16 ア・フレッジリング・超人①
ある超人の物語。16~18話まで続きます。
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朝の光が差し込むオフィスは静寂どころか地獄のような緊張に満ちていた。
「何度言ったらわかるんだ! 死ね!」
檜町サイゾウの耳に響く声は怒号を通り越し、暴力の予兆さえ帯びていた。四角い顔に眼鏡をかけた課長、宮木ノビオの目は獰猛で手にしたキャスター付き椅子がまるで武器のように振り回される。
「うっ」
檜町の脇腹に椅子の蹴りが直撃し、痛みと衝撃で床に倒れ込む。
「ハハハハ」
「馬鹿な奴だ」
「ゴミだな」
周囲の同僚たちは笑い声を上げ、まるで檜町の痛みを余興のように扱った。彼らは宮木の対象を檜町に向けるべく執拗に煽っていた。この職場に自分を救ってくれる存在はいない。
過去の記憶が胸を締め付ける。両親は町の小さなネジ工場で日々の生活をやりくりしていたが、檜町を大学に行かせ、希望の道を作ってくれた。
そのおかげか青梅区内でも大手に位置する総合商社の「原済商事」に営業社員として入社することができた。
両親は喜び、誇りとすら言ってくれた。檜町は恩に報いるため、希望を胸に仕事に向き合うが現実はあまりに冷酷だった。そうして二年目、希望は灰となり、毎日のように暴力と罵声が降りかかる。
営業成績が振るわない檜町は毎日のように上司の宮木に罵倒され、暴力を受けている。その宮木も上層部から罵倒と暴力を受けており、ストレスの捌け口を檜町に向けていた。檜町が見る限り、今まで宮木にターゲットにされた社員は精神がおかしくなるか、自殺している。
それでも両親が誇りと言ってくれた言葉を思い出し、倒れた体を起こして土下座した。
「申し訳ごさいませんでした! 申し訳ございませんでした! 申し訳ございませんでした!」
土下座をして額を床に擦りつけながら大声で謝罪を繰り返した。
「聞こえなーーい!」
怒声が飛び、宮木が土下座する頭を手で押さえつけた。
「申し訳ございませんでした!」
「ハハハハハハハハ」
「バーカ」
宮木の押さえつける力が強くなり、頭が擦りつけられた。檜町の目から涙が溢れだす。
「課長! こいつ泣いてますよ、ハハハハ」
「泣いてる暇あるなら! 外に出て稼いでこい!」
「わかりました!」
檜町はすぐさま立ち上がり、鞄を持って外に飛び出した。
外に出て訪問してもすべて断られる。夜の闇に沈む街を、希望も力も失った体で彷徨う檜町。顔には隈が広がり、生気は消え失せていた。
いつの間にかエレベーターに乗り五階のオフィスに着いていた。檜町は消え入りそうな声で結果を宮木に報告した。
「全然新規取れねーな! このクズが! 死ねや!」
宮木が罵声を浴びせてきた。
「プッ、馬鹿な奴」
同僚の嘲笑が聞こえる。
「すみ・・・・・・申し訳ございませんでした!」
檜町は宮木に土下座をし、頭を床に擦りつけた。さらに宮木から資料作成を押し付けられ、宮木や周りの同僚が帰る中、檜町は必死に資料作成と残務を処理し続ける。
「終わった・・・・・・」
檜町は誰もいないオフィスで呟いた。深夜一時まで残業し、檜町が家に帰り着いたのは三時であった。
風呂に入り、深夜テレビを見ながらコンビニで買ったカップ麺を無感動に食べると机に突っ伏して寝てしまった。
リリリリリリ! 携帯端末のアラームが朝六時を告げると檜町は慌てて起き、支度を済ませると会社に向かった。
朝一で檜町は作成した資料を宮木に提出した。資料を一読すると宮木が睨み付けてきた。
「この無能が! なんだこの紙くずは!」
宮木が檜町に罵声を浴びせた。
「申し訳ございませんでした!」
檜町が震えながら頭を下げた。
「謝ったら、済むと思っているのか! 馬鹿野郎!」
「うがっ!?」
宮木に頬を張り飛ばされ、檜町は床に倒れた。
「ハハハハ」
「見てあれハハハ」
「笑える」
周りの同僚から嘲笑が聞こえる。檜町は倒れた体を起こし、土下座した。
「申し訳ごさいませんでした! 申し訳ございませんでした! 申し訳ございませんでした!」
