41 トラジェディ・オブ・ザ・チーギュウ街②
チーギュウ街での化け物退治。40~42まで続きます。
ページ下部にある【設定資料】ハチオウジギア のリンクに登場人物紹介あります。
◆
下村マシヤは衝動的に電柱に蹴りを入れた。鈍い衝撃が足に返るが、それでも怒りは収まらない。
恋人のリンが行方不明になって一ヶ月が過ぎていた。警察はまともに取り合わず、捜索は事実上打ち切られたまま。リンの親族も疲弊しきり、もはや希望よりも諦めの色が濃い。
それでも下村だけは納得できなかった。リンが失踪前に口にしていた、ミイラになった男と棹の腕を持つ男。その異様な言葉が頭から離れず、独自に情報を集め続けていた。
「うるせぇー」
「すみません」
リンのことをしつこく聞き回った結果、チーギュウ街の住人の一人に怒鳴られた。視線を上げた瞬間、腐敗したようなすえた臭いが鼻を突き、思わず涙が滲む。環境そのものが、拒絶しているようだった。
「こうなったら……」
チーギュウ街の比較的まともな市街との境界を調べていたが情報は得られず意を決して奥へと向かう覚悟をした。
ゴミとコンクリートの破片を踏みしめて下村はさらに先を進んでいく。
「うっ!?」
遠くで叫び声が聞こえ、足が竦んだ。チーギュウ街の奥は治外法権であり命の保障がないことを思い出したのだ。
それでも気を取り直し一歩を踏み出そうとした。
「おい、やめとけ」
背後から低い声が落ちる。反射的に振り返ると、ソフト帽を被った小太りの男が立っていた。サングラスと白いマスクで顔は判別できないが、その立ち姿だけで場慣れした気配がある。
「ここから先は素人が行くもんじゃない。命がいくつあっても足りないぞ」
「そ、それでも俺は行かなくちゃいけないんだ」
「お前だな、最近ここで調べ回っている奴は?」
「なんなんだあなたは? リンのことを知ってるのか?」
緊張が一気に跳ね上がる。胸の奥で怒りと不安が絡み合い、呼吸が浅くなる。
男が淡々としたまま言った。
「あまり嗅ぎ回るな、今度はお前が消されるぞ、俺なら力になれる、ついて来い」
「あなたは?」
「矢迷値というもんだ」
怪しさはある。それでも、ここまで来て得られた唯一の糸口であることだけは理解できた。下村は警戒を解かないまま、その背中を追った。
矢迷値はチーギュウ街を出ると近くにある飲み屋街へと向かった。下村は後をついていきながら、思考があの時に戻る。リンを無理にでも同窓会に引き留めておけば良かった、後悔の念が胸を締め付ける。
複数の居酒屋が入るテナントビルに辿りつく。エレベーターで三階に向かうと居酒屋チェーン店「愚民 ぐたみ」の暖簾が見えた。
矢迷値が先に店内へと入る。二人が席に着くと矢迷値がビール二つと軽いつまみを頼んだ。
「何を知っているんですか?」
尋ねた矢先にビールジョッキが運ばれてきた。軽くジョッキをあわせる。下村はやけくそ気味にビールを呷る。矢迷値はサングラスのままマスクをずらして一口飲んだ。
「チーギュウ街の情報網にお前が引っ掛かった。このままだと死が待っていると思ったんだ」
「どういうことです?」
「チーギュウ街の住人が突然失踪することは日常茶飯事だ。彼らは止むに止まれぬ事情などで訳ありで流れ着いた者が大半であり、人権も何もあったものではない。だからこそ裏の勢力は消耗品感覚で彼らを使って様々なことをしている」
「たしかにそんな話は聞いたことありますが……」
「今回の出来事は恐らく、何者かによるチーギュウ街の住人を使った実験が発端だ。たまたま、お前の彼女が目撃し……消されたんだ」
「消されたって!? 誰がそんなことを!」
「誰がか……見ろ」
矢迷値がビールを一口飲むと懐から数枚の写真を取り出した。
「これは?」
写真は全て荒い画像だ。一枚目の写真ではチーギュウ街と思われる場所でトラックから黒服の男たちが棺桶大の金属製と思われる箱を降ろしている場面が写っている。さらに二枚目を見るとそのトラックがライフウェーブ製薬の社屋に入っていく場面であった。
そして、三枚目の写真を見たとき、下村は目を大きく見開いた。
「これは!? リンが電話で言っていた……」
三枚目の写真に写し出されていたのは箱から野球帽を反対向きに被った男が出てくる場面であった。
