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.3 理屈と理想

 明くる早朝。一度は起きたものの、ほぼ一日を寝倒して過ごした輪はEXTの研究所内にある検査室で目を覚ます。日の出よりも早い時間に誰かが様子を見に来るとは思えず、暇潰しに身体を起こすと周囲を見渡した。


「何だ、ここ……色々あるな……」


 夜中の時は気にも留めていなかったが、普通の病室には置けない大きな機械を始め、複数の機材が至る所に設置されていた。実験室さながらの光景を眺めていた輪は月名の言葉をふと思い出し、ここが病室ではないことに気が付いた。彼女が言っていた通り、拡張子の検査のためEXTに運び込まれたことが本当であれば、自分はただのケガ人ではなくなる。多くの代償を払わせた存在。深夜、月名に慰められたことで受け止められたはずの輪。しかし、独りとなったことでぶり返し、自らに絶望を孕ませ、泥濘に嵌めてしまう。


「……ち、違う……! だって……俺はただ…………ッ!」


 頑張って、生きようとした。そんな安っぽい言葉で自己正当を図ろうとしたが、最後まで言い切れないのが彼の現状であり、限界でもあった。輪は両手で頭を抱えると、行き場のない感情が声に漏れる。しかし、時計の針が出す音でさえ、今の輪には孤独に突き刺さり、執拗にその手を苛み、震わせる。

 刻々と進む沈黙の果てに日が明ける頃、検査室のドアが開いた。輪にとっては待ち侘びていたことであったが、一切の余裕がなく、俯いたままの輪の心には届いていない。


「──やっぱり、目が覚めていたんだね」


 夢の中で朧気に聞いた、聞き覚えのある少女の声は、震える輪の手に自らの手を優しく添えた。

 柔く綺麗な肌をした手。それは夜中に見た月名のものと非常に似ていたが、輪にはどこか違って見える。彼は理屈ではない違和感の答えを求め、添えられた少女の手に沿って視点を上げた。

 彼女の綺麗な細腕から、月名が声の正体だと考える輪であったが、それは今、彼の目の前にいる真実(しょうじょ)により否定されていく。


「……もう、大丈夫だよ?」


 月名と同じ顔、同じ声で、同じ言葉を掛ける、温もる髪色の少女。しかし、同じという場所に違いが重なっていた彼女の存在は、輪の混濁していた思考と、衰弱しきっていた情緒をぶり返させる。

 月名とは違う彼女の存在は、輪にとって劇薬となり、同時に救済としても機能していく。


「……君は、誰なんだ……?」


 輪は擦り切れていた思考力で、拙く、粗削りな質問を口にする。

 彼の過去に触れたことで、妹とは違う、どこか放ってはおけない危うさと脆さを感じ取っていた火名。彼女はなにも言わず、滅裂に精神を擦り減らしていた輪の心に触れていく。そして、彼女は答えとして、輪が内に秘めていた逃げるように甘えた弱々しさを慰め、寄り添った。


「私の名前は火名、よろしくね、()()()()


 庇護欲が強く掻き立った火名は、つい、年不相応な呼び方をしてしまう。


「あ、ごめんなさい! 私……」

「いや、俺の方こそ、ごめん。 気にしないで」


 唐突な子供扱い。その上、同年代の男子であることを思い出した火名は、慌てて口を押え、謝罪した。

 輪は軽く流すも内心では自らの言動を恥じており、隠すように火名から目線を外してしまう。だが、それは名残惜しくも、彼にとっては遠くに行ってしまった、淡くも柔き感覚を呼び起こす。

 飢えに飢え、褪せに褪せた彼の心は、歪にも火名の一言で色を呼び戻すと、容易く懐古に耽らせた。そして、輪は彼女の言葉を噛み締めながらも、その口元を緩ませた。

 火名は礼を欠いてしまったことで気不味くなるが、輪から筒抜けてきた心と満更ではなかった横顔を見ると、彼の心が落ち着き始めたことに安堵する。


「――じゃあ、そろそろ人を呼んでくるね」


 日が昇り、味気なかった白い部屋に熱と色が差し込む中、火名は大地を呼びに行く。

 火名の背を見送り、再びひとりになった輪。彼は何度も死を経るような戦いに晒された腕と、そこに巻かれた包帯を眺めた。微かな痛みと消毒のにおいが残っているにも拘わらず、輪は多くの犠牲の中に自らが含まれていないという、ある種の疎外感から拳を握る。そして、自らに宿る力の意味を求めた。



