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「――――思ったよりも何だかしっかりしてますね、拠点。 隙間から見える壁も思ったより汚れていないし、廃ビルって言うからてっきりボロボロかと……」
「一〇年以上は前のものになるが、当時ではまだ新しい方だったらしいからな……まあ、解体がほぼ進まずに、今まで養生シート諸共放置されていた訳だが。 何か罠が仕掛けてあるかもしれない。 気を引き締めて行くぞ、月名」
鈴島と月名は、浦出から得た情報を基に、拠点である廃ビルの現地調査に訪れていた。周囲は壁で囲まれており月名でもよじ登れる程度の高さだが、周囲や廃ビルからも目に付くため、侵入には向いていない。そのため、鈴島は敷地内への出入りに、正面か裏口にある二か所のゲートを候補に考えていた。だが、相手は中枢に複数の拡張子が存在する犯罪組織で、ここはその拠点のひとつ。用心するに越したことはないため、彼はふたつ隣の空き地に車を駐めた。
鈴島は双眼鏡や端末に記録された地図や周辺情報を駆使して、浦出の供述を基に侵入や逃走の経路を模索していく。
「解体は進んでいないと言いつつも、屋上と最上階までは一応手を着けていたんだな。 外装は大して劣化していないが、上の方だけコンクリートが剥き出しだ」
「それに、殆どの窓は工事で使っていたシートで壁ごと覆われていますね。 これじゃ中まで確認するのは難しいです」
「隠れ蓑にして悪事を働くなら、正しく良物件ってことだな」
互いに隣で所感を語っていたふたりは、電子スコープで廃ビルの様子を隈なく調べていた。だが、お誂え向きの養生シートによって肝心の屋内の様子は確認できなかった月名は、鈴島の発言がどこか引っ掛かり、彼より先にスコープを外す。
「ですが隊長、一〇年以上も放置していたら普通、誰か気が付きますよね?」
「俺も最初はそう思ったんだが、解体を受け持っていた会社は既に赤字で倒産しているんだ」
「倒産……? でも、そういうのって遡って調べれば情報が出てくるんじゃないですか?」
月名は鈴島の発言に食いつく。しかし、ただ感情的にものを言うのではなく、彼女の理論性が乗った問いが返ってくることに鈴島は研修の成果を感じていた。だが、それと同時に情報共有が不足しているとも考えた鈴島は、一回りは離れた世代の違いに由来する前提知識の差を埋めるべく、月名にあることを共有させる。
「もしかしたら月名も小さい頃にニュースとかで知っているかもしれないが、当時の大規模な区画整理や再開発の煽りで相当数の企業が統廃合したんだ。 しかも突発に近い状態だったせいで経歴がスパゲッティーコードみたいになっているから、どさくさに逃げるには打って付けだったんだろうな。 加え着け、ここは工業区にある少し開けた隅ということもあって、見過ごされていたのも現状だ」
鈴島も一通り調べ終えたことでスコープを外すと、顔と声を引き締めて月名に指示を出す。
「――月名、まずは敷地内を回って、その後にビルの中を全体的に捜索する。 いいな?」
「はい!」
一九〇センチメートル以上あり、その肉体に着せたEXTのジャケットの内には防弾仕様の装備をふんだんに纏った全身を眠らせていた鈴島。
そんな軍人顔負けの装備をする鈴島に対し、彼程の重装備ではなく、そのシルエットは随分と大人しいものとなる月名。だが、それは見かけだけ。その実、最新モデルの防弾型耐衝撃性インナーを上下に着けており、鈴島以上の対策を施されていたのだ。証拠として、普段はスカートの下から覗かせていた素肌が暗くて味気ないインナーの色に変わっている。
準備万端。お互いの意思を確認したふたりは満を持して車から降りると、拠点である廃ビルを見定め、足を運んだ。
「――――既に退却済みか……?」
鈴島達は廃ビルの外で気配を殺して陣取りながら、周囲の様子を窺っていった。しかし、罠がある訳でもなく、拠点と謳われている割には殺風景。用意周到な連中なのか、見た感じでは僅かな活動の痕跡さえ見当たらない。
鈴島は先手を打たれた可能性を考慮しつつも、月名の力を頼ることを優先した。
「月名……周囲に人の気配はあるか?」
「やってみます」
鈴島の指示を聞いた月名は頷くと、目の前に聳える廃ビルごと敷地全体を見渡していった。
六階建てである廃ビルの上層から下層、外灯や積まれたコンテナや鉄骨の影、裏手にある木々等の視界に入り込む至る箇所をレンズに通すことなく、鮮明にその瞳へ映していく。
「見える範囲では特に異常はなさそうです」
そして、その中に人影が無いことを確認すると、静かに瞼を閉じた。潮の乗った風音や草木の香り、道路方面から聞こえてくる雑音、廃ビルに流れる空気の音。月名はそれら以外にも、敷地の内外を問わずあらゆる音やにおいを分けていくが、敷地内からは爆弾や銃器にある火薬の臭みや罠等の類にある機械音どころか、鈴島以外の人間が出す気配さえ存在しなかった。
「敷地内はもう空ですね。 人も罠の存在もありませんし、既に逃げていると思います」
「流石と言うべきか、やはりと言うべきか。 本当に助かるぞ、月名」
鈴島に結果を報告すると、月名は瞼を開けて瞳にもう一度光を呼び込む。一連のやり取りから、拡張子としての才覚を月名から感じ取った鈴島は彼女を褒めると、嬉しくも恥ずかしそうな月名と共に廃ビルの中へ赴いていく。