その男の右腕は触手のようなものが絡まって異様に細長い。釣棹を思わせるような形状をしている。リンの言葉と合致する。
「こいつは情報屋から仕入れたものだ。恐らくはライフウェーブ製薬が作り出した化け物だ」
「!?」
「彼女はこいつがチーギュウ街の住人を殺している所を偶然目撃した、そして、奴らに口封じされたんだ」
「そんな!? じゃあ、リンは!?」
「……甘い奴らじゃない、残念だが……」
「ふ……ふざけるな! そんな話信じられるか! 俺を馬鹿にしてるんだろ! そもそもお前は何者なんだ!」
怒りに任せて机を叩いた。
「信じられない気持ちはわかる。俺は闇で殺された者たちの恨みを晴らしている。与えられた能力を使ってな」
「能力?」
「見てろ」
矢迷値が右手をあげ、人差し指を立てた。
「ハッ!」
気合いを入れると矢迷値の人差し指が光り輝いた。下村は一瞬で怒りが冷め、その光景に見入られる。
光る人差し指をおもむろにビールジョッキへと近づけ、軽く触れた。
「!?」
ガシャン、激しい音を響かせながらジョッキが粉砕してビールがテーブルを濡らした。
「俺は超人と呼ばれる存在だ。この化け物も俺と似たような者だろう……ちっとは俺の話を聞く気になったか?」
唖然としている間に矢迷値が店員を呼び、ジョッキが割れたことを謝った。
目の前の光景の意味を下村は考えているといつの間にかテーブルを片付け、新しいビールが置かれている。意を決し矢迷値に視線を向けた。
「……本当にリンは殺されたんですか?」
低く絞り出すような声になった。喉の奥が乾き、言葉が途中で引っかかりそうになるのを必死に押し出している。
「その可能性が高い……ライフウェーブ製薬は違法な人体実験や殺しを平気でやる連中だ。だから、お前が調べても、何も掴めずに消されるのが落ちだ。どうだ? 俺たちに任せてみないか?」
「俺たち?」
「ああ、俺以外にも能力を持つ者たちがいる」
その言葉に、下村は一瞬だけ目を伏せた。理解が追いつかない。現実感が薄いはずなのに。だが、リンの不在だけは異様なほどに確かだった。
「リン……」
思考が空回りする。怒り、恐怖、焦燥。それらがまとまらないまま胸の中で渦を巻いている。
「ライフウェーブを潰すことはできないが、真相を探り、この化け物を倒すぐらいならできる」
その言葉が落ちた瞬間、下村の視線がゆっくりと持ち上がる。リンがいない現実、その真相を知るには目の前の矢迷値に頼る他ないのではないか。濁っていた心の奥がかすかに晴れる。
「……お願いします」
◆
ライフウェーブ製薬。ルザーグ・コバシーを代表とするイギリスに本社を持つ巨大製薬会社だ。日本法人のライフウェーブ製薬ジャパンは青梅市に本社を置いている。
ライフウェーブ製薬の東村山プラント。研究室の一室で複数の男たちがPCに向かい合っていた。中央にいる厳つい顔の古賀院チキが、中心となって実験データの整理をしていた。
古賀院の右手側にガラス張りの部屋があり、中では装置に繋がれた真鯛シゲルが直立していた。
「う……う……」
真鯛が呻くような声を出している。古賀院は舌打ちした。
日本法人代表のチルコ・オージカーターは気の制御と不老不死を実現させる研究に注力をしており、古賀院はその研究員の一人であった。だが、自らの研究が思うようにいかない。他の研究員と差をつけられている焦りがあった。
「真鯛にOUNを吸わせろ」
「わかりました。OUN注入」
研究員がタッチパネルを操作すると真鯛の鼻に入ったチューブから気体が注入された。
「あ……あ……目がピカピカする」
真鯛の右腕がうねりだし、触手が絡まった棹のような形に変化した。それを古賀院は苦々しく見ている。
古賀院は人工的に超人を造り出す為に投薬、心理操作、遺伝子操作、超人細胞の注入、移植等様々実験を行っていた。その一つとしてチーギュウ街の浮浪者に対して行った移植実験で唯一生き残ったのが真鯛シゲルだ。
真鯛は超人の右腕を移植されて初めは拒否反応により、生死の境をさまよった。そこにサイボーグ技術を施し、頭頂部を改造し脳波コントロールと麻酔薬「OUN」を吸引させる装置を取り付けて均衡を保つ。普段は帽子を被らせて機械を隠している。
