招かれざる仲間……?
かつての魔境には、今、緑が溢れていた。
たった十ヶ月で草が茂り、木立すらできている。草木の生育は、異常なスピードだ。
しかしここに、唯一草の生えない場所があった。
そこは、先生が辞表を置いていた場所のすぐそばだ。
私は、今、魔境跡地に残る禁忌魔法の痕跡を調査している。
調査のために魔導研から連れてきた古代魔法の研究者は、この調査には乗り気ではない。
彼女曰く、転移魔法は古代魔法ではないそうだが、
古い魔法に詳しい研究者が少ないため、なんとか頼み込んで調査に駆り出した。
草原のど真ん中で、私たち二人は、地面に這いつくばって、土が剥き出しになったその場所を観察している。
「うーん。転移魔法で、間違いないんじゃないですか」
イリス・マイヤーズは相変わらず、気だるそうに答えた。
「もう断定するのか?」
「しないほうがいいんですか?」
「あまりにも早いから驚いただけだ。根拠は?」
「疑うなら、転移魔法の専門家を探してください。あたしの専門は古代魔法です」
「転移魔法は禁忌とされてる。表立って専門家を名乗る人間がいると思うか?」
「それはそうですけど……」
「術者と行き先はわかるか?」
「わかりません。そもそも追跡はできません」
イリスは立ち上がり、服についた土を払う。
「少なくともこれは、『転移魔法の痕跡に極めて近い』と言えます」
俺も立ち上がる。
イリスの見立てが正しいとして、問題は誰がこの魔法を使ったかだ。先生だったのか、もしくは……。
「そもそも、十ヶ月前、ここで何があったんです?」
「ある人を調査に送り込んだら、魔境が消えた」
「ラノフ名誉顧問……ですか?」
「知っているのか?」
「噂程度は流れてきます」
「顧問はどうやって、魔境を消したんですか?」
「吸収魔法で岩から魔力を取り出し、魔力壺に封じ込めてた。瘴気は風魔法で散らしてた」
「意外と単純な方法ですね」
「言うは易しだ。私たちも再現を試みたが、誰もできなかった」
「まあ魔境の増殖は問題になってましたし、消えてよかったんじゃないですか?」
そう言って、彼女は緑が茂るかつての魔境を見渡した。
「魔境って、何だったんでしょうね」
「さあな。ただ私は、魔境も誰かの魔法だったんじゃないかと思うんだ」
イリスが笑う。
「誰が何のために、魔境なんて作るんです?」
「さあな。だが、瘴気と魔力は似ているんだ。実際、先生は岩を魔力に変えてた」
「それに……」
私の脳裏に、十ヶ月前の出来事が蘇る。
魔境中心部で莫大な魔力反応を観測した少しあと、先生から突然の連絡があった。
その時の通信で、先生は確かに『探してた人が見つかった』と言った。
つまり先生は、ここで誰かに会い、そして二人で姿を消した。
その誰かが、魔境の形成や消滅に関係していたとは考えられないか?
……いや、考えすぎか。
魔境がなくなって以来、私は何を見てもあの日に結びつけてしまう。
私はふとイリスを見た。
彼女は目を細めて地面を見つめていた。
その顔からは、先ほどまでの気だるそうな表情が消えている。
「イリス?」
「調べてみましょう」
何をと聞く前に、彼女が天を仰ぎ、両手を高く掲げた。
「——我は御前の慈悲を乞う者なり。どうかそのお力で、忘却に埋もれし力の残穢を、ここに示したまえ——」
聞いたことのない詠唱だった。
少しすると、周囲は色を失い、木々も空も灰色に沈んでいった。
そして、地面だけが淡い黄金に輝き始める。
見わたすかぎりの草原が、すべて金色に染まる。
「なんだ、これは……!?」
私が驚く横で、イリスもまた、口を大きく開けて、金色の大地を見回している。
「お!お!お!お!」
その目が、先ほどまでとは別人のように輝く。
「ヨハンさん!これ全部、古代魔法の痕跡ですよぉ!」
彼女はしゃがみ込み、草の生えない場所へ手を伸ばす。
「ここで転移魔法が発動して、古い痕跡を上書きした!だから草が生えてない」
「魔境は草を生やす魔法だったってことか?」
「うーん。そのためだけに、あれだけ大掛かりなことをしていたとは思えません」
彼女は顎を指でなぞる。
「岩は魔力に変えられる。つまり元は魔力だった可能性がある……」
彼女の顔から、興奮が少しずつ消えていく。
「これだけ広い範囲に、魔力の岩を形成していたなら——」
「何なんだ?」
彼女はしばらく答えなかった。
「魔力を岩にして、ここに縛り付けていたのかもしれません」
「どういうことだ?」
「ある種の封印です」
私は息を呑んだ。
イリスの口から飛び出した言葉はにわかには信じられないものだった。だが、もしそうだとすれば、辻褄は合うような気がする。
その時、イリスが突然叫んだ。
「ああっーー!」
彼女が指差した先に、一本の強い光が天へ伸びていた。
地面を覆う淡い光とは違う、槍のように細く、強い光。
「あそこ!古代魔法!まだ生きてます!」
彼女は光を目がけて走り出す。
「おい、生きてるってどういうことだ?」
私も、訳もわからぬまま彼女の背中を追った。
***
同じ頃、別地点。
「信じられない。ちゃんと転移できた」
「だてに長生きしてない」
だが俺は周りを見回して、前言を撤回しようかと思った。
俺たちが転移してきた場所は、明らかに魔境の中心ではなかった。
周り一面草が生い茂り、遠くには木立まで見えている。
どう見ても、草原のど真ん中だ。
「いや、でも本当にここで合ってます?」
「ああ。転移のメメントはシーラ自身だからな」
メメントが侍女だって?
