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.2-7

「……成程…………そうか……」


 火名の力により輪が回復に向かっている最中、大地はモニターに映る観測された数多の数値とグラフに目を通しながら、ぶつぶつと独り言つ。人のためとは言え、相も変わらず職業病で根を詰める父親の身を心配した火名は、休憩を促すようにコーヒーを差し入れた。


「悪いね、火名」


 大地は視界の隅に映っていたカップをモニターから目線を外さずに手で取り、口を付ける。すると、普段飲んでいる深煎りにあるまじき甘さを感じてしまい、慌てて火名に確認を取った。


「――っ! 火名、これ砂糖が入っているぞ」

「お父さん、脳に糖分足りてるかなって」


 火名は軽く流すと自分好みの甘いコーヒーを飲むが、内心では父親からの関心を欲しており、わざと甘くしていた。大地は職場の都合もあり不規則な食事が殆どで、甘いのが苦手なことで糖分が不足していることを思い出す。娘が淹れてくれた甘いコーヒーを苦い顔で一息に飲んでいく。


「大袈裟じゃない……? そんなに嫌だった?」

「火名、せめて次からは砂糖を半分にしてくれ……じゃないと、お父さん病気になるかもしれない」

「そこまで言うなら、次からはもっと減らすね」


 火名は父の情けない一面を見て口元を緩めると、それを隠すように残りのコーヒーを飲んでいく。そして、一息付けた大地がモニターとの睨めっこを再開したのを確認すると、彼が飲み終えたカップを回収して流し台に向かった。

 一息吐いたのも束の間、大地の持っていた仕事用の携帯電話が彼のポケットの中で着信音を響かせる。


「────私だ、何かあったか?」


 大地は電話に出ると、直ぐに難しい顔付きをして席を離れる。深刻な内容であることが容易に想像できた火名は、大地の姿を目で追いながらも静かに洗い物を済ませて知らせを待った。


「回収は無事に済ませているのだろう? じゃあ、研究所に連れて来るんだ。 いいな?」


 大地は通話を切ると眠っている輪の様子を眺めにいく。

 父の口振りから考えるに、出していた指示は明らかに研究所に搬送させる内容。運び込まれるのは拡張子と推測した火名は思わず嫌な想像が過り、大地に訊いてしまう。


「回収って、もしかして隊長や月名ちゃんに何かあったの……?」


 火名の心は穏やかではいられない。本当は怖くて耳に入れたくなかったが、命が関わっている以上訊くしかなかった。大地に駆け寄り、彼女は問い質す。

 誰に似たのか、火名には強情な一面があり、こうなってしまうと話を聞かないことが珍しくない。大地は半ば諦めて溜め息をつくと、背を向けたまま火名に説明する。


「拠点を調査していた鈴島君と月名が襲撃に遭い、月名が意識不明だそうだ」

「──⁉ やっぱり……!」


 嫌な予感は当たり易い。薄々分かってはいたものの、火名は間違いであることをどこか願っていた。しかし、示された事実を前にして焦燥に駆られ、居ても立ってもいられない火名の不安は背中越しの大地にも、ひしひしと伝わっていく。


「火名、今日は彼の妹さんと研究所(ここ)に泊まっていきなさい。 病院の方には私の方から言っておく」


 下手に引き離しても不安を募らせる。その愚かさを身をもって知っている大地は、同じ轍を踏まないために火名と継を泊まらせることを提案した。父親としては今一つであった大地だが、彼は朴念仁でもなければ、鬼でもない。娘の顔を見なくても今の心境程度なら察することができたのだ。



「――お兄ちゃん、明日には起きるかな?」

「うん、今はぐっすり眠っているから、朝になったら見に行ってみようね?」


 怪我もないことから日帰りで退院したが、自宅に戻っても保護者が不在であった継。彼女は病院に話を通した大地の計らいによって、研究員用の当直室で一晩を明かす運びとなっていた。

 彼女は迎えに来た火名と共に仲良く買い物袋を手に下げ、普段なら目にすることがない研究所の中を目移りしながら通っていく。そして、火名が足を止めた先にある当直室のドアを、小さな手で大きく開けた。


「すごーい! 研究所の中にこんな部屋があるんだ。 お家みたいだね」


 中は一般的な当直室のイメージとはかけ離れ、家電等の設備も新しいものでまとめられ、不足のない広めの1DK仕立てとなっていた。継は普段とは違う非日常感に目を輝かせ、荷物を降ろすことなく部屋の中を見て周る。


「うん、あるんだよね……こんな部屋が」


 研究所ということもあり、常駐するのは研究員等の職員が大半を占める。基本的な構造は判明しているが、拡張子は未だに謎が多く、今回の天ヶ音輪のように新たな発見が転がり込むことも無くはない。そのため、職業柄のせいか当直する者は意外にも多く、一部の者は家に帰らず住み込んで半ば私物化している事例もある。これが、火名の反応が微妙な理由でもあったのだ。


