エルデ、神聖聖女の神威を行使する
手を取ったまま、目の前のカルディア=カーリレード=バルン=グレッチェンド公爵令嬢を見詰める。 診察用の魔法は、聖女が権能の内側に有るの。 王后陛下の御前なので、畏れ多い事なれど、私は今…… 神官としてここに居る。 いえ、神の代理人『神聖聖女』として。
『神聖聖女』の権能を行使する事には、精霊様のご許可が必要なの。でもね、ご許可は既に下っているのよ。 そう、精霊様が私の身体を通してグレッチェンド公爵令嬢と交歓された。 その上で、私に権能を使うように示された。
精霊様の『御顕現の光柱』が立ち上がり、精霊様の御意思を直ぐ傍で聴いていたのよ。 精霊様は神様の忠実な僕でもあり、神様の御意思の代理人とも云える。 つまりは神勅が降ったとも云えるのよ。 教会は組織よ。 でも、それは人の世で、人が決めた決め事なの。
だから…… この場に臨んで、私は何を成すべきか。
この診察は王后陛下の御依頼でも有る。そして、何よりも精霊様がグレッチェンド公爵令嬢に対し、大層ご心痛でも有るのよ。ここで時を消費する事は、神様の御心にも反する事となる。『神聖聖女』と云う立場ならば、聖女が権能を振るう事は、神様の御心に沿うべき事柄。其処に何の掣肘も加えられるべきでは無いの。たとえ、それが聖堂教会の教皇猊下の御意思だとしてもね。『神勅』とは、人の作った制限の外側に有る『この世界の理』に他ならない。
ならば、権能を振る事に戸惑いを持つべきではないわ。
よし。覚悟は決まった。神様の御意思。精霊様の御懸念。世界の理。教会や王宮への権能行使の嘆願は…… この際無視しても良いのよ。ええ、そうなのよ。神聖聖女が権能を振るう『ご許可』は、神の御心なのだから。誰にも掣肘されるべきモノでは無い。神への真なる信仰こそが、私が成すべき事なの。 ……静かに私の口から流れ零れる『言の葉』
「始めます」
手に魔力を集中させ、診察用の魔方陣を紡ぎ出す。淡い黒紫色の魔力が私とグレッチェンド公爵令嬢様のつないだ手の間に満たされる。 スルスルとその魔力はグレッチェンド公爵令嬢の身体の中に吸い込まる様に流れ込んで行った。私の周辺に精霊様の御加護たる光の粒が立ち上がる。 ゆらゆらと揺らめきながら、青い空の彼方へと立ち上る。 そして、完成する光柱。 精霊様がおわします世界との道が開かれたのが体感できるわ。
――― そう、私は私の為すべき事を成し、この地と精霊様方の世界を繋いだの。
グレッチェンド公爵令嬢の中に入り込んだ私の魔力を通じ、甲高い悲鳴のような波動が流れ込むの。そう、グレッチェンド公爵令嬢はその身に『痛み』と『苦痛』が表に出ない様に制限されていたの。何かに『矜持高き高貴なる魂』が抑え込まれ、まるで牢獄に囚われているかのように……
魂の器たる身体もあちらこちらに不具合が散見される。特に酷いのが美しい光を灯していた『瞳』とも云える。 ……いいえ、その他にも幾多の臓器に不具合が発生しているの。
しこりとなった部分。
流れが阻害された魔力が通る道。
鼓動すらも時折正確なリズムを刻む事を放棄している。
これでは立っている事すらままならない筈。 でも、崇高で高貴なる魂から紡がれた彼女の『矜持』がそれに抗い、自身に対し節制を強く求められているのよ。これでは、彼女自身が持たないわ。 いつ魂と器たる身体が分離しても不思議ではない。その時が突然訪れたようにも見えるかもしれない。 突然死…… と、なる可能性も捨てられない。 このままでは……
