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.2-3

 旧道となった湾岸沿いの下道。その半ばでブレーキ痕を残し、白いSUVはガードレールから僅か数センチの隙間を開けて止まっていた。リアゲートを蹴破られたことで車両後部は内側から開け、その大口から潮風を大きく取り込んでいく。

 風通りが良くなってしまった車内にいたふたりの拡張子は、殺気を隠すこともなく後部座席を叩き開ける。そして、アスファルトに足を着けると、その身に潮風を浴びた。


「――やってくれたな……が、まあいい。 榎町、警察やEXTが来たら撤退だ、分かったな?」

「……? 別にそれで構わねえが、今の俺にやれることは多くねえぞ?」

「安心しろ、お前達は離れて眺めていればいい……巻き込まれないようにな」

「そういう事か、じゃあそうさせてもらうぜ」


 拳銃と弾倉を榎町に投げ渡すと、白コートの男は靴音を鳴らし、道の真ん中で転がっていた少年に向かっていく。

 爽やかな春風が吹いていながらも、この場の空気だけは変えられない。この中で唯一普通の人間であった被疑者の男は、お言葉に甘えるように反対側の石壁まで離れていく。


「……どうせ拾った命だ……」


 少年は近付いてくる白コートの男が視界に入ると、春にしてはやけに熱い石床に向けて呟く。そして、走行中の自動車から無理やり飛び降りたにも拘わらず、なんの素振りもなく立ち上がり、身構えた。


「良い根性だ……だが、今ならまだ間に合う。 大人しくこちらの言うことを聞けば、お前は生き残ることができるだろう」

「…………あれだけ殺しておいて、何が生き残れるだ。 馬鹿にするなよ……」


 少年は白コートを勧告ごと殴り飛ばすべく、踏みしめたアスファルトに亀裂を走らせ、飛び込んだ。そして、爪が食い込んで血が出る程強く握った拳を白コートの男の顔面に向けて、分厚く、抉るように打ち出していく。


「……ッ⁉」


 しかし、少年の渾身の一撃は自らの耳元で止まり、断固として、それ以上前には動かなかった。金縛りと錯覚する程の、全身が持っていかれる急制動。視線は白コートを外して、腕に行く。しかし、なにかにぶつかった訳でもなく、空間に張り付けられたが如く、少年の片腕は微動だにしない。少年はもう片方の腕で引っ張り、それでも駄目ならと足を掛け、必死に動かそうとした。だが、それでも当然、叶わない。

 あと三歩もあれば届く距離。少年が必死に足掻いていた間に目の前まで来ていた白コートの男は、少年の顔や身体つきに始まり、藻掻いている様子を黙視する。榎町の銃撃を耐え、自身の不意打ちにさえも耐える、力と身体。白コートの男は観察の最後、ディナーとばかりに傷口へ視線を向けた。

 出血が目立ち、本来の色を三割は失っている衣服。医療現場の人間には到底見せられない絵面であったが、白コートの男の眼には銃弾が当たっているとは思えない程、少年が活発に見えた。

 拡張子。そのひとつの言葉で納得したのか、白コートの男は動かなかった少年の腕が通していたシャツに意識を向ける。すると、その袖の中でなにかが這いまわるようにうねりを上げ始めていった。


「な……う、腕…………ぐ、あぁ……!」


 激しく、不気味な動きに驚いているのも束の間。少年は腕を急激に締め上げられると、骨が軋む音を体感し、筋繊維の束が捥がれるような感覚に陥り始める。そして、次第に捩じ切らんとばかりの激痛を軋ませ、彼の悲痛な呻きと共に袖を引き裂いてしまう。

 あまりにも殺意が籠った雑巾絞り。千切れこそしなかったが、細切れに落ちた袖により裸となった少年の腕には、赤くも黒く、深い螺旋の跡が這っていた。視界に入れることさえ憚りたくなる少年であったが、それは裏を返すと五体満足の証明とも言い換えられた。

 彼は望まぬ製の実感を得た彼は膝を突き、肩で大きく息をする。


「……あれを耐えたのか、旦那の攻撃だぞ……? さっきまで銃で血を流していたクセに本当に何なんだよ、あのガキは……」


 車の近くでふたりの戦いを眺めていた榎町は、交差点の時からは想像し難い、歪な曲線を描く少年の耐久性に疑問を感じた。だが、彼は白コートの男の意に反するため、傍観しかできない。