「ねえ……火名お姉ちゃんは良かったの?」

「――っ!」


 継はリュックを降ろすと、先程の様子とは打って変わり、弱気に尋ねた。

 月名が搬送されたことだと気が付くと、火名は買い物袋が出した音と共に一瞬だけ思考が止まる。相手はまだ小学生。同じ子供の枠組みに入っているものの、その年齢差は大人達の比ではない。継が馬鹿正直に心境を吐露できる程の相手ではないことを、火名は重々承知していた。

 そのため、彼女は表に出すことをしなかったが、触れられた以上、黙ることもしなかった。


「見に行きたいのはやまやまだったけど、向こうも忙しそうだから……」

「部屋の前、人がすごかったもんね……」


 当たり障りのない理由を見繕い、妹に会うことを避ける火名。今現在、廃ビルの襲撃はマスコミに取り上げられており、多くのメディアで憶測が飛び交う中、大地の父であり、姉妹にとっては祖父にあたるEXTの代表、絹川(きぬかわ)(すばる)はそれらの対応に追われていた。

 家族が大変な中、火名はなにできない自分のことをどうかと思うが、心の整理ができておらず、具体的な行動に移せていない。

 日没まで時間はあるが、直に外も暗くなる。火名は気持ちを切り替えて荷物を置くと、遅くならないうちに夕飯の準備を進めることにした。


「まあ、これが普通なんだよね……」


 冷蔵庫の中は空っぽで、火名の頬に冷えた空気が気持ち良く当たった。父が入り浸っている部屋に慣れていたせいか、この状態が普通であることに諦観する。火名は買い物袋を手に取り、父の夕飯の分も頭の中で考えて買ってきた食材を広げて準備をしていく。


「もしかして、火名お姉ちゃんが晩ごはん作ってくれるの⁉」


 火名の後ろで継は声を掛ける。この時間に冷蔵庫を確認することが夕飯の準備だと理解している継は、やや薄味の兄の手料理以外を食べられることに、きらきらとした期待の眼差しを向けていた。


「継ちゃん、今日はカレーだよ」

「やったあ! わたしも手伝うね!」


 継は火名の横に勤しんで並び、夕飯の支度に掛かっていった。



 好転するはずだった一日は太陽と共に沈み、負けた夜となる。継を当直室に残し、火名は月名のいる部屋の前まで来ていた。どこか、会うことを恐れて尻込みしていた彼女だが、同時に、はち切れんばかりの心配から解放を望み、静かに部屋のドアを開ける。

 すると、そこでは意識を失ってEXTの研究所に搬送された月名が、本人の意に反して安らかにベッドで眠っていた。月が照らすことにより、妹の顔が鮮明に見えた。

 火名は募り、逸る気持ちを抑えると、優しく月名の頬を撫で、呟いた。


「……よく頑張ったね。 月名……」


 火名は月名が努力家なのを知っている。だからこそ本当は沢山のことを話したかったが、いざ彼女の寝顔を前にすると話の内容は頭の中から消え去り、既にどうでもよくなってしまう。

 暫くの間、月名を眺める火名であったが、その顔は慈悲に溢れていた。



 火名が部屋を出た後も時は夜を深めていくが、依然として窓の外から零れる月明かりが彼女を起こしてしまう。


「────」


 無機質な匂いがする白い部屋。その中で独り、月名は温かみのないシーツを撫でる。彼女は柔らかく、きめ細やかな肌触りに思わず腕を伸ばすも、袖口から覗かせた包帯に鋭い痛みを伝えられてしまう。月名は寝たまま動きを止めて恐る恐る袖を捲ると、手首から二の腕にかけて綺麗に巻かれていた。もしやと思い、月名は腹部に手を当てる。すると、内側から伝わる痛みは自身が想像するよりも重く、身体を捩って呻いてしまう。


「やっぱり――――」


 ベッドの上で身体を丸めて痛みに耐えながら、月名はゆっくりと自らが置かれていた状況を思い出していく。訓練をしたことで、未だに経験が浅く、完全ではないものの索敵範囲には自信があった。しかし、欠点とも言うべき外からの不意打ちや、知覚の乖離を用いた五感への直接的な攻撃といった露骨な手段。それらを浴びせられて尚、撤退を認めたくなかった自身の想像力の無さと認識の甘さ。それらが大切な人を含め、大勢に迷惑を掛けてしまっていた。