メメントに人を指定するなんてできない。人にはその人固有の魔力があるから、術者の魔力で満たすことができないからだ。
じゃあ、シーラは、物なのか?
ということは、この人にとっては石がペットで、物が侍女なのか?
「シーラはここにいる」
それだけ言って、アイラさんは草の中にしゃがみ込み、何かをし始めた。
俺は訳が分からぬまま、ただ広がる草原を見回すしかなかった。
「どうしてこんなに緑が?」
「私の魔力には豊穣の力があるんだ」
「どういうことですか?」
「わからん。だが、私の魔力に影響を受けた植物は生命力が強くなる」
「魔力自体に特定の効力があるなんて話、聞いたことありません」
俺は座り込み、試しに目の前の草を一本抜いて見ようとした。
……抜けない。
魔法で土ごと掘り上げて、土を篩い落とす。見たことのないような立派な根が張っていた。
確か、魔境の近くでは作物がよく育っていた。そのために農民はわざわざ魔境近くの森を開墾して耕作地を作っていたほどだ。あれも彼女の力だったと言うことか。
その時、草の陰からアイラさんの嬉しそうな声が響いた。
「シーラ、ここに居たか」
俺が声のした方を覗き込むと、アイラさんは小さな褐色の石を掌に乗せて、何やら話しかけている。
「……アイラさん?大丈夫ですか?」
返事はない。
彼女はしばし、ペットと思しき石と話した後、やっと俺を見た。顔が輝いている。
「見つけたぞ!」
「……」
「シーラだ!」
「それ、石ですよね」
「ああ!」
俺は、曖昧な笑みを彼女に返した。
すぐに帝都へ連れて行って、良い医者を探さなければ。
俺の頭の中がさまざまな心配と憂慮で埋め尽くされていく中、アイラさんが指を鳴らした。
「——起動」
すると、褐色の石が白い光に包まれた。
石はすうっと浮き上がる。
「何してるんです?」
「シーラを戻す」
俺は全く意味が分からず、ただ馬鹿みたいにその言葉を繰り返した。
「シーラ、を、戻す」
再び彼女が指を鳴らす。
「——シーラの身体を作れ」
次の瞬間、地面が盛り上がり、土が宙へと伸び上がってきた。
俺は思わず後ずさって声を上げた。
「うわっ!」
土は渦を巻きながら集まり、人の背丈ほどまで膨れ上がっていく。
頭、腕、脚ができる。
人の輪郭を得た土塊の胸元へ、先ほどの石がゆっくりと沈んでいく。
その光景の横で、アイラさんは“倉庫”の口を開く。
そこに上半身を突っ込んで、何やらゴソゴソ探している。
「あった」
彼女は、倉庫から引っ張り出した布を土塊へ放り投げる。布は広がり、まだ形を変え続けている身体を包んでいく。
細い粘土の紐は、細く艶やかな髪へと変わり、その髪が肌と共に色づいていく。
一人の女性が地面に降り立ち、ゆっくりと瞼が開く。「お久しゅうございます、アレクシア様」
女性はアイラさんに向かって微笑んだ。
「お元気そうで何よりでございます」
「ああ、大事ない。今は、アイラと名乗っているんだ」
「左様でございますか、アイラ様。どれほど時間が経ったのでしょう?」
「千年ほどらしい」
「そうでございましたか。最近はどのようにお過ごしでしたか?」
「そうだな。コイツと出会って、人生の最期を託した」
アイラさんが親指で俺をさす。
「今は残りの人生を楽しもうとしてるんだが……」
「何かお困りですか?」
「コイツがシチューしか食わしてくれん」
「この方は?」
「エドだ」
俺は二人を交互に見た。
なんなんだこの会話。
いや、その前に、なんなんだよ、この展開!
