第四五話 開会ですわ!
「改めて、ぼくがメーア・S・シュトルネン。今日はこのような会に招いてくれてありがとう」
柔和な口調の男性は、丁度少年から青年への過渡期といった様子。
天井に壁に、大量に備え付けられた照明の数々が、彼の嫋やかな翡翠色の御髪を煌めかせる。
瞳は綺麗に磨かれた宝石のように複雑に輝き、見るものを虜にする。
髪、瞳、陶器のように肌理の細かな素肌などの生まれ持った芸術に比べれば、纏う衣装などおまけに過ぎない。
「まだまだ夜は始まったばっかり。美味しそうな食事も飲み物もいっぱいだ」
それでいて、その美しさには欠片も嫌味が無い。
着飾った青年も、整髪料をつけた壮齢も、煌びやかな衣装に身を包んだ淑女も、その美しさを妬む発想すら抱けない。
オディールは、この舞踏会での最大目標は『最も目立つこと』だと述べたが、あれは間違いとも言える。
何故ならば、舞踏会で最も目立てる人物など、メーア・S・シュトルネンを於いて他にないのだから。
「去年の祝福はどうだったかな、喜んでくれていればうれしいな。今年もみんなで楽しもうね」
にっこりとほほ笑んで小首を傾げるメーア。
その傍で待機していたオディールにメーアがまばたきで合図を送る。
見惚れかけたオディールが我に返り、進行役の役目を思い出した。
「お言葉、ありがとうございました。それでは皆様、どうぞご歓談の程を」
開会の言葉を述べ終わったオディールが再び一礼して壇上から降りると、次第に紳士淑女の方々の歓談が始まった。
酒を片手に、食事をつまみながら、本腰を入れるのは権謀術数の探り合い。
冒険者の戦場が迷境や戦争だとすれば、商人や貴族の戦場は微笑溢れる舞踏会。
「ふぅ……」
「お疲れさまでした、お嬢様」
「こうした役回りは久方ぶりですが、会はまだまだこれからです。疲れてはいられませんわ」
「これは御無礼を」
控えていたセバスがオディールに近寄り、ねぎらいの声をかかる。
やり取りの言葉遣いや語気の調子からして令嬢の気が立っている事実に、セバスは気付いていた。
舞踏会の話を聞いてからというもの、何度も不平や愚痴を漏らしていた彼女。
しかし芽生えた責任感により舞踏会への出席を呑んだ彼女は、精一杯出来得る限りのことをしようとして緊張している。
「それでは行きますわよセバス。まずは同盟諸都市への挨拶回りですわ」
「了解しました。席の配備では、あちらの壁沿いに固まっている筈です」
「わかりました。ではセバスは飲み物を頂いて来るように」
頼みごとをする口調もまた命令的である。
普段の彼女ならば、語気や態度は兎も角として『~~してくださる?』と言ったはず。
とはいえ、その程度の乱心ならば付き合うのが従者の矜持。
それだけでなく、主が意気込んでいるのは自分の為でもあると知っているからこそ、セバスは文句どころか諫言すらも出来なかった。
「失礼……失礼します……」
人の波を掻き分けて、セバスは飲み物の置かれた机の上に向かう。
色とりどりの飲み物が湛えられた大きな瓶と、それらが小分けにされた杯が幾つかの集団に分けて並べられている。
何の飲み物を持っていくべきか、と思案するセバスだが、ふと一つの区画が目に留まる。
「これは」
白い絹の掛け布の上の、杯に湛えられた酒は薄い橙色。
見覚えのあるその色合いは、確かオディールの好みの味だったはず。
果実酒の一種であるその酒は、酒臭さが控えめで飲みやすく、一杯目として適切だ。
何より今の彼にとって、『自分だけが知っているオディールの好み』は選考基準の中での優先度が最も高かった。
「此方を頂きます」
「お気をつけてお持ちください」
飲料所で控えていた使用人に一言断って、セバスは両手に一杯ずつ杯を持って主の元へ向かう。
同盟諸都市の来客が案内された区画に辿り着いたセバスが目にしたのは、中年男性に囲まれた主の姿。
男性諸君はブルーネン城主ほどではないにせよ肉体的に健康そうな印象は受けず、装飾品に品性の確保を担わせている。
「お嬢様、お待たせいたしました」
「あら、ありがとう。遅れましたが紹介いたしますわ、こちら、私の執事のセバスです」
「セバスと申します。以後お見知りおきの程を」
彼は身体に染みついた所作で、片手を胸の前に置き、恭しく一礼する。
じろり、と周辺の人々の視線が突き刺さる。
無論品定めの為であるが、セバスもまたオディールと同じく、社交界にて隙を晒すような軟な教育は受けてきていない。
「やあ、君がセバス君か。先程オディール様から話は聞いていたよ」
「実に誠実そうな好青年じゃないか、家にも奉公しに来てほしいくらいだ」
「有難き言葉に御座います」
勧誘を受けたというのに、セバスは承諾も拒絶もしない。
当然、その勧誘が言葉だけのもので、実際に雇用しようとしているわけではないと分かり切っているからだ。
誰も彼も人間性をまともに観察する気などなく、財力や家柄、伝手などの属性を見通すことに意識を割いている。
オディールもまた同様で、話の内容などどうでもよく、ただ身振り手振りを鬱陶しくならない程度に見栄えさせることしか頭にない。