土下座をして額を床に擦りつけながら檜町は大声で謝罪を繰り返した。
「土下座すれば済むと思ったか!」
ガシッ! 土下座をしている檜町の頭を宮木が右足で踏みつけた。
「あがが!? 申し訳ございませんでした!」
「もっと頭をつけろ!」
宮木が足に力を込めると頭が床に押し付けられ、痛みが走る。檜町は歯を食いしばった。
「土下座が様になるな! 檜町さん」
「本当にお似合いよ!」
同僚が囃し立てる。宮木がようやく頭から足をどけた。
「おらっ! いつまでも床に頭を擦りつけてる! 外に出て稼いでこい!」
「わかりました!」
檜町はすぐさま立ち上がり、鞄を持って外に飛び出した。
青梅駅に向かうと駅は混雑しており、人混みの中を檜町は虚ろに電車を待っていた。電車が近づき、注意を促す音が響いた。その時、檜町の視線に自らと同じく虚ろな目をしたサラリーマンが人を掻き分けてホーム柵に近づくのが見えた。電車がホームに入ったその時、サラリーマンはホーム柵を乗り越えて電車と衝突し、衝撃音が響いた。瞬時に展開した透明な防護ビニールにより、血飛沫はホームまで飛び散らなかった。
ホームでは一瞬悲鳴があがるも、人々はすぐに携帯端末に意識を集中した。
『人身事故発生、遅延処理ユニット、起動』
アナウンスが無機質に響く。遅延を生まないための機械群が起動音と共に展開した。
檜町は防護ビニール越しにその作業を眺めていた。事故判定を即座に完了する遺体識別のための非接触スキャナが作動。線路脇の溝が開き、数十台の自動掃除機が整然と現れた。自動掃除機が効率的に動き、かつては人であった肉片や血を手際良く吸引していった。さらに洗浄装置が作動して、水が車体に掛けられ、車体の血が洗いながされる。防護ビニールが収納され、電車が定位置まで移動した。
『大変申し訳ございませんでした。自動処理が完了致しました。只今の人身事故により、二分の遅れが発生したこと、謹んでお詫び申し上げます』
電車は何事もなかったかのように扉が開き、乗客の乗り降りが始まった。檜町も電車に乗り込もうと進むとホーム柵に一滴の血痕を見つけた。自らもこのサラリーマンのように邪魔な存在として処理されるのだろうか、檜町の心に虚しさがこみ上げてきた。
八時間後、夕闇の中を檜町は項垂れて歩いていた。檜町は新規がとれない自分に、まわりの期待に応えられない自分に、二十四年の人生の無意味さに失望した。ふと、朝のサラリーマンを思いだした。彼が何を抱えていたかは知らない、彼の死も最後は通勤の障害物として処理されるだけだった。だが、彼は全てから解放された。この失望や苦しみを解放されるには死しかないのではないか? もう全てから解放されたいという気持ちが檜町の心を満たした。
檜町は原済商事に帰社するとエレベーターに乗り、自分の部署がある五階ではなく、屋上に向かった。屋上は社員が喫煙の際に使用できるよう解放されていた。
檜町は高く張り巡らされたフェンスにふらふらと近づいた。鞄を下ろし、フェンスの金網に手をかけ、登っていく。フェンスの頂上まで登ると両手をついて身を乗り出した。遠くに高層ビル郡が見えた。檜町はフェンスを跨ぎ空中を背にする。
「申し訳ございませんでした」
金網から手を離すと後ろ向きに落下した。落下している瞬間、檜町の中で今までの人生が走馬灯のように駆け巡った。何故こんな会社に入ったのか? 何故こんな目にあうのか? 何のために生きてたのか? 檜町は自らの人生を呪った。
「!?」
その時、檜町は落下中の凝縮された時間の中、五階の窓から宮木たちが笑ってる姿を目にした。宮木の取り巻きの同僚がお世辞でも言っているのか笑いに包まれている。
檜町の脳裏に宮木や同僚に対する憎悪が膨れあがった。何故あんな奴らの為に死ななきゃならないんだろうか? あいつらこそ死ねば良いのに! 呪詛の言葉が頭を埋め尽くすと檜町の内側で何かが弾け、体が光に包まれた。
次の瞬間、檜町は衝撃音と共に地面に激突した。コンクリートの破片が飛び散る。細かい破片が舞う中を檜町が仰向けに倒れていた。地面のコンクリートが檜町を中心にひび割れ、破片が散乱していた。背中に軽い痛みを感じるだけで怪我はない。檜町は起き上がった。
