魔女の二度寝は長かった
俺は彼女を抱えたまま、ふと思い出した。
「あ、名前、聞いてない!!」
思わず大きな声が出た。
腕の中で、彼女の眉がぴくりと動く。
危ない、危ない。
特徴にピッタリとあう容姿、そして魔境を作り出した膨大な魔力。
「間違いないよな……賢帝の魔女、アレクシア・オクタムーアで」
だが、一糸まとわぬ姿では、身元の確認もできない。
ん?
俺は、彼女の首から下をもう一度見る。
「……全裸だ」
俺は慌てて荷物から野宿用毛布を引っ張り出した。
***
数時間後。
魔力を吸収する壺が、光る魔法陣の上に円形に並び、ブォンと低い音を立てるのを見ていた。
思わず頬が緩む。
「上出来だな」
空を見上げると、大きな竜巻がゆっくりと渦巻き、瘴気を吸い上げている。
「こっちも、よし!」
彼女は、俺が魔力で作ったベッドに、毛布を巻かれて眠っている。
頭の下には、吸魔クッションを敷いてある。
最後に、あいつにも連絡しておくか。
通信用の魔導具で相手を呼び出すと、すぐに繋がった。
「ヨハン、俺だ」
「先生!!無事ですか?そちらから莫大な魔力反応がありましたが!?」
「まあ色々あったんだ」
「ざっくりしすぎです。全部報告書に書いてもらいますからね!」
「俺、辞表書いたんだ。ここに置いておくから回収しといてくれ」
「もう書いたんですか……って、え?辞表!?」
「探してた人が見つかったから、研究所は辞める」
「何を急に!?」
「四、五日したら瘴気も薄まる。転送の魔法陣も刻んどいたから」
「ちょっと!待ってください!」
「じゃあ、あとは頼んだぞ」
俺は通信を切り、魔導具を辞表の上に置く。
辞表の横には、ヨハンから支給された荷物の残りが置いてある。
さてと、できる範囲の後処理は終わった。
あとはヨハンが、何とかしてくれるだろう。
俺は彼女を抱え上げた。
故郷に帰るのは久しぶりだな。
あいつの顔、うまく思い出せるかな?
そのまま目を瞑り、念じる。
(ゴツゴツ、まるまる、サケ、へちゃむくれ)
(ゴツゴツ、まるまる、サケ、へちゃむくれ……)
足元に魔法陣が現れ、光が湧き上がり、俺は真っ白なトンネルに飲み込まれた。
光が引き、再び目を開くと、そこには懐かしい光景が広がっていた。
大きな暖炉、キッチンとテーブル、本棚に詰まった古い本。
豪華ではないけれど、俺にとっては居心地の良いダイニングルームだ。
「こっちはまだ冷えるな」
俺は魔法で暖炉に火を入れる。
暖炉の上を見ると、粗く削り出された木彫りクマの置物が目に入った。
ずんぐりとした体、潰れた鼻、口にはサケを咥えている。
その顔を見ると、思わず顔が綻んだ。
「ただいま」
もちろんクマは応えない。
けれどこの顔は、なんだか俺をホッとさせてくれる。
彼女を客間のベッドに寝かせたあと、俺はやっと落ち着くことができた。
研究所は辞めた。
そもそも、研究所に入ったのは、彼女を探すためだった。
彼女がふらっと古巣の研究所へ戻ってくるかもしれないと考えたからだ。
仕事で訪れた旅先でも、黒髪の女性がいれば声をかけたし、魔力の強い女性研究員が入ったと聞けば話に行った。
でも全て空振りで、気づけば六十年が経っていた。
おかげで俺のことを女好きだとか黒髪フェチだというヤツもいたが、そんなことは構っていられなかった。
人の噂は七十五日。俺の人生は千年以上続いてる。
とはいえ、結局は研究所から派遣された魔境で彼女を見つけることができた。
因果なもんだ。
***
彼女を故郷に連れて帰ってから十日後。
大陸の北端にあるこの地域は、4月に入っても雪が降る。
俺の家は、雪原のそばの高台の上にある。
千年前に住んでいた場所に、数百年前に慎ましい屋敷を建てた。
昔はここにも町があったが、今はうちしか残っていない。
「昨日は、そんなに降らなかったか……」
俺は雪かきをしながら、家の隣の古い灯台跡を見上げる。
昔は親父を手伝って、この灯台にも良く登ったもんだ。
けれど今はもう、半分以上が崩れ去ってしまった。
「うちの灯台も、もう遺跡だな」
雪かきを終えると、俺の新しいモーニングルーティーンが始まる。
「失礼しまーす」
控えめに挨拶して、隣の部屋のドアを開ける。
返事はない。まあ、毎日ない。
「脈とりますよ〜」
起こさないように、でも念のために声をかけて、手首に指を当てる。
脈よし。
呼吸よし。
生存確認よし。
魔力制御のバングルを確認し、枕がわりの吸魔クッションの位置を直す。
そのまま彼女の眠るベッドの端に腰を下ろして、その顔を見つめた。
賢帝の崩御の時期、魔女が姿を消した時期、魔境が形成され始めた時期……。
出来事の流れを追えば、賢帝の魔女があそこにいてもおかしくない。
膨大な量の魔力を岩にしていたことも、彼女の凄まじい魔力量を物語っている。
俺は頭を抱えた。
この人がアレクシアだっていう確度が、ますます上がるじゃないか!
