初めての共同作業
九ヶ月間続いた俺のモーニングルーティーンは、昨日終わった。
俺は、この日が来ることを心待ちにしていたはずなのに今は少し寂しい。
自分の部屋から出て、彼女の部屋の扉の前を通る時、廊下から耳を澄ましてみる。物音はしない。起こしても怒られるのだから、起きるまで待つしかない。
昼近くになって、彼女は部屋から出てきた。
俺が昨日の残りのシチューを出すと、またこれかとぼやいた以外に会話もない。
遅い朝食を済ませた彼女は、散歩に行くと言って家を出た。
窓辺で読んでいた俺は、本から目を上げて、反射的に時計を見てしまった。
五分ほど経った頃、ふと窓の外を見ると、雪原の上で、宙に浮いているアイラさんが見えた。
「嘘だろ!?」
俺は驚いて立ち上が離、玄関へと走った。
魔女や魔術師が宙に浮くのは、威力の高い魔法をぶっ放す時だと相場が決まってる。
彼女を止めようと外へ出た瞬間、雪原の上で火球が炸裂した。
爆風は家を包み、俺は煤だらけになった。
「何やってんだ、あの人……」
これが新しいルーティーンになるなんて、勘弁してくれ!
俺は急いで河原へ向かった。
河原に降り積もった雪は、彼女の周囲数百メートルだけ溶け、河原の石が見えている。
彼女はそこで、石を拾っていた。
「何をしてるんですか!?」
「石を探してる」
「見ればわかります!さっきの火球で家が燃えかけました!!」
「冬は乾燥するからな。気をつけろ」
ダメだ。この人は謝罪という言葉を知らない。
俺は諦めて、河原の岩に腰を下ろし、彼女の動きを観察する。
彼女は石の重みと手触りを確かめ、河原に戻す行為を繰り返している。
何をしているのか、見当もつかない。
「石なんてどうするんです?」
「食べるんだよ」
「へ?」
彼女は一瞬こちらをみて、肩をすくめた。
「冗談の通じない奴だな」
そしてまた石拾いに戻る。
石の吟味をしばらく繰り返した後、彼女が動きを止めた。
そして、手にした石を俺に見せる。
「いい石があったぞ。加工したら、お前にやろう」
「……アイラさんってもしかして、石器時代の生まれですか?」
彼女が鋭い視線で俺を刺す。
「私がいなくなった後の、お前の話し相手だ」
「……ペットの石ってことですか?」
彼女は呆れたように、首を振った。
「お前と私は、冗談が合わないみたいだな」
それだけ言って、彼女がさっさと家へ戻っていく。
俺はその後ろ姿を見ながら、首を傾げるしか無かった。
俺が石に話しかけると思ってるのか?
合わないのは、冗談だけじゃない気がした。
だからこそ、あの人を一人にするのは悪い予感しかしない。
「ああもう!」
俺は小走りで彼女を追った。
家へと戻ると、彼女はすでにダイニングに座っていた。
「腹が減った」
「シチューがまだあります」
「……またか?」
「またというか、あれしかありません」
「嘘だろ?毎日あれだけなのか?」
「まあ、俺は十ヶ月ほどそうでしたけど」
彼女は口をぽかんと開いて固まった。
「頼む!冗談だと言ってくれ!」
「俺たち、冗談が合わないみたいですね」
彼女ががっくりとうなだれた。
「探すべきものはお前の石ではなく、私の侍女だったな」
「アイラさんの侍女?」
「ああ、私を封印していた場所にいる」
「待ってください。千年以上経っているんですよ。その人はもう……」
「大丈夫だ」
「その人も、俺たちみたいな千年を超えて生きる人間なんですか?」
「そんなわけないだろう」
アイラは鼻で笑った後、ふと顎に指先を当てて考える。
「いや、まあ、見方によってはそうかもな」
「寿命に見方も何もないでしょう?」
「とにかく出発だ」
そう言うと、彼女は立ち上がった。
「もういくんですか?早すぎません?」
「人生に終わりが見えて、私は俄然やる気が湧いている」
彼女がパチンと指を鳴らし「開けろ」と言うと、彼女の立つすぐ横の空間が歪み、大きな穴が口を開けた。