「生きてる? なんで・・・・・・」
檜町の身体が光ると力が漲る。ふと無意識に地面に手を振ると真空の斬撃が生じた。
「!?」
コンクリートに亀裂が入る。その瞬間、檜町はこの力は自在に操れると認識した。
「・・・・・・」
檜町は無表情になり、再び会社の中に入っていった。エレベーターに乗ると今度は五階を押した。上昇する機械音だけが聞こえる。チンッ と音がなると五階でエレベーターの扉が開く。無表情のまま、檜町は営業課のオフィスまで進む。ガラス張りの扉を開く。営業課内には営業と事務員合わせて十三人がいた。檜町の方を一瞥すると元の仕事に戻った。
「檜町! 帰ってきたからには新規とれたんだろうなーー?」
宮木が大声で怒鳴ると周りもクスクスと笑いだした。
「・・・・・・」
檜町は質問に答えずに宮木の席へと向かう。
「おい! 聞いてんのか!」
奥に座る宮木の横まで行き、見下ろした。
「なんだ! 檜町、文句でもあるのか!」
「お前は良いよな・・・・・・人を罵っていれば良い車に乗ったり、料亭行けるんだからな・・・・・・」
「なんだと!? 誰に向かってものを・・・」
「死ね」檜町はそう言うなり手刀を作ると宮木に向かって横に腕を振った。激しく空気を切り裂くような音が響き、真空の斬撃が発生し、凄まじいスピードで宮木の首に叩き込まれた。衝撃で宮木の背後のガラス窓が粉々に砕け散った。
「え・・・・・・」そう呟くなり、宮木の首が凄まじい血飛沫とともに舞い上がるとゴロン・・・・・・と床に落ちて転がった。一瞬、オフィスが静寂に包まれる。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
静寂を破り、オフィスに悲鳴が満ち溢れた。隣にいたお局の事務員が出入口を目指して走りだした。檜町はそれを見逃さず離れている相手に右手の手刀を縦に振り下ろす。真空の斬撃が途中にある机を両断しながら、猛スピードで事務員に迫る。ついに事務員を捉えると斬撃はガラス張りのドアを切り裂きガラスが粉砕した。同時に濡れた雑巾を床に叩きつけたような音がしたかと思うと事務員は血飛沫をあげながら、左右に両断された。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
同僚達は悲鳴を上げながらフロアの出口を目指した。檜町が無表情に同僚たちを見つめ、左手にも手刀を作ると両手を振りまわして真空の斬撃を発生させた。出口に辿りついた三人の同僚の上半身と下半身が切断されるのを皮切りに真空の斬撃は次々と同僚に襲いかかった。
多摩川の河川敷に檜町はいた。二日前に営業課を超人の力で全員殺害した檜町は血だらけの上着を捨てると多摩川まで彷徨った。河川敷の草むらでコンビニで買ってきたコーヒーを飲みながら、じっと座りこんでいた。恐らく今頃、指名手配にでもなっているだろうと想像し、家に帰ることもできずにいた。
激情から凶行を起こした為、前途は何もない。檜町は自らに起きたことを考えると恐らく、自殺の瞬間に超人と呼ばれる存在に覚醒したのだろう。噂では聞いていたがまさか自分が覚醒するとは思ってもみなかった。
ガザッガザッガザッ、川敷の葦をかき分けて背後から、何者かが近づいてきた。檜町はそう思うが何もできずにじっとしている。
「探したぞ」
背後から男の声が聞こえると恐怖から振り向き様に手刀を構えた。右手を横に振り真空の斬撃を繰り出す。
「!?」
ガッ! 檜町の斬撃は男の前で浮かんでいるゴルフドライバーが防いでいた。男は白髪で面長な顔をした初老の男だった。
「なかなかやるな」
呆気にとられる檜町に初老の男は唇を歪めた。初老の男は空中に浮かぶゴルフドライバーを手に取った。
「能力を持っているのはお前だけじゃない。私はお前を救いに来た」
「救いに来ただって?」
「そうだ。我々はお前の能力を必要としているる」
「必要としてる? ・・・・・・僕を?」
「そうだ、お前はなかなか強力な力を持っている。その力を貸してほしい」
「あなたは一体・・・・・・」
「私は似非原タコウエだ。我々の元に来い」




