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指先ひとつ分の距離

紫色の空に、オレンジの夕陽がゆっくり溶けていく時間。セリスとリュシアンは研究書庫の書類整理依頼を請け負っていた。

ヴァル、レオ、ルカは緊急の討伐依頼の為、先ほど森へと向かった。


時計の針の音の正確なリズムが心地よく耳に響く。

リュシアンの右手の中指の指輪に、夕陽が少しだけ触れていた。

オレンジの光が書類に反射し、どこか美しく見えた。

セリスがふと手を止めた。


「こういう時間、嫌いじゃないな」


と呟く。

彼女は戦いより、穏やかな時間を大切にする人であった。


期待してはいけない。

そう分かっているのに、胸の奥がわずかに波立った。


「リュシアンさんと一緒だと安心する」


一瞬でリュシアンの願いは破られた。


リュシアンは何気ない仕草でポケットに手を入れる。

書類を整えながら、誰にも気づかれない動きで外す。


音は立てず、触れる金属の感触だけ。

指から抜ける瞬間、ひやりとした冷たさが残った。

指に残るわずかな圧迫の跡が、妙に生々しく感じられる。

この時、指の軽さを初めて知った。


リュシアンはゆっくりとセリスの方へ近づいた。

手が、彼女の頭の右上へ伸びる。


時計の針の音が、やけに大きく響く。

呼吸さえ、耳にうるさい。


セリスは驚いて目を瞑った。

書類の紙の香りと、リュシアンがいつも煎じている薬草の爽やかな香りが鼻をかすめる。


その距離は、指先ひとつ分。


まつ毛が震えているのが見えた。


目を開けると、セリスの向かって右後ろにあった本棚の本を手に取るリュシアンの姿があった。


「び、びっくりした〜。頭に何かついてるのかと思っちゃった」


セリスは心臓の音を掻き消すような声量で言う。


リュシアンは真剣な表情のまま、


「悪い、驚かせてしまったね。書類整理に夢中になっていて……一声かければよかった」


そう言うと、くるりと背を向けた。


その瞬間、ほんのわずかにリュシアンの口角が上がったように見えた。

それは満足というより――束の間だけ夢を見ることを許された者の表情だった。


その後もリュシアンは、いつもより少しだけ優しくセリスの名前を呼んだ。

まるで慈しむように。


作業は終わり、二人は宿へ向かった。

通りの店を眺めながら、他愛のない会話を交わす。


だがセリスはどこか落ち着かない様子で、少し足早だった。


「あ!ヴァルったら、今日薬草持っていくの忘れてたけど、大丈夫だったかなぁ?」


その一言で、リュシアンは現実へと引き戻される。

そっとポケットの中で指輪をはめ直した。


――そう、束の間の夢だったのだ。


先を歩いていたセリスが振り返る。


「リュシアンさーん!早くーー!」


無邪気な笑顔。

その光を壊さないために、リュシアンは胸の奥の痛みを静かに押し込めた。


――夜。


セリスは髪を櫛でとかしていた。

右手で左側の髪を梳くたび、今日の書庫の香りがよみがえる。


紙の匂いと、薬草の爽やかな香り。


リュシアンが、ほんの少しだけ、いつもと違っていた気がする。

その違和感は形にならないまま、胸の奥に残った。

読んでいただきありがとうございました。

本日と明日は春休みということで、特別に二日連続で一話ずつ更新します。

それ以降は通常通り、毎週金曜日21時頃の更新予定です。

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