第四七話 舞踏ですわ!
大理石と靴との間で乾いた音を鳴らしながら、オディールは歩く。
速度は普段よりも何割か大きく、歩くことに意識を割かなければ身体を制御できないかのよう。
今にも泣き出しそうな顔で、人目に付かない廊下の隅を、あてもなく歩き回っていた。
「──ふぅ」
動きにくい服装で数分間歩き回って、重ねた疲労でようやく涙がおさまった。
余人が見れば酷い表情でも、本人は必死に取り繕っているつもりなのが痛々しい。
それでも、彼女には泣き出せない理由がある。
「あーあ……」
自罰的な笑みを浮かべ、オディールは天井を仰ぐ。
少なくとも彼女にとっては、先程の諍いは『誰がどう見ても彼女が悪い』類のものだ。
貴族として、人の上に立つ者としての心構えを幼少より説かれてきた彼女が、疲れていたから、酒に酔っていたからといって理不尽に従者を叱責してはならない。
そう自負する彼女にとって、セバスとの間にぎくしゃくした空気が流れてしまった事実は、明確な失敗であった。
「……後にしましょう」
けれど、此処で感傷に浸る程彼女は感情的では……あるのだが、同時に今何をすべきか判断する理性も持ち合わせている。
誰によってかは知らないが磨き抜かれた窓に向かい、出来る限りの身だしなみを整えて、彼女は舞踏会の会場である大広間へと向かう。
今彼女に出来るのは、舞踏会にて最大級目立つこと。
「ふぅ」
重い扉の前で一つ呼吸を整え、彼女は控える使用人に目くばせをする。
再び目の前に広がった会場では歓談の時間は終了しつつあり、光沢を放つ楽器を携えた楽団が準備を始めていた。
即ち、いよいよ舞踏会本番が開催されるというわけだ。
「う~ん……」
既に会場の男女は一人ずつで組を作っており、自らは参加しない者たちは会場の隅へと移動している。
これから組を作るのはかなりの労力を要するだろうし、言葉を選ばず言えば、余りものと組んだところで最も目立つという条件は満たせそうにない。
そうなれば、彼女が当たるべき人物は一人だ。
「……おい、彼奴……」
「いや、そんなまさか」
「正気か──?」
外見と立ち振る舞いからして否が応でも目立つオディールに、聞こえないくらいの声量で呟きが刺さる。
それもそうだろう、これから彼女が行おうとしているのは、舞踏会における一種の禁忌。
貴族という慣習に縛られた人々にはそもそも思いつかず、思い付いたとしても普通は実行に移さない。
けれど冒険を経て人間として成長したオディールは、自らが取るべき道を真っ直ぐ見据え、非難を浴びようとも目標の人物と踊る腹積もりだった。
「──うん?」
彼女は目的の人物の前に辿り着き、衣装の裾を摘まんで少し持ち上げる。
同時に首を垂れて、滅多に行わない、『人にものを頼む時の態度』を取った。
「恐れ入りますが。お相手が決まってらっしゃらないのなら、私の手を取っていただけませんこと?」
「なっ」
「貴様、この方を誰だと!」
目標の人物の傍に控えていた従者が、恥知らずなオディールの振る舞いに声を荒げる。
当然だ、彼女の行いは常軌を逸しており、公的な場なら何らかの刑に処されてもおかしくない。
従者たちが眉を顰めて檄を飛ばす一方で、声を掛けられた本人は、驚いて押し黙っていた口を開く。
「……うん。受けさせてもらおうかな」
「なっ、誠ですが皇子!」
お誘いを受けた皇子こと、帝国第二皇子メーア・S・シュトルネンは優しく頷く。
対照的に、事態を呑み込めない従者が皇子を諭しにかかる。
「お言葉ですが皇子。皇室に連なる者が、貴族と言えど舞踏するなどと……!」
「そうです、それにこの女、皇子への礼節を欠いています! このような軽薄な言葉遣い、無礼な輩です!」
「ありがとう、きみたちが心配してくれているのは分かるよ。でも、ぼくだって偶には踊ってみたいんだ」
皇子本人の意向を告げられてしまうと、真っ向から歯向かえる立場にない従者は黙るほかない。
メーアはさらに、理由が意志だけではないと続ける。
「それにね、きみがこの女性の言葉遣いがどう、と言ったね? そういった細かいところにも気付けるのはきみの美点だしぼくは大好きだけれど、今日だけはその限りじゃないんだ」
「どういうことでしょう?」
「あの子は、一人の女性として、一人の男性を誘っているんだ。舞踏会では立場を越えた交流が大事なんだよ、いわゆる無礼講だね。それを先んじて言葉で伝えてくれたんだ」
そうだろう、とメーアがオディールに水を向けると、彼女は一般の淑女の領域を大きく逸脱しない範囲で恭しく頷いた。
