第28話:笑顔が、凍る
四月二十八日、午前十時。本社の、役員会議室。
長い卓の、奥に、役員が、並んでいた。議長席の、社長。その脇に、人事担当役員の、大鷲。少し、離れて、経営企画担当役員の、財前。末席の、参考人の椅子に、サトルは、腰を下ろした。椎名は、随行者として、その後ろに、立った。手には、申立書の、控え。表情は、動かない。
「本日、発令の、方ですね」
最初に、口を開いたのは、大鷲だった。温和な、笑みは、崩れていなかった。「木村くん。九州へ、発つ日に、わざわざ、ご苦労さまです。今日は、参考人として、席を、用意しました。会社は、社員の、声を、聞く会社ですから」
声を、聞く会社。その言葉を、この二か月、何度、裏返しにして、見てきただろう。サトルは、卓の上に、一枚の紙を、置いた。役員全員に、行き渡るよう、椎名が、静かに、配った。
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特別調査を求める要点整理(付議資料)
付議者:社外取締役 相良
陳述:木村サトル(内部通報窓口 主任調査員)
一、装備 結界札 規定 20枚/実配備・発注 10枚(購買 2025-Q1-0442)
二、台帳 配備数の記録更新日=九鬼透 死亡の翌日
三、示談 遺族補償を最低ラインに減額(決裁:大鷲)
四、通報 過去5年 取り下げ 47件/うち受理番号確定前 45件/役員決裁 35件
五、面談 取り下げ誘導の定型台本(配布資料03・承認:大鷲)
六、稼働 稼働効率化目標 前年比150%(承認:財前)
※本件はいずれも社内文書に基づく。証言への依存は無い。
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「六行です」サトルは言った。「一つずつ、社内の、文書で、確認できます。九鬼さんが、なぜ、死んだのか。それは、怪異のせいでは、ありませんでした。装備を、半分に、削られていたからです」
室内が、静かになった。社長が、資料の、一行目を、指で、押さえた。
「大鷲くん」社長が言った。「二十枚と、十枚。これは」
「現場の、運用の、話でしてね」大鷲は、笑みを、保ったまま言った。「規定は、二十枚。ですが、実務では、班の、練度に応じて、柔軟に、配備を――」
「柔軟に、半分に、しますか」サトルは、遮った。「規定の、半分で、現場に、出したら、どうなるか。あなたは、退魔の、現場を、知らない。でも、これを、決裁したのは、あなただ」
サトルは、二枚目を、置いた。稟議書。起案番号2025-J-0088。決裁欄に、大鷲の、印。
「台帳を、二十枚のまま、維持する。そう、指示した、稟議です」サトルは言った。「発注は、十枚。台帳は、二十枚。差分の、十枚は、どこにも、ない。買っていない札が、帳簿の上だけ、配られていた。……この差を、埋めるために、更新された台帳の、日付が」
三枚目。台帳の、更新ログ。
「九鬼さんが、死んだ、翌日です」サトルは言った。「死んだ人間の、装備を、死んだ後で、足したことに、した。生きているうちに、あれば、彼は、死ななかったかもしれない、その札を」
大鷲の、笑みは、まだ、あった。だが、その笑みが、少しだけ、動きを、止めた。作り物の、表情が、更新を、忘れたように。
「木村くん」大鷲は、穏やかに言った。「きみの、熱意は、買っている。ただ、会社というのは、大勢の、生活を、背負っている。一人の、気の毒な事故のために、全体を、揺らすわけには――」
「一人じゃ、ない」
サトルは、四枚目を、置いた。取り下げの、一覧。四十七件。
「過去五年で、四十七件の、通報が、取り下げられています。うち、四十五件は、受理番号が、確定する前に。番号が、つく前に、消えれば、記録には、残らない。無かったことに、できる。その、四十五件の、取り下げに、同じ、面談台本が、使われていました」
五枚目。配布資料03。承認欄に、また、大鷲の、印。
「『まず、味方に、なる』『本人が、納得の上、取り下げたことにする』。相談員限りの、面談台本です。九鬼さんの、前にも、四十五人。声を上げた社員を、優しく、囲い込んで、番号が、つく前に、黙らせて、そして、飛ばした。……篠田さんも、その一人です。三年前に。もっと、古い版の、同じ台本で」
サトルは、大鷲の、目を、見た。
「これは、事故の、隠蔽じゃ、ない」サトルは言った。「事故が、起きる、仕組みを、作って、起きたあとで、それを、個人の、過失に、付け替える。何度も。四十五回。あなたは、その、決裁を、してきた。温和な、顔で。会社のため、と、信じて」
大鷲の、笑みが、凍った。温和さが、剥がれたのではなかった。温和さの、まま、固まった。笑ったままの、能面のように。反論の、言葉が、その口から、出てこなかった。数字は、反論を、許さなかった。二十と、十。死の、翌日。四十五件。三十五件、役員決裁。すべて、この会社の、文書だった。彼自身が、印を、押した、文書だった。
議長席の、社長が、資料を、置いた。それから、静かに言った。
「……大鷲くん。これは、看過、できない」
室内の、空気が、傾いた。サトルは、後ろに、立つ椎名を、思った。彼女が、二か月かけて、証言に、頼らずに、消せない紙だけで、組み上げた、六行。祓えないものを、書式で、追い詰める。その、静かな刃が、いま、卓の、一番奥に、届いていた。
だが。
サトルは、財前を、見た。少し、離れた席で、経営企画担当役員は、まだ、笑っていた。困惑でも、狼狽でも、なかった。まるで、対岸の火事を、眺めるように。自分の名は、その六行の、どこにも、無い、と、知っている顔だった。ただ、一行――稼働効率化目標150%、承認、財前。それだけが、彼と、この人災を、細い糸で、繋いでいた。
その、細い糸を、サトルは、まだ、断ち切れずにいた。
四月二十八日、臨時取締役会。サトルは六行の要点と、一枚ずつの文書で、温和な大鷲を追い詰めた。二十と十、死の翌日の台帳、四十五件の面談台本――彼自身が押した印が、退路を断つ。大鷲の笑みは、笑ったまま、凍りついた。
だが、少し離れた席で、財前は、まだ笑っている。次回、実行役が倒れたあと、決裁者は、どう逃げるのか。
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