉、岡井の3人は、言われた通りにするしかなかった。一糸纏わぬ姿になった。男性陣も、伸びている佐藤以外は地面にうつぶせになった。


 が、一人だけ従わなかった。美楽智子だ。


 他の人が行動する中、美楽だけはその場に立ったまま、閉鎖空間の暴君を睨みつけていた。


「お前、脱げと言っただろ。はやくしろ」


「最低……!」


 彼女はダンベルトの下に近づき、ぱんっ!と頬をひっぱたいた。


「あなたがグローリーシャインを、うちの警備員たちを、殺したのね!」


「それは知りません。僕じゃない」


 ダンベルトはビンタで傾いた顔を戻し、美楽の視線を受け止めて言った。


「黙れ、下衆がっ!」


「そんな口利いて、いいんですか?死にたく……」「辱められるくらいなら……」


 美楽は不意にダンベルトから顔を逸らすと、開いた扉の方に歩みを進める。


 つかつかと、彼女の履いているハイヒールが音を奏でた。


「……辱められるくらいなら、死んでやる」


 それが最後の言葉だった。


 美楽はそう言い残し、奈落に自ら身を投げた。


 ぐしゃっ。また一つ、命が潰える音がした。


「まったく、手こずらせやがって……」


 この集団で最も強い、力のある王様のダンベルト・アレックス。


「では……」


 彼は舌なめずりをして、舐め回すような視線を残った女性たちに向けた。


 地獄は、始まったばかりだ。



 ※※※



 畠山からの依頼を承諾した香は、一件目の事件現場に赴いた。畠山も一緒だ。


「『三橋設計事務所』、ここですね」


 香は、入り口の脇に掲げられたプレートを読む。


 その隣、入り口の前には制服警官が一人立っていることもあり、ここで間違いないようだ。


「お疲れさん、通してくれ」


「はっ。……いや、こちらは?」


「捜査協力者だ」


「……この方が、ですか?」


「そうだ」


 畠山と警官の問答が始まるが、香は堂々としていた。


 やましいことはない。警察の人から協力してほしいと頼まれたんだ。現場を見るくらい、してもいいだろう。そんな心意気だった。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」


「おい、そんなことはいいだろう」


「いえ、規則ですので……」


 畠山を半ば無視するようにして、話を振られた。


 香は警官の前に立ち、


「怪異探偵の雛菊香と申します。大学生です」


 と短く自己紹介をした。


「……怪異、探偵ですか。そのような方を現場に入れることはできません」


「あのなあ、お前……!」「規則ですので」


「俺は警視庁捜査一課の……!」「存じております。警視庁捜査一課一係の、畠山一郎巡査部長でいらっしゃいますよね」


「だったら……!」「規則は規則ですので、それは本庁の方でも変わりません」


 ガードは硬かった。若いのに職務を全うしている、善き警察官だった。


 時間の無駄だ。香は瞬時にそう判断した。畠山の交渉力と警官のこの動じなさでは、いつまで経っても現場を拝むことはできそうにない。


「畠山さん」


「それじゃあな、『闇の獣』事件を知ってるか?一月前に起きた」


「存じております」


「それを解決したのがこの人だ」


「そうなんですね。……それがどうかしたのですか?」


 警官は香の方を一瞥したが、すぐに畠山に向き直る。対して、畠山は困惑と動揺を隠せていなかった。


 ある意味、才能だ。ここまで言いたいことが伝わらないのはすごい。


「畠山さん、引き上げましょう」


「そんなことできるか!ここまで虚仮にされてんだぞ!」


「虚仮にしているつもりは……」「なら通せ!」


「いえ、規則ですので……」「だああああっ!」


 畠山は今にも噴火しそうに、頭を掻きむしり始めた。


 だが、制服警官はなにが悪いのか分からないという顔のまま、入口の前に立ち塞がっている。


 この人こそ怪異ではないか?香は失礼ながら、そう思ってしまった。


「メンツやプライドの問題ではないですよ。確かに、素性の知らない一般人を現場に立ち入らせるのはいけません。彼の言うことはもっともです」


「だがなあ……!」「現場はいいです。畠山さんから頂く写真とお話だけで、事件を解決します」


「……」


 香はなぜか、警官へ言い放つように宣言した。


 迷惑な部外者扱いをされては、探偵としての名誉に関わる。プライドが捨てられていないのは、香の方だった。


「行きましょう、畠山さん」


「お、おう……」


「はあ、畠山さんだけならお通しできますが」


「結構です」


 これまたなぜか香が答え、二人は事務所前をあとにした。




「困りました。現場が分からないと推理ができません」


「やっぱり戻るか?それか、二件目の方に行くか?」


「いえ、どちらも大丈夫です。大見得を切ってしまったので」


 十六時。一時間前に出た喫茶店へととんぼ返りしてきた香と畠山は、本格的に腰を据えて会議をすることにした。


「ではできるだけ、詳細に事件について教えてください」


「ああ」


 畠山はコーヒーにちろりと口をつけてから、話し始めた。


「一件目からいくぞ。被害者は三橋嶺孝。四十一歳の一級建築士だ」


「Kin-Ji-Towerの事件当時は、三十五歳ですか」


「六年前の事件については後で触れる」


 軽く咳払いをしてから、畠山は続ける。


「先月三十日の午前八時四十分、三橋は一階の事務所で亡くなっていた。自分のデスクに座り、背もたれにもたれかかるようにして事切れていたそうだ。そして、舌を抜かれていた。そこら中が血塗れで、特に口内と顎から下は真っ赤だった。写真は、今はない。次会ったときに持ってくる」