俺は思わず一歩のけぞる。
「時空のはざま!?」
「ただの魔力の空間だ。倉庫代わりに使ってる」
そう言いながら彼女は何事もないかのように穴に上半身を入れ、ゴソゴソと何かを探す。
「あったあった」
彼女が倉庫から上等の毛皮のケープを引っ張り出した。
「いいだろう?昔、マクシムがくれたんだ」
「却下。目立ちすぎます」
「それより、この倉庫は何なんです?」
「今の時代にはないのか?」
「聞いたこともありません」
「そうか。禁忌魔法になると、やはり残らないもんだな」
「これが禁忌魔法に?どうして?」
「盗みと密輸の温床になったからだ」
俺は思わず笑ってしまった。
「何がおかしい?」
彼女が首を傾げる。
「いや、全く同じことが五百年ほど前にもあったので」
「ほう」
彼女は顎を上げて続きを促す。
「転移魔法と呼ばれる魔法です」
「転移か。物を移すのか?人も移せるのか?」
「基本的には人ですが、術者が持てる物であれば移せます」
「便利そうだ。私も覚えたい」
「無理です。今は禁忌指定されたので使うことは許されません」
「何があった」
「暗殺、誘拐、盗み、脱獄とあらゆる犯罪に使われ始めたので」
今度はアイラさんが大きく笑った。
「人は変わらないな」
「転移魔法があれば、封印場所まで歩く必要がないな。すぐ飛んでくれ」
「いや、それはできません」
「なぜだ?」
「転移魔法は事前の仕込みがいるんです。自分の魔力を込めた“メメント”を、あらかじめ転移先に置いておく必要があります」
「私がいた場所には、それが無いと?」
「ええ。ですので、まずは近くの街に飛びましょう」
「……仕方ないな。では行こう」
「ただ、問題があります」
「なんだ?」
彼女は小さく息を吐くと腕を組んだ。
「転移先は外なんです。昼間は目立つので、夜まで動けません」
「つまり、夜までシチューなのか?」
「捕まればシチューはおろか、監獄の臭い飯しか食えなくなりますよ」
「嘘だろう……」
「では、夕食は向こうに着いてから食べましょう」
「よし!」
彼女に笑顔が戻る。
五千年生きた魔女は、料理にうるさいらしい。
***
数時間後。
俺はダイニングでアイラさんの手を取っていた。
「転移には術者との接触が必要です。絶対に手を離さないでください」
「わかった」
「それから、転移先は私有地です。着いたら速やかにフェンスを越えて、外に出てください」
「どういうことだ?」
「行けばわかります」
俺は目を瞑り、メメントを思い出す。
足元から立ち上がった光に二人が包まれた。
転移先は、暗い室内だった。
何かがおかしい。
目の前には両開きのガラス扉。2階だ。
メメントをかけていたはずの木は、そこから見下ろした庭の向こうにある。
隣でアイラさんが呟く。
「外じゃなかったのか?」
「俺にもまだ……」
背後から、一定のリズムで続く衣擦れの音と、低い息遣いが聞こえている。
この音は……。
俺とアイラさんが同時に振り返った。
奥には天蓋付きの大きなベッドが見えた。
少し揺れている。
俺たちは顔を見合わせた。
「お前、私に何を見せるつもりだ?」
「……いや、違うんです」
音がやみ、蝋燭の明かりが灯った。
ベッドの上に、灯りを掲げてこちらを見ている男の顔が浮かび上がる。
三人とも固まった。
その時、男の影から、シーツを胸元まで引き上げた女性が顔を覗かせた。
「きゃーあああああああ!」
「役者が揃ったな」
呆れた表情を浮かべるアイラさんを、俺は反射的に肩に担ぎ上げる。
「おい、何をする!?」
「バルコニーから飛びます」
俺はガラス扉へ向かって手のひらを向けた。
人差し指の指輪が光ると、扉が勢いよく外へ開いた。
窓に向かって走り出した時、壁にかかった銀の鎖の小さな笛が目の端に映った。
ここにあったのか!