「失礼するよ」


 十数分程度経った後、複数の足跡と共に検査室のドアが開く。火名は大地と検査室に入るが、輪はふたりの後ろにいた継の姿が目に付き、思わず声に出す。


「……継!」

「──! お兄ちゃん!」


 兄が自分を呼ぶと、継は真っ直ぐに駆け寄り、心配と喜びの感情を拙くぶつける。


「お兄ちゃんはさあ! いつもわたしに無茶するな~、とか! 他人に迷惑を掛けるな~、とか! いろいろ言ってるけど!」


 輪は妹の勢いある耳の痛い説教に押されつつも、宥めながら謝り倒すしかなかった。しかし、近頃の小学生は口達者。止まることを知らない。


「……あ、あのな、継……これは──」

「は~い、言い訳無用! これは? なに? かんじんな時にぜんっぜん! 他人のこと言えてないじゃん!!」


 九歳の小さな妹は身振り手振りを交えながら、何度も十五歳の兄を言葉で刺していく。

 母親の幼体。輪は継の口調や表情を心中で形容したものの、公言すれば火に油を注いでしまうことを予期して口を閉じる。そして、可愛いながらも威厳と剣幕を出さんとする彼女の言葉を聞き入れていった。


「これが女の子か……」

「まあ……そうだね……?」


 継の言葉が悉く飛び火して他人事とは思えなかった大地は、継の言葉に耳を傷めた。すると、横で聞いていた火名は言葉に詰まってしまうが、苦笑いで肯定する。

 絹川親子のやり取りを他所に、依然として終わらない継の有難い御言葉であったが、それは、もうひとりの妹によって中断を余儀なくされた。


「……何かあったの?」


 月名は騒がしくなった検査室を不思議に思い、静かにドアを開けて様子を見に訪れていた。父と姉の後姿の奥で輪が小さな女の子に怒られているのが見えると、月名は話の内容から彼女が輪の妹であることを察する。


「──月名ちゃん、もう身体の方は大丈夫?」

「う~ん……大丈夫じゃなさそう。 まだ身体が痛いし」

「――あ! すごい、ほんとに顔も声もそっくりだ!」


 火名は後方で顔を覗かせていた月名に気が付いて声を掛けると、継も気になったのか彼女達の方に足を運んでいった。

 子供特有の目移りによって説教が止まった輪が一息吐いていると、継と入れ替わるように大地が言葉を掛ける。


「体調の方はどうかな? 天ヶ音輪君」

「はい、お陰様で何とか。 あの、ところで貴方は……?」


 自らの置かれている状況に確信を得たかった輪は、如何にも詳細を知っていそうな白衣姿で現れた大地に尋ねた。


「紹介が遅れたね。 私は対拡張子特殊対策機関、EXTに所属する拡張子研究所の所長、絹川大地という者だ。 天ヶ音君、君が元気そうでなによりだよ」

「研究所の所長さん……ですか」


 輪は大地に口から具体的な単語が聞けたことで、情報の整理に漕ぎ着けていく。だが、未だに多くのことが謎であったため、大地への関心は途切れない。

 一時は意識の回復さえ見通せない状況であった輪。しかし、今の彼が見せる、目立った後遺症もない様子を前にした大地は胸中で安堵すると、事の経緯を説明していく。


「天ヶ音君、君も気になっていると思うから改めて説明するよ。 ここはEXT本部にある拡張子研究所で、昨日の朝、事件に巻き込まれて意識を失っていた君を検査するために運び込んだんだ」

「……そうか、だから検査室だったんですね」


 所長である大地からの説明は、昨夜に月名が話していた内容と辻褄が合っており、輪は病室ではなかったことの疑問点が晴れ、ひとつ納得することができた。しかし、妹の継がこんな朝早くからEXTの研究所に出向いたとは到底思えず、質問を続けた。


「……でも、そう言えば継は……妹はいつから研究所(ここ)に?」

「昨日、君の意識の回復に兆しが見られたタイミングで妹さんには研究所に来てもらったよ。 彼女は病院で当日限りの検査入院となっていたけど、君も知っての通り、保護者の関係があってね。 病院と親御さんに相談して、昨晩はここで預かることになったんだ」

「すみません、ご迷惑をお掛けして……」


 輪は継にしつこく言われた、自分の無茶で家族に迷惑を掛けたことを実感し、遅れて反省する。しかし、彼は気を落としながらも、胸の内にあった心残りを大地に見せた。


「……所長さん、教えて下さい。 EXTの研究所に検査をしていたってことは、俺は拡張子なんですよね?」


 単刀直入。輪にとっては今更、自分が拡張子だからと言って人生のなにかが変わるとは思えなかった。故に、拡張子としての有無や是非は些事に終わるため、これは彼にしてみれば純粋な疑問でしかない。そんな、ある種の確立した自己を有する輪であったが、それが他人に伝わるかはまた別の問題である。


