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「――――千裕さん、お待たせしました」


 エレベーターが一階に到着し、ふたりきりの時間に終わりを告げる音と共にドアが開く。ふたりはビルから出て直ぐのところに停まっている千裕の車に声を掛けて乗り込むと、千裕は姉妹の自宅である絹川家に向けて車を出した。


「何か良いことでもあった?」

「千裕さん、実はね――――」


 その道中、ふたりの仲が良いことに気が付くと、千裕はそれとなく話を振る。すると、月名が夜景や火名のことを本人の前で話しだした。

 それを横で聞かされた火名は恥ずかしさのあまり止めようとするが、こうなった月名を制止させるのは難しく、随分と手こずってしまう。打つ手がなくなり、最終的に根負けした火名は紅潮した顔を隠すように俯き、拗ねていた。

 嫌に静かだった火名を見て月名は我に返って謝るも、火名はせめてもの抵抗として、顔を背ける。


「ねえ、言い過ぎたのは反省してるから。 こっち見てよ……」

「やだ……!」


 月名は褒めていた相手の機嫌を直すという不可解な状況に疑問を感じながらも、体を揺すったり、甘えたりと、あの手この手で試みる。しかし、月名の奮闘も虚しく、火名の心身は揺るがない。本日何度目か、姉の意外な一面に月名はお手上げとなり、大人しく到着を待とうとした。


「そんなに怒らなくてもいいじゃん……」


 月名は無力感や徒労感から肩を落とし、つい、そんな言葉を重たそうに漏らしてしまう。だが、火名の耳はその一言を聞いており、思わず口が動く。


「だって恥ずかしかったし。 あと、別に怒ってない……」


 火名の弁解と指摘は、とても弱々しいものだった。もともと火名は、周囲の大人達から評価されることが殆どで、同年代からの評価、増してや純粋な誉め言葉には慣れていない。それを妹から洪水のような言葉で浴びせられたということもあり、火名の許容量は限界を迎えていく。

 月名はそんな姉の等身大とも受け取れる一面を見ると、小さな親近感を湧かせた。

 そこから十数分後。千裕は大きな門がある敷地の前に車を駐める。


「さあ、着いたよ」


 絹川家。そこは拡張子の原理や概念を提唱し、拡張子対策機関、EXT(エクスト)を創設した姉妹の祖父、絹川(きぬかわ)(すばる)と、父である絹川(きぬかわ)大地(だいち)の実家であり、同時に姉妹の帰る場所でもあった。詰まるところ、千裕達に言わせればここは上司やお偉いさんの家で、彼女達はそこのお嬢さんということになる。

 千裕は車から降りると、一般家庭ではまず見ない広さの敷地を姉妹と共に歩いていく。

 そして、案の定大きく立派なドアを開けて火名と月名が中に入ると、その音を聞いて女性が姿を見せた。


「ふたりともお帰り。 千裕ちゃんもこんな遅くに送ってくれてありがとう」

真名(まな)さん、こちらこそこんな時間になってしまい申し訳ありません」

「ねえ、千裕ちゃん。 今日は月名の現場入りだったらしいけど大丈夫だった? 迷惑を掛けてないと良いんだけど……」


 千裕は長居しても悪いと考えていた時、姉妹の母親である絹川(きぬかわ)真名(まな)に引き留められるように月名の様子を訊かれてしまう。過去や経緯はどうであれ、十年振りの親子の再会と生活。真名が娘のことを気に掛けているのは千裕も察しており、無下にはできない。しかし、だからと言って本人の前で話すのも、それはそれで憚られていた。

 千裕が考えるふりをしてそれとなく火名に視線を向けると、彼女の意図に気が付いた火名は月名をリビングに連れて行こうと画策する。


「――――っ!!」


 だが、当の本人である月名は母親に対して、自分を見てくれていたことに充足感を得ていたものの、目の前で堂々と訊く配慮の無さに感情を喉元まで押し上げていた。そして、それは自立心の芽生えにより、自らにも遺伝しているかもしれないという、ある種の投影や同族嫌悪を加速させる。


「千裕さん、送迎ありがとうございました! ほら、月名ちゃんも明日早いからご飯食べるよ!」

「――ちょっ⁉ まッ!!」


 母と妹の多様な喧嘩パターンを学習していた火名は、千裕に迷惑を掛けさせまいと先手を打った。彼女は月名の意識が逸れているのを利用して背後に回る。そして口元を押さえ、速やかにリビングまで連行していく。


「ふたりとも遅くまでお疲れ様。 明日も忙しくなるからしっかり休んでね」


 千裕は内心で火名に感謝しつつ、良くも悪くも健全な絹川家のやり取りを見送ると本題に入る。


「彼女は、月名は遅咲きではありますが優秀な拡張子です。 そこに一切の疑いはありません。 それも先天性ですので、力の扱いに関しては特に心配要らないでしょう。 ですが、同時に人として未熟な部分が意外にも多く、今後も心身ともに鍛える必要がありそうですね」