俺は即座に、その笛を、魔法の腕で引き寄せた。
そのままバルコニーの手すりを飛び越え、庭へ飛び込む。
「——巡る風よ、この身を支えよ——」
早口で詠唱すると、足元に風が集ま流。
庭にふわりと着地した後も彼女を抱えたまま、植え込みを飛び越え、フェンスへと疾走する。
「庭へ逃げたぞ!」
「警備隊に連絡しろ!」
屋敷の使用人たちの声がする。
窓に次々と灯りが灯っていく。
まずいな。
俺は魔法の腕に持たせた笛を、前方へ思い切り放り投げた。
笛は放物線を描いて、フェンスの向こうの家並みの奥に消えていった。
「もう一度転移します!」
俺は彼女を離さないように強く抱きしめ、笛の形を強く思い起こした。
直後、二人は光に包まれ、消えた。
転移先に現れた瞬間、目の前にあったのは家の二階の庇だった。
笛はその庇に鎖ごと引っかかっていた。
「しまっ——」
パチン。指が鳴る音。
「——浮遊」
その瞬間、彼女の身体がふわりと浮き上がり、俺の腕をすり抜ける。
どさり。
俺だけが、裏通りの固い土に落下した。
息を切らしながら上を見る。
彼女は宙に浮きながら、庇から笛を摘み上げている。
手の中の笛をじっと見つめながら、彼女がゆっくりと地面へ降り立った。
俺は、一息つくまもなく立ち上がった。
街の警備隊が動き出す前に、ここを離れなければ。
走り出しながら彼女に声をかける。
「いったん街を出ましょう」
けれど、彼女は動く様子がない。
俺は数歩走って、振り返った。
彼女は先ほどと同じ場所で、腰に手を当てて立っていた。
「何してるんですか?早く!」
「話が違う」
「なんのことです!?」
「夕食は?」
俺は口を開いたまま固まる。
「……今、その話ですか?」
「当然だ」
そう言うと、彼女は俺とは反対側へと歩き出してしまった。
「どこへ行くんです!?」
「こっちのセリフだ。早く案内しろ」
俺は彼女を追うしかなかった。
***
「……美味しい」
「これも美味しい!こっちも!」
アイラさんはテーブルに並んだ料理に目を輝かせ、どんどん口へと運んでいる。
「それはよかったです」
「こんな美味しいもの、マクシムのところでも出てこなかった」
俺は呆れながらも、共感していた。
確かに、最近の大衆料理は、昔のどんな豪華な料理より美味くなっている。
彼女がすごい勢いで料理を平らげていくのを半ば呆然と見ていた時、店のドアが勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、一人の警備兵だった。
嘘だろ。もう見つかったのか!?