俺の脳裏には激怒していた彼女が蘇った。
三百年探して、やっと見つけたのに、最悪の出会い方をしてしまった。
肩を落としながら扉へ向かい、彼女を振り返る。
「じゃあ、また来ます」
返事はない。いつも通りだ。
ルーティーンはもう一つある。
彼女がいつ起きてもいいように、毎朝食事を準備している。
ダイニングをのぞくと、キッチンカウンターの上で、野菜が切られていた。
俺はニンジンのかけらを摘み上げる。
「ちょっと粗いかな」
切られた野菜と肉を鍋に入れ、シチューを作る。
いい匂いが立ち上ってくるが、少し憂鬱な気分にもなる。
「今日も俺が食べることになるかもな」
***
帰宅から一ヶ月。
外は一気に春めいてきた。
いつものルーティーンを終えて彼女の部屋を出ると、キッチンへ向かう。
シチュー作りは、ほぼ全自動になった。
鍋を覗くと、ちょうど肉と野菜が炒められていた。
「焦げてないな、昨日よりは」
魔法で火加減を調整するのは意外と難しく、いつも少しだけ焦げる。
窓の外を見ると、雪原のあった場所に大きな川が流れている。
「釣りにでも行くか」
俺は、書き置きのメモをつかむ。
ふと見ると、ひと月使い回されたメモは随分ヨレヨレになっていた。
彼女が起きて一番に見るメモがこれじゃあな。
書き直そう。
「食事は暖炉で温めています、と」
それをテーブルに置いて、暖炉の上のクマを見た。
「いってきます」
***
帰宅から三ヶ月。
もう夏だ。
今日も彼女は起きてこない。
いつものメモをダイニングテーブルに置いて、クマを見る。
「いってきます」
釣りはやめて、漁を始めた。
川辺に着くと、大きな石に座る。
魔力で川底に網を編み、一気に引き上げると、網の中でたくさんの元気な尾びれが跳ねている。
「マス、ナマズ、マス、靴……」
靴は放流した。
今日は大漁だ。
休みながらふと視線を上げると屋敷が見えた。
「もう起きないってことは……ないよな?」
***
帰宅から十ヶ月。
街の市場は、暖かい服を着込んだ人たちで賑わっている。
季節はもう冬になっていた。
今日も俺が買うのは、シチューの具材。
買い物を終えて帰ろうとすると、後ろから呼び止められた。
「あんた、エリオットさんとこの人じゃないかい?」
振り向くと、七十歳すぎの老人が立っていた。
俺は笑顔で答えた。
「エリオットは祖父です」
実際は、俺の昔の名前だ。
「やっぱり!あの人の若い頃に、あまりにも似てたから」
「そうですか?」
「そうさ!まるで生き写しだ」
そりゃ、本人だしな。
「あの人には昔世話になった。子供の頃に川で溺れた時に、助けてもらった」
老人は頷きながら、記憶を辿るように話す。
そんなこともあったかも知れない。
「エリオットさんは元気か?」
俺は目を伏せた。
「あー、もう随分前に……」
「そうだよな。わしが子供の頃にあんたくらいの歳だったから」
老人の顔に寂しそうな表情が浮かんだ。
騙してすまない。
けれど、俺の人生は年齢詐称、経歴詐称、偽名に偽称のオンパレードだ。
「そうだ、これ持ってきな!墓に供えてやってくれ!」
老人は袋からりんごを差し出した。
俺は首を振って辞退する。
若者は控えめな態度を演じるに限る。
「そんな!いただけません!」
老人は俺の言葉なんて聞かずに、買い物袋にりんごをいくつかねじ込んできた。
「なんか、すみません」
「いいってことよ」
その顔はなんだか嬉しそうだった。
俺は丁寧にお礼を言ってその場を離れた。
こんな時は、名前を聞かれる前に去るのが鉄則だ。
新たな名前も関係性も、増えれば増えるほどボロが出る。
そのまま裏通りから人目を忍んで家へ転移した。
家では、クマはいつもの顔でサケをくわえてこちらを見ている。
最近じゃ、この顔を見ると、妙に落ち着く。
「ただいま」
肩から雪を払いながら、ダイニングテーブルの方を振り返った時、俺は思わず動けなくなった。
「……」
メモが、ない。
目線を上げるとそこに、一人の女性がシチューをすくっていた。
起きてる!と思ったものの、驚きで言葉が出ない。
「あ……え……」
彼女が目を細めて怪訝そうに俺を見る。
「おはよう、ございます?」
「……誰だ、お前?」
へ?