 榎町に固唾を呑まれる中、無表情を決め込んで少年を眺めていた白コートの男。良いものを見つけた。彼は想定外の結果に思わず立ち止まり、口角を上げてしまう。

 目の前で傲慢に、そして、不可解に見下す白コートの男が見せた感情の変化による隙間。少年は彼の得体の知れなさに気圧されながらも、決して、その一瞬を逃さなかった。

 いい歳をした中年のにやけ顔に、少年は吸い込まれるように顎を目掛けて拳を叩き込む。


「――――あと一歩……いや、二歩は遠かったな」


 しかし、その隙間は断固として縮まらず、両者が触れることは叶わない。不意打ちではあるものの、小柄であった少年は膝を突いた体勢且つ、片腕が動かないという悪条件も加わり、彼の踏み込みは致命的に足りていなかった。だが、例えそうであったとしても、今の少年が放つ拳は銃弾が軽傷になる程度の丈夫さがあり、生身の人間には耐えられない威力を有している。その証拠と言わんばかりに、両者の間に生まれた行き場のない衝撃は破れた風に化け、髪を荒く吹いていた。


「この際だ、とことん品定めしてやろう」


 少年の威勢に応えるべく、白コートの男はその一言と共に目つきを変え、少年に覆い被さるように掴み掛かる。

 不気味に伸びる影。それは、目に映ることのない無機質にも思えた力と殺意ではなく、生々しい有機物とも言えた、酷く生物的な敵意として少年の瞳に影を落とす。

 全身の毛を逆立てながら遠ざかろうとするも、少年は依然として封じられた片腕により移動は大きく制限されていた。だが、それでも本能に従って動こうとしてしまい、片腕に重心を奪われていく。彼の体勢は忽ちに崩れると、道路に毛先が触れるまで低いものとなった。


「――!」


 だが、偶然にも白コートの男の腕を仰向けになる形で躱してしまう。突然の出来事に呆気を取られて理解が遅れる両者。しかし、今から体勢を崩していく白コートの男とは違い、これ以上、少年の体勢は変わらない。白コートの男は自らの力のせいで、少年に優位性を譲ってしまったのだ。

 好機。少年は背に寄せていた重心ごと、身体を腕の方へ一気に引き上げていく。そして、その勢いのまま腕に手を添えると鉄棒の要領で自らを持ち上げ、浮かせた両足に弧を描かせた。

 足底の終点は、白コートの男の脇腹。彼の力によって直撃こそ叶わなかったが、想定外の一撃だったのか少年の片腕の拘束が解ける。そして、白コートの男諸共アスファルトに放り出されていく。


「……ふん、思ったより頭が回るじゃないか……!」

「がッ……⁉」


 白コートの男は仰向けの状態のまま少年に賛辞を贈ると、起き上がろうとした彼の腹を数メートルはある高さまで蹴り上げた。

 少年は鈍い痛みや腹の底から込み上げる不快感と共に風を受けると、重力に逆らいを見せる。そして、風が止んだ頂点で空に溺れた後、全身は重力に従って道路に帰る。

 硬い音が生じさせた、アスファルトの小さな亀裂。それは酷く地味な絵面であったが故に衝撃は逃げず、少年の背骨を起点として、突き刺して広がる激痛を全身に何周も走らせる。痛覚という防衛本能に殺され始めた少年は、叫ぶことも、のたうち回ることも、息をすることさえを難しかった。それでも、彼は死に物狂いで這い、アスファルトを握り締めた手を押し付けて天に身体を返す。そして、一切の余裕を見せず、その全身に光と空を取り込んでいった。

 九死に一生を得る。引き摺るように生命活動を繋げられた少年であったが、彼の瞳にはまだ高くなりきっていなかった朝日を背に、白コートの男が上空から踵を振り下ろしている姿が映り込む。

 その瞬間、破裂する程上がっていた心拍数と血の気が一瞬で底になり、視界は暗がりを見せ、輪郭が揺れる。


「――――⁉」


 間一髪。脳から送られ続けた指令だけで身体を捩じると、彼の背後では道路を派手に叩き割る踵落としが炸裂した。少年は回避こそできたがその威力は凄まじく、捲れ上がり四方八方に飛散する路面の破片に混ざって吹き飛んでいく。しかし、短期間で幾度も死に晒され続けた結果、彼は自身の生命に対す危機感が完全に抜け落ちていた。