魂と、その器たる身体を診察する為に、姉妹巻たる『闇』のエルダースクロールが権能。 権能が私に囁くの。 そう、このままでは、彼女の現世での時間は…… 持って、半年。 ならば、封じられている魂の檻を破り、身体を癒す。 私が渡って来た二十七回の時空と同じく、彼女には王妃となるべき未来を届ける事が私の役割なのよ。
癒しには順序が大切。
これ程までに消耗し、損壊している『魂の器(肉体)』に、囚われの魂を解放すれば、彼女の苦痛は想像を絶するほどに過酷となるのは必定。 つまり、肉体の治癒を最初に、次いで、魂を解放する事。 手順はその順番。 神聖聖女の権能に於いて…… 光と闇の精霊様の権能を用い、肉体と魂の両方を救済する。
「王后陛下。 グレッチェンド公爵令嬢は危機的な状況下にあります。 神様と精霊様の聖名に於いて、わたくしが御手となり、彼女を癒す事となります。 時間はあまり残されてはおりません。 出来得る限り早急なる処置が必要です」
「ならば…… この場に於いて可能か? そなたの権能権益を用い、王家とこの国の未来の光を救う事は可能か?」
「御宸襟に沿えますよう、努力すると申し上げます」
「ならば…… 頼む。 この娘を失う訳には行かぬ」
「御意に」
神様に伏し願う。 神聖聖女が権能を振る事をご許可して頂ける様にと、真摯に真心を込めて祈る。 頭の中で、重く深く荘厳な鐘の音が響き渡った。 魂を揺さぶる様な重い音。 私の請願に『諾』を下さったのよ。 光と闇の精霊様がわたしの傍に御降臨されたのが感覚で判る。 暖かく冷たく、私の身体を取り巻く精霊様の息吹が、強く私の背を押して来るの。
「治癒を始めます。 グレッチェンド公爵令嬢様。 楽な姿勢をお取りください。 本来ならば、横になり仰臥姿勢を取って頂くべきなのですが、この場では無理ですので、術式を以ってその代りと成します。 お気持ちを楽に…… とは、行きませんが、なるべく」
「…………はぃ」
「術式 医療領域展開。 【重量遮断】、【精神安定】、【睡眠導入】展開…… 発動…… 今」
グレッチェンド公爵令嬢と繋がれた手から紡ぎ出される、幾つもの術式。 術式が安定したところで、私の手はグレッチェンド公爵令嬢から離れる。 でも、私ととは魔術経路は繋がったままなの。 今展開した術式は、いわゆる治療術式ではないの。治療の為の術式を展開する為の環境整備のようなモノ。 彼女に負担が掛からない様に…… 彼女に不安を与えない様に…… 深い眠りに誘っていくの。
なぜならば、闇の精霊術式による【治癒】は体組織の時間逆行を含んだものだもの。 浅く眠るだけでは、その破壊的な痛みに直ぐに意識が浮かび上がってしまう。 どんなに隔絶し制限されて居ようと、魂に迄痛みは届いてしまうのよ。 だから、深く、深く眠って貰わねば成らないの。 薬剤による麻酔では得られぬ程の深き眠り。 勿論、醒める事が前提である為、其の為の経路は繋いであるわ。 知識と知恵を得ずに、これ程の眠りに誘うならば、患者の魂は二度と再び覚醒する事は出来なくなるほどの眠りとなるの。
この眠る美姫に施す根源的な『治療』とは、魂の器の設計図とも云える【モノ】を彼女の内懐から探り出すこと。 体組織の時間逆行を時の精霊様に伏し願い、損なわれ失われた器官の時を巻き戻す。 彼女が生を受け、この世に産み落とされた時よりも前の時間に…… そして、彼女の内懐から見出した『魂の器の設計図』を使って、損なわれ、失われた『器官』を再度構築し彼女自身に繋ぐの。流石に彼女自身を胎児に戻す事は出来ないわ。 母体が無い状態で、胎児に戻せば…… 『死』に直結するもの…… 母の胎と云う揺り籠が無ければ、彼女の存在自体が成立しないのだものね。
だから、器官の再構成に留めるしか方法は無いのよ。