「分かりました」


 凄惨な現場が収められているだろうが、見なければならない。探偵として、事件を解決に導くため。


「続ける。発見時の事務所内の状況はひどかったが、あちこちに血が飛び散っていたところ、争って散らかっていたところ以外に変わったことはなかった。金庫の売り上げ金も無事だったし、財布やスマホも盗られてない。物盗りの線は薄いと見ている」


「犯人につながる証拠はありましたか?」


 ホットコーヒーで二月の寒さを凌ぎながら、香は聞いた。


「物証がいくつも回収できた。指紋、ゲソ痕、髪の毛。いずれも三橋のでも、事務所で働いている人のものでもなかった。前歴者とも一致しなかった」


「髪の毛の長さは、どれくらいでしたか?」


「女性のような長い毛髪だった。ゲソ痕も二十四センチのローファーと見られているし、犯人は女性という線が強い」


 香も頷いて同意した。


「間違いないと思います。……次に、死因と死亡推定時刻を教えてください」


「前も言ったが、死因は舌を抜かれたことによる失血死だ。体のあちこち、具体的には左側頭部、左の前腕、右の二の腕、右脇腹、両方の太腿、左の脛、右足首に打撲痕があり、この内左の橈骨、右の上腕骨と左右の太腿骨が骨折していた」


「逃げられないように、抵抗できないようにしたんですね」


「おそらくそうだろう。死亡推定時刻は二十二時から翌日二時までの間だ。被害者は二階で夕食を摂り、居住用スペースで時間を過ごした後、仕事をするために一階に降りた。それが二十二時のことだ」


「家族の方は二階か三階におられたのですか?」


 香は事務所の前に来たとき、建物が三階建てであったことをきちんと観察していた。


「そうだ。二人の子どもは二十一時ごろに就寝。三階の子供部屋でぐっすりだ。奥さんは零時過ぎまで起きていたが、三橋が上がってこないので床に着いたそうだ。仕事の邪魔はしないよう、よほどのことがない限り一階には来ないでくれと言われていて、三橋は仕事で徹夜することも多かったため、特に気にすることなく眠りに着いたらしい」


「そうして、被害者一人だけの時間が、できてしまったと」


「そういうことだ」


 二人は揃って、熱めのコーヒーを飲む。


「奥さんや子どもたちは深夜に争うような音を聞いたり、三橋さん以外の人の気配に気づいたりはしなかったのですか?」


「なかったらしい。流石建築家の仕事というべきか、事務所の防音と耐震は完璧で、ちょっとやそっとの音や気配は二階からは分からないそうだ」


「そうですか」


 期待はしていなかった。香は特に気落ちせず次の質問をする。


「それでは、凶器は見つかりましたか?被害者を殴打し、舌を抜いた凶器は」


「いや、まだだ。付近を捜索してもめぼしいものはなに一つ見つからなかった」


「種類はどうです?特定はできましたか?」


「えんま」


「はい?」


「釘を引き抜くための道具の名前だ。大工や左官屋がよく使う。そのえんまの一部と、打撲痕から取った型の形状が似ているらしい」


「舌を引き抜いたのも、そのえんまなのでしょうか?」


「そうだと見ている。にわかには信じがたいが、おとぎ話の中で閻魔大王が嘘つきにするように舌を掴み、引き抜いた。一応、警察はそういう見解だ」


「なるほど」


「他になにかあるか?」


「防犯カメラはどうでしたか?事務所内や家の近くにありませんでしたか?」


「事務所の中にはなかった。自宅の一部という位置づけだったから置いていなかったんだろう。事務所の前や付近の道路には監視カメラがあったが、不審者は一切映っていなかった。事件当夜も、事件翌日もだ」


「そうですか」


 香は残念な気持ちを隠して言った。これも駄目か。


「犯人の出入りした経路は不明だ。事務所の前は鍵がかかっていたし、翌朝に開けた第一発見者も異常は見られないと言っていた。外階段から入れる二階の居住用スペースの入り口も施錠してあった」