「ちょっと待ってください!」
二人が俺を見た。
「何なんですか、これ……いや、この人!?」
女性が丁寧に頭を下げた。
「侍女のシーラでございます」
「そういうことじゃなくて!」
アイラさんが面倒そうにため息をついた。
「見ての通り、シーラは傀儡だ」
「く……傀儡?人じゃないんですか」
「今、土で作ったのを見ただろう」
「俺には人間の女性にしか見えません!」
「人間というのは、女の股から生まれるんだ。土からは生まれん」
アイラさんが呆れた様子で首を振り、その横でシーラが笑っていた。
「アイラ様、この方はアイラ様の新しい伴侶でございますか?」
「違う。でも大切な存在だ」
アイラさんの表情に変化はなく、当たり前のようにそう言う。
俺は目を見開いた。
「私より先に冥府へ行かぬよう、守ってやってくれ」
俺は、さらに大きく目を見開いた。
「承知いたしました」
シーラはその言葉をなんでもないことのように受け止める。
「いやいやいや!シーラさん、あんた、意味わかって言ってるのか?」
「シーラで結構です」
シーラが微笑む。
「ご心配には及びません。アイラ様のご希望は把握しております」
「何をどう把握したら、そんな冷静でいられるんだ!」
「アイラ様は今、終わりの見えた人生を楽しもうとしておられます。わたくしは、そのお時間を最大限サポートいたします」
アイラさんが腕を組みながら、俺を見た。
「ほらみろ。シーラは全部わかっている」
「人生を終わらせたいって言い始めてるんだぞ?どうして止めないんだ?」
「必要がありませんので」
「は?主人に生きてほしくないのか?」
「アイラ様は、わたくしが最期の準備を支えることを望んでおられますので」
俺はそれを聞いてうなだれる。
「最期の準備って……。終活じゃないんだから」
「終活?何だそれは」
「残りの人生のことを考えたり、身の回りの整理をすることですよ」
「終活か!いいな!」
「嬉しそうに食いつく言葉じゃないです」
その時、空気に違和感が生じた。
俺とアイラさんが同時にその不気味な違和感を感じ取った。
「なんだ?」
「アイラさんが、何かしたんじゃないんですか?」
「違う」
周りの景色から少しずつ色が抜けていく。
そして、足元だけが淡く金色に輝き始める。
そして、シーラの体が光を帯び始めた。
「シーラ?」
「アイラ様の魔力に反応しているようです」
「何が起こっている?」
シーラの体を覆っていた光は強さを増し、石が埋め込まれた胸の辺りから、眩い光が噴き出す。
それは、一本の光の柱となって、天を突くように真っ直ぐと上へ伸びていった。
俺たちは、思わず光を追って空を見上げていた。
直後、アイラさんが叫んだ。
「エド、転移だ!」
「へ?どこへ!?」
「とにかくここから離れろ!」
「何が起きたんです?」
「分からん、だが誰かに探知されたようだ」
「探知って何を!?」
「分からん。面倒なやつにかぎまわられる前にここを離れるぞ!」
俺はアイラさんとシーラを両脇に抱えた。
その時、遠くから声が響いてきた。
「先生ぇぇ!」
この声……。
俺は声のしてくる方を見た。
「……嘘だろ」
金色に輝く草原の向こうから、二人の人影が走ってくる。
先を走るのは知らない女。
その後ろからヨハンが必死に追いかけてくる。
「先生ぇぇぇぇ!」
「なんでいるんだよ!」
「知り合いか?」
「はい」
「会うと厄介か?」
「限りなく」
「ではやはり転移だ」
俺は左右の二人を抱え直す。
目を瞑り、咄嗟に思い浮かべられたのは、あのクマだった。
向こうで女が叫ぶのが聞こえた。
「逃がしませんよ!」
俺は何事かと目を開けてしまった。
女は走りながら足元から石を拾った。
石を握った手が一瞬光った後で、彼女はそれを俺に向かって投げつけた。
まさかの投石攻撃かよ!?原始人か!
「構うな!早く転移だ!」
アイラさんが焦った声で俺をせき立てた。
俺は再び目を閉じる。
ゴツゴツ、まるまる、サケ、へちゃむくれ……。
足元に魔法陣が現れ、光が立ち上がる。
よし、逃げ切れた。
そう思った瞬間、俺の足に鈍い衝撃が走った。
あの女の投げた石が、俺の足に命中したのだ。
「いたっ」
思わず足元を見ると、石が落ちた場所にイリスが現れた。
あ!こいつも!
そう思ったときにはもう遅かった。
女はそのまま、俺の足にしがみつく。
「捕まえた!」
「ちょっ——!」
最後に見えたのは、遥か後方からこちらへ走ってくるヨハンだった。
「先生ぇぇ!どこへ行くんですかぁ!」
世界が白く染まり、四人は光に飲み込まれた。
誰なんだよ、こいつ!!