その巨大な術式を発動する前に、彼女に巣食う『穢れ』を払わねば成らない。 身体の中に穢れが有る場合、其の穢れが肉体の根源を汚染し、再構築する器官を更に酷く汚染してしまう可能すら有るのだもの。 結界を張り、【清浄浄化】の術式を組む。 ゆっくりとグレッチェンド公爵令嬢の足元から浄化を重ねて掛けて行く。穢れの欠片一つ残さぬ様に、断片すら浄化してしまうように。 心を込めて、伏し祈りながら。
神様の御意思を顕現する『神聖聖女』の私。 その事を肌身に感じているのは、理解に苦しむことは無いの。 神勅にて行使する『神聖聖女』の権能は、今までは考えられない程、私の身体に負担を掛けない。 ちょっと不思議な感覚でも有るのよ。 だって…… 練り込んでいたとしても、体内保有魔力が減った感じがしないのだもの。 複雑で難解な【清浄浄化】の術式は組むだけで相当に魔力を消耗するの、普通はね。 でも、高度な術式本体を紡ぎ出す時、一切の負担を感じなかった。 唯一、起動術式に関してのみ、私の体内保有魔力を使ったと云う感じなの。
――― 行使の意思は私の意思。
そう、仰っておいでのようだったわ。 権能を理解し、権能を行使する。 神勅により行使する場合、その御意思は神様の御意思。 それを実行するのは私の意思。 そういう事だと思うのよ。 それが…… 『神聖聖女』の権能で在り、聖堂教会も認める『神の代理人』たる者の最大の誓約でも有ると理解できたわ。
神勅無き場合に、『神聖聖女』の権能を振るわば、その代償は私自身が払わねば成らないと云う事。神威と神意に反し、『神聖聖女』の権能を振るう事は、すなわち、体内魔力の即時枯渇に繋がると云う事。 これが、神様の私に対する『神の鉄槌』となる事。 理解したわ。 私が『言上げ』し『誓約』を捧げた結果、『絶大な神威』を振るう事が出来る代わりに、神威と神意にそぐわない『神聖聖女』の権能の行使は、我が身を亡ぼすと云う事。
でも、良いの。 それで。
だって、『神聖聖女』の権能が無くとも、私は無辜の民へ薬師として、治癒師として救いの手を差し伸べる事が出来るのですもの。そこに『神聖聖女』の権能は要らない。 心の赴くままに、救いを求める人々に慈愛の手を差し伸べる事が出来るのよ。其処に疾病に苦しむ者、怪我で苦しむ者が居れば、その方々を手当てする事に何ら掣肘は加えられた無いのだものね。 たとえ、その方の救う事が神様の御意思に反するとしても、個人の資質の範疇であれば、神様は個々人の行動に掣肘は下されない。
『神聖聖女』の権能と云うモノの本質は、神様、精霊様が直接『人の世界』に干渉する力。
でも、それを実現するにはやはり『人の世界』に属する『人』が依代と成らねば成らないと云う事。 つまり、私は…… 神様、精霊様の『慈愛』の意思であり、この人の世界における『形』という事。 グレッチェンド公爵令嬢への治療を通し、私は『人の世界』に於ける私の立ち位置を深く理解したの。 其処に、権能はあれど権威は全て神様、精霊様のものであり、私には一片の権威など有りはしないと云う事。
――― 心に刻み込んだのよ。
そう、私は私。 『アルタマイト神殿の第三位修道女 エル』 ……いいえ、神名エルデを戴いた、『人の世界』に生れ落ちた、一人の人間なのよ。 驕り、昂り、驕慢と傲慢が心を占めれば、それは即ち死に通じる。
二十七回の前世の行いは、愛を求める幼子の行動であり、それは神様の本意では無かったと。 求める存在では無く、与える存在となる事を、神様、精霊様は望んでおられたと…… ふんわりと、理解したわ。 だから、私はやり切るの。 この迷える魂を内懐に秘めた、『妖精の祝福』と云う名の『呪い』を受け支障を来たした『魂の器』を強いられたグレッチェンド公爵令嬢の治癒を完遂する事をね!