「血の痕跡はたどれないようですね」


「血の痕跡?」


 畠山のオウム返しに、はい、と香は頷いた。


「犯人は三橋さんの舌を抜いたときに、結構な量の返り血を浴びたはずです。犯人の出入りした方法が分かれば、血が目印になると思ったのですが」


「そうか。犯人は返り血で真っ赤だった。現場で血を拭いたり落としたりした形跡はなかったから、血塗れのまま出歩いていた」


「いえ……」


 一つ一つ確かめるように言葉を並べていく畠山に、香は待ったをかけた。


「自分で言っておいてなんですが、血塗れの犯人の目撃情報を探すのは無駄だと思います」


「どうしてだ?」


「犯人はカメラに映らずに侵入し、誰にも気づかれないように被害者を殺害、煙のように消えました。こんなことができるのは、小説やドラマの中だけです。大抵は、なにか痕跡を残すはずです。カメラに映ってしまうとか、物音で他の人に気づかれる、とかです」


「だが、痕跡は一つもなかった。そんな周到な犯人だから、血を浴びた姿は誰にも見られていないはずだということか?」


「いえ、逆です」


「逆?」


 香はあくまで冷静に、話し続ける。


「現場の外に一切の痕跡を残していない犯人ですが、現場の中はどうでしょう。指紋、ゲソ痕、髪の毛がいくつも見つかったんですよね?ということは、犯人はちっとも周到なんかじゃありません。むしろ、犯罪に関してはずぶの素人。そう言っていいと思います」


「現場の外では痕跡を残さないのに、現場には残す。殺しの素人なのに、犯行前後の足取りが掴めない……。どういうことだ?」


 頭を傾げたまま、畠山は思考のどツボにハマってしまう。


 香は先生が生徒に教えるように、ふわりと解を提示した。


「その答えは、怪異にあると思います。あくまで私の意見では、ですが」


「……超常的な力で、現場を入ったり出たりした、ということか?」


「はい、おそらくは」


 畠山は否定したかった。一般的な警察の目線では、怪異や超能力などは到底信じられるものでは、いや、信じてはいけない要素だからだ。


 そんなの、なんでもありじゃねえか!もはやアリバイも証拠も、なんの意味もなくなるじゃねえか!そう叫びたい気分だった。


 だが、否定できなかった。叫べなかった。畠山は以前の事件で『闇の獣』という、常識の外側にいるものの存在を知っているからだ。


 怪異は存在する。そう、理解しているからだ。


「テレポートのような移動能力と、犯行の間に人払いする能力。少なくともこの二つの超常能力が、犯人には備わっている。そう考えると、現場内外の犯人像の違いに説明がつきます」


「だが……」


「信じたくない気持ちは分かります」


 懊悩する畠山に、香はなんてことないかのように告げる。


「ですので、それについては一旦置いておいて、次の事件の説明をお願いします」



 ※※※



 許せない。


 許せない許せない許せない。


 目の前のこの女が許せない。憎い。


 苦しませたい。地獄を味わわせたい。母が、父が受けた苦しみを、味わった地獄を、お前にも。


「痛い……」


「……」


「……あの……ね、私、あの事件のとき、乱暴されたの。レイプされたの……。抵抗したら殺すって言われて……、それで……」


「……」


「ね、分かるでしょ?あなたも同じおん……ふぐっ!」


 嘘を告げる口を。真実を噤む口を。


 なにがあろうと、どんな背景があろうと。


「ひゃめ……ぅ、ぅぅう、っぐうう、ううう、ううぅぅ……!」


 ぶちいぃぃっ。


 私は絶対に、許さない。あと二人だ。



 三



 地獄と化したエレベーター内。ダンベルトは靴を脱ぎ、履いていたジーンズとパンツを脱ぎ、また靴を履いてから、女性たちを乱暴した。


 出られない、抵抗できない檻の中で、一番力の強い男は暴れた。下半身を動かしながら、上半身ではたまにスマホで、身代金を巡る警察と電脳レイヴンの駆け引きの様子を確かめながら、ダンベルトは行為に耽った。


 生き地獄だった。開け放たれた奈落に突き落とすぞと脅され、男性陣は身動き一つ取れなかった。ずっと腹這いになり、息を潜めて時間が経過するのを待っていた。不快な光景は目を閉じて見えないようにし、不快な音は聞こえないふりをして、耐え続けた。


「やっぱり狭えな」


 そう仰り、王様は二人の男をさらに殺した。磯又幹二郎と樋口亜城斗だった。


 二人とも、抵抗できなかった。最初からホールドアップしているのだ。抵抗らしい抵抗をする前に蹴飛ばされ、奈落に転がり落とされた。


「これでいい」


 王様は満足そうに仰ると、幾分か広くなったスペースを使って再び快楽を貪り始めた。


 どれくらい時間が経っただろうか。三十分か、一時間か、それとも二時間か。


 いつの間にか、ニュースの中継映像が流れていた。レポーターのナレーションと、カメラのシャッター音が少しくぐもって聞こえる。


 意識のある男性の生き残り、三橋と並木と風雲寺は、ほぼ同時に薄っすらと目を開けた。


『速報です。警視庁サイバー犯罪対策課は、Kin-Ji-Towerのセキュリティシステムの主導権を、電脳レイヴンから取り戻すことに成功したと発表しました。これにより、エレベーターの機械室の制御が行えるようになり、閉じ込められている人質たちが解放される見込みです。繰り返します……』