「そして、きみ。皇室に連なるものが軽々しく誘いに応じてはいけない……そういったね?」
「はい」
「うん、きっぱりとしているところは大好きだし、ぼくのことを考えてくれているのもよく伝わるよ。その上で、今日はぼくの好きにさせてくれないかな」
「それは──」
「ずるいお願いだよね、わかってる。でも、帝国憲法にも皇室法網にも、そんな決まりは書いてないはずだよ。だからぼくもきみも、誰にも責められることはない」
相手を思いやりつつ、自分の振る舞いに正当性を持たせながら、暗に共犯であると示して心情的に引き込む。
生来の穏やかな気性と徹底的に叩き込まれた帝王学が、彼を魔性の男たらしめていた。
その手練手管を目の当たりにしたオディールは、首を垂れたまま舌を巻き、同時に恐れを抱く。
駆け引き、綱渡り……これから自分が行う難行を表す適切な言葉を見つけられないまま、独りで戦う心細さを押し殺す。
「じゃあ、行こう。もうすこしで演奏が始まる、ぼくたちも準備をしないとね」
「えぇ……お手柔らかにお願いいたしますわ」
腰を上げたメーアがゆっくりと台から降り、差し出されたオディールの手を取った。
どよめきに囲まれながら二人は大広間の中央へと向かう。
踊るにあたって余りに豪奢な衣装だと邪魔になるが、メーアは生来の美しさを引き立たせるために最低限の装飾のみ身に付けていた。
自分もまた装飾を抑えて大人らしさを演出しているため、相手との間に調和がとれているだろう、と安堵するオディールに、メーアが呟いた。
「ところで、ひとつ聞いてもいいかな?」
「何でしょう?」
「あの男の子はどこに行ったんだい?」
思いのほか他人をよく見ているのだな、とオディールは素直に感心した。
人生で何度か皇族に見えた経験のある彼女だが、そのうちの誰ひとりとして、個人を個人として見ている者はいなかった。
持っている財産、割り当てられた領地、兵力や地位等々、属性を通してしか見られた記憶がない。
女性である彼女は、肉体的な価値をも量られて吐き気を催した記憶もある。
「何故、それを?」
「何故、と聞かれると弱いんだけどなぁ。なんとなく、じゃだめかい?」
「いえ、そういうこともありますわね。直感に従うのも時には必要ですわ」
「わかってるね。きみのそういうところ好きだなぁ」
自分にもその言葉を投げて来るとは思わなかった彼女は少々面食らう。
「今後のことを考えて忠告しておきますが。身内以外にそういった発言は控えた方が宜しいですわよ」
「ん? おかしなことを言うんだね。きみもぼくの身内じゃないのかい?」
従者への対応や発言のところどころから醸し出されていた感覚の違いに合点がいった。
オディールとメーアとの間では、視点の規模が違う。
メーアにとって帝国内部の人はすべて彼の身内で、国土上に存在するものはすべて彼の裁量の下にある。
「まあいいや。それで彼は?」
「あの子は今少し休憩してますわ。何時も何時も私の傍にいるわけではありませんのよ」
「そういうものかい? ふぅん……」
いまいち溜飲が下がり切らない様子のメーアだが、一先ず納得しなければ話が進まないと理解したため、話の中身を変えにかかる。
ちらりと目を向けるまでもなく、楽団の演奏が始まるのを察した彼は、取っていた手を軽く握る。
「そういえば言ってなかったかな。ぼく、踊るのは初めてなんだ」
「あら。そうなんですのね。貴方ほどのお方ですもの、私経験豊富なものと勘違いしておりましたわ」
「期待を裏切ったならごめんね。でも、きみと一緒なら大丈夫な気がするんだ」
「えぇ。私にお任せください。とはいえ、私の動きに合わせて鏡合わせになるように振る舞ってくださいまし」
握られた手を少しだけ握り返し、オディールは音楽が始まる直前に体勢を取る。
壁に沿って観覧に回っていた者たちが拍手すると、一礼した楽団が各々の楽器を鳴らし始める。
期間が空いていたと言っても幼少期から追放まで積み重ねた経験に裏打ちされた彼女の動きは見事で、初心者のメーア相手にも過不足なく踊っている。
メーアもまた、素人とは思えないほど流麗な動きを見せ、生来の美麗な御髪をはためかせる。
「♪~……」
彼等以外の組もまた、同様に踊り始める。
女性が纏う服の長い裾が動きに合わせて広がり、外側から見れば花畑のよう。
舞踏会の先に何が待つのか、大広間の誰も知らないまま、彼等彼女らは踊り狂う。
不〜穏!