――― § ―――
十全に環境整備は整った。 彼女の身体には、今、何の穢れも無い。 でも、臓器や器官には重大な損傷が見受けられる。 放置すれば、一年も持たない。 さらに、魂は何らかの制約を課され、自己修復すらままならない。 ならば、彼女に対する治療の最適解を行使するだけ。 風と刻と闇の大精霊様の御助力を嘆願し、『神聖聖女』の権能の内側である、巨大な精霊術式を組み上げる。
神聖なる姉妹エルダースクロールが私に刻した、聖女が権能のを振るう時。
「我エルデが神と精霊と人の間に紡がれた誓約を基に、『世の理』を越えた業を神意の求めに応じ行使せしむ事を奉じ奉ります。 大精霊様方の御助力を持ち、グレッチェンド公爵令嬢の御身体の一部の時を巻き戻し、生まれ出流る前まで引き戻し、再度《魂の器》を紡ぎ直さん。闇の精霊様、御助力を嘆願いたします。 グレッチェンド公爵令嬢の安らかな眠りと、肉体の再構成の絶大なる御力をお貸しください。 我と我が身を以って請願を奉じ奉ります。 起動術式解放。 極大精霊魔法【復活】、発動」
流石に、これ程の権能を行使するにあたり、幾ら御助力が有ったとしても、私も相当の魔力を引き出された。辛うじて残ったと云う所かな。意識は持って行かれなかった。 だけど、相当に辛いわ。 そうね…… 前にも一度あったわね。 そう、ファンデンバーグ法衣子爵家でね。 でも、今回はあそこ迄酷くはないわ。 だって、意識はしっかりしているし、この極大の精霊魔法陣を実際に行使してる魔力は精霊様方からの御助力により高次の世界から直接紡がれているのだもの。
私が施した重結界の中で、グレッチェンド公爵令嬢はモゾリ、モゾリと御身体を震わせる。 顕著なのが御顔。 両眼が落ちくぼみ、眼窩のみと成り果てる。 ぽっぱりと穿たれた二つの黒い穴。闇の気配が黒くその中に渦巻いていたの。 祈りの聖句が私の口から零れ落ちる。もし事情を知らない人が彼女の状況を視れば、私が彼女を害している様にしか見えない筈。
現に王后陛下でさえも、驚愕と怒りをその眼に浮かべられているもの。 でも、コレは必要な手段である事も理解されてはいる。 だから、今、この庭園には、私達三人しかいない。 護衛騎士や影護衛でさえ、遠ざけられているの。
それは、魂の判別術式で見えてはいたわ。 どんな【隠遁】や【隠形】でも誤魔化せない、人の魂を感知する術式だもの。 透過できるとなれば、それは『不死者』か『死人』。 でも、王城の最奥の庭園に、そんなモノは入り込めない。 それだけの重結界は展開されて居るもの。
精霊術式が反転したのを感知したわ。 ええ、それまで刻を逆行していた術式が、今度は順行し始めた。 遠く時の輪の接する処でしか発生し得ない事柄が、『人の世』で行われているの。 肉体が再構成され、徐々に元の姿を取り戻す。 グレッチェンド公爵令嬢の深く黒い眼窩に光が灯ったの。
――― 『神聖聖女』の権能の行使は成った。
元来、グレッチェンド公爵令嬢の持つべき御身体は、此れで回復した。 極大精霊魔法【復活】は、欠損し、損壊していた彼女の身体を在るべき姿に戻したと…… そう云える。 神の業としか言いようのない、奇跡を目の当たりにし、深い感謝の祈りを御助力いただいた精霊様方に捧げたの。
後は、彼女の魂を呼び覚ますだけ。 コレは、彼女の守護精霊様にお願いするしかないわ。ええ、ええ、呼び掛けられ、御心を尋ね、そして、深い憂慮を示された、あの精霊様にね。
「光の大精霊様、グレッチェンド公爵令嬢の『魂』を呼び覚まし、健やかなる御身体に御帰還頂ける事を! 闇の大精霊様の眠りは既に解かれております。嘆願、奉じ奉ります」