移植した腕については真鯛の脳波をコントロールすることで形状を変化させ腕の持ち主が持つ能力を引き出せることを発見した。現在、真鯛は実験室から出て屋外での活動の実験を行っている。
古賀院は真鯛を自在に操ることで社内での地位を上げようとしていた。しかし、現状は精神がすぐに不安定になり、OUNを吸引させるしかない。
「このポンコツめ!」
命令を聞ける状態でないことに苛立ちを感じていた。
「次の屋外実験は今夜だ。調整を急げ」
古賀院は研究員に怒鳴った。
◆
BARヤギ。奥にある部屋、暗い室内に複数のPCが机に置かれていた。高取は後藤、コールマン、米山と共にじっとPC画面を見ていた。
画面にはライフウェーブ製薬東村山プラントの通用口が映し出されている。
通用口からトラックが出てきた。トラックを拡大すると「一致」と書かれた単語が画面に表示される。
今回の発端は毛野中セマヒロの拷問から得られた情報だ。彼の口から聞き出せたのはフシモリによる武器の闇流通、ライフウェーブが行う人体実験の隠蔽工作のみであった。
「しっかし、人体実験を調べたら、こんな事になっていたとはな……ライフウェーブめ! チーギュウ街が無法地帯だと思ってとんでもないことをしやがる」
怒る米山に尋ねた。
「チーギュウ街ではこんなことばかり、起こってるんですか?」
「ああ、酷いだろ、これからも放置だ。チーギュウ街は戸籍のない奴らもゴロゴロいて、闇の勢力に都合の良い人材の宝庫だ。だから、人体実験もやりたい放題にできる」
「そうね」コールマンが呟く。後藤が映像を見つめて続けた。
「ライフウェーブは製品納入に偽装してドラッグストア、マキモシキツト稲城物流センターにトラックを止める。ここからチーギュウ街へと化け物を放つはずだ、この化け物がターゲットだ」
■
夜の闇、車のライトが行き交っている。その中に八王子区から稲城区方面に向かって走る黒いワゴン車があった。
車内、腰を降ろした高取が特殊スーツのジッパーを上げている。
「ライフウェーブですか……化け物とは言いますが一体何者です?」
「わからない……ライフウェーブが実験によって作り出した超人に近い、怪物だ」
何かに気づいたように米山が携帯端末の画面を見ると頷いた。
「時間通り、マキモシキツト稲城物流センターにトラックが入った」
「怪物退治ですか」
高取はコールマンと怪物に対応、米山は指揮をしているトラックの対処を行う手筈になっている。
「怪物ね……確かに。でも、そいつもライフウェーブの被害者よ」
高取はコールマンが悲しげな目をしていることに気がついた。
「にしてもチーギュウ街か……俺の故郷みたいなもんだ、最悪の場所だがな」
米山が溜息混じりに呟いた。
「そうでしたね……しかし、良く考えれば境にヤキ屋のチーズ牛丼の看板があるからチーギュウ街とは安易ですね。ヤキ屋もたまらないですね」
「そうだな……ヤキ屋の牛丼は好きだし不名誉だ、お前も好きだろ?」
「いえ、私は断然、狂牛丼です。ヤキ屋も良いですが味が甘いんですよ。狂牛丼は全てがちょうど良いです。大盛と豚汁の組合せはたまりません」
「そうかね、でも、狂牛丼の大盛は肉の量は並と変わらなくてご飯と玉ねぎが増えてるってだけだぜ。詐欺みたいだな。ヤキ屋しか勝たんよ」
見下す米山を睨みつけた。
「そうなんですか? だとしても私はあの大盛のバランスが好きなんで良いんです。ヤキ屋こそ牛丼のトッピングで味を誤魔化しているんじゃないんですか?」
「なんだと! ヤキ屋は牛丼の味はしっかりしているよ。さらにトッピングが豊富だから楽しみが倍増するんだ。そのロマンがわからないのか! 狂牛丼こそ本当に肉やタレが特別美味しい訳でもないし普通だろ。ネームバリューだけだ」
「いえ、そんなことはありません。普通がどこにも出せない味なんです。普通だからこそ毎日食べることができるんです。ですよね? コールマンさん」
コールマンが高取と米山に視線を向ける。
「私、梅屋の牛丼派なんだけど」
「梅屋か……」
「梅屋ですか……」
「何よ、二人共文句あるの? あっさりしてて美味しいじゃない。それに……」
『そろそろだ』
後藤の声がスピーカーから聞こえた。それを合図に高取は仮面を被る。コールマンと米山もそれに倣った。戦いが始まる。例えライフウェーブの被害者であろうが危険な存在だ。倒すしかない。




