第四六話 拠り所ですわ!
ブルーネン領主の屋敷の敷地面積はそれなりであり、使用人の数も中々のものだ。
とはいえ敷地面積当たりの使用人並びに客人の数は基準値を下回っており、誰もいない区画などざらにある。
本日は舞踏会が開催されていることから、大広間周辺を除いた場所ではその傾向がより一層強まることが予想できる。
故に、セバスが膝を付いたまま立ち上がらずにいても、誰にも目撃される心配はなかった。
「──」
「おや?」
しかし、何処の空間にも好事家はいるもの。
他人の屋敷を意気揚々と探索するほどの図太さと、そこに時間を費やしても問題ないだろう容姿への自信、そして自信を裏付けるだけの端麗な美貌。
それらを併せ持つ人物など、オディールを除けば一人しかいない。
「珍しいこともあるものだ、ここでキミに会うとはね」
「ピエール様」
「あれ、覇気がないなぁ。芯の強さは主譲りの筈じゃなかったかい?」
扉の傍に立ち、壁に頭をもたれさせるのは、葡萄酒色の髪の青年。
普段より一回り豪華な衣装を纏い、整髪料を用いて丁寧に髪型を整え、信頼の置けない笑みを浮かべる青年は、声を掛けるものの燕尾服の青年に近寄ろうという意思はない。
彼はこの部屋に辿り着く少し前、泣き崩れそうな顔を必死に取り繕うオディールを見かけていたからだ。
「キミたちの間に何があってもボクの知るところじゃないけれど、彼女が万全でないような状態は望まないな」
「……私が、お嬢様の『万全』に必要だと。そうおっしゃるのですか?」
揶揄って立ち去ろう、気が向いたら橋渡しでもしてやろう、くらいの心持ちだったピエールだが、その言葉を耳にして気が変わる。
浮かべていた笑みは消え失せ、至って真面目な、次期領主としての顔を覗かせた。
選びに選んだ言葉を、刺激しないような速度と語気でセバスに投げかける。
「今のところ、ボクには何とも言えないな。少なくとも、当事者の口から何が起きたか聞かない限りはね」
「──語るもお恥ずかしい話です」
「いいから。キミが弱っているのが気に入らないんだ、ボクは」
毅然と言い放つピエール。
その言い方はオディールに負けず劣らず独善的で、思わずセバスは自らの主の影をそこに見る。
気を抜けば泣き喚きそうなところだが、その影を前にして不甲斐ない姿を見せる訳には行かない。
「初めからお話しします──」
それからセバスは、舞踏会にて起きた出来事の仔細を話した。
といっても、具体的に彼がやらかした失敗は酒選びだけ。
故に説明自体はものの数分で終わり、ピエールの中に疑念が齎された。
「……と、いった次第です」
「ふぅん、なるほどね。主の顔に泥を塗った、と思ったわけだ」
「仰る通りです」
返答するセバスの口調はどこか自罰的なもので、自棄になっているようにすら感じられる。
危うさを感じ取ったピエールが、きっかけの小ささとセバスの様子の深刻さとの間の乖離の理由を探りにかかる。
「その上でボクから言わせてもらうとすれば、キミの仕事ぶりは間違っていない、ということだね」
「そんな、恐れ多くございます」
「事実だとも。気遣いの出来るキミのことだ、考えあってのことだろう。気が立っていたとはいえ、それを叱り飛ばすとは。彼女も堕ちたものだ」
「ッ」
オディールの悪評を口にするのは控えるように言おうとしたセバスだが、直前になって喉が引っかかる。
それを言う権利は、今の自分にはない、と判断したからだ。
言葉を詰まらせたセバスに、いよいよもってピエールは踏み込んだ発言をする。
一つ深呼吸をし、照明のない暗がりの部屋に緊張が走る。
「間違っていたら申し訳ないけれど。キミ、隠していることがあるだろう」
「……」
「今回の件、銘柄選択を誤っただけでキミがそこまで沈むわけがない。積もりに積もった不満、不平、不安……何かがあったはずだ」
「それは、貴方には」
「関係あるのさ。先刻も言っただろう、キミが本調子じゃないのはボクとしてもすっきりしない」
此処で退いてはいけないと、ピエールは理屈ではなく直感で理解していた。
答えるまで此処を動かない、通しもしないという意思表示の如く扉の傍から動こうとしないピエール。
そんな青年の堅固な意思に折れ、自分でも整理し切れていなかった思いを滔々と語り出す。
「私は、お嬢様が御家を追い出されてからというもの、お嬢様に付き添って参りました」
「そうだね。殊勝な根性だ、見上げたものだよ」
「けれど、私は何が出来たのでしょう」
