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第八一話 懐古ですわ!

 逸れ者の里の地下牢:ロト




 地下室に閉じ込められて、すっかり落ち込んでいた(ワタクシ)のところへ、黒い燕尾服を着た青年が駆け寄ってきた。

 ここ数日逸れ者の里で過ごしてきたが、青年の姿は見かけたことがない。

 でも、私の頭の中には、青年の姿を見た記憶が確かに存在している。


「よかった、此方にいらしたのですね……!」


 私を見て安心したように呟き、青年は革の靴を鳴らしながら檻に近付いてくる。

 しかし、首をかしげて不思議そうにする私を見て、急に足を止めた。


「お嬢様……?」

「あの、そのお嬢様、って、もしかして私のことを言っていますの?」

「────」


 絶句、という表情はこのことを言うんだな、なんて、場違いにもふと感慨を抱く。

 開けた口を閉じもせず、目を丸くし、此方に伸ばしかけた手を引っ込めることも伸ばすこともできないでいる。

 拙いことを口に出したかな、と若干自分の発言に後悔を覚えながらも、記憶の中から燕尾服の青年の名前を引っ張り出した私は、再び青年に聞いてみた。


「重ねて質問で恐縮なのですけれど、もしや貴方のお名前はセバスですの?」

「! (ワタシ)のことは覚えていらっしゃるのですね……失礼、少々取り乱しました。お嬢様の身に何が起きたのか、覚えている範囲で私に教えていただけませんか?」


 外見から察するに執事として私に使えていたセバスという青年だと思うのだが、凄まじく冷静だ。

 こんなに冷徹な精神性を持っていなければ、執事は務まらないのだろうか。

 それとも、セバスという青年が単純にそういう性質なのだろうか。

 ……以前の私が横暴過ぎて、冷静にならざるを得なかった可能性は、考えたくない。


「えっと、私も記憶があやふやなのですが、人づてに聞いた話も踏まえると……」


 それから私は、エルデやバウムに聞かされた話を含めて、セバスという青年に事の次第を話していった。

 どうやら崖の上から落ちてきたらしいこと、その後エルデに救われて里の外れに居候させてもらっていたこと。

 里の裁判にかけられたところを、エルデやバウム、里長たちによって助けられたこと。

 その後里の仕事を手伝い、子供たちと遊んでいたところ、二人の姉弟が魔物に襲われ、一人は今も見つかっていないこと。

 自分がその事件の首謀者であると疑われ、今こうして投獄されているということ。


「──とまあ、こういった流れですわ。御満足いただけまして?」

「はい、よく分かりました。ですが、記憶喪失となると、どうしたものでしょう……」

「その、落胆は、しないんですの?」


 顎に手を当てて考え込むセバスという青年に向かって、私は恐る恐る聞いてみた。


「なぜですか? 私はお嬢様……いえ、今はロト様でしたね。綺麗な御髪を見事に表した、とても良い名です。そのロト様がご無事であれば、嘆くことはございません」

「そう、ですの」


 随分と重い覚悟を聞かされて、私はより一層申し訳なくなってしまう。

 記憶がない、というよりも人格ごとズレているような私でも、執事の青年は悲嘆することもなく今後どうするかを考えてくれている。


「あの、何か私との間で強く記憶に残っていることはないのですか? もしかすると、その話を聞けば何か思い出すかも……」

「強く記憶に残っていること、ですか。難しいですね」

「そ、そんなに何もないのです!?」

「いえ、お嬢様は何と言いますか、その……とても強烈な方でしたので……記憶に残らない瞬間などないくらい、毎日が鮮やかでした」

「ふぇっ!? あ、そ、そうなんですのね……!?」


 何だか凄いことを言われたような気がして、思わず声が上ずってしまう。

 ともかく、そんな沢山話があるのなら、記憶を取り戻すのにどれだけ時間がかかるかわかったものじゃない。

 代替案を提示しなければ……そうだ。


「じゃ、じゃあ、何か重要なモノなんかはありませんこと? 私、あと一歩ですべての記憶を取り戻せそうなのですが……」

「モノ、ですか……そういうことであれば、先日拾ったコレが」


 少し悩んだのち、セバスという青年は懐から何か小さな金属製のモノを取り出した。

 柵の中から覗いてみると、それは小さな髪留め。

 繊細な花の細工があしらわれていて、どこからどう見ても高級な品。

 一目髪留めを見た瞬間、私の頭の片隅が膨らむような感覚に襲われる。


「うっ……」

「いかがいたしましたお嬢様!

 お嬢様っ!」


 片手で頭を抑えてうずくまった私の足元に、執事の青年が駆け寄ってくる。

 でも、私はこの頭痛を止めることは出来ない。

 頭の中の膨らみに身を任せれば、きっと私が取り戻せるのだから──。




<***>


 ルーフェ邸:???




