第四八話 闖入者ですわ!
崩壊は、舞踏会開始よりそれほど時を経ずに訪れた。
これは、その少し前、とある銃手の記録。
「目標の帰還を確認。指定位置から少々乖離」
その銃手は、ブルーネンの城主屋敷の敷地内、建物外に待機しており、指定された任務を実行する機会を只管待っていた。
依頼人は今回の任務を達成すれば莫大な報酬を与えると銃手に約束し、実際約束を完遂するだけの財力を持っている。
故に、銃手が仕事人ならば何のためらいも発生しない。
「──」
けれど銃手の本業は冒険者であり、依頼に対して心を殺して完遂する、という習慣はない。
相手が一介の魔物であれば話は別だが、此度の獲物は理性ある人間である。
「……オディール様、私は……」
自分と獲物との間を隔てる窓を指でなぞり、銃手は心中での葛藤を抑え込もうとする。
銃手は生まれは別の地だが、本腰を入れて冒険者稼業をしているのはブルーネンであり、思い出も思い入れも深い。
見習いから独り立ちし、胸を張っていつもより少しだけ高い買い物が出来たのもブルーネン。
最初の相棒も、それ以降の歴代相棒も、ブルーネンで調達しブルーネンで修理し、ブルーネンで別れを告げて来た。
その街が無くなる、という結末を防いだのは、間違いなく彼女なのだ。
魔王軍の襲撃の際、後方部隊に参加していた銃手は自らの経験としてその感覚を持っていた。
「──けれど」
しかし、銃手は思い出だけで食い扶持は維持できないという現実も知っている。
ブルーネンは経済都市ではあるが、それは必ずしも住民全体への均等な富の配分を意味しない。
税制や物価の操作などにより、富める者は富み貧しい者はより苦しむ。
冒険者の稼ぎは上から下まで様々であるが、銃手は身体的な危険が少なく代替わりが発生しにくいため、稼ぎを上げるのに苦労するだけでなく、高給取りがくたばらない。
「腹の調子は……」
呟いて、銃手は最低限の防具を身に付けた自分の腹に手を当てる。
日に何度も虫が鳴く銃手の腹だが、今日は腹が鳴って潜入が失敗する、などと言う間抜けな事態が起きないようにと依頼主から鱈腹飯を食わされていた。
この任務が成功すれば、数年、いやさ十数年はこの腹の具合を維持しながら、衣服や居住などにも一層金を割けるようになる。
「──」
様々な言い訳を頭の中で連ねても、結局仕事を引き受けた責任を逃れることは出来ない、と銃手はとうに悟っている。
実のところ、オディール一人を暗殺できたとて、彼女の従者が復讐に来るだろうことも、想定出来ている。
その上で、一旦引き受けてしまった恩人を暗殺するという任務を破棄できるほどの、胆力も義侠心も銃手にはなかった。
「ふぅ」
一つ深呼吸して、銃手は全てを呑み込んだ。
呼吸を整える流れのままに、魔術弾を装填し火薬を詰め、銃手は照準器から対象を狙う。
全ては一瞬で決する、引き金を引くだけで、特段何の特殊能力も持たないオディールは死に、銃手の人生は決する。
これまでの冒険者人生で撃ち抜いてきた魔物どもと変わらない。
「──ッ」
最後の最後、一瞬だけ引き金を引く指が固まったことを除けば。
<***>
舞踏会が始まってすぐ。
弦楽器の嫋やかな音色が大広間に吸い込まれ、壁際に寄った観客たちは耳と目に意識を持っていく。
本来ならば舞踏に参加しない人々は会話で親睦を深めるのが常なのだが、ブルーネンが用意した楽団の腕がそうさせない。
口を開くのが野暮、とまで思わせる音色に、誰も足音すら立てようとしない。
「♪~」
「随分機嫌が良いようですわね?」
「うん。音楽にあわせて動くだけで楽しいね」
とある一組は、その雰囲気を壊さない、ほどほどの声量で言葉を交わす。
メーア・S・シュトルネンと組んで踊るオディールは、言ってしまえばこの程度の演奏は聞き慣れているし、それは組んだ相手とて同じ。
他にそういった演奏に慣れているのはごく限られ、それこそキルオ同盟で最も利益を上げている街の主や、ピエール・ゴドレーシくらいのもの。
「あら、第二皇子様は舞踏を経験していらっしゃらないの?」
「そうなんだよ。誰かといっしょに踊るのは初めてだよ」
その割に、相手に合わせて動くのが上手だ、とオディールは内心で独り言ちる。
余人には及ばない視点を有している故に、メーアにとって誰が相手でも相手に合わせるのは容易である。
皇族かそうでないか、祝福を授けられる相手か否か、その他諸々の価値基準において、『全ての基準でメーアと同じ』存在など、彼の世界には存在しない。
「ふぅん……なら、私がはじめての相手なんですのね。光栄ですわ」
「うん、ぼくもきみと踊れてすごく嬉しいよ」
「あら、踊りだけでなく、お口も上手なんですのね」
軽口を叩くオディールだが、その実落ち着きは何処にもなかった。
持ち前の勝負強さで何とか舞踏自体は成立させているが、先読みやメーアの好む振る舞いをする余裕はなくなっている。
理由は単純、普段ならば常に視界にいるはずの彼がいないことだ。
