黒歴史に時効なし
同じ作業を続けて五日目。
シーラが本を満載にしたワゴンを押して、第三閲覧室へ入ってくる。
ワゴンを倉庫の入り口の前まで持っていくと、そこには床に刻まれた魔法陣の上に返却用の本が満載されたワゴンが乗っていた。シーラはそれを魔法陣からおろして、次のワゴンと交換する。本がひとりでに浮き上がり、倉庫の中に入っていった。
作業が面倒すぎて即席で組んだ魔法だが、結構うまく機能している。
窓辺で、何かの本を熱心に読んでいたアイラさんが立ち上がった。
「エド、魔導について聞きたいことがある」
壁の横に置かれた古い机で本を読んでいた俺が呼ばれた。
アイラさんが積極的に何かを聞いてくるなんて、珍しいこともあるもんだ。
「なんです?」
「この本を知っているか?」
アイラさんが差し出した本の表紙を見た。
『魔導〜魔力の新しい行使方法〜』
その瞬間、俺は一瞬動けなくなった。全身から血の気が引いていくのを感じた。
「魔導の初期理論……ですよね」
できるだけ表情を変えず、声を絞り出す。
心臓だけが早鐘のように打っている。
「ああ、かなり古い。そして、興味深い」
「古代語で書かれた本が、まだあったんですね」
「おかげで全部読むことができた」
そう言って彼女はニヤリ笑った。
嫌な予感がした。
「どうした?顔色が悪いぞ」
「いえ。気のせいですよ」
アイラさんはもう一度、本に目を落とした。
「エイナー・オ・コッペ著か。ふぅん」
「き、北ではよくある名前ですよ」
「だろうな。私も同じ名前の知り合いがいる。灯台守りの息子だ」
「それは俺のこと、ですよね?」
「そうだ、お前もコッペ出身じゃなかったか?」
「コッペ?はて?なんのことです?」
「シア川河口の港町。大灯台のある良港。クマの置物の土産が有名だ。昨日シーラが教えてくれた」
「……」
すでに、そこまで知っているのか。
「き、き、聞きたいことって何です?」
俺は全てを覚悟して、アイラさんを正面から見据えた。
彼女はおもむろに本を開くと、なぜか「はじめに」を朗読し始めた。
「『魔法界を根底から覆す。そんな野望を抱え北の果てコッペからやってきて、いく年月が経っただろう』」
「音読する必要あります?」
「『私はついに魔法界を、いや、世界を変えうるかもしれない一つの理論に到達した』」
「やめてください」
「なぜだ?」
なぜって、俺の青臭い黒歴史を掘り返さないで欲しいからに決まってる!
エイナー・オ・コッペ、つまり二十五歳だった頃の俺を殺してやりたい。
いや、もう死んだことになっているが。
「アイラさんは加虐の趣味をお持ちなんですか?」
「私は書かれていることを読んでいるだけだ」
アイラさんが小さく肩を振るわせる。いっそ笑い飛ばしてくれたほうが気が楽だ。
「しかし、ずいぶん大きく出たな」
「若かったんでしょう」
「お前よりか?」
「……あえていうなら、同世代です」
そこへイリスが戻ってきた。ワゴンには行政官報が満載されている。
読み込み分野のジャンルを広げようとは言ったが、そこまで必要かは疑問が残る。
アイラさんの手元を覗き込んで声を上げた。
「その本、初期魔導理論ですよね?」
「知っているのか?」
「もちろん。エイナー・オ・コッペ。魔導史では有名ですよ」
やめろ。
「ただ、その本自体は発表当時ほとんど評価されなかったんです」
「そうなのか?」
アイラさんが俺を見る。
「当時は魔法が主流でしたから。魔導のように魔力を外部の術式に流すなんて、面倒なだけだと思われたみたいです」
「汎用性が上がるのにか?見る目がない連中だな」
「……まあ、そうですね」
少し嬉しい。
「それで、このエイナーという男はどうした?」
「さあ。顧問、知ってます?」
俺は思わずむせ込んだ。
「ごふっ、ごふっ、おえ」
「顧問、大丈夫ですか!?」
「お、俺は専門外だから、わからない」
「エド様、お水をお持ちしました」
シーラが差し出した水を奪い取るようにして飲み干す。
頼むイリス。もうこれ以上この話を深掘りするな!