「そろそろか……」


 アナウンスを聞いたダンベルトはチッと舌打ちをし、岡井の体から離れた。


 パンツとジーンズを履き、皆を睨みつける。


「なにボサボサしてる?早く服を着ろ!」


 怒鳴り散らし、さらにとんでもないことを宣った。


「いいかお前ら、俺にレイプされたことは黙ってろ。医者の検査もするな。言ったら殺す。俺が、じゃない。電脳レイヴンの実働部隊がお前と、お前らの家族を皆殺しにする。分かったか」


 低く、言い聞かせるような声色だった。本気であるということが伝わってきた。


 皆は頷くしかなかった。首を縦に振るしか、選択肢がなかった。


「それと、一連の事件の犯人は、コイツということにしろ」


 そう続け、ダンベルトは大きな手で気絶している佐藤を指差した。


「いいか。電脳レイヴンの実働部隊はコイツだ。俺達を脅し、六人もの人間を殺したのはコイツだ。女を貪ったのもコイツ、黒幕はコイツだ」


 まるで催眠のようだった。洗脳のようだった。


 だから本来通じない嘘が、まかり通ってしまった。命の危機に瀕し、でまかせを告げる王様の言うことに、従うしかなかった。


 人質の六人は互いに頷き合い、口裏を合わせることにした。満場一致だった。


 ダンベルトを逃がすために、電脳レイヴンから報復を受けないために、佐藤を生贄に捧げる。六人はそう決めた。


 ガタンッ。エレベーターが動き始めた。ゆっくりと上昇していく。


「分かったら服を着て、一箇所に固まれ。最初の説明は俺がする。お前らは黙ってろ」


 言葉の意味を理解する前に、首が縦に動いてしまう。


 王様の最後の命令は、皆の耳に冷たく響くのだった。




 エレベーター停止から一時間二十分後。午後九時四十四分に、閉じ込められた七人の人質は解放された。


 百階に取り残された人たちが協力し、三橋、並木、風雲寺、吉、金森、岡井、そしてダンベルトの七人は保護された。


 佐藤は未だ意識がなかったが、ダンベルトを始めとする生き残りの証言によって事件の実行犯とみなされ、拘束された。そして、約三十分後に到着した警察官に引き渡され、殺人の容疑で逮捕された。


 それから六年もの間、誰も元王様の言いつけを破らなかった。秘密を秘密のままにした。


 逮捕後、暴行罪や誘拐罪、脅迫罪など複数の嫌疑がかけられた佐藤の報道がされても。佐藤宅のパソコンから電脳レイヴンとのやり取りを示す偽装された履歴が見つかり、外患誘致罪を適用するか否か、世間が騒ぐことになっても。


 七人は、佐藤の罪を問う高等裁判所での一審で、偽証をしないと法廷で誓ったにも関わらず、揃って嘘の証言をし、言うべき本当のことを言わなかった。佐藤がどんなに無実を訴えても、ダンベルトが犯人だと喚いても、上告して最高裁判所で争うことになっても、七人は元王様に従った。


 嘘を告げ、真実を噤んだのだ。


 ダンベルトら人質の証言が重要な証拠と見なされ、担当検事である梅川沙羅検事の情け容赦のない巧みな弁論も相まって、佐藤に不利な状況で裁判は結審した。判決は死刑だった。


 刑は二◯二五年の十一月に執行された。世論の後押しがあり、異例の執行の早さだった。


 最期の言葉は、『それでも、愛してる』だった。



 ※※※



 畠山刑事から一件目、二件目、三件目の事件の状況を聞いた日の、翌日。


 香はいつもの喫茶店でテーブル席を陣取り、畠山からの電話を受け取っていた。


「吉まあやと岡井静音が殺された。吉はダンススタジオに一人でいるときに、岡井は収録前、一人で楽屋でにいたときにやられた。どちらも舌を抜かれたことによる、失血死だ」


 畠山は早口で言った。今まさに捜査の作業中なのだろう。


 香は『分かりました。またなにか分かったら教えてください』とだけ言い、電話を切った。


「はあ……」


 香はテーブルの一点を見つめながら、湧き上がる恐怖を鎮める。


 これで五人だ。Kin-Ji-Towerエレベーター殺人事件の生き残りが、立て続けに五人も殺害された。


 間違いなく、動機は復讐だろう。犯人の佐藤が死刑に処されたのは、つい数ヶ月前だ。その復讐と考えれば、時間的な整合性は取れる。


 なら、犯人は電脳レイヴンに所属する誰かしらなのか。


 いや……。香は考える。


 電脳レイヴンがしかけた、十三人もの著名人の閉じ込め事件。ブラックボックスと化したエレベーター内から、生還した八人とその後の証言。佐藤の最期の言葉『それでも、愛してる』。超常現象としか思えない犯行現場への完璧な出入り、完全犯罪。まるで地獄に住まう閻魔大王の裁きのような、犯人の殺害の手口。そして……。