 過去の境遇や、それに付随する確かな才を鑑みても所詮は思春期真っ盛りの子供。それが千裕から見た絹川月名の、現時点での端的な評価であった。

 そんな千裕の評を意外そうな顔で聞いていた真名は、うっかり感想を口にする。


「凄い……あの千裕ちゃんが褒めてる……」

「ま、真名さんは私の事何だと思っているんですか……⁉ というか! 私の事、いい年して人を褒めない人間とか思ってますよね⁉」

「千裕ちゃん、私そこまで言ってないけど⁉」


 褒めているつもりがなかった千裕はそこまで言われるとは露程も思わず、気恥ずかしさから可愛らしい地声で反論してしまう。その勢いは意外にも強く、真名は慌てて千裕を宥めた。

 そんな時、千裕のポケットに入れていた携帯電話からメッセージの着信音が聞こえ、彼女は頭が冷える。


「もしかして、(しょう)くんから夜のお誘いでも来たんじゃない?」


 タイミングで理解したのか、真名もそれとなく鈴島の名前を挙げる。

 時間的にも十中八九、鈴島からだろうと考えた千裕は真名の冗談を軽く受け流しつつも当人の愚痴を零す。


「まさか、どうせアイツの事です。 書類の山にでも埋もれているんでしょう」


 しかしながら、自らの発言のせいで鈴島の事務処理に対して不安が広がると、なぜか真名も釣られてしまい、鈴島のことを案じた。


「あぁ~……樟くんの事務処理はね……うん、そうだね……」

「ええ、ですからこれ以上長居しても悪いので、この辺りで」


 本人の預かり知らぬところで鈴島に対する意見が一致する。彼女達は先程のやり取りが嘘のように落ち着いた会話をしていき、そのまま流れるように別れの挨拶へ移行した。


「――――じゃあ、お仕事頑張ってね、千裕ちゃん。 あと、(かなめ)くんにもよろしく言っといてね」

「はい。 では失礼しました」


 千裕は奮闘しているであろう同僚の応援に少しでも早く向かうため、真名へ別れを済ませると足早に車へ乗り込む。そして車内でメッセージを確認すると、案の定、鈴島からラブレターが届いていた。

 溜め息交じりでハンドルを握ると、千裕は残された業を清算するべくオフィスへ向かう。



 拡張子特殊対策機関、EXT。拡張子の研究と解明、保護や更生等といった支援を主とする、国に認められた組織。また、拡張子による凶悪な犯罪やテロ行為に対応するために武装が許可された、対拡張子特殊部隊、通称対拡(たいかく)を擁している。

 そして、若くしてそこの隊長を務めている鈴島はある事件を追っていた。

 拡張子主導で行われている人身売買。その非人道的行為は一年以上前から噂され、実在性が高いとも言われている。しかし、確定的な証拠がないことで、事実上、捜査は打ち切りの扱いとなっていた事件でもあった。

 本来ならばEXTと対拡の本分であったが、EXTと対拡には実働に耐え得る拡張子が不在という、致命的な人材不足によって手が打てないでいた。その結果、存在意義を疑われ始め、社会での肩身は狭いものとなっている。

 そんな暗雲が立ち込めていたEXTと対拡だが、ひとりの少女によって光が差し込む。

 優秀な索敵能力を持つ拡張子、絹川月名が突発で編入したことにより状況は急変する。彼女の力を借りることで取引現場の特定を皮切りに、少量ではあるものの確実に捜索は進展を続けていった。


「────月名には頑張って貰うしかないな……」


 鈴島はオフィスでひとり、月名の研修完了手続きとそれに関する報告書をまとめ終えると、大きく伸びをして天井を仰ぐ。そして、嬉しそうな月名の顔を思い出したことで負い目を感じた彼は、つい、そんな独り言が出てしまった。

 本来なら一ヶ月以上の時間を使い丁寧に行われる研修。その方が都合が良かったとは言え、彼女が絹川の名を冠していることによって大人達の事情が僅か二週間足らずで切り上げさせてしまった事実に、鈴島は世知辛さを感じていた。

 それでも隊長という立場上、現状打破には月名を重用せざるを得ない鈴島。彼は複雑な感情の中、今回拘束できた男の身元や状況に今一度違和感を覚えていた。


「…………やはり引っ掛かるな」


 直前で場所が変更されたのか、或いは囮に使われたのか。拡張子主導の人身売買にも拘らず取引現場はもぬけの殻で、末端と思われる若い男を残すだけ。使用されていた車両こそ一致していたが、想定していた成果を思えば結果は芳しいものではなかった。

