こんなところで魔女爆誕
「お前が、私の人生を終わらせてくれないか?」
その言葉で、俺の思考は停止した。
俺は彼女を三百年探し続けていた。
そして、ようやく見つけた。
それなのに、彼女は自分の人生を終わらせようとしている。
俺の手で。
***
十ヶ月前。
魔法陣の中に白い光が引いていく。
杭を並べて地面に打ち込んだ高い木柵の向こうに、澱んだ瘴気が見える。
魔境だ。
俺はため息をついた。
「まさか魔境に、来ることになるとはな」
その時、後ろから声がした。
「お久しぶりです、エド先生」
振り返ると、どこか見覚えのある五十代くらいの男が立っていた。
記憶を辿ると、相手はすぐに見つかった。
ただし、今よりも十歳は若い顔だ。
「ヨハン!老けたな」
「先生、再会して第一声がそれですか?」
ヨハンが笑う。
ヨハンが新人だった頃に俺が色々と指導してから、やつは俺のことを先生と呼ぶ。
だが、昔の細身なヨハンの面影は、もはやほとんどない。
腹が出て、髪には白いものが混じっている。
「笑い方だけは、昔と変わらないな」
「先生は三十年前から、憎たらしいほど変わりませんね」
「もう、慣れただろ?」
ヨハンは俺の顔をじっと見ると言った。
「しわ一つ無い……。とても八十歳には見えません」
「そのうち老けるさ」
俺は目を伏せ、力なく笑う。
並の人間の2倍は生きると言われる長寿者でも、八十歳になると流石に老いが顔に出る。
俺が自分の体のおかしさに気付いたのも、その頃だった。
その後、何年経っても俺の見た目は二十代のままだ。
「そのセリフ、十年前にも聞きました」
「そうか?じゃあ十年後にもまた聞いてくれ」
「その頃には、私はもうヨボヨボかもしれませんよ」
ヨハンが肩をすくめて笑う。
その冗談を、俺は笑えなかった。
ヨボヨボになったヨハンの横で、変わらぬ姿のままでいる自分を想像できたから。
ヨハンが、キャンプ中央の塔を指さした。
「まずは、観測塔へご案内しましょう」
「キャンプの責任者が直々に案内してくれるとはありがたい」
「研究所の名誉顧問様が、魔境くんだりまでお越しくださった訳ですから」
俺たちは、ゆっくりと歩き出した。
魔法陣の中に白い光が引いていく。
塔の足元から最上部まで転送魔法で登ってきた俺の目の前には、瘴気が渦巻く魔境が広がっていた。
黒い岩が続く荒野。禍々しいまでに濃い瘴気のせいで、奥の様子はうかがえない。
俺は観測台の縁へ近づき、魔境を一望する。
「こんなにデカくなったのか」
「前にも、いらしてたんですね」
「……まあ、昔な」
前にここにきてから、もう五百年は経つかもしれない。
当時の魔境はもっとこじんまりとしていた。
ヨハンが後ろの机で魔境の地図を広げ、中心を指す。
「先生にはここを目指してもらいます」
俺はそれを一瞥して答えた。
「嫌だ」
「仕事を受けてくれたんじゃないんですか!?」
「見ろよ、あの瘴気。人間が行く場所じゃないだろ」
「まあ確かに。部下が何人も倒れました」
「そんな危険な場所に送り込むつもりで、呼んだのか?」
俺はヨハンをギロリと睨んだ。
「でも、先生なら大丈夫です!瘴気への耐性は、魔力量に比例しますから」
「俺の魔力量をあてにしての話ってことか……」
俺はため息をついた。
「で、中心には何があるんだ?」「魔境発生の地点とされる大岩。通称、魔王城です」
「たいそうな名前だな」
「ちなみに、魔王は確認されていません。ご安心ください」
「いてたまるか!」
そこで急に、ヨハンが真剣な表情になる。
「魔境深部は我々にとっても未知です。危険を感じたらすぐに退避してくださいね」
「……わかった。行くだけで、いいのか?」
「途中で瘴気濃度の観測と、転送用魔法陣の設置もお願いします!」
「……俺をおつかいに使うなよ」
俺は再び、どんよりとした魔境を見下ろした。
さっさと終わらせて帰るか。
こんな場所にあの人がいるはずもないしな。
彼女が隠れるなら、きっと人の中だ。
こんな辺境にいるはずもない。
だから俺も、さっさと帝都に戻りたい。
***
三日後。
俺は黒い荒野を一人で歩き続けていた。
そしてついに、魔境の中心部に到達した。
しかし、予想外のことが一つあった。
「大岩って聞いてたんだが……」
目の前にあるのは、そそり立つ崖だった。
どう見ても岩山だ。
俺は通信用の魔導具を取り出し、ヨハンを呼び出す。
「ヨハン、聞こえるか?」
呑気なヨハンの声が聞こえる。
「あ、先生。そちらは変わりありませんか?」
「中心部に着いた。魔王城が、岩山になってるぞ」
「まさか、そこまで増殖が進んでいたんですね!けれど、魔境の増殖を考えると不思議ではないですね。ここ数十年の増殖スピードは——」
「あと、瘴気計の針が振り切れた」
ヨハンの声がやんだ。
「……先生、なんでそこで生きていられるんですか?」
「生きてちゃ悪いか!」
「いえ、やはり先生に任せたのは正解でした!」
「魔法陣だけ設置して帰るぞ。通信は以上」
俺は通信を切って、荷物の中身を確認した。
中から出てきたのは、使い道が判然としないふざけた魔王対策グッズだった。
魔力出力の抑制バングル(自動装着機能付き)
魔力を封じる壺(容量500%アップ!)