 敏腕検事、梅川沙羅の自殺。


「まさか……!」


 思わず声が出てしまった。


 香は核心に至った。



 ※※※



 畠山は走っていた。急いでいた。


 次に狙われるのは、元東京副知事、現東京都知事の金森道乃だ。


 方法は分からない。香の言う通り、超常的な力が関わっているのかもしれない。動機も不明だ。なぜ、Kin-Ji-Towerエレベーター殺人事件の生き残りたちを狙うのか。えんまで舌を引き抜くのか。分からない。


 分からなかったが、刑事の勘が畠山に伝えていた。金森都知事が危ない。事件を受けて、警察とSPによる厳戒態勢が敷かれているが、それでも安全とは言えない。


 電車を降り、ホームを駆ける。じれったく速度を落として改札を通過し、駅を出る。


 目の前に聳え立つ、東京都庁の建物をちらりと見、畠山は走る速度を上げた。直通の連絡通路を走り抜け、入り口の自動ドアをこじ開けて受付に向かう。


「警視庁の、畠山だ。はあ……、金森都知事は今どこにいる?」


「ご面会の方ですか?アポイントメントは……」


「命に関わることなんだ!いいから教えてくれ!!」


 精一杯威圧感を与えないように、畠山は怒鳴った。


 幸い、熱意が伝わった。緊急であるということを理解してもらえたのかもしれない。


 受付の女性はモニターを一瞬見ると、今の知事の居場所を畠山に教えた。


「はあ、はあ……ありがとう!」


 息も絶え絶えに、畠山は再び走り出した。エレベーターのボタンを連打し、やってきたかごに飛び乗る。これも幸い、誰も乗っていなかった。


 すぐさま『閉』ボタンを押し、扉を閉める。目的の階数のボタンを押し、逸る気持ちを抑えつつ、エレベーターが上昇するのを待つ。


 チーンッ!目的の階に到着したゆっくりと開く戸の間に体をねじ込み、廊下を走る。


 執務室は廊下の一番奥、突き当たりにあった。扉の前に到着すると、畠山は勢いよくドアノブを掴み、手間に引いた。


 犯人がいるかもしれない。その場合は身を挺してでも……!


 室内に飛び込む。


「だ、誰ですかあなたは!」


 鋭い声が飛ぶ。


 執務室の主が座る、アンティーク調のデスクは空席だった。その手前のソファに、秘書らしきスーツ姿の女性が座っていた。ガラス張りのテーブルの上にノートパソコンを広げ、作業をしている最中だったようだ。


 そして女性の後ろ、壁際に寄りかかるようにしてもう一人女性がいる。こちらもスーツ姿だ。SPの一人と思われる。


「知事は……!?はあ、金森都知事は!?……警視庁の刑事です、知事は!?」


 なんとか懐から警察手帳を取り出し、畠山は秘書と思しき女性に聞いた。


「……知事なら、お手洗いに。警備の方も一緒でしたよ?」


「ありがとうございます!トイレはどこに!?」


「角を曲がってすぐです」


「ありがとうございます!」


 畠山は三度走り出した。執務室を飛び出し、角を曲がり、トイレめがけて駆け抜ける。


 女性用トイレの前には、スーツ姿の女性がいた。知事のSPだ。


「知事は……!?」


「……あなたは?」


「警察です」


 右手を挙げ、出しっぱなしの警察手帳を見せ、


「知事が危ない!」


「ちょっと!お待ちください!」


「じゃあ一緒に来てくれ!一刻を争う!!」


 オフェンスの畠山はディフェンスの女性SPに羽交い締めにされながら、叫んだ。


「それならいいだろ!?知事が無事だったらすぐ俺を取り押さえていい。今はとにかく知事が危ない!」


「……分かりました」


 そのあまりの迫力に気圧され、SPは拘束を解いた。


「先に行ってくれ。絶対に逃げないから」


「……はい」


 警察手帳をしまい、手錠を取り出し始めた畠山を見て、SPも覚悟を決めたようだった。


 連続殺人事件の犯人が、トイレの中にいるかもしれない。いざとなったら、二人で……!