 防衛本能に殺されかけた少年は、闘争本能によって生かされる。アスファルトの礫は速度と破壊力は確かな殺傷力を孕んでいたが、当の本人である少年は破片の向かい風が止まぬ間に立ち上がり、即座に反攻へ転じていく。


「その威勢は認めてやる」


 だが、白コートの男も抜かりはしない。役に立たないと分かっていながらも、白いコートの内から拳銃を抜く。そして、歓迎の意を込めて連射した。

 まだ自分の拡張子の力を把握できていなかった少年。彼は銃口を見た瞬間、攻撃が意味を成さないとは知らずに腕を正面で交差して盾とする。少年の腕を目掛けて突き進んだ銃弾は彼の皮膚で止まると、自らが生んだ衝撃に耐えられず潰れることを余儀なくされた。


「――だが、まだ青い」


 白コートの男の想像通り、有効打には至らないがハッタリや迎撃としての機能は十分。馬鹿正直にその場で留まる少年の姿を見てそう判断した彼は、少年に近付きながらも手を休めることなかった。


「しまっ――」

「遅い」


 少年は腕で自らの視界ごと銃弾を防いでいたのが原因で、接近する白コートの男に反応するのが遅れてしまう。防御態勢を維持したまま近くにある捲れた路面の陰に飛び込んだが、間に合わない。

 白コートの男は薄皮同然であった路面を腕力で突き破り、その手で少年の首を掴み取る。そして、水平に近い跳躍で道路の反対側へ飛び込んだ。

 少年に夢中になっていた白コートの男は、被疑者の男の人的価値が地に落ちていた。そのため、ついで感覚で被疑者の男を巻き込み、口封じも兼ねて彼の場所を目掛けていく。


「ひいぃ!! なんでこっちに来るんだよ⁉ 離れていたじゃねえか……ッ!!」


 そうとも知らず、喚きながら蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく被疑者の男。しかし、見てから反応している時点で、その速度差は覆せない。


「人かッ⁉」


 彼らの関係を全く知らなかった少年は、後方にいた被疑者の男を巻き込ませないために足を地面に突き立てた。そして、亀裂と噴煙で線を引きながら首に伸びていた腕を鷲掴みにすると、荷重を逃がしていく。

 体を張った、彼にしかできない強引な修正。それは極めて原始的で、物理的な方法ではあったものの、だからこそ今の状況下では効果的に速度が下がり、軌道を逸らすことを可能とした。

 しかし、激突は免れない。拡張子達の力は、大気ごと腹の底から砕いて震う。そして、石壁に捻じ込まれた少年を中心に直径四メートル程度を陥没させ、大小様々な粒という粒を煙たく舞わせていった。


「…………いちいち飽きさせないヤツだな……」


 流石に耐えきれなかったのか、少年はクレーターの中で腕を垂らし、静かに背中を預けていた。拡張子としては赤子同然で粗削りだったが、そんな彼の抵抗により思惑を外された白コートの男は、その目に映す少年の力の扱い方に伸びしろを感じていた。

 新たな興味を確信したことで白コートの男はある種の悦に浸っていくが、横から水を差す怯え声により、当初の目的を思い出す。


「――――おい、命拾いしたところ悪いが、構わないな?」

「何でそうなる⁉ 構うに決まってんだろッ!」


 渋々ではあったものの、残っていた弾丸を消費したかった白コートの男は銃を向ける。

 死ぬのだけは死んでも御免。後は鉄を引くだけで散る命となった被疑者の男は、目まぐるしく変わる展開に着いて行けないながらも必死に抵抗の意思を見せた。

 無様で惨め。少年の時とは違い、彼の態度が一切響いて来なかった白コートの男は特に感慨を湧かせない。淡々と鉄筒で額を睨み、終止符を打ちにいく。


「――いい加減にしろよ――」


 それは、数多の命を奪われた中で遺された自分の眼前で行われる、最悪の再現。眠るように沈んでいた少年は形振り構わず腕で大気を破り、白コートの男の頸椎を喰らう。彼は一直線に荒立つ声とその身に宿る力で、強く拒絶したのだ。


「旦那、危ないッ!」


 どこにそんな力が。少年の力は今までより対等に近くなり、少なからず白コートの男には届いていた。

 今までとは違う、確かな手応えを拳から感じ取った少年は、彼の腕に自身の腕をしなやかに忍び込ませ、巻くように抑えることで立て直す暇を与えない。

 されるがまま。覆せない対格差を巧みな重心移動によって補われ、石壁に引き寄せられた白コートの男は少年と互いの背中を入れ替える。そして、少年は三〇メートル近くある彼我を物ともせずに、SUVを目掛けて投げ飛ばそうとした。


