誘導尋問:彼女はそれを契約と呼ぶ
俺は一人残された部屋で、キッチンに向かった。
お茶でも淹れよう。
棚からカップを二つ取り出す。
俺は時計をチラリと見た。
お茶にはちみつを垂らしていると、玄関の扉が勢いよく開かれた。
扉の外には、雪まみれになった彼女が仁王立ちしていた。
「おかえりなさい」
「ここはどこなんだ!」
俺はもう一度時計を見る。
八分三十秒。
「周り一面、どっちを向いても雪ばかりだ!」
「まあ、冬ですから」
「道もないじゃないか!」
「まあ、埋まってますから」
「人も一人もいなかった!」
「俺がいるじゃないですか」
「……だから!他の人間を探してるんだ!」
彼女は頭を抱えた。
「お茶でもどうです?寒かったでしょ?」
俺がカップを差し出すと、魔女は奪い取るように受け取った。
「で、アレクシアさん」
「アイラだ!」
「少し話をしましょう」
「私には話すことなどない」
「まあ落ち着いてください。シチューもまだあります」
彼女はテーブルに置かれた暖かいシチューの入った皿を見ると、大人しく席に着いた。
「まず、あなたの質問に答えましょう。この場所のことから」
「どこか北の田舎だろ!」
「ええ。大陸最北部、シア川の河口付近です」
「ほう。“北の不凍の動脈”シアか」
俺は首をふり、窓の外の雪原を指さした。
「シアはもう不凍の動脈ではありません。七百年前から凍るようになりました」
彼女は言葉を失った。
「あなたはおそらく千年くらい岩の下にいたんですよ」
「そんなに?今、何年だ?」
「マクシミリアン暦一三三八年です」
「マクシミリアン……暦?」
「賢帝マクシミリアンが誕生した年を元年とした暦です」
「マクシムが生きてた頃は、そんなのなかった」
「賢帝の没後、あなたも姿を消してから制定されました」
「……」
「ちなみに、俺たちが話しているこの言語も、もう使われていません」
「帝国語が?」
「今は古代語と呼ばれています」
彼女は静かに息を吐く。
「……そうか。千年か。変わったんだな。何もかも」
「そう暗くならないでください」
彼女の顔を見て、声をかけずにはいられなかった。
「千年経っても変わらないものもあります」
俺は暖炉の上のクマの置物を手に取り、彼女の方に差し出した。
「例えば、このクマ。昔ここに港町があった時の土産物です。今見ても可愛いでしょう?」
彼女はクマを受け取り、目を落とす。
顔に一層の落胆の表情が浮かんだ。
「可愛いの概念さえ、変わったか」
「……」
彼女はクマをテーブルに置いて俺の方を見た。
「お前は帝国語に精通しているし、歴史にも詳しそうだ。考古学者なのか?」
「いいえ。俺は——」
俺はふと考える。
俺は一体何者なのだろう?魔導士?研究者?それとも“エリオット”の孫か?
ぼんやりと視線を泳がせていると、ふと視界にクマが入った。
ああ、そうか。そうだった。
「俺は、ただの灯台守りの息子です」
「灯台?屋敷の横の、崩れかかったあれか?」
「はい。子供の頃は上まで登って親父を手伝ってました」
彼女が一瞬動きを止めた。
「ほぉう」
そして、椅子の背から体を起こし、俺をじっと見た。
「灯台守りの親父は、お前になんと名付けたんだ?」
「エイナー。それが俺の最初の名前です」
「……いくつになる?」
「千二歳です」
彼女が目を細める。
「そういうことか」
「そういうことです」
「とはいえ、千歳ちょっとじゃ、まだまだガキだな」
「そういうアイラさんはおいくつなんですか?」
彼女が再び動きを止めた。
「……お前は、世界最大級のタブーを犯しているぞ」
「へ?」
「女に歳を聞くな」
「でもアイラさんも俺に聞きましたよね?」
「お前は千年生きても、女というものをわかっておらんようだな」
「……申し訳、ありませんでした」
不本意ながらも謝った俺に対して、彼女は満足そうな笑みを浮かべた。
「まあ、私くらいになると、歳なんて気にもせん」
彼女はそう言った後、顎に指をあてた。
「それに実際のところ、わからんのだ」
「どういうことです?」
「働けるようになれば親を手伝い、大きくなれば結婚する。昔はそれで十分だった」
「めちゃくちゃざっくりしてますね」
「今が細かすぎるんだ」
「じゃあ、ご自分ではだいたい何歳くらいだと?」
「まあ、およそ三千歳くらいかな」
彼女の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「三千歳!?鉄器時代が始まった頃から生きてるんですか?」
「鉄?いや、鉄はなかった。若い頃は青銅すら貴重で、滅多にお目にかかれなかった」
「青銅器すら珍しい時代って……」
