↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大手退魔会社のコンプラ室に異動したら、怪異被害は全部「人災」でした 〜安全装備を半分に減らした役員を、社内文書だけで失脚させます〜  作者: 氷室 累


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/61

第59話:名を取り戻す

 是正勧告は、過去にも遡った。


 特別調査委員会は、安全投資抑制方針の影響を受けた過去の事故を洗い直すよう、会社に求めた。「本人の不注意」で閉じられていた案件が、一つずつ開かれた。削られた安全が、先にその人を選んでいたのではないか。その視点で。


 立花物流の森下和也の件も、その一つだった。


──────────────

労働災害 再認定に関するお知らせ(立花物流/写)


 先の「本人の重大な過失」を理由とする給付制限を、撤回する。

 当該事故は、契約先(退魔株式会社)による結界保守の不履行が、

 重大な一因であったと認められ、労働災害として、再認定する。

 給付制限に伴う不利益は、遡って、是正する。


 ※本件の再検証は、退魔株式会社 特別調査委員会の是正勧告に基づく。

──────────────


 「本人の不注意が」サトルは、その写しを見て言った。「消えた」


 「消えたんじゃありません」椎名は言った。「取り戻したんです。森下さんの名前を。あの人は油断して倒れたんじゃない。守られるはずの場所で、守られなかった。……それがやっと、記録になりました」


 森下はまだ意識が戻っていなかった。だが、妻の加奈から短い連絡があった。「主人の名前が戻りました。娘にいつか話せます。お父さんは悪くなかったんだよ、と。……ありがとうございました」。サトルは、その文面をしばらく見ていた。制度は命を戻せない。だが、名前は取り戻せた。数字にされた一人を、もう一度、名前のある人間に戻すこと。それが、この二か月の意味だった。


 守った証言者たちにも、それぞれのその後があった。的場ユカは関東第二班で、いまも現場に立っている。篠田は地方支社から一度本社に呼ばれ、当時の証言を正式な記録に残した。三年前、番号のつかなかった彼の声が、ようやく番号を持った。予防退魔事業部の峰岸は、点検班の立て直しに加わっていた。間引かれた周期を規定に戻す、その作業に。守られた者たちが、次の現場を守る側に回っていた。


 相良は株主総会で再任されなかった。予定通りに。社外取締役の席を失って会社を去る、その日、サトルと椎名はエントランスまで見送りに行った。


 「椅子は」相良は言った。「無くしました。でも、悪くない取引でしたよ。……椅子一つで、方針が一つ撤廃された。安いものです」


 名を残さない男を倒すために、名を残して去る男がいた。サトルは深く頭を下げた。


 その夜。窓口には、また二人だけになっていた。椎名は机の上に、あの事故綴りのコピーを置いていた。業界安全連絡会の綴り。No.13。二〇一八年十月。シンワ綜合ビル。従業員一名死亡。


 「姉の件は」サトルは静かに聞いた。「……どうなる」


 「別の会社です」椎名は言った。「八年前の。うちの特別調査委員会が直接是正できるものではありません。……でも」


 椎名は、そのNo.13の行を指でなぞった。


 「業界安全連絡会に、この綴り全体の再検証を申し入れました。相良さんが去る前に繋いでくれた伝手で。……No.13の『従業員一名』に名前を載せるところから。椎名アヤ。二十四歳。八年、番号のなかった姉に番号をつけるところから始めます。……時間はかかります。相手は一社じゃない。業界全体です。財前が言った通り。安全をコストと呼ぶ声は、まだ鳴っている」


 サトルは、その横顔を見た。八年前、証拠がなくて卓にすら着けなかった女。その女はいま、姉の名前を取り戻す、その長い戦いの入口に立っていた。今度は証拠の集め方を知っていた。番号の残し方を知っていた。もう「気のせい」で消させはしなかった。


 「……手伝うよ」サトルは言った。


 椎名は少しだけ間を置いた。それから、いつもの平板な声で言った。


 「手順が、多いですよ」


 その口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。八年ぶりに、その重い荷を一人で抱えなくてよくなった人の顔だった。

 九鬼の事件から始まった二人の窓口に、また――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。