吸魔クッション(魔王も納得のもっちり感)
『万が一、魔王がいたらお使いください。ヨハン』
「あいつ、後で説教だな」
その時、低いくぐもった声がどこからか響いた。
「……れ」
驚いて周りを見回すが誰の姿もない。
声は続く。
「去れ」
全身に緊張が走った。
もしや、魔王!?実在してたらシャレにならねぇぞ。
再び声が響く。どうやら岩の中から聞こえるらしい。
「ここは危険だ。すぐに去れ」
……心配してくれてる?ヨハンにすら心配されなかった俺を?
俺は思わずその声に応えた。
「あんたは、何者だ?」
自分の口から発せられた言葉を聞いて、俺は信じられない思いに駆られた。
「古代語だ……」
俺たちが話している言葉は、数百年前に消えた俺の母語だった。
話せるやつが、まだいたのか!?
俺は、完全に舞い上がった。例えるなら、砂漠の真ん中でプール付きのかき氷屋を見つけた気分だ。
俺は、ひざまずいて地面に向かって語りかける。
「兄弟!あんた、ここで何をしている?」
「……」
相手は何も答えない。
「おい、どうした、兄弟?」
岩の中から、絞り出すような声がする。
「お前の兄弟になった覚えはない」
「そりゃそうだ。今なったばかりだからな」
その時、岩山の複数箇所で岩が割れ、瘴気が噴き上がる。
「気が散ると封印が維持できない。去れ」
「封印?何を封印している?」
「私の魔力だ。暴走すればお前も消し飛ぶ」
魔境で、魔力を封印している。
その言葉に俺は戸惑った。
「……あんた、もしかして封印された魔王なのか?」
相手からの答えまで、一瞬の間があいた。
そして、相手の声もまた、戸惑っていた。
「は?魔王?」
そして嘲笑うかのような声で聞き返す。
「お前、もしかして子供なのか?」
「れっきとした大人だ!魔境の岩から声がするなんて、どう考えても魔王案件だろう!?」
「魔境?」
「この黒い岩と瘴気の世界のことだよ」
「岩は、私の魔力を固めたものだが?」
「岩があんたの魔力!?じゃあ、魔境を作ったのはあんたなのか?」
「呼び名など知らん。私はここで眠りたいだけだ。さっさと去れ」
ちょっと待て。
兄弟の話が本当だとすれば、この広い魔境は兄弟の魔力で作られている。
そして兄弟は、古代語を話す。
一体いつからここにいる?
そして、微かな希望が俺の中で頭をもたげた。
もしかしてこいつも、俺と同じ不老の身なのかもしれない。
俺は荷物を引き寄せ、中を探りながら語りかけた。
「もし魔力の制御ができたら、あんたはそこから出てこれるのか?」
「簡単にできたら苦労はせん」
「出してやるよ」
「遠慮しておく」
「遠慮するなよ。久しぶりに母語で喋れたんだ。顔を見て話したい!」
その時、再び岩が崩れて瘴気が噴き出す。
「よし、封印が完全に崩壊する前にやるぞ!大丈夫だ、たぶん」
「たぶんに命を賭けるな!」
「ちょっと揺れると思うけど耐えてくれよ」
「待て!集中力が途切れるとまた封印が——」
瘴気が吹き上がる轟音の中、俺は詠唱を始めた。
「——汝が内に眠る神秘なる力よ、我が呼び声に応えよ。
器を離れ、新たなる宿主を満たせ——ドレイン!」
「……」
「……」
「何も起こらないが?」
「……何も起こらないな」
「吸収魔法でいけると思ったんだが」
「もういい。頼むから取り返しのつかない失敗をする前に、ここを離れろ」
「俺は自分の仮説を検証する時が一番ワクワクするタチなんだ」
俺は足元の岩のかけらを拾い上げ、考える。
(吸収魔法は効かないのは、対象が人ではないからか?だとしたら……ああ、そうか!)
