終わりがあるから楽しいのです
図書館での情報読み込み作業は、シーラの調整を繰り返しながら一週間続いた。
「情報の取得量の最低ラインは超えたと思います。大きな偏りは見られません」
俺は昨日から、シーラとさまざまな会話を交わし、彼女の現代語の出力に問題がないか確認していた。
「そうか。では、最終チェックだ」
そういうと、アイラさんは、一冊の本をシーラに手渡した。
「シーラ、この本を現代語に訳せるか?」
「はい。『『魔法界を根底から覆す。そんな野望を抱え北の果てコッペからやってきて——』」
「ちょいちょいちょい!アイラさん!シーラに何を翻訳させてるんです!?」
「私も古い文献を翻訳してみようと思ったんだ。モンベッツォを見習って。それができるか確かめたい」
だめだ、この人は俺に日記がないとわかって、別の方法で賢帝の仇討ちをするつもりだ。
「ひとまず今は、シーラの現代語レベルのチェックだ。イリス、翻訳が自然か聞いてやってくれ」
「はい」
「では、続きから。『そんな野望を抱え北の果てコッペからやってきて、いく年月が経っただろう。私はついに——』」
「俺、ちょっと外でナチョでも食ってきます」
「そんな時間はないぞ」
「え?」
「シーラのチェックが終わったら、ここを発つ」
「……次は、どこへ?」
「オクタムーアの森だ」
***
俺たちは、昇降機で丘の麓の駅まで降りてきた。
一週間世話になった図書館とも今日でお別れだ。
麓の駅からは街の外に向かって街道が伸びている。
「オクタムーアでは何を?」
「あそこには長く住んだからな。ほったらかしてきたものも多い」
「ではメメントになるものもありそうですね。アイラさんの転移魔法で行きましょう」
「いや、歩いて行かないか?」
「え?」
「この千年で変わった世界を、ゆっくり見てまわりたい」
「オクタムーアまで数日はかかりますよ」
「昔はみんな歩いてた」
「坂があっても、昇降機があるとは限りませんよ」
「まあ、シーラとお前がいればなんとかなるだろう」
「……おぶれってことですか?」
「なにか魔導具があるんだろう?」
「そんな便利な魔導具ありませんよ!」
無茶苦茶だ。
「歩いて行くなら、この街道先に美味しいアイス屋さんがありますよ!」
イリスがご機嫌に語り出した。
「イリスさんは食べ物のことをよくご存知ですね」
「牧場があって、とれたての牛乳で作ってるんです。早く行かないと、売り切れちゃいますよ」
イリスが足早に歩き出した。
シーラもそれに続く。
俺たちは後に残された。
さっきのアイラさんの言葉は、意外だった。
この前まで人生を終わらせたいと言っていたのに、今はこの世界に興味を持っているようだ。
少なくとも、旅を楽しんでいる。
もしかして、気が変わったのだろうか?
「なんだ?」
彼女の顔を見ていたことに気づかれた。
「いや、その……」
俺は前を向いて頭をかく。
「アイラさん、このままずっと旅を続けましょうよ」
「ああ、そのつもりだ。オワラまではまだ遠い」
「そうじゃなくて、人生を終わらす必要なんてないじゃないですか」
「いや、必要なんだ。終わりがあるから旅も楽しめる」
「どういうことです?」
俺は彼女を見た。
「私の人生は、ずっと終わりが見えなかった。だから自分の人生を終わらせる準備をするなんて、考えたこともなかった」
アイラさんは先を行くシーラとイリスを見て、目を細めている。
「この旅は、私にとってはかなり贅沢なご褒美だ。楽しまないと、損だろう?」
そう言うと、彼女は足早に進み始めた。
少し先には、イリスとシーラが楽しそうに歩いているのが見える。
けれど、俺の足は重くなり、やがて止まった。
彼女の背中がどんどん遠ざかっていく。
「待ってください!」
俺の声に彼女が振り向いた。
少し気だるい表情が浮かんでいた。
「生きていれば、その楽しさがずっと続くんですよ!」
咄嗟に言葉が口をつく。けれど彼女は首を傾げて問い返した。
「そうじゃなかったから、私を探してたんじゃないのか?」
「……じゃあ、これから、今から楽しいことを探しましょうよ!」
しばしの沈黙の後、彼女が口を開いた。
「それは違う」
彼女の視線はまっすぐと俺に向けられている。
「終わりがない人間にとって、『今から』なんて言葉がどれほど厄介か、お前も知っているだろう。今何かを始める理由なんてないんだから」
俺は目を伏せ、何も言えなくなった。
「私はそれを何千年も続けて、“今”への興味をどんどん失ってしまった」
彼女が岩から出てきた時、彼女はこう言っていた。
『終わりのない時間に連れ戻された』
その言葉の意味も、重さも、俺にはまだわからない。
俺は彼女の五千年をまだ知らない。だったら——
「俺、この旅を通して、あなたの人生を理解します。あなたの最期を引き受けるか決めるのは、それからでもいいでしょう?」
「先延ばししてどうなる?それに、破棄には代償が伴うんだぞ」
「それでもいいです。あなたを探すのに三百年を費やしました。俺にとってあなたは、代償分の価値があります」
「三百年も探していたのに、肝心の私の願いは聞かないんだな」
呆れた顔で彼女が言った。
俺はふと賢帝の日記の一節を思い出した。
『余は時折、思う。余が彼の方の望みに応えることをやめてもなお、彼の方は余を傍に置かれるのだろうか、と。
されど、それを確かめる勇気はない。
ゆえに余は、ただ彼の方の為に働き、傍に在るに値すると示すほかない』
賢帝は彼女のそばにいるために、彼女のために働き続けた。
けれど、俺が同じようにすれば、彼女を永遠に失ってしまう。
ふぅ。
重い息が漏れた。
気がつくと、自分の手を見つめていた。
中指にあるはずの魔法の鎖は、今は見えない。
けれど俺は、完全にこの鎖に絡め取られてしまっている。
なんとも厄介な契約を結んでしまったものだ。
「エド、置いていくぞ」
その声で現実に引き戻された。
彼女は俺を待ってくれていた。
「今行きます」
俺は駆け寄り、並んで歩き出す。
彼女の五千年を知った後、俺はどんな答えを出すのだろうか。