「オ・コッペ自身のことはわかりませんが、彼の理論は、長い間忘れられていました」
「ほう」
「それを四百年くらい後に、別の研究者が発掘したんです」
「誰だ?」
イリスは少し考えた。
「確か……ロベルト・アディンだったかな」
「へえ」
アイラさんが俺を見る。
俺は首を振る。
濡れ衣だ。アディンは本当にただの赤の他人だった。
「なんだ。別人か」
「なにがです?」
イリスが不思議そうな顔でアイラを見た。
「いや」
彼女はまた本へと視線を戻す。
「エイナーが種を蒔き、四百年後にアディンとやらが育てたわけだ」
「まあ、そんな感じですね」
俺は耐えられなくなって窓の外を見た。
なんの心の準備もないまま黒歴史と向き合うのは、想像以上に苦行だった。
十八歳の俺は、自分なら世界を変えられると本気で思っていた。
魔法は、使い手の能力やセンスに依存しすぎることが長きにわたる課題だった。
術式を外に出して、魔力を流すと術が発動する魔導にすればその問題は解決する。
これを思いついた時、革命だと思った。
「コッペから来ました、エイナーです」
そう言って意気揚々とアレクシア記念魔力研究所に入った。
二十歳で出した論文は、誰にも相手にされなかった。
二十五歳で書いたこの本も売れなかった。
何年か粘ったが、やがて俺自身も魔導という概念に興味を失った。
そして四百年も経つ頃には、そんなものを書いたことさえ、忘れかけていた。
そこへ、俺の本を掘り起こす物好きが現れた。アディンだ。
『エイナー・オ・コッペの理論には、現代魔法研究が見落としてきた重要な示唆がある』
すでに著名な研究者だったアディンの言葉はすぐに注目され、その結果、俺の論文も注目されることになった。
俺は久しぶりに自分の書いた本を読み返してみた。
文章がとにかく若く、その青臭さはむせかえるほどだった。
世界を変える。
歴史を変える。
新時代を切り開く。
昔の自分は、やたらと何かを変えたがっていた。
だが、理論そのものは悪くないとも感じた。
むしろ四百年分の知識を得た頭で読み直すと、当時の自分が何を掴みかけていたのか、よくわかった。
だが、この青すぎる文章が自分の手によるものだと明かすつもりは一生なかった。
だから、他人のふりをして、できるだけ目立たぬように、少しだけ魔導の普及を手伝ったりもしていた。
「そうそう。アディンが基礎を育てた後に、その技術を普及まで導いたのは、また別の人物なんです」
「ほう、まだいるのか」
「ええ、モンベッツォという人です。確か今から三百年くらい前ですね」
「モン……ベッツォ……」
「今の世界の基盤を作った功労者といえば、むしろ彼の方かも知れません」
俺は飲んでいた水を吹き出した。
「ちょっと、顧問!?本当に大丈夫ですか?」
「エド様、タオルをお持ちしました」
まずい!これ以上、アイラさんに思い出されては困る。
イリス、頼むから口を閉じてくれ!
「ええっと、なんの話でしたっけ?」
「モンベッツォのことだ」
「そうそう。エリク・モンベッツォ!」
フルネームやめい!
「彼は多才だったようで、古代語で書かれた文学を現代語に訳したりもしてました」
余計なことは言わんでいい!!
「どんな本だ?」
「代表作は劇にもなってます。賢帝と彼に仕えた魔女の——」
「イリス!!そろそろ作業に戻った方がいいんじゃないか?」
イリスは俺に言われて倉庫の方を見る。シーラが一人で黙々と作業をしているのが見えた。
「あ、シーラさん!ごめんなさい!!」
イリスはシーラの方へと駆け寄った。
ふぅ。
俺は小さく息を吐いて、思わず近くの椅子に座り込んだ。
とにかく、最大の危機は去った。
「モンベッツォか。会ってみたかった」
アイラさんの目が細くなった。
前言撤回。危機はまだ去っていない。
二人きりになった窓辺で、アイラさんが俺の方へ顔を向けた。
「エド」
「はい」
「こっちを見ろ」
目を合わせたら負けだ。俺は窓の外を見た。
ナチョは今日も平和だ。そう、平和なはずなんだ。
「エド」
「……」
「お前、日記を書いてないか?書いているなら今すぐ私に渡せ」
エドはこれまでにいろんな偽名を使っていますが、苗字にあたる部分は北海道の地名から取っています。どの町の名前かわかってもらえたら嬉しいです。