「原因は理解した」
「早すぎるだろ!浅慮は身を滅ぼすぞ」
「いや、次は大丈夫だ」
「根拠は!?」
「ある。ただ、問題もある」
「は!?」
「次の失敗の原因は、検証しないとわからない」
「検証してからやれ!」
俺は両手を岩に向けて目を閉じた。
対象の指定、挙動の指示、魔法のイメージを明確かつ具体的にすればきっと……。
「——硬き巌に閉ざされし神秘なる力よ、
器を砕き、新たなる器に喰らわせよ——デヴォア!」
次の瞬間、空が光り、岩山を覆うほど巨大な魔法陣が顕現した。
岩山に、亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。
揺れが強まる。
「何が起きてる?何をした!?」
「仮説の検証だ!」
ついに山頂付近の岩が音を立てて砕けた。
そしてその破片は浮かび上がっていく。
破片は炎に包まれ消滅し、緑色の光だけが残る。
残った光が、蛍の群れのように宙を舞っている。
「きたきた!成功だ!」
魔力を吸収する壺を掲げると、緑の光が一気に集まってきた。
「やったぞ!あんたをそこから出せそうだ!」
けれど。瘴気の噴出は止まらない。むしろ、その勢いは増している。
岩の下から、苦しそうな声が上がる。
「時間切れだ。もう持たない」
「ちょ、ちょっと待て!今、引っ張り出してやる!」
これは、急いで救出に取り掛からないとやばそうだ。
俺が両腕を前に伸ばすと、それを包み込むように、青い光が指先まで伸びていく。
光は指先からさらに伸び、両腕の先に、魔力で作られた半透明の大きな腕ができあがる。
腕は弾力があり、スライムのような質感だ。
その両手にバングルを持たせ、地中に滑り込ませた。
腕は奥へ奥へと進む。
バングルが震え出し、装着相手を探し始めた。
「まさか、自動装着機能が役に立つとはな」
「うわっ。何だこれ。私の腕に何を着けた!?」
どうやらうまくはまったようだ。
「よし、このまま地上に出すからな」
俺は魔力の手で相手を包み、慎重に地上へ引き上げる。
「思ったより小さいな、兄弟。あんたこそ子供なんじゃないのか?」
「れっきとした大人だ!」
黒い岩の裂け目から、小さな人影がゆっくりと引き上げられてくる。
なんとか無事救出できそうだ。
「やあ、ぼうず。よく頑張った……な」
だが、引き上げられた人物の姿を見て、俺は息を呑んだ。
長く黒い髪がたゆたっている。
現れたのは、一人の女性だった。
「どれだけ危険だったと思ってる!?」
彼女は激怒していた。
「お前も吹き飛ぶ寸前だったんだぞ!!」
魔法の腕を縮め、彼女の体を引き寄せる。
俺の視線は、彼女の顔の一点に吸い寄せられた。
怒りの言葉を吐く、よく動く口の横の、小さなほくろ。
そして目線を上げると、薄紫色の瞳が見えた。
彼女の顔全体にピントが合った時、何年も岩の下で魔境を増殖させていたとは思えないほど若く見える容姿が、浮かび上がった。
俺は直感した。
この人だ!
三百年前に、彼女のことを初めて書物で読んだ時のことを思い出した。
本には、こう記されていた。
『彼の方はこの二百年間、寸分違わぬ美しさを保っておられる。二十歳過ぎにしか見えぬその姿で、悠久の時を……』
その言葉に衝撃を受けた。
百五十年生きたやつは何人か知っている。
二百年以上生きた人物もいる。
だが、みんな老いた。
けれど、その書物の中の「賢帝の魔女」は、老ない。
この魔女は、ただの長寿者じゃない。
俺は書物に書かれた魔女の人相描きを何度も眺めた。
いつか、彼女を探し出せるように。
黒髪、薄紫色の瞳、口元のほくろ。
今、俺の目の前には、書物で見たあの顔がある。
動いている。
怒っている。
……生きている。
「顔は覚えたからな!」
吐き捨てるように彼女は言った。
両腕のバングルを見ながら、なおも怒声はやまない。
「まったく余計なことをしてくれた!」
彼女の怒りに燃えた眼が俺を捉えた。
「これでまた、終わりのない時間に連れ戻された!」
……え?
その言葉に一瞬の違和感を覚える。
俺は、何をしてしまったんだろう?
考える間も与えられぬままに、彼女の体がゆらゆらと揺れ始めたのが見えた。
「今は寝る!起きたら覚悟しておけ!途中で起こしたりしたら、承知……しない……からな」
彼女の言葉は急速に勢いを失う。
次の瞬間、彼女の身体は糸が切れたようにぐったりと力を失う。
俺は慌てて抱き止める。
重みがずしりと腕に伝わった。
「おい!大丈夫か!?」
その声に彼女が応える様子はない。
ただ、寝息だけが返ってきた。
「……寝た?」
三百年かけて、ようやく見つけた魔女。
俺と同じ、悠久を生きてきた人物。
けれど彼女は、その長い人生を『終わりのない時間』と呼んだ。