この一言こそ、彼がずっと抱え続けて来た焦燥であった。
自分の果たした役割は、いずれも彼独自の強みを活かしたものではなかった。
オディールの隣に並び立つのは、それだけの資質があれば誰でもよい。
彼女を守るために粉骨砕身するのは、それだけの実力を持っていれば誰でもよい。
彼が彼として此処に居られる拠り所だった、『自分こそが彼女を理解し、彼女のために働ける』という自信すら、最後に打ち砕かれてしまったのだ。
「そういう話か……」
大筋を読み取ったピエールが、さて何を言ったものか、と頭を捻らせる。
ピエールはオディールらの旅路について、具体的な内容は何も知らない。
ルーフェ領からどのようにしてブルーネンに向かったのか、ブルーネンにてどのようにマギーラと出会ったのか、迷境探索にて何が起きたのか、等々語り出せば切りが無い。
だからピエールが口に出せる内容は、あくまでも当時の情報に限られる。
「最初に断っておくけれど、今回ボクに言えることはそう多くない」
「でしょうね」
「何度話を聞かされてもキミの仕事ぶりに陰りは見えないし、ボクなら喜んで高給を握らせるだろう」
セバスは意外に感じたが、ピエールから彼への評価はかなり高い。
幼少期から幼馴染に仕える働きを見せていただけあって、自分が雇っていないのを口惜しく思っていたほどに。
「キミが懸念しているのは、キミ自身の存在意義のはずだ。自分と同じ技量と配慮を体得した人間ならば、キミである必要はないのではないか、という」
「……」
「辛いなら答えなくてもいい。この推論が合っている前提で話を進めるよ。ともかく、この条件に合致する人材がいて、そいつをボクが雇うかと言われれば……答えは否だ」
きっぱりと言い切るピエール。
セバスの肩がぴくりと震える。
言葉を重ねて、次第に事情を話してくれた今ならば多少接近しても問題ないと判断したピエールは、靴の底と床を鳴らしてセバスの背後に立った。
「キミはキミだ。同じ技術と気高さを併せていても、積んできた歳月だけは変わらないし、ボクがキミを見ていた時間もまた変わらないのさ」
「それは、そうかもしれませんが」
「それにね、キミだってわかっているだろう。キミがキミである最大の拠り所は、その心臓なんだよ」
屈んだピエールが、拳でセバスの背中をつつく。
文字通り背中を押されたセバスは、後ろ向きな考えから徐々に前向きな思考へと切り替わっていく。
「この際聞いちゃうけどさ、キミが彼女に着いて行こうと思ったのは何故なんだい?」
「私は、お嬢様を心よりお慕いしているからです」
「うんうん、そうだろうそうだろう。キミが自分じゃなくてもいいと思った日々、その始まりこそがこれ以上なくキミらしい! これで満足できないなんて、キミは随分と強欲なんだね」
主に似たのかな、と付け加えるピエールの目の前で、セバスの思考は完全に切り替わった。
そうだ、その通りだ。
良家の令嬢だった頃ならばいざ知らず、一介の乙女に成り下がったオディールに、それでも付いて行くなどと言う酔狂をするのは彼だけだ。
最初からただの町娘として出会ったマギーラとは全く違う、転落の現場を見届けた人間なのだ。
「強欲ついでにさ、もう少し素直になってもいいとボクは思うけどね。それこそ彼女みたいにさ」
「──はい」
返答は短く、しかし迷いの感じられない清々しいものだった。
執事などの責務が定めたものではなく、自らの心に従って進むべき道を定めた人間は強い。
それこそ、何もかもを失ったオディールが成り上りを望んだように。
「それじゃ、ボクはもう行くよ。キミもそろそろ戻るといい。彼女も酒が抜けたころだ、頭も冷えたんじゃない?」
「……その、ピエール様」
「何だい?」
「貴方にこのようなことを言う日が来るとは夢にも思いませんでしたし、今でもあまり言いたくはないのですが」
「実践が早いなぁ」
主譲りの開き直りの早さを披露したセバスが立ち上がる。
手櫛で髪型を整え、燕尾服の裾をきっちり伸ばし、部屋を出ようと扉に手を掛けていたピエールを正面に捉えた。
「……ありがとうございました」
「何度も言うけれど、礼には及ばないよ。それじゃ」
ひらひらと肩の上で手を振りつつ、ピエールは部屋を出て廊下を歩む。
適当に何度か角を曲がり、周辺に誰もいないのを察した彼は、柱に体重を預け天井を仰いだ。
「──ほんっと、器用になれないな、ボクは」
ピエール、毛嫌いするほど悪い男でもない説