俺は少し考える。
「アイラさん、その話が本当なら、あなたは五千歳を超えています」
彼女は何も言わず、ただ瞬きを繰り返した。
「……五千歳?」
俺がうなずく。
彼女が急にすがりつくような目で俺を見た。
「封印で千年は寝てたし、どうにか四千歳ってことにならないか?」
「めちゃくちゃ歳を気にしてるじゃないですか!」
「いや、絶対おかしい。五千歳ってもっと、仙人みたいになってるはずだろ?」
「人は変わらないもんなんです。受け入れてください」
「女に年齢のことで正論を言うな」
「すみませんねぇ。千歳ごときに、女心は難しいもんで!」
「小賢しいガキめ」
「それより、いい加減認めたらどうですか?」
「何をだ?」
「あなたはアレクシア・オクタムーアですよね」
彼女は咳払いを一つする。
「そうだ。どうしてわかったんだ?」
「あなたのことはいろいろと知っています」
「お前、何者だ?」
「あなたのことは、全部この本で読みました」
俺が、本棚から一冊の本を取り出す。
読み込まれている古い本は、表紙の角が丸まっている。
「なんだ、それは?」
「賢帝マクシミリアン——隠された日記」
俺はその本を彼女に差し出した。
「マクシムの……日記?」
「そうです」
彼女は眉間に皺を寄せた。
「アイツの日記が、出回っているのか?」俺は雲行きの怪しさを感じ取り、少し躊躇う。
「あー、……そうです」
「故人への冒涜ではないか?」
「……捉え方によりますね」
「じゃあお前は、自分の日記が公開されたと冥府で知ったらどう思う?」
「絶対に、嫌です」
「マクシムが無念すぎる」
彼女は首を振りながら本の表紙を見る。
「エリク・モンベッツォ。こいつが出版したのか?」
「……」
「お前、こいつを知ってるか?」
「まあ、名前くらいは」
俺の昔の名前だということは、今は言わない方がいい。絶対に。
「いつかこいつの日記を見つけたら、公開してやろう」
そういう陰湿な復讐はホントにやめてくれ!
彼女は賢帝の日記を、テーブルに置いた。
「読まないんですか?」
「人の秘密を暴いて喜ぶほどゲスじゃない」
俺は心の中で土下座した。
すみません!その本で儲けさせてもらいました!
彼女は腕を組み直し、顎で俺に話を促す。
「で、マクシムの日記がなんだ?」
「まあ、つまり、その日記の中に、あなたに関する描写があるんです」
「どんな?」
「たとえば、日記序盤には、あなたの美しさを礼賛する言葉と、いくつものスケッチであふれています」
「確かに、マクシムには絵心があった」
「そこからあなたの外見の情報は、ほぼ網羅できました」
「だが他人の空似もあるだろう?」
「ええ、外見だけでは決め手に欠けます。だから、そのシチューなんです」
「これか?」
彼女と俺の視線が、空になった皿に集まる。
俺は日記の一節を読み上げる。
「『第五五章/収穫の月/二十五日
彼の方の気分が優れぬときは、野菜と肉を鶏の出汁で煮込んだシチューを供すべし。さすれば、ほどなく機嫌も良くなられ——』」
「ちょっと待て!そんな子供じみたことはしていない!」
「第三者の証言が一番中立です」
「それから、こちらも——
『第七二章/黎明の月/日付不明
彼の方の寒がりには、まことに困った。本日もまた、寒気甚だしきを理由に、登城の要請を退けられた。この季節、彼の方は十分たりとも外に居られない』」
「……」
「……ちなみに先ほどは、八分半で戻ってきましたよ」
「この極寒でなら悪くない。褒めろ」
「自己評価が高すぎませんか?」
「マクシムなら褒めた」
彼女はそう言って胸を張った。
賢帝は一体どれほど彼女を甘やかしたのだろう。
「まあ、身元がわかってよかったです」
「で、あなたのことは、どうお呼びすれば?」
「先ほど言った通り、アイラでいい。アレクシアの時代は終わった」
「私の方は、お前をどう呼べばいい?」
「エドで結構です」
「そうか。ではエド、お前を見込んでひとつ頼みがある」
アイラさんが椅子から立ち上がり、テーブルの縁を回って俺の方へやって来た。
その表情は真剣で、先ほどまでのやわらいだ空気が、一瞬で張り詰めた。
「アイラは私の最初の名だ。父と母がつけてくれた」
「……いい名前ですね」
「その名を、私の最後の名にしたい」
「最後の……名前?」
暖炉の火が、向かい合う二人の影をテーブルへと映す。
彼女の視線が、俺を射抜いた。
「お前が、私の人生を終わらせてくれないか?」
その言葉に、俺は固まった。
部屋に沈黙が漂う。
暖炉の火が爆ぜる音が聞こえる。
「エド?」
「……」
「エド、聞こえてないのか?」
「聞こえてます」