「……覚えて、ないんですか!?」
俺は思わず一歩前に出た。
「それ以上、来るな」
彼女の表情が固くなる。明らかな拒絶だ。
「いや……あなた、言いましたよね……」
「何をだ?」
「『お前の顔は覚えたぞ!』って!」
彼女は首を傾げる。
少し間があって彼女の目が見開かれる。
「あーっ!!」
彼女は立ち上がり、テーブルにドンと手をつき、前のめりになって声を上げる。
「お前、あの時の向こう見ずなバカか!」
一瞬の沈黙が部屋を支配した。
「それが……、第一声ですか?」
「他に何がある?」
「お礼とか、言えないんですか?」
「勝手に引きずり出して、英雄を気取るな」
「俺が引き出さなきゃ、ずっと岩の下でしたよ」
「お前は人を崖から突き落としてから受け止めて、恩を売るタイプか?」
「どういう例えなんですか!?」
「岩の中で問題なかった。助けなんて求めてない」
「あの日から十ヶ月、毎日世話してきたんですよ」
「……世話になった、とだけは言っておく」
彼女はテーブルを離れ、去ろうとする。
いや、ちょっと待て、勝手すぎるだろう!
俺だって、ここで引き下がるわけにはいかない。
「そうですか。では、腕のバングルも返してもらいましょう」
彼女がこちらへ振り返った。その瞳が揺れている。
「それは……困る。これがあると体がすごく楽だ」
「魔導研が作った珍しくまともな魔導具ですからね」
「魔導……けん?」
「元々はあなたが作った魔力け——」
そこまで話して、言葉を止めた。
ずっと岩にこもっていた彼女を、これ以上混乱させても仕方がない。
それに、話すべきことはもっと他にある。
「とにかく、私はずっとあなたを探していたんです。アレクシア・オクタムーアさん」
彼女の動きが止まった。そして腕を組む。
「そういうお前は誰なんだ?」
「失礼しました。俺はエドヴァルド・ラノフ。あなたと同じで——」
「知らんな」
「え?」
「お前のことも、そのアレクシアなんとかのことも知らん」
彼女は再び去ろうとする。
「私はアイラだ。お前の探し人じゃない。失礼する」
俺はその姿を見送りながら、唖然とする。
嘘だろ?俺は見当違いの女性を十ヶ月も世話してたのか!?
いや、でも……。
そう思いながら、テーブルの上の空になったシチューの皿を見る。
市場で会った老人の顔も頭を掠めた。
俺だって、似たようなことするよな。
「おい」
気がつくと、玄関に向かっていたはずの彼女が、俺の目の前にいた。
「うわあ!なんです?」
彼女は俺の手を掴んで、何か握らせた。
「十ヶ月間の礼だ」
見ると金貨が数枚。
「いや、要りませんって」
「礼だ。取っておけ」
それだけ言って、彼女は今度こそ、扉から出て行った。
俺は窓際に行き、外を見る。
雪の上を遠ざかっていく彼女が見えた。
俺は手のひらの金貨をもう一度見た。
それは間違いなく賢帝の時代の金貨だった。
「大丈夫。彼女が誰なのかは、十分以内にわかるはずだ」
俺は、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。