 SPは歩き始めた。畠山が続く。


 二人は女性用トイレに踏み入り、そして……。


 一番奥の個室、便器も壁もタイル張りの床も血塗れになった一番奥の個室の中で、事切れた金森道乃を発見するのだった。



 ※※※



 あと一人。あと一人だ。


 父を殺し、母を死なせた、最も罪深い者を殺すときが来た。


 嘘を告げ、真実を噤む口を、永久に塞ぐそのときが来た。


 私は許さない。


 お前を許さない。ダンベルト・アレックス。



 四



「舌を引き抜かれていましたか。トイレの間の数分間で。出入り口はSPの人が見張っていたのにも関わらず……」


 香はあくまで事実を確認するかのように尋ね、畠山からもたらされた情報を理解した。


 金森も殺された。舌を引き抜かれて、これまでの五人と同じように。


 これで六人目だ。犯人の復讐は果たされようとしている。


 最後は、最も罪深い者に復讐するつもりなのだろう。元プロレスラーのダンベルト・アレックスに。


 香は既に、電車で向かっていた。彼が今インストラクターとして働いている、都内某所のフィットネスジムに向かって。


 畠山と違い、香は冷静だった。焦ってもしょうがない。物理的、時間的、空間的にズルができる超常能力持ち相手に、一分一秒の差はないに等しいのだから。


 電車を降りた香は悠然とホームを歩き、階段を上り、改札を通過する。東口から駅を出て、駅前の大通りを進んでいく。ちょっと歩いた先に、フィットネスジムの建物があった。


 時刻は十七時。微妙な時間帯だった。平日の終業時間前だから、利用客は少ないと予想できる。


 犯人にとって理想的な時間だった。多分、犯人は中にいるだろう。止めるなら今しかない。


 だが……。


 ジムの入り口の前に立った香は、不思議な感覚に襲われた。


 なんとなく、この建物に入りたくない。今すぐ回れ右して、来た道を引き返したい。


「また一つ、状況証拠が集まりましたね……」


 天使と会ったときに感じた、あの感覚だった。認識阻害がかかっている。


 香は目を瞑った。


『犯人を暴くために、私はこの建物に入る必要があります。絶対に、これは変えられません。犯人とダンベルト・アレックスに会い、今日までの事件と六年前のKin-Ji-Towerエレベーター殺人事件の真相を明らかにするために、私はジムに入る必要があります』。 


 強く思い、香は一歩踏み出した。


 途端に、邪魔していた胸中の雑念が吹き飛ぶ。足が自然と前に動く。


 香は、ジムの中に入ることに成功した。




「なんなんだよ、お前ええっ!」


 受付にその場しのぎのでまかせを言い、トレーニングルームに入室した香が聞いたのは、流暢な日本語の叫び声だった。男の声だ。


 香は早足で、筋トレ器具たちの間を通り抜ける。


 いた。部屋の奥まったところに、尻餅をついた屈強な外国人と、その前に立つ小柄な女性が。


 外国人は体のあちこちが赤く腫れ、頭から血を流している。対して、女性は無傷だ。右手に細長い金属の棒のようなものを、左手に手鏡のようなものを持っている。右手の道具がえんまだろう。犯行の凶器だ。


 香はつぶさに観察しつつ、足音を殺して二人に接近する。


「どうして動けない!お前なにをしたあっ!」


「この鏡のおかげよ。照らした相手を無力化するの。それであなたを殴り放題ってわけ」


「ふざけるなああああっっ!」


 外国人、ダンベルトは激怒したが、動けない。


 不自然だった。彼の脳が動こうと命令しているのに、筋肉がそれを果たそうとしない。まるでそんな感じだった。


「なんでだよっ!なんで俺が……!お前みたいな女に従わなきゃいけないんだよっ!お前女だろ!?黙って俺に犯されとけよっ!六年前のエレベーターのときみたいに、黙って俺にレイプされとけよおっ!女なんだからあっ!?」


「やはりあなたが、六年前の黒幕だったのね。六人を殺し、女性に乱暴し、それを全部佐藤になすりつけた張本人。電脳レイヴンの実働部隊の一人」


「はっ、なんのこ……、そうだよっ!俺がやったっ!!」


 これまた奇妙だった。ダンベルトは否定しようとしたのに、彼の口が勝手に肯定をしたように見えた。事実を認めたように見えた。


 言わされている?いや、香の考えが正しければ、ダンベルトは自白している。六年前の罪を認め、エレベーターの中で起こった本当のことを、自らの口で白状しているのだ。


「言うこと聞かせられる奴隷が目の前にいて、人の目がなければ誰だってああするだろっ!女を食い、気に入らないやつは殺すだろ!なあ!お前だってそうだろ!?」


「なにを言っている?」


「お前も同じなんだよっ!人目のないところで、自由に扱える奴隷を好き勝手して、殺してるじゃねえかっ!それも、俺と同じ数!いや、俺を入れたらもっとか!?」


「……下衆が」


「ブーメランなんだがああああっっ!?」


 女性がダンベルトに歩み寄る。


 えんまを持ち上げ、男の舌を……。


 いや、それより下の部分、股間にあてがった。


「おい、やめろ!そこは……!」「消えろ」


 ぶちいぃぃっ!


