第八二話 啖呵ですわ!
逸れ者の里周辺:エルデ
甘かった、と。
エルデは素直に、自分の見立てを後悔する。
「UBOO~……」
軋んで痛みを放つ右腕を抑えながら、エルデは樹上で息を殺す。
ずきずきと走る痛みに脳の容量を持っていかれそうになるが、長年呪いを抑え込むために鍛え続けた強靭な精神力で何とか持ちこたえる。
(ッ、あ~……クッソ、どうするか……)
完全に不意を突いたと思ったエルデの襲撃だが、魔物は即応して腕で振り払った。
けむくじゃらの、鉱石のような突起がまばらに突き出た腕で弾き飛ばされたエルデが、眉間にしわを作る。
今エルデが思い返してみれば、そもそも不意を突けていたのかすら怪しかった。
(今も、血眼で探してるって訳でもなさそうだしな……)
現在エルデからやや離れたところで徘徊している魔物の速度は、ゆっくりとしたもの。
安全確保の為に歩き回っているだけであって、脅威になるような存在を探しているようには見えなかった。
最初の奇襲の時も、既にエルデに気付いていて、掃いて捨てる程の脅威度だった故に放っておかれたのだろう。
昼間に殺気立っていたのは、恐らく傷が感知していなかったとか、腹が減っていたとか、そんなところだろう、とエルデは踏んでいた。
(ただ、今はもうこっそり逃げる訳にゃいかねえだろうな)
とはいえ、今のエルデはもう魔物に敵対済み。
今は樹上で息を殺しているからいいとしても、移動しようとすれば嫌でも音が鳴る。
潜伏していたエルデが飛び出した瞬間に即応した魔物が、移動の際に生じる衣擦れや草の戦ぎを聞き逃すはずもない。
(治療するには動かなきゃならんが、動いたらまず間違いなく攻撃を受ける──うぅむ、我ながらきつくないか、おで)
冷静に考えるほど、自分の置かれた状況が悪いのが分かって、エルデは思わず苦笑した。
月に照らされた夜、自分の命の使い方を考える。
具体的には、呪いを呼び起こすか否か。
(──いや、それだけはねぇな)
決意したエルデが、痛む右腕で腰の容れ物から武器を取り出す。
それは伝播力を削除した呪いを込めた短刀で、一発でも対象の体液に触れることができれば行動不能に陥らせることができる代物。
これを叩きこんでしまえば、後は煮るなり焼くなり好きに出来る。
(勝負は一瞬……今!)
自分のいる枝の下を通り過ぎた魔物の背中に向かい、エルデは短刀を突き立てた。
<***>
逸れ者の里:地下牢への階段
地下牢を力づくでこじ開けたセバスに従って、オディールが地下牢から脱出するために駆ける。
そういえば自分の話をした一方でセバスたちの状況を聞いていなかったことに気付いたオディールが、セバスに水を向けた。
「ねえセバス、貴方たちはここ数日どうだったのです? 掻い摘んで教えてくださいまし」
「承知しました。まずお嬢様が落下なされた後──」
それからセバスは、数分でここ数日の動向を要約して伝えた。
オディールが崖の崩落に巻き込まれた後、崖を登り切って少し進んだ地盤の安定した場所に臨時拠点を築き、旅団を編成し直したこと。
元護衛兵は捜索隊として、崖下の森を探していたこと。
そして、本日の夕方ごろ、重傷を負った少年を保護したこと。
「大まかに、私たちは以上の通りお嬢様を探しておりました。既にどこかの集落にいるだろうことは分かっていましたので、救助した少年の魔力を辿り里に向かったのです」
「なるほど、そういう訳だったのですね、よく頑張ってくださいました──ん? ちょっと待って下さいまし、その少年、もしかしてお名前をグルンドと言いません?」
「よくご存じですね──まさか、行方不明になってしまった、というのは」
「その少年ですわよ~~~~~!!!」
とても走りながらとは思えない絶叫が、オディールの口から飛び出した。
オディールの頭の中の心配事の内三割ほどを占めていた少年は、実はもう保護されていたのだ。
「ごめんなさい、少々取り乱しましたわ」
「いつも通りですね」
「ええ……ん? 今ちょっと聞き捨てならないこと言ってませんでしたこと?」
「ちなみにその少年ですが、現在は臨時拠点にて回復魔法を施しています。私が出た時にはまだ目を覚ましていませんでしたが、命に別状はないようです」
「そ、それならよかったですわ。でしたら今は、エルデの下に急ぎましょう」
オディールがそう結論付けた時、丁度二人は地下室の出口から外へと飛び出した。
周囲はすっかり日が落ちており、月明かりのほかには、里の家々の照明魔石が窓から漏れ出ているばかり。
外の空気を肺いっぱいに吸い込むオディールだが、数秒後に強烈な破壊音が森の方向から鳴り響く。
「お嬢様、もしかしてこの音は!」
「ええ、恐らくエルデですわね……急ぎましょう!」
木々を掻き分け、二人は進む。
身体能力に優れるセバスに大きく遅れることなくオディールが付いていけているのは、ここ数日で里の子供やエルデと共に森に親しんできたからだろう。
彼ら二人が数分走ると、意外にも探し人はすぐに見つかった。
「エルデッ!」