「……それは……」


 大地は、輪に対して明確な答を持ち合わせていた。だが、学術に則ったものでしかなく、迂闊に口にすれば精神的、或いは社会的に繊細な問題になりかねない。変わりようのない、わかりきった事実が大地の口を閉ざして熟考させる。

 言い出した本人である輪も、言い難いことを聞き出そうとしている自覚はあったが、だからこそ、確かな人の口から聞いておきたかった。

 重く張った沈黙から、複雑にもふたりの心境を感じ取った火名。彼女は器用に会話を弾ませるふたりの妹から離れ、不器用な会話をする方のふたりへ助け船を出す。


「――――彼なら大丈夫。 そうだよね、輪ちゃん」


 確証など所詮、ありはしない。しかし、なにが彼女にそこまでさせるのか、火名は言いあぐねていた大地の背中を押すと、輪に笑顔で聞いた。輪と大地。両者の心の内が視える彼女だからこそ、そこに理由はなく、自らの言葉で彼らの内に橋を渡していたのだ。

 覚悟はできている。輪はそれを口にすることなく火名の言葉に頷き、答えた。

 すると、ふたりのやり取りを見た大地は、彼が望んでいた答を教える。


「天ヶ音輪君。 君は拡張子だ」

「――!」


 拡張子。大地の口から出た言葉は無機質で冷たく、短いものであった。

 しかし、それは自分の道に冷たく燻っていた輪の心に大きく踏み入り、昨日感じた心の猛りと、あの日の熱を想起させる。いつしか忘れ、自らを固く閉ざすことで重しと化したひとつ。その一片が今、痛みを伴った真実として他人の手で暴かれた。

 残酷な現実ではあったが、単純な答えを求めていた輪にしてみれば心の穴がひとつ塞がり、寧ろ、遠ざけていた本質に近付いてさえいたのだ。


「俺には、何が出来るんですか?」

「えっと……」


 子供のような思い切りのよさで心情が変化する輪を間近で視ていた火名。彼女は密かに驚愕と感心を覚えるも父の発言を待ち、回答を控える。

 天ヶ音輪。彼は大地の見立てでは、現状、拡張子の力が一割程度しか機能していない。加えて、不安定で未熟且つ、将来性も不透明と言えた。だが、大地にはそれが寧ろ可能性に見え、琴線に触れていたことで拡張子としての天ヶ音輪をひとつ示す。


「これは私の憶測だが、恐らく君は死なない。 拡張子としての君は非常に丈夫で、それに特化し、誰よりも生きることが出来るだろう」


 大地はありがちを棄てた輪の心持を好意的に捉えていた。しかし、それは根拠にしてはあまりにも弱く、希望的観測の域を出ていない。


「……誰よりも、生きること……」


 やりたいことと、できることは違う。大地の期待を他所に、輪は彼の言葉を聞いて自身の手の平をじっと見つめる。我武者羅で、自身の生に執着がなかった輪にとって、拡張子としての自分が上手く想像できなかったのだ。


「すみません。 朝食っていつ頃になりそうですか? 昨日の朝から何も食べていなくて……」


 しかし、精神的に余裕があった輪は平常心を保ち、ある種、吹っ切れていた。昨夜まで点滴は打たれていたものの、空腹は空腹。彼の身体は健康と言わんばかりに栄養を求めて腹を鳴らす。

 大地は十五歳の少年らしい等身大の反応に、笑みを隠さない。


「ははっ、健康なことは何よりだよ」

「ねえ、お父さん。 私も昨日のお昼から何も食べてないんだけど……」

「わたしもお腹減った~」


 大地の後ろから、輪と同じく空腹を訴える妹がふたり。


「じゃあ継ちゃんには朝ごはんの準備を手伝ってもらおうかな」

「うん」

「――あ、勿論月名ちゃんには部屋で安静にしてもらうからね」

「……は~い。 輪くん、またね」


 継に便乗しようとした月名であったが、行動に移す前の段階で火名に釘を刺されてしまう。頃合いと見た火名は大地とアイコンタクトを取ると、月名を部屋に押し戻し、継を連れて朝食の準備に向かっていく。

 輪はそんな絹川姉妹のやり取りを申し訳ないと思いつつも、月名の去り際の言葉に微笑ましく手を振って見送った。



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