「ノオオオオオオッ!!??」


 甲高い絶叫が響き渡り、ダンベルトの男性器が、トレーニングウェアの生地ごと裂けた。


「ノオオオオオオッ!!」


 血が噴水のように噴き出した。痛みを逃がそうと、巨体は転がろうとするが、できない。


 鏡に照らされているからだ。ダンベルトは、かつては強い男性だった男は、口で痛みを表現するしかなかった。


「終わらせてやる……」


 その口すらも閉じさせ、いや声を出さないように開けさせ、女性は再びえんまを持ち上げる。


「ちょっと待ってください」


 その血に塗れた先端が舌を掴む前に、香は物陰から躍り出た。


「真実を告げる口は残しておいた方がいいですよ。梅川春魅うめかわはるみさん。佐藤弘毅さんと、梅川沙羅検事の娘さん」


「どうして、私のことを……!」


 事件の犯人である梅川春魅はとっさに、鏡を香に向けた。


 自由を取り戻し、失神したダンベルトの身体が倒れる。どうという音が鳴った。




「閻魔大王に縁のある鏡といえば、浄玻璃の鏡ですね。亡者の嘘を暴き、真実を映し出すという」


「……そうよ。私に与えられた力の一つ」


「一つということは、複数ある?今この場に不自然に人がいないのも、入り口に入りたくないと思ってしまうのも、超常的な力の一端ですね?」


「どうかしら」


 春魅は煙に巻いたが、黒黒とした瞳孔が開いた。


 香がその場に縛り付けられていることも加味して、春魅に超常的な力が備わっているのは確かなようだ。


「あなたは、誰?」


「動機はふく……!雛菊香と申します。怪異探偵をしています」


 香はダンベルトがされたように、意図的に喋らされた。


 探偵にとって致命的な能力だ、これは。説明の主導権が握れない。香はちょっと違った意味で慄いた。


「怪異探偵……。私のこの力をどうにかしにきたの?」


「身も蓋もない言い方をするなら、そうです。あなたを止めに来ました」


「私を……?へえ……」


 春魅はうふふふと、淑やかに笑った。


「動機は、復讐です。殺人犯の汚名を着せ……」「勝手にしゃべらないで!!」


「無理です。真実を告げる口を噤ませることは、浄玻璃の鏡にはできません」


「え……!?」


 結局、春魅の方が黙ることになった。


「……あなたは、殺人犯の汚名を着せ、佐藤さんを、父親を死に追いやったエレベーター殺人事件の生き残りたちが許せなかった」


「……」


「そして、彼と幼馴染みであり、間違った証言を基に彼に死刑を突きつけてしまったことを悔い、自ら命を絶った梅川沙羅検事、母親を追い詰めた生き残りたちが、あなたは許せなかった」


「……」


「本来、被告人と関係のある人間は法廷に上がれないはずですが、その裁判のときはできてしまった」


「……」


「少し、調べさせて頂きました。佐藤さんと梅川検事は同郷で、同い年でした。小中高と同じ学校で過ごし、やがて恋人関係になった」


「……やめて」


「高校卒業直前、二人はそれぞれの夢のために別れることにした。佐藤さんはプロレスラーになるために地元に残り、レスリング教室で下積みを経験した。一方、梅川さんは上京し、名門大学の法学部に籍を置いた。しかし……」


「…………やめて」


「しかし、梅川さんは子どもを身ごもっていた。おそらく、佐藤さんと縁を切り、東京に移り住んでから妊娠が発覚した。梅川さんは悩んだものの、産むことにした。そうして産まれたのが……」「やめてって言ってるでしょ!!」


 静かなトレーニングルームに、春魅の絶叫が響き渡った。


「そこまで分かってるなら、どうしてここに来たの!?どうして止めに来たの!?」


 鏡を掲げる左腕が、徐々に垂れ下がっていく。


「私は殺人鬼なんだよ!?もう六人も殺してるし、不思議な力も使うんだよ!?なのにどうして……!」


 香を照らす鏡面は、やがて完全に伏せられた。


 香は自由になった。


「どうして、私なんかに構うの?私はただ、復讐がしたいだけなのに……」


「どうして、ですか。探偵の矜持や、神性を利用する人を取り締まる目的など、数えたらきりがないですが……」


 春魅はいつの間にか泣いていた。


 涙を流しながら、両腕をだらりと下げながら、香のことを睨みながら、香の言葉を待っていた。


「あなたの未来を守るため、ですかね。嘘が暴かれ、真実が明るみになった未来に、あなたが言いたいことを告げ、言いにくいことを噤み、そして私と友達になれるような。そんな明るい未来を手に入れるため、ですね」