「ッ、その声……ロト、か?」
緑の肌の巨漢が、身体の至る所から血を流しながら倒れていた。
エルデの足が向いている方向は大砲でも放たれたかのように道が出来ており、何者かに吹き飛ばされたと見て取るのが正解だろう。
倒れたエルデの頭を持ち上げて膝に乗せるオディールと、全身の怪我の具合を確認するセバス。
「エルデ、大丈夫なんですの!?」
「あぁ、まあ、な……いや、大丈夫じゃねえか」
「あまり動かないで下さい。動作に必要な骨のうち何本かに罅が入っているようです」
解析能力のある眼鏡を懐から取り出し、セバスはエルデに簡易的な診断を下す。
「忠告どうも……っつうか、アンタは誰なんだ?」
「私はセバス。お嬢様の執事をしているものです。お嬢様がお世話になったお礼をしたいのですが、今はそれどころではないようで」
「礼なんて後回しですわよ……セバス、貴方は手持ちの回復薬を置いて、あちらの様子を見に行ってくださいまし。エルデ、貴方を襲ったのはどんな魔物だったんですの?」
「あ、ぁあ。グラース姉弟を襲った魔物と、同じ魔物だ……毛むくじゃらの大鬼みてえな、人間みてえな、石をくっつけた奴」
「なるほど、例の魔物ですね。では偵察してまいります、緊急時には信号を送りますので」
では、と言うが早いか、セバスはその場から颯爽と駆け出した。
燕尾服に革の靴とは思えないほど俊敏な身のこなしで、まともに入ったこともない森を駆ける。
「なんでこんなことになったんですの……? 周辺にはエルデの魔物除けがあったはずじゃあ……」
「──なあ、ロト。アンタ、記憶、戻ったんだろ?」
ロト……もといオディールに治療を受けながら、エルデがか細い声で問うた。
ぴくりと長い耳を動かしたオディールは、回復薬を塗る手を止めることなく、静かに答える。
「……ええ。つい先ほどですけれど」
「そっか、よかったな。あんな立派な執事? の人もいてよ……」
徐々に身体が常態に戻っていくのを感じ取りながら、エルデは思考を巡らせる。
記憶が戻るまで世話を焼こう、無事に元居た場所まで送り帰そう、と決意していたエルデ。
全身に酷い怪我を負っている状況ではあるが、それらの決意は殆ど達成されたと言っても過言ではない。
──ならば。
「なあロト……じゃなくて。今の名前は、何つうんだ?」
「ロトで構いませんわ。素敵な名前で気に入っていますし、貴方の前で私はただの『ロト』ですもの」
「そ、うか──ならロト。アンタ、今すぐ逃げろ」
ピタ、とオディールの手が止まる。
聞き捨てならない言葉に脳が沸騰しそうになりながら、オディールは何とか気持ちを落ち着かせる。
「……何で、そうおっしゃるのかお聞きしても?」
「決まってる。『ロト』は里に多少なり関わったかもしれねえけどよ、アンタはそういう訳でもねえ。帰る場所も、待ってる人もいる。なら、こんなところで、ムダに時間使うもんじゃねえ」
一言一言、力を込めてエルデはオディールに言う。
口では非合理的だから、という理由を挙げているものの、本心では彼女を危険な魔物や古い因習の残った里から遠ざけてやりたい、というだけだった。
そんな本心など、過去を洗いざらい聞かされたオディールも、よくわかっている。
彼女は一つ深呼吸をしながら、膝の上に乗せているエルデの頬に両手を合わせた。
「ぜーったい、御断りしますわ!」
「は? な、なに言ってんだロト」
「いいから黙ってなさいなこの怪我人が! 私はですね、貴方に命を救われたのですわ、貴方がどう思っていようと私は感謝を抱いているのです!」
熱が入り始めた、オディールの主張。
反論しかけたエルデだが、その勢いに気圧されて、目の前に近付けられたオディールの顔をただただ眺めるしかない。
「だというのに、恩人の危機に報いずして何が貴族です! 貴方が何と言おうと、私はずぅぇーーーったいに、貴方を助けるまでは里を出ませんわよッ!」
声高に、令嬢は宣言した。
気高い精神、自分の主張をどこまでも貫き通そうとする強情さと推進力。
それこそが、ルーフェ家が彼女を切り捨てた理由であり、セバスによるかつての言葉を受けて身に着けたオディールの芯の強さだ。
「……そこまで、言われちゃあな」
このとき、エルデがどう思っていたかは、オディールには分からない。
本当のところ、エルデはオディールが『ロト』とは同じであっても違う存在であることを理解してしまったのだ。
里の仕事を手伝ってもらう時に、素直に指示に従ってくれたロト。
子どもたちと遊んだ後、グラース達を探しに森に入るのを、渋々ながら諦めてくれたロト。
物分かりの悪さとでも呼べるオディールの性質は、生来のものではあるものの、『オディール』として生きた人生に由来するところが多大な比重を占めている。
「じゃあ好きにしろ……ああ、それと、さっきのは訂正してくれ」
「は? て、訂正なんてしませんわよ、いずれ帝政を敷く側になるつもりですが」
「いや違えよ。『黙ってろ怪我人』ってとこだ。おでも行く。あのスカした執事だけに、任せてられっかよ!」