「では返事くらいしろ」
「何を言えと?俺はあなたに会いたくて、ずっと探してたんです」
「それなのにあなたは、俺の手で人生を終わらせろというんですか?」
俺はどさりと椅子に腰を下ろし、うなだれた。
「なぜなんです……。どうして終わらせるだなんて……」
「お前に会えたからだ。お前を逃せば、次はないかもしれない」
「……次?」
「私を終わらせられる人間に、次も会える保証は無い」
俺は思わず顔を上げ、声を荒げた。
「あなたにとって俺は、人生を閉じるためだけの存在なんですか?」
「何より重要な存在だ」
俺は彼女から目を逸らして俯いた。
彼女が俺の正面に座った。
「私は五千年、満足に生きた。良い人生だったからこそ、未練もない。それなのに、終わりだけがまだ来ない」
「……」
「私の魔力を押さえつけていたのは、相当に強固な封印だった。でも、お前はそれを易々と破った」
「そんなつもりじゃ……」
「今、私は確信している。私を終わらせる人間がいるなら、お前だ」
彼女が俺を見つめる。
「お前は、私が五千年の末に見つけた希望なんだ」
「そんなことで俺を希望だなんて言わないでください!」
俺は再び、大きな声を出してしまった。
「俺にとっては、あなたこそが希望でした。あなたなら、俺の生きてきた時間と感覚を、共有できると信じてたのに」
「お前は私に何を望んでいるんだ?」
「俺はただ——」
そう言いながら、俺は言葉に詰まった。
俺の望みは、大層なもんじゃない。
本当にちっぽけで、幼稚で、でも純粋な本音だ。
「ただ、あなたに会って、自分は一人じゃないと感じたかった」
彼女は一瞬、虚をつかれた顔になったが、すぐに笑い出した。
「お前、ガキだな」
「そうですね。千二歳のガキですよ、俺は」
彼女は瞼を伏せ、何か考えているようだった。
その瞳が再び俺を捉えると、彼女はニヤリと笑った。
「では、そうしよう」
「え?何をどうすると?」
「お子様で寂しがり屋なお前のために、私が最期までそばにいてやろう」
「その“最期”は、俺が作るんですよね」
「ああ」
「めちゃくちゃだ」
「双方に利がある」
「俺はあなたを死なせたくないんです!」
「お前のために永遠に生きろと?」
「それは……違います」
「お前が望む通り、一緒にいてやると言ってるんだ。悪い話じゃないだろう?」
「根本的に矛盾してるんですよ!」
「お前こそ、御託を並べるな」
「考える時間をください」
「いや、今決めろ」
「強引すぎます!」
「強引にもなる。さっきも言ったが、私は次があるとは思っていない」
「……」
「だが、それはお前も同じだろう?」
「え?」
「三百年探してようやく見つけた私を、手放せるのか?」
「……」
彼女は俺に顔を近づける。
「私の人生を終わらせると約束しろ」
俺は顔を伏せた。
「……」
「そうか。では、私もお前に用がないということになるな」
俺は思わず顔をあげ、彼女を見る。
「……します。約束、します」
「契約します、だ」
「契約します!……って、え?」
彼女は俺から顔を離し、体をすっと起こす。
その顔には笑みが浮かんでいる。
「誓ったな」
俺は必死に首を横に振る。
誓ってない!
彼女はそんな俺を無視して、指をパチンと鳴らした。
「契約を締結させろ」
その一言に答えるように、二人の足元に魔法陣が浮かび上がった。
「相互拘束、破棄には代償を」
彼女がもう一度指を鳴らすと魔法陣から光が立ち上る。
「承認」
再度指を鳴らすと、二人の中指が細い光の鎖で繋がれる。
「何をしたんです!?」
「契約だ」
「同意してません!」
「さっきした」
「じゃあ、破棄します!」
「破棄する場合、お前は最も大切なものを失う」
「……命ですか?」
「さあな、お前次第だ。あのクマが大切だと思っていれば、あれを失う」
「置物が欲しいんですか?」
「要らん!私が取るわけじゃない」
「勝手すぎます!」
「よく言う。お前が勝手に私を、岩から引きずり出したんだろう」
彼女は指から伸びた鎖を弄びながら微笑む。
「これがある限り、契約は遂行されねばならん」
彼女が再び指を鳴らすと鎖は見えなくなった。
「疲れた!今日はもう寝る。起こすなよ」
彼女は立ち上がり、背伸びをしながら平然と部屋に戻っていく。
俺は、大きく息を吐いた。
何もかもめちゃくちゃな人だ。
賢帝の日記にはそんなこと一言も……いや?
『彼の方は御心のうちに、何か重荷が隠されている。けれど、彼の方がそれを語ることはない。その重荷を受け取れて初めて、余は彼の方の真の心に触れられるのだろう』
俺は今、その重荷を受け取らされたようだ。かなり強引に。