「……みらい?」


「そうです、未来です。未来は誰にでも開かれています。あなた自身が切り拓くものです。復讐も未来を変える原動力になりますが……」


「……」


「復讐は、まだ若く、かわいらしいあなたには似合いませんよ。あなたには、春魅さんには、私の友達になる程度の未来で充分なんです」


「う……」


 本当は否定してほしかったのだろう。心の奥では止めてほしかったのだろう。復讐の鬼になった自分を、誰かの手によって人間に戻してほしかったのだろう。


 地獄の裁判官となった春魅に手を差し伸べてくれたのは、香だった。


 彼女の温かさに触れた春魅は嗚咽し、その場に崩折れる。


「もう大丈夫です」


「……うん」


「過去のことを忘れろとは言いません。今と未来を生きましょう。地獄のようなこの世界を、少しずつ良くしていきながら生きるんです」


「私にもその資格、あるのかなあ……?」


「ありますよ。誰にでもあるんです」


 香はゆっくりと歩み寄る。


 そして、春魅の小さな右手からえんまをもぎ取った。


「よくやった」


 不意に、暗がりから声がした。聞き覚えのある、軽薄そうな上辺だけ優しい声が。


 戸惑って背後の一点を見つめる春魅の頭を抱き、香は後ろを振り返る。


 整った顔立ちをした長身の男性が、そこには立っていた。


「天使……」


「超常的な力を使って殺人を犯す大罪人を、よくぞ無力化した」


 天使は大手を広げて、二人に歩み寄る。


 香は反射的に、春魅を包む腕に力を込める。


「……彼女は、春魅さんの力は、奪われた神性によるものなんですか?」


「そうだ」


 天使ははっきりと応えた。


「父を死に追いやられ、真相を聞かせてくれた母をも失って復讐に取り憑かれているときに、閻魔大王が、本来は彼岸で裁きを下す神が、彼女の前に現れた」


「……」


「そして、閻魔大王は超常的な能力を彼女に与えた。非力な者でも扱えるえんまと、浄玻璃の鏡、それと人払いの能力を」「そうなのですか?」


 香は胸元に視線を下ろすと、春魅が首を縦に振る感触が返ってきた。


「これは重大な越権行為だ。閻魔大王の力が及ぶ範囲は本来、冥界、地獄、彼岸と人間が呼ぶあの世の中だけだ。決して、現世で振るわれていい力ではない。大きすぎる。閻魔大王は我が主から神性を奪っただけでなく、それを一人の人間に、そこの女に渡したのだ」


「だから、回収しに来たと?」


「大丈夫だ、殺しはしない」


 『殺す』というワードに、春魅が震える。


 さんざん自分が殺してきたのに、いざ自分が殺されるとなると怯えてしまう。自業自得、因果応報を理解していないという意味でも、春魅はまだ幼かった。


「怪異を操る殺人鬼が、ただの女子高生に戻るだけだ。魂に跡付けされた神性を取り除く、魂の中身は変わらない」


「信じて、いいんですか」


「もちろんだ」


 天使が目の前まで来た。


 大きな二つの碧眼が、春魅の顔を覗き込む。


「さあ」


「春魅さん、いきなりで本当に申し訳ないですが、今の説明で納得頂けましたか?あなたの能力は失われます」


「はい……」


 よく分からないが、この力は身に余る。


 春魅はそう、率直に思っていた。思い知らされていた。


「そうですか。では……」


 香はそっと春魅を引き剥がし、数歩離れた。


 天使が両腕を持ち上げる。その手が光り、呼応するように春魅の身体も輝き始める。


 ただの人間である香はそれを、まじまじと見つめることしかできないのであった。



 ※※※



 数週間後。香は東京某所の留置場を訪れていた。


「調子はどうですか?」


 アクリル板越しの面会相手、梅川春魅に、香は優しく微笑んだ。


「普通、かな。ご飯はおいしい」


「それはよかった」


 ぎこちない笑みを浮かべる春魅を見て、香は心底そう思った。


「不起訴になりそうなのですね」


「力のことも含めて正直に全部話したんだけど、精神鑑定やらされた。心神喪失じゃなかったけど」


 春魅の出頭後に行われた鑑定で、指紋と髪の毛は春魅のものであり、ゲソ痕も彼女の履いているローファーとサイズが一致した。また、春魅は全ての犯行時にアリバイがなかった。


 にも関わらず、春魅は罪に問えなかった。凶器が見つからず、三橋や金森の事件などの現場の多くが事実上の密室であったためだ。


 春魅が持っていたえんまと手鏡は、天使が神性を回収した時に消失した。力の一部であったためだ。


 人払いをする能力、侵入する能力も春魅から消え、どのようにして現場に入り、出たのかという問題を立証する機会が永久に失われた。


 さらに、女子高生の力ではたとえ道具を用いたとしても、抵抗する人間の舌を引き抜くという芸当が難しいことも判明した。


 事件の担当検事曰く、これらの理由(凶器が見つからないこと、現場に出入りすることが現実的、物理的に不可能であること、それと若い女性の非力さ)により、不起訴処分が妥当だということだった。


 あと数日もしないうちに、春魅は釈放される予定である。


「迷惑を、ご迷惑をおかけしました……」


「いえ、全然」


 深々と頭を下げる春魅に、香は言った。


「出られたら、食事にでも行きましょう。前を向いて、胸を張って生きるんです。きれいごとですが」


「ううん、そんなことない……」


 顔を上げた春魅は、瞳を潤ませて、


「本当に、ありがとう……」


「友達の一人として、待ってます」


 ちょうど春休みですし、出かけたりしましょう。


 香はそう言い残し、ゆっくりとパイプ椅子から立ち上がったのだった。

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