「――――負けたんだ」


 月名は自分に施された手厚い対応から、これでもかと未熟さを痛感し、シーツを握り締める。

 拡張子、或いは思春期特有の全能感を現実が打ち砕く。認めざるを得ない自惚れは、次第に形容しがたい悔しさへと姿を変えていった。


「ッ!!」


 月名の心は逆巻き、衝動的に上体を起こすと拳を打ちつける。彼女は多くのことを、今更になって思い知ったのだ。

 彼女は独り、拳を解くこともなく、静かに頬を濡らしていく。だが、その時間は拒絶され、刹那に終わることとなる。


「………………大丈夫?」


 月名しかいないはずの個室に、誰かの声が聞こえた。父でも、姉でも、上司でもない。正真正銘、知らない声が。


「誰⁉」


 感情が散らかり、心が穏やかではなかった月名。彼女は言葉を投げつけると警戒心を強め、声のした方を激しく睨む。照明を点けていない深夜帯。当然のように、部屋は月に照らされた窓辺以外の大半が暗く、相手の素顔はわからない。だが、個室のドアを開けて人が立っていることを、月名は感じ取っていた。


「……」


 彼女の棘のある問いに沈黙すると、声の主は自分達以外に誰もいない部屋を滴る雫のような足音で満たしていく。

 次第に互いの距離が縮まることで、暗い中にひとつの糸が張り詰める。月名は手負いと言えど、反射神経で負けるつもりは毛頭なかった。その証拠に、決して痛みを面に出さず、足元から明るむ相手の一挙一動を睨み見る。

 長く感じた数秒の果て。明暗の線は上がり終え、相手は素顔を露わにした。


「……さっき、痛そうな声が聞こえ──」


 月名と同じく、身体の至る箇所に包帯を巻いた少年、天ヶ音輪。声が聞こえて状況もわからないまま飛び起きていた彼は、心配そうに手探った声色で月名に話し掛ける。しかし、予想だにしていない出来事を前に、彼の理解は遅れを取ることとなった。


「はあッ!!」

「――うぐッ⁉」


 完全にスイッチが入っていた月名は相手の容姿を気にも留めず、力強い声と共に布団から飛び出すと容赦なく輪の腹に拳を叩き込んだ。

 あまりにも芸術的な不意打ちを決められ、輪は堪らずに声を漏らすが、月名の方は怪我の影響で威力に手応えがない。しかし、その割に鉄でも殴っていたのか、拳が痛みで赤くなる。不思議に思った月名は次の一手を考えながら、得体の知れない少年に目を向けた。だが、その瞬間、彼女の血の気は引いていく。

 自分と同じEXTの患者衣を身に着けた少年が床に蹲っており、月名は朝に搬送された少年が病院からEXTに搬送されていたことを、今更ながら思い出したのだ。


「ご、ごめんなさいっ! 私の勘違いで……!」

「……お、俺は大丈夫……体は頑丈な方だから……」


 慌てて駆け寄った月名には、輪の精一杯のフォローが聞こえる程の余裕はなかった。手加減はしたもののそれは言い訳でしかなく、非は完全にこちら側にある。月名は顔を赤くして涙目になりながら肩を貸し、身体が痛む中、輪をベッドに座らせると隣で必死に謝罪した。


「――――本当に良かった、ちゃんと目が覚めたんだね。 でも、勝手に検査室から抜け出したりしたらダメだよ?」

「……? あ、ああ……ごめん……」


 躊躇いながらも励まし合って誤解が解けていった月名は、聞かされていた話よりもずっと元気そうであった輪の姿に安堵する。

 しかし、輪は月名の口振りから、自分の置かれていた状態が想像よりも悪いものであったことを察してしまう。されるがままに抗い、省みることなく我武者羅に生き伸びた。本来なら喜ばしいことであったが、彼の萎れた肩から伸びる腕は手を震わせ、包帯が巻かれた手の平を見つめる表情には影が落ちている。それは、輪は自らの命が屍の上に成り立っていることを認められず、忌み嫌っていたからだ。


「…………ぅ……っ……!」


 心も口も閉ざし、光さえ涙で霞み始めた瞳を見せる、居た堪れない横顔。そんな、彼の着飾らない幼さを目の当たりにした月名は、眠っていた本能に逸るような憂いを感じてしまう。

 心が着崩れていくのを抑えられなかった月名は、徐に冷たい明かりを背に受けて、ベッドを優しく軋ませる。そして、彼の影と自らの影の輪郭を、ひとつにさせた。


「もう、大丈夫だよ?」


 月名は生まれてから初めて出すような、優しくて柔らかい、甘ささえ感じてしまう声を少年に掛けた。そして、心配を隠そうともせずに、長くて綺麗な青髪に光を吸わせながら彼の顔を覗く。

 不意に間近で見た月名の姿は、輪から言葉を奪い、その瞳を綺麗に焼いていた。


「──っ⁉ ああ、もう平気だから……!」

「……うん、そうみたいだね」


 そんな風に見られているとは露にも知らずに月名が見つめていると、話し掛けられていたことに気が付いた輪は慌てながらも、失礼のないように視線を改めて返事をした。

 童顔ながらも整って大人びた雰囲気があった輪が、意外にも子供っぽく焦る姿を見せて安心した月名は、小さく笑う。


「ふふっ、私は月名。 絹川月名って言うの」

「俺は天ヶ音輪。 よろしく」



 深まる夜は、心を交わすふたりを静かに見守った。



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