俺は焦ってアイラさんを見た。彼女はまだ食事に夢中だ。
警備兵は店へ入ると、奥まった席に座っている俺たちの方へ一直線に近づいてくる。
手に汗がべっとりと滲んだ。
もう一度転移しようとアイラさんの手を掴みかけた時、彼の足がテーブルのすぐ横で止まった。
「よう!今から夜食を十人前頼む」
見ると、警備兵はキッチンの入り口から中へ向かって話しかけている。
中からは店の主人の声が返ってきた。
「おや?急な仕事ですかい?」
「そうなんだ。西の館に賊が出て、夜警の人数が増えた」
「何か盗られたんで?」
「いや、主人が庭で拾った笛ひとつだとさ」
「笛?高いもんなんですか?」
「いやあ、そうは思わないね。楽器の音を合わせる調子笛さ」
「調子笛?あぁ、昔あそこで、セレナーデを歌ってた男がいたでしょう。あいつが取り戻しに来たんじゃありませんかい?」
「あははは、だとしたら、傑作だな!」
そう言って二人は大きく笑っていた。
俺は二人の名推理に青ざめていた。
謎解きはディナーの横でなんて、洒落にならない。
「ほう」
ふと前を見ると、アイラさんが食事の手を止めて、ニタリと笑いながらこちらを見ている。
「この笛で、女にセレナーデを捧げる準備をしていたやつがいたのか」
握られた手から、銀の鎖が垂れている。
「しまってください!見つかったらどうするんです」
「お前だろう?リュートの音でも合わせていたのか?」
俺は目を逸らした。
「図星か。キザなことをするじゃないか」
「……マンドリンです」
「は?」
「弾いてたのはリュートじゃなくて、マンドリンです!」
「どっちだっていい!」
「俺だって、好きでやってたわけじゃありません。向こうの希望だったんです」
「さっきベッドにいた女か?」
「違います」
「じゃあ、あいつらは誰なんだ」
「おそらく、館の新しい主人でしょう。笛を動かしたのも、きっとあいつだ」
「どうして、わざわざあそこに掛けたんだ?」
「……あの窓に彼女が立って、俺はバルコニーの下で歌ってたんです!」
アイラさんが吹き出した。
「次の館の主もそれを知ってるのか。お前のセレナーデ、有名なんだな」
彼女は笑いを堪えながら言う。
「いつもそうやって女の言いなりなのか?」
「……」
「千年生きてるのにペラッペラだな」
俺は大きく一つ息を吐いた。
「女性は、俺といると不幸になるんです。だからできる限り優しくしてるんですよ!」
彼女が笑うのをやめて怪訝そうな顔をした。
「なんだそれ。新手の自惚れか?」
「あなたには、老いる女性の心理はわからないでしょうね」
「老いないことにも苦労はある。お前も知っているだろ」
「男と女じゃ違います。女が老いていくその横には、老いない俺がずっといるんです。向こうにとっちゃ悪夢だ」
彼女は何か言いたげに口を開いたが、首を振り、食事へと戻っていった。
「食事が終わったら街を出ましょう」
「そのことなんだが、私も転移魔法を使えるようになったかもしれん」
「冗談は後にしてください」
「お前に冗談はもう言わない。メメントにするものは、魔力がこもっていれば何でもいいのか?」
「術者はその物体の形、質感、重みを正確に思い出せる必要があります」
「なるほどな。それなら、大丈夫だ。やり方はお前のを二回見てわかった」
「魔法を見ただけでわかるんですか!?」
「昔はみんな、目で見て盗んでた。それができんと話にならん」
「でも、魔境にメメントがあるんですか?」
「ある。だが出発は朝だ。今のシーラは小さいから、暗闇では見つからない」
「小さいって?」
「行けばわかる」
「わかりました。魔境の調査は一段落したと聞いています。朝になっても大丈夫でしょう」
「そうと決まれば腹ごしらえだ」
そう言うと彼女は勢いよく給仕に手をあげた。
やってきた給仕に、テーブルの上の皿を指さしてから、指を二本立てる。
そして手で山のようなものを描く。
給仕が困惑した表情で俺を見る。
「この料理を二つ、追加で。大盛りで」
給仕はようやく理解し、笑顔で去っていった。
***
翌朝、薄暗い裏通りの物陰で、俺はアイラさんの手を握っていた。
アイラさんが目を瞑る。
「行くぞ」
足元に魔法陣が現れ、白い光が立ち上がり、二人を飲み込んだ。
魔法陣の中に白い光が引いていき、目を開ける。
「信じられない。ちゃんと転移できた」
「だてに長生きしてない」
俺は思わず周りを見わたした。
「いや、でも本当にここで合ってます?」
魔境跡地からは黒い岩と瘴気が消え、草が生えている。
遠くには木立も見える。
「ああ。転移のメメントはシーラ自身だ」
彼女は瞼を伏せ、草の生えた地面を見回した。
「シーラはここにいる」