「おお、そういえば。先日購入したあの品、大変品質が良く──」
「仕入れの調子はどうですかな? 近頃は不作と聞きますが……」
「農民一揆のその後ですか。いやぁ、締め付けるばかりでは……」
世間話という名のどうでもいい会話がつらつらと周りの口から流れ出す。
商人同士の会話としては重要なのかもしれないが、少なくともオディールは連日の副城主としての職務で、粗方の情報を手に入れている。
北部で保存方法に改革が起き、魚や肉の質が長持ちするようになっただけでなく、香辛料をふんだんに使わずともよくなったため輸送費用の減少も起きている。
西部では雨によくない成分が含まれていたために不作が続いており、野菜や牧草、それに伴う食肉の仕入れ値を安くするのが難しくなり、野盗が増え治安が悪化してきている。
東部では元々痩せていた地に重税を課していた領主が逝去し、穏健派だったはずの子息が新領主に就任したものの、税制を変更することはなく溜まった民の不満が爆発した。
「うふふ……まあ──」
それをあたかも初見の情報のように、初耳の話のように、関心を持っているかのように装うのは、オディールにとって骨が折れる。
偽りが苦手な彼女が舞踏会を嫌っていた理由の一つである。
表情こそあまり変わらないものの、額に徐々に汗が浮かび始め、眉間に皴が寄り始めているのをセバスは見逃さない。
「お嬢様、そろそろキルオ同盟外の方々との談話に向かいましょう」
「──えぇ、そうね。それでは皆様、私達はここで。どうか会をお楽しみください」
一礼してから、二人はキルオ同盟の輪を抜けた。
オディールが自らの道を行き、セバスが一歩遅れる形で歩む。
彼女は歓談が行われている会場からいったん退出、人気のない通りを抜けて適当な部屋に入った。
「はぁ」
「お疲れ様です」
「えぇ……」
適当な部屋と言えど、流石は城主の部屋、拵えてある椅子の質は一級であり、オディールが深く腰掛ける。
腹に巻いた矯正器具のせいで大きくは仰け反れないが、それでも彼女は背もたれに体重を預け、少しでも全身を弛緩させる。
酒の巡りを落ち着かせる意味でも、安静な姿勢を取る必要があった。
「そうだわ、セバス」
「何でしょう」
「貴方、あのお酒はどういうつもり?」
予想だにしていなかった主からの質問を受けて、セバスは返答に窮してしまう。
彼なりに最善の手を取った筈なのだが、どうにもオディールの声色は明るくない。
天井を仰ぎ掌で隠された表情はいまいち読み取れないが、少なくとも称賛の言葉を贈ろうとしているわけではなさそうである。
「どう、というのは」
「あの果実酒ですわ。味は素晴らしかったのですが……果実酒であること自体が問題なのです」
「そん、な」
「私を思ってのことだとは分かっています。けれどこのような場では葡萄酒若しくは発泡酒を口にするもの。柑橘類を用いた果実酒を飲んでいれば、子供のように思われても仕方ありません」
疲れから、オディールの言葉遣いに遠慮がなくなりつつある。
実際彼女の言う内容自体はそこまで間違いでもなく、飲みやすく酒を飲み始めた年齢の人々が口にする傾向のある果実酒は、酒というよりも酒気を帯びた清涼飲料と見做される。
商人ギルドという大人の社交場において、それも一杯目に果実酒を飲むのは、所謂『暗黙の了解』に反している。
とはいえセバスがそのことを知らないのも無理はなく、オディール自身とて、事前に教えておかなかった不手際に責任を感じてもいる。
ただ、余裕のない彼女は執事に当たり散らしてしまう。
「あんまり貴方に責任を押し付けるような言い方はしたくないのですわ。けれど私が副城主であることは忘れないで下さいまし」
「──申し訳、ありません」
「それだけじゃありませんわ。舞踏会で目立つには、踊る相手が必須です。なのに歓談の段階で教養がないと思われたら、誰も踊ってくれないじゃないですの」
「……はい」
本当はオディールとて、自分が拙いことを口走っている自負はあった。
けれど、最早今更止まれない。
「──まあ、分かってくれればいいのですわ。次からは気を付けて」
「──」
「……私は先に戻ります。貴方も頭を冷やしてから戻りなさい」
酒のせいもあり、相手が言い返せる立場にないと分かっていながら、彼女は彼を責め立てたまま部屋を後にする。
軋みながら扉が閉まり、最初から照明が付けられていなかった部屋を彩るのは月光のみ。
残されたセバスは、自分の存在意義を失いつつあった。
「はは」
自嘲的な笑みを浮かべ、燕尾服の青年は力なく座り込む。
これまで積み重ねて来た令嬢との日々も、そこで培われた彼女に対する知見も、執事として得た数々の素養も。
進退を賭けた重要な局面なのなら、たった一回の失敗で簡単に崩れ去る。
「なら、私は」
何が出来るのか。
この舞踏会だけではない、令嬢が実家を追い出されて以降、彼にしかできないことなど何一つなかった。
野盗の退治も、誘拐犯の追跡も、資金調達も、迷境探索も、魔王軍撃退も、何もかも。
自分が自分であることの意義が、彼の中で見えなくなっていた。
信頼故に……