 その時、私は膝を抱えてうずくまっていた。

 自分の部屋に帰るのすら億劫だったのだろうか、人が滅多に通らない廊下の片隅で、座りながら床の石の模様を眺めている。

 こころなしか、視界は少しぼやけて見えた。


「……ここに居たんですね」


 そこに、廊下の向こうから声がかかる。

 私が顔を持ち上げてそちらを見ると、照明に照らされた廊下から、此方に向かってまだ幼い正装の少年が歩いてきた。

 その姿を認めるや否や、私は顔を膝に埋めて、震える喉で言い放った。


「ほうっといてちょうだい」

「そうはいきません。(ワタシ)はお嬢様の執事ですから。そうあれと生まれ落ちたのなら、尽くすまでです」

「わからずや」

「なんとでも」


 どれだけ言葉を投げつけても、少年は歩みを止めない。

 私は、たぶんそのことを理解していたし、本当は少年に話を聞いてほしかったのだと思う。

 だから、その場から逃げ出すこともせず、うずくまったまま少年の到着を待っている。


「……」

「話していただけませんか、お嬢様。私にできることなどたかが知れていますが、それでもお嬢様を放っておくことはできないのです」


 年齢の割に落ち着いた少年の声色を間近に聞き、私はとうとう口を開く。


「……さっき、お父様に怒られました。もう、ここから出ていけ、と」

「それは──どうしてか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「舞踏会で、しっぱいしたの。こけて、服を破いちゃって。あんなに練習したのに悔しくて、怒られて悲しくて、どうしようもなくって」


 子どもの頃の私は、こんなに言語化能力が高かったのか、と我ながら驚く。

 私の独白を耳にした執事の少年は、何を言う訳でもなく、ただその場で私の隣に腰を下ろしたまま。

 ぐすぐすと、涙と鼻水を啜る私の背を、少年がさすった。


「……」

「お嬢様。舞踏会は、一部私も目にしておりました。失敗などと、御自分を責めないでください……とても上手に踊っていらっしゃったと、私は思います。門外漢の意見ですが」

「でも、お父様は、出ていけ、って」

「それは、お嬢様を気遣ってのことでしょう。お嬢様が転んでしまって涙ぐんでいるところを、心配してそうおっしゃったのだと、私は思います。不器用な方ですから」


 執事の少年は、私をそう慰める。

 でも、彼だって本当は分かっている筈だ、ルーフェの家長たるヘルムートが、そんな人間染みた情を娘に向けるなど、天地がひっくり返っても有り得ない、と。

 実の娘ゆえに身に染みてそのことを理解している私は、えずきながら零す。


「でも、でもお父様は本当に怒ってた」

「……たとえ、そうだとしても。それでいいじゃありませんか」

「──え?」


 少年が絞り出した言葉が意外で、私は思わず顔を上げた。

 少年は、真っ直ぐに此方を見つめている。


「御館様がご立腹でも、それに一々揺さぶられていては、心が幾つあっても足りませんから。お嬢様は、もう少し図太くなられるべきだと、私は思います」


 いつも口を閉ざしてばかりですから、と少年は小さく付け加えた。


「ずぶとく……?」

「ええ。お嬢様は何か、欲しいものなどありませんか? 本日、初めて舞踏会に参加した褒美として、御館様に頼みましょう。そうして少しずつ、本音を出せるようにしていくのです」

「でも、でもそんなの」

「『そんなの許されるわけない』、ですか?」


 私が言おうとしていることを先取りした少年に、私は頷きで返す。

 ご褒美、なんて言葉とは縁がない人生を送ってきた私にとって、自分が父親から贈り物を受け取っている姿など、想像だに出来なかった。

 震える私の手を、少年は力強く握る。


「大丈夫です、お嬢様ならば必ずできます。今までずっと見ていた、私が断言させていただきます」

「──」


 確かにその瞬間、私の中に、一本の柱が立ったように思う。

 彼が言うのなら、少しだけ頑張ってみよう。

 始まりは、そんな些細なことだった。


「……よい、しょ」


 また転びそうになる膝を抑えて、私は立ち上がる。

 揃って腰を上げた隣の少年に、顔を見ないまま私は頼んだ。


「ねえ、セバス。着いてきてちょうだい」

「ええ、もちろん。そうあるのが、私の職務ですから」




<***>


 逸れ者の里の地下牢:()()()()()()()()()()




 目が覚める感覚というのは、きっとこのことを言うのだろう。

 ここ数日間、足の裏が地面から離れていたような不安定感に襲われる。


「お嬢様! お嬢様っ!」


 慌てた声で、セバスが私の背中をさする。

 ──ああ、まるであのときのよう。


「ちょっと、あんまり強く動かすのはやめてくださいまし。私、疲れているんですのよ、セバス」

「ああ、御無事ならそれで……お嬢様?」

「ええ、私です。かつてはルーフェだった、ブルーネン領主のオディールですわ」


 完全に記憶を取り戻し、かつてのままのオディールに戻ったことを、ここに宣言する。

 今にも泣き出しそうな顔になったセバスの肩を叩き、いつも通り軽口を叩く。


「ちょっと、貴方まさか泣いてますの? らしくありませんことよ」

「その、多い一言。まさしくお嬢様ですね」

「ちょっと、どこで判断してるんですの!?」


 こんなやり取りができることに、途方もない幸福を覚える。

 ……と、今はこんなことをしている場合じゃない。


「さて、私の記憶が戻った以上、やることは一つですわ」

「此方からの脱出ですわ」

「いいえ、それはあくまで過程に過ぎません。やること、というのは、エルデの手助けと魔物の退治ですわ──受けた恩を返さずして、貴族は名乗れませんもの」

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