「何だ、まだ動けるのか」


 だが、白コートの男は先程少年にやられた手口で仕返しを図る。彼は体勢が崩れて軸足が浮く寸前、既に浮いていた片足を、脛に掛かる程度の深さまでアスファルトに捻じ込んだ。

 軌道と遠心力が想定外に崩れ、掻き乱すような制動が掛かる。少年は自分が中心ではなくなったことを三半規管から知らされたが、修正が間に合う段階はとうに過ぎていた。

 白コートの男は力を用いて重心と軌道の主導権を少年から奪い取ると、半周しながら片腕だけで少年を重力や風圧と共に投げ飛ばす。


「――――ッ!!」


 肩や肘に始まり、腰と膝、背中から後頭部。少年は全身という全身をアスファルトに嬲られ、赤い尾を引き摺って打ち捨てられる。度重なる死線の果て。少年は今度こそ限界に瀕してしまう。

 白コートの男は突き刺していた足をアスファルトから引き抜くと、傍にあったガードレールを片手で引き千切る。そして、ゆっくりと舐めるように身体と視線を少年に向けた。


「どうした、死ぬには少し――」


 振り被ろうとした瞬間、遠巻きに聞こえるサイレン。より本格的な戦いになることに淡い期待をしていた白コートの男であったが、彼の耳に刻限の知らせが届いてしまう。

 良くて腹八分。しかし、必要分は得たと納得自体はできるため、白コートの男は握っていたガードレールをその場で雑に突き刺すと、少年に純白な背を向けて榎町のところへ向かう。


「その逃げ足を活かしてくれたら良かったんだがな……」

「……何言ってんだ、旦那? それよりも撤退した方が良いんじゃないのか?」


 被疑者の男が戦闘のどさくさで姿を消していたことに冷めた感想を口にすると、白コートの男は榎町をその場に待たせて愛車である白のSUVの横に立つ。そして、愛車を蹴り付けた。

 すると、二トン近くある鉄塊は質量差を容易く覆され、乱雑な破壊音を吐き出しながらガードレールを突き破る。SUVはそのまま山なりの軌道を描き、ふたりに大きな影を落としてコンクリート塀を飛び越えていく。そして、そのまま目の前に広がる海擬きに大きな水飛沫を作り、水底に果てた。


「これから忙しくなるぞ」


 最低限の証拠隠滅を図った白コートの男は自らに言い聞かせるように独り言つと、サイレンを背に榎町の力で秘匿されていく。



「――――はあ、やっと行ったか、クソッたれめ……!」


 道端の茂み。その奥からふたりの撤退を見届けた被疑者の男は道路に戻ると、緊張の糸が切れたことで大きな溜め息と共に悪態を吐いた。彼は近付きつつあるサイレンの音が耳に入ることに生の実感を得ながらも、命の恩人と言えた少年の姿が目に留まる。


「い……生きているよな……なあ……おい、お前大丈夫か……?」


 被疑者の男は静かに眠り伏す少年の前で思わず膝を突くと、身体を揺する。しかし、これといった反応はなく、煙る風の下敷きとなった寝息が微かに聞こえるだけであった。死んではいない。被疑者の男はたったのそれだけで、肩の荷が下りていく。

 なにはともあれ、彼は安全を確保するために少年を抱き上げた。しかし、彼は小さな戦場を作り上げた張本人の片割れでもある。それ故に、被疑者の男の両腕に見た目相応の軽さだけでなく、感謝や心配、恐怖や排他を感じさせてしまう。

 被疑者の男は安全を考えて路肩に少年を寝かせると、背と耳に、サイレンを引き連れた一台のバイクの音を受けた。


『――こちら鈴島、現場に到着した! 直ちに状況を確認する!』

「よし、行くぞ月名!」

「はい……!」


 叩き割れ、捲れ上がり、掘り起こされたことで平坦とは真逆にも思えたアスファルト。それを目の当たりにした鈴島と月名は振り解くようにヘルメットを脱ぐと、急いで周囲の状況を確認し始める。


「……本当、何で逃げなかったんだろうな、俺……」


 自身が再び拘束されるにも拘らず、被疑者の男は微動だにしないまま、宛のない心境を吐露するだけであった。



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