 しかし、一歩は一歩。確実に進捗があると考えを改め、鈴島はもう一度記録に目を通していく。


「今戻った。 進捗はどう?」

「まだ少し残ってはいるが、正直なところ橋木待ちだな」


 すると、絹川姉妹の送迎から戻ってきた千裕がオフィスに入ってくる。そして鈴島に呪いの言葉を掛けて自分のデスクへ向かうが、見慣れたはずのデスクは資料の山で彩られていた。


「おい」

「あの資料どこにやったかなあ」


 あまりの前衛さに千裕は拳を握ると、デザイン担当の鈴島をどすの利いた声を添えて睨んだ。

 千裕からの熱い視線に秒で耐えかねた鈴島は、そそくさと資料を探すふりをして顔を反らしていく。

 人を小馬鹿にする態度に腹を立てた千裕は溜め息と共に資料の一部を手に取ると、鈴島の頭で良い音を出しながら返却した。


「これぐらいは自分でやって……!」

「善処します」


 コーヒーを淹れに行く千裕の後姿を横目にした鈴島は頭に乗せられた資料を手に取ると、渋々作業に戻っていった。電子化が主流になって久しく、紙媒体の数は激減こそしたが依然、その存在を認められている。鈴島は煩わしさを感じつつも、決して薄くはない重ねられた紙に染み込んだ文章と睨めっこしていく。

 戻ってきた千裕は二の次となっている鈴島のデスクを少し整頓し、コーヒーカップの置き場を作った。


「これくらいなら、私達でやれば橋木が戻ってくるまでに終わるんじゃない?」

「千裕、お前……!」


 鈴島はコーヒーを飲もうとしたが、あのメールを見て千裕が徹夜に参加する気でいた事実に、まるで女神を見るような眼差しを向ける。


「やめろ鈴島、絵面が酷いし気持ち悪い!」


 自身と同じ年であるはずの成人男性が見せる情けなさ。千裕はある種の居たたまれなさに思わず顔が引き攣ってしまうと、誤魔化すためにコーヒーを一気に飲み干してデスクに戻っていった。


「…………」

「――――」


 時計の針達は頂点をいつの間にか通り過ぎてしまい、気が付けば明日が今日になっていた。しかし、そんなことは気にも留めず、ふたりはオフィスで黙々と仕事に耽る。

 月名の力を以てしても、人身売買の主犯格の人物や動機の特定はできておらず、事件の全貌は見えてこない。捜査は進んでいたがその先は行き止まりで、どん詰まり。オフィスの空気は重く、淀んでいた。

 だが、そこから暫く続くと思われた辛気臭い雰囲気を換気するべく、ドアが開く。


「ふたりとも、遅れてすまない」

「橋木! どうだった?」


 現場の検証を終えた橋木が、荷物を抱えてオフィスに到着した。すると、その姿を見るや否や、待っていましたと言わんばかりにふたりは立ち上がり、橋木のところに寄って集る。

 

「まあ、見れば分かるさ」


 橋木は荷物から取り出すと、検証結果が入った端末を手渡した。そして、端末を覗くふたりに横目にデスクへ戻ると、キーボードを叩いて電子の海に身を投げる。

 被疑者と押収された車両から割り出された足跡が複数判明していることが記してあった。

 千裕が顔を上げると、絹川姉妹のデータをそれぞれ眺めていた橋木は被せるように口を開く。


「警察に身柄を渡した被疑者は何も知らないの一点張り。 明日の朝一番、EXT(こっち)に身柄を移す予定だ」


 橋木の発言は、千裕の質問に対する答えではなかった。見当違いなことを言い出した橋木に千裕は眉を顰めてしまう。すると横で聞いていた鈴島は、すかさず橋木から聞き出そうとふたりの会話に割って入る。


「……じゃあ、今となっては、警察よりも俺達の方が取れる手段は多いってことか?」

「ある程度は警察にも根回しをしてもらうが、まあ、そういういことだ。 何しろ、街の各所のカメラに映っていた車両からある程度の移動範囲を割り出したが、その一部分が先週に月名が捜索してくれた場所と一致している」


 橋木は別の端末で地図を映す。すると、そこには車両のより詳細な移動範囲と月名が目星を立ててくれた場所が複数個所で重なって表示されていた。


「お前、良く数時間でそこまで調べられたな……」

「こればっかりは警察の捜査力と科学技術の賜物だな。 明日から皆忙しくなるそ、ほら」


 鈴島と千裕が感心に由来する困惑を見せていると、橋木はふたりに有無を言わさず、次々と端末を渡していく。橋木から端末を受け取ったことで、翌朝からの方針が定まっている事実を察したふたり。彼らは一秒でも早く眠るため、残っている作業を分担して片付けていった。



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