どれだけ新たな環境に飛び込んでも、その時絶対に彼が傍にいた。
「──」
「……」
宝石のような瞳のメーアは、当然その揺れ動きを見抜いている。
帝国領内の人々の動向を宮殿から把握できる彼にとって、手が触れる距離の相手の心情を察することなど余りに容易い。
故に、先程は執事が傍にいない事実を指摘したのだが、オディールは言葉では平気な振りをしている。
音楽と舞踏に身を委ねて思考を重ねること数分、口を開こうとしたメーアが、強い感情の揺れを認識する。
「あ──」
会場の外、半円状の屋根の上、窓の傍に腰掛ける誰かが、大広間の中を睨んでいる。
手にした筒に熱が籠り、誰かの指が金属を押し込み、燃料が燃え広がるその様が、実際の時間の何倍にも引き延ばされてメーアの視界に入る。
「ぇ」
目の前の相手の視線が自分ではないどこかへ向かい、口から音が漏れたのを察知したオディールは、何かが起きているとようやく理解する。
けれども最早反応が間に合う可能性はなく。
命を長らえさせるには、何らかの奇跡か、道理を越えた事象の発生が不可欠で。
何方も齎すのが、彼女の悪運である。
「ッ、おォああァッ!」
大広間の扉が爆発するかのように開く。
乾いた音が合間なく鳴り、一つの人影が風を切る。
炸裂した銃弾が窓を突き破る鋭い音色が弦楽器の合奏を貫き、一息に着飾った令嬢へと飛来する。
「セバ──」
「だあああァッ!」
金属音が大広間に響き渡り、小指の先くらいの鉛の塊がメーアとオディールと、もう一人の足元に転がる。
静まり返った大広間、楽団も観客も、舞踏に参加する青年淑女達も、何が起こったか把握し切れていない中。
突如飛び込んだ黒い服の青年が、息を整えて振り返った。
「お嬢様、御無事で……?」
「セバス……!」
自分に迫っていた危機を、颯爽と助けてくれた相手の顔を見ると、オディールの中で抑え込んでいた諸々が込み上がってくる。
たった今まで続いていた舞踏会の相手は、既に眼中にない。
走って乱れたのだろう着衣を目指して、数歩踏み出し彼女は彼に腕を伸ばした。
「お、っと」
「心配、しましたのよ……っ」
「それは、申し訳ありません──?」
ここで謝るべきか否か分からないセバスは微妙な語気になり、道すがら手にした料理を乗せる用途の盆を持っていない方の腕で、主を支える。
かといって、今相手を抱きしめることを、お互いに望まない。
ただ、相手の体温を感じ取れればそれでよかった。
「その……聞いてほしいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「──なんですの」
半分鼻声で、オディールは続く言葉を求める。
「難しいかもしれませんし、オディール様が求めないかもしれませんが。私は貴女に仕える身です。それは変わりません」
「えぇ……」
「その上で。私は私の思うままに生きます。それで文句ないですね、未来の皇女様」
「えぇ……えぇ……」
道理の話をすれば、突き放した言い方をしたオディールが自分からセバスに歩み寄ることは出来ない。
主でもある彼女は、従者であるセバスを許す立場から逃れられない。
しかし心情的に、オディールは自らに非があると思っているのだから、セバスからの謝罪を先に聞き入れたくはない。
経験則や年月から、セバスはこの葛藤を全て把握して、主に倣って自分勝手を貫く宣言をしたのだ。
「全く、ずるいですわよ、貴方」
「お嬢様に言われたくはありませんね」
涙で鼻が詰まりそうになりながら笑う彼女の声は、外見から中身を想像していた者の期待を裏切るもの。
とはいえ、付き合いの長いセバスはそうした声を何度も耳にしていたし、そんな二人に歩み寄る男もまた、その声に聞き覚えがあった。
「キミたちさ、情熱的なのはいいのだけど、もう少し人目を憚った方がいいんじゃないかな?」
咳払いの後に語り掛けるのは、紅い葡萄酒のような髪の青年。
つい先刻セバスに助言を授けた青年は、その足で寄り道をした後に舞踏会に参加していた。
ピエールは更に一歩踏み出し、瞳に涙を浮かべるオディールの耳元で囁いた。
「賊が消えたわけじゃない。狙われた以上、キミはセバスクンを連れて離れるべきだ。違うかい」
「ッ! ですわね」
二人の世界の外から入って来たピエールの声により、オディールは現実に引き戻される。
青年の言葉はその通りで、本来セバスも危機を伝えに来るはずだった。
「──行きますわよセバス! あンのクソチビハゲデブ、ぶっ飛ばしてやらなきゃ気が済みませんわ!」
「……はい!」
<***>
「行っちゃった」
「──もし。メーア様?」
「うん? あぁきみは、ピエールくんだったね?」
「名前を覚えていらっしゃるとは。光栄です。もし踊る相手がいらっしゃらないのなら──ボクの手を取っていただけませんか?」
「! ……ふふ、そう来るんだ。おもしろいね……いいよ。さぁみんな、続きをしようよ。楽しい時間はまだまだ終わらないよ」




