68 独君・ジェイル①
独君拘置所での聴取。68~70まで続きます。
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神駄は息を切らしながら全力で山道を走っていた。傷ついた肩と胸、脇腹が痛むが構ってはいられない、痛みを噛み殺して駆ける。目の前に見える林の向こうでは夜空を炎の赤い光が照らしていた。恐怖と焦燥感、絶望が心を蝕む。
「何でこんなことに……」
額から流れる血が目に染みて目の前がぼやけ、腕で拭い走り続ける。ようやく道の先、林の切れ目に達した。開けた草むらに出ると斜面の上から集落が一望できた。家屋が何棟も燃えて、炎と煙が立ち込めていた。
ここはハチオウジ市日の出区にある集落。Gチャンに引き取られてからはこの町で育ち、住民とは家族のように接していた。その町が今、炎に包まれている、全ての元凶は神駄自身であり、恋人である岡野アキコだ。
神駄は覚悟を決めると斜面を駆け下りた。燃える一軒家の裏に降り立つとそのまま庭を突っ切り、道に出た。
その時、神駄は細い路地に横たわる人を発見し駆け寄った。うつ伏せに倒れる老人は上半身と下半身が切断されて、周囲は血溜まりになっていた。
「石川さん!?」神駄は事切れた老人の顔を見て、思わず叫んだ。老人は石川と言う名で、畑の農作物を分けてくれた優しい人物だった。神駄は奥歯を食いしばり、頭を振った。
ドォン、神駄の背後で衝撃音が鳴り、振り返った。そこには炎を背に立つ人影がいた。
「アキコ……」
神駄は人影に向かって呟いた。炎を背に立つのは岡野アキコ、虚ろな眼差しをしている。炎で影になっているがアキコの全身は血塗れになっていた、恐らく住民の返り血を浴びたのだろう。不意にアキコの眼が神駄に向いた。アキコの眼に殺気が宿り、神駄に向かって飛び掛かった。
「アキコ! やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
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「大丈夫ですか?」
男の声で神駄が目覚める。
天井のLEDライトが見えた。全身から汗が吹き出している。あれは現実ではない、過去を再現した悪夢だ。神駄はそう言い聞かせて現実の光景に目を向けた。
悪夢を抑える精神安定剤を貰う為に定期的な診療を受けていた。今のフラッシュバックも記憶を想起させて恐怖反応を弱める為のものだ。
だが、気休め程度にしかならないことは神駄が一番理解している。仕事の支障にならないように抑えられれば良いだけだ。
神駄は深呼吸をするとリクライニングシートから身体を起こして横を向く、初老の男が心配そうに見ていた。
「松井先生……」
「安心してください、私がついてます。辛いでしょうが前も言ったように記憶を避けると脳は危険だと学習し続けます。思い出しても安全だと身体に教える必要があるんです」
中年の男が優しく言った。男の頭頂は禿げており、両側に残った白髪混じりの髪を撫でつけるように手をやった。彼は松井ワゲン、犯罪心理学者、精神科医として独君刑務所で超常犯罪の共同研究を行っている。神駄とは事件で知り合い、好意で診てくれていた。
神駄については公安五課の所属と認識していて青龍会に所属していることは知らない。
「すまない」
「謝ることはありません。あなたは深い心の傷を負っています。ゆっくりで構いません。悪夢が強くなるのは抑圧が解けているんです、つまりは治療が深い層に届いている証拠です」
「いつも助かってる」
「良いんですよ。私はただあなたの傷を癒やしたいだけです。現場であなたと会った時に心に傷を負っていることはすぐに気づきました」
「支障がないように仕事できれば良い、あんたのお陰で前よりもフラッシュバックは抑えられるようになった。何度も言うが俺は傷を癒す資格がない人間だ」
「それでも私の所に通うようになったのは進歩です」
「弱さだな」
「まぁ、無理をしないことです。あなたには私がついてます」
松井はそう言うと背を向けて、PCを操作した。松井の後頭部にあるハート形の禿げが心を和ませる。
「それではですね。また、いつもの精神安定剤を処方しときます。これから仕事ですか?」
「ああ、朝一でドキュンに行く」
「ドキュンに行くんですか……残念ですね。ちょうど別の仕事でいません。くれぐれも心を持っていかれないようにしてください」
「わかっている」
神駄はリクライニングシートから下りて立ち上がる。松井から処方箋の紙を受け取るとドアを開けて部屋を出た。松井の運営する「松井犯罪研究所」はオフィスビルの中にあり、フロアの共用部にある窓から淀んだ夜空が見えた。
「アキコ……」神駄は夜空を眺めながら呟いた。
■
霧深い東京湾を一隻のボートが進んでいる、そのボートの船体には「法務省」と書かれていた。ボートのデッキではサングラスを掛けたスーツ姿の神駄が進行方向にある巨大な島影を眺めていた。
この島は東京湾を埋め立てて出来た約五〇〇ヘクタールの人工島「独君」島の東側には「独君拘置所」、西側に「独君刑務所」が設置されている。犯罪増加に伴い収容施設確保の為、拘置所や刑務所が次々と新設された。この独君もその一つであり、超常犯罪を犯した超人や呪術師、凶悪犯罪者の専用施設となっている。
「うう寒む、飲む?」
川相ノリコが神駄にコーヒーの入った紙コップを差し出した。風を受けてノリコのポニーテールが乱れダウンジャケットがはためいている。
「ああ」神駄はコップを受け取り、コーヒーを飲んだ。神駄とノリコはオープンキャンパスとの関係を自供した辛斗マキオから詳細を確認する為、独君拘置所に向かっていた。
「ようやく辛斗に取りかかれるね」
「南町の件やら色々あったからな」
「オープンキャンパスとの関係は話したくせに詳細については口を閉ざすなんて……」
「俺たちが奴を捕まえて話を聞いた後、そこから起訴され拘置所に移された間で何かがあったんだろうな。息のかかった警察か検察の奴らに吹き込まれたか、ぐっ」
神駄は黒仮面の一味である刃の男との戦いでまだ痛む脇腹を抑えた。刃の男の攻撃だけでなく、負荷をかけた戦い方によるダメージが合わさっていた。こんなことで根を上げていてはいけない、超人を狩り尽くすまでこの身体には動いてもらわなければならない、神駄は気を引き締めた。
「痛むの?」
「問題ない」
「神駄君は本当にぶっきらぼうだよね、歳も近いんだから私にはもっと本音を言っていいんだよ」
「もう痛くないのは本当だ」
「でも何でそんなに無理してるの? 神駄君の戦い方を見てると自分自身も痛めつけてるようにも見えるんだよね」
「俺は……力に溺れて、人々を犠牲にする超人を許せないだけだ。俺の身体はどうでも良い」
「そこまで思いつめるなんて……何があったの?」
神駄はノリコを咄嗟に睨みつけた。
「過去はどうでも良い、お前も聞かれたくないだろ?」
「私は平気よ。超常犯罪の罪を着せられて自殺した父の無実を晴らすために国家機密にアクセスして捕まえられただけ。そこを室長に拾われた。まぁ、その前からハッカーとして活動してたのも事実だけど後悔はしてない」
「そうか……立派だよ。お前は偉いな」
「えっ!?」ノリコはそんな風に言われることを想定していなかったのかきょとんとした表情で固まった。神駄は眩しいものを見る気がしてノリコから視線を外して独君に目をやった。巨大な島はもう目の前だった。
「もう着くぞ」




