揺らぐ封印
森の奥。
変異個体の残骸から、まだ薄く黒い靄が立ちのぼっている。
重たい静寂。
その中で、影がひとつ、ゆっくりと姿を現した。
ルカが剣に手をかける。
リュシアンは一歩前へ。
ヴァルの視線は鋭く細められる。
ベルノア組は即座に警戒。
レオンの剣先が真っ直ぐ影へ向く。
ミレイの指先にはすでに淡い光を灯す。
ガルドは半歩下がり、周囲を確認。
シアは無言で間合いを測っている。
ゆらゆらと靄の中から姿を現した男は
静かに両手を上げた。
「敵意はありません」
低く、落ち着いた声。
その瞬間——
強い風が吹いた。
煙が斜めの軌跡を描いて夜の空にのぼり、
男の黒いマントの裾がわずかにめくれた。
その下から、濃紺の制服が覗く。
銀糸で縁取られた意匠。
そして胸元には、はっきりとルーコトスの紋章が覗く。
レオンの目が変わる。
「……ルーコトス」
低い声に緊張が混じっている。
男は否定しない。
「はい」
一瞬の沈黙。
森の空気が張り詰める。
月明かりを受けた青い瞳をギラリと光らせ、ヴァルが小さく呟く。
「弁明はあるか」
男の視線が、足元の変異個体へ落ちる。
「それは、我が領から流れた術式の影響です」
ベルノア組がざわめく。
ミレイの指先に集まる光が強まる。
「認めるの?」
「隠しても意味がないでしょう」
落ち着きすぎている。
それが逆に不気味だった。
レオンが一歩踏み込む。
「何を企んでいる」
男はゆっくりと視線を上げる。
その目は疲れていた。
「……止めに来ました」
誰も信じない。
当然だ。
ヴァルの双剣は下がらない。
「止める?」
「はい。今のままでは、ベルノアだけでは済まない」
その言葉に、リュシアンの眉がわずかに動く。
「どういう意味だ」
男は一度だけ周囲を確認する。
そして低く言った。
「この術式は土地を腐らせるためのものではありません」
凍りつくような静寂。
森の奥で、何かが枝を踏んだ音がする。
「封じられているものを、起こすためのものかと……」
空気が凍った。
セリスの目が見開かれ、震える唇で核心に迫る。
「……封印」
男は頷く。
「三十年前、隣国が失敗した計画の続きです」
レオンの声が荒くなる。
「なぜ今さら!」
「我が領主が、唆された」
はっきりとした言葉。
だがそこに嘲りはない。
あるのは、わずかな焦り。
男の口調が早くなる。
「彼は制御できると思っている」
「違うのか」
ヴァルが問う。
男は静かに言った。
「術式は、既に制御を離れつつあります」
その瞬間。
足元の変異個体の残骸が、微かに痙攣した。
黒い靄が、まだ完全には消えていなかった。
セリスが息をのむ。
「……増幅している」
男は頷く。
「このまま侵食が進めば、地下の封印が揺らぐ」
レオンが叫ぶ。
「封印の中に何がある!」
男は答えない。
ほんの一瞬、視線が揺れた。
それだけで十分だった。
ヴァルが低く問う。
「全てを話してるわけじゃなさそうだな」
男は、わずかに目を伏せる。
「……今は」
その言い方が、何より不穏だった。
森の奥で、また枝が折れる音。
誰もが反射的に振り向く。
闇の奥。
何かが、こちらを見ている気配がする。
男が呟く。
「時間がありません」
黒いマントが風に揺れる。
その下のルーコトスの紋章が、わずかに月光を反射した。
ベルノアの平穏は、
すでに地の下から侵食され始めている。
そしてそれを知っているのは、
今この場にいる者たちだけだった。
使者の言葉が終わった、その直後だった。
微かな振動。
最初は、誰も気づかなかった。
だが——
ヴァルが先に顔を上げる。
「……揺れたな」
リュシアンも同時に地面へ視線を落とす。
次の瞬間。
低い、重たい音が、足元から響いた。
ドン……。
まるで、大地の奥で心臓が打ったかのような感覚。
セリスの顔から血の気が引く。
「……封印」
再び。
ドン……。
今度は全員が分かった。
森の鳥たちが一斉に、バサバサと音を立てながら真っ暗な夜空に飛び立つ。
ミレイが震える声で言う。
「嘘……こんなに早く……」
レオンが剣を握りしめる。
「何が起きてる!」
使者は青ざめていた。
「……想定より侵食が速い」
ヴァルがルカに視線を向ける。
「ここで話している場合じゃない」
ルカが頷く。
「一度ベルノアに戻る。ギルドで詳しく聞く」
レオンは一瞬迷い、そして頷いた。
「……分かった」
それは、初めての明確な共同作戦だった。
クエストも4日目となりました。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。
明日もまた21時頃に投稿いたします。