「……如何にも廃ビルって感じだな」
既に日は高くなり、朝の面影は残っていない。だが、意外にも屋内には光が差し込んでおらず、その空気は埃で淀み、仄かに暗くて肌寒い。外見の綺麗さから反転、不気味と形容できる屋内は内装も全て剥がされており、どこを見ても飽きる程の剥き出したコンクリートがふたりを出迎えた。
「比較的安全だとは思うけど……やっぱりなんか怖いな……」
百聞は一見に如かず。幾ら精度の高い理解を示したとしても、それが識るに足るかは別問題である。しかし、拡張子としての自分への理解が浅い月名にとって、それは致し方のない現実でもあった。自らが調べを付けたにも拘らず、廃ビルに入って早々に弱音を吐いた月名は腰が引けて鈴島の後ろに隠れる。
「直ぐに慣れる。 背後は任せたぞ、月名」
「……え、後ろ⁉」
「よそ見していると置いていくぞ?」
いざという時は頼りになることをわかっていた鈴島。彼は慌てて後方を警戒する月名を微笑ましく思いながらも、コンクリートと砂埃にライトを当てて一階部分の本格的な調査を進める。
「……でも隊長、大したものはなさそうですね。 いや、あるにはあるんですけど……」
「一番目に付く場所だ、証拠は真っ先に片付けたんだろう」
ふたりは見落としが無いよう、目元を完全に覆う複合センサー式電子ゴーグルを装着して指紋や毛髪等の遺伝子的証拠を探っていく。だが、隅の方に当時現場で使われていたと思われる古いブルーシートや、積まれていたブロックがあるだけ。本当に人が使っていたのかも怪しい程、痕跡が見えてこない。
鈴島達は見落とす方が難しく感じる程には殺風景であるにも拘わらず、労力に反して時間だけを要していくが依然として痕跡は証拠が見つからない。
ふたりには、安全が確認された二階へ続く階段だけが残された。
「月名、俺の予想が正しければ、これをあと五、六回はやることになる」
「…………まあ、六階建てのビルですもんね、これ。 あれ? もしかしなくても結構大変では……?」
廃ビルの全層を調べることは、前提にして当たり前。鈴島は一度ゴーグルを外すと、現実の徒労感として数字で伝えた。
月名にとって、自らに与えられた役割をこなしていくことは、EXTに身を置くと決めたその日からやるべきこととして覚悟の内。しかし、外れていく想像上のやるべきことに気が付いてしまい、自身の甘さに肩が重くなる。幼少の頃から大人達の終わりなき多忙を知っていた月名にとっては、目に見えていたそれだけが苦労ではないことを心中で思い知る形となった。
「――――で、結局溜まっていた事務処理や現場検証に付き合わされて、ここに戻って来たって訳か……苦労を掛けたね、火名」
「いや、まあ良くあることだから気にはしてないんだけど……隊長も月名ちゃんがいるからって、あんなにフットワーク軽くしなくても良いのに。 お父さんはどう思う?」
既に正午を大きく回っている中、大地が入り浸る当直室にて遅い昼食を親子で取っていた火名。彼女は食器を片付けつつ、緊急事態にあった部隊に対して慎重さを説いていた。
大地は簡単ながらも振舞われた娘の手料理を堪能し終え、火名が憂いている現状と今後の部隊運用について語り始める。
「まあ、火名が危惧するのも分かる。 でも、火名も知っての通り、対拡には拡張子による犯罪や事件に対して即効性のある抑止力が存在していない。 だからこそ、今までは隊の死亡率を悪戯に上げるようなことを決して認められず、厳重且つ慎重に立ち回らせていた」
食器を洗い終えた火名はエプロンを外すと、大地の発言に一定の理解を示していながらも不服そうにダイニングへ戻る。
「お父さん……それは分かるけど――」
「今の私は、命を守るための命、それらを預かる立場にいる一人だ。 そして、拡張子達の明日を約束するのが私の使命でもある」
しかし、大地の物言いは普段とは打って変わり、真剣に感情を込めていた。父の厳かな一面を見せられた火名は返す言葉を失い、たじろいでしまう。
「良いか、火名。 こうは言いたくはないが、世間の目は残酷だ。 時には客観という名を騙り、主観の集合体で誹り、追い詰め、殺める事だってある。 増してや、一方的に他者を屠ることができる力を有しているかもしれない拡張子が相手だ、容易くは止まってくれないだろう」
しかし、娘に対してそんな様子を見せながらも、大地は容赦なく自らの考えと主張を続ける。
「それにもし、その矛先が火名や月名達のような、罪のない拡張子に向けられたらどうなる? 二十二世紀が現実味を帯びてきた日本で魔女狩りが始まる可能性を、火名は否定できるか?」
「…………それは……」
大地は絵空事にも思えた例えを火名に浴びせたが、その内容は杞憂では済まされない地獄絵図。
そういった可能性を重々理解していた火名は途端に視線を落とし、苦しくも沈黙することで肯定の意を示す。
「……すまない、火名。 お父さんも言い過ぎてしまった」
「私の方こそ分かっていたことなのに、ごめんなさい」
言うべきことだと判断しての発言。しかし、それが表情と共に火名の行き場を奪っていたように感じた大地は、今の自分達がやるべきことに目を向けて話を広げる。
「――彼の……天ヶ音輪君の意識と、その根底を調べて欲しい。 とても大切な事だ、検査室に来てくれ」
大地に言われて検査室に再び足を運んだ火名は、未だにベッドの上で眠り、様々な機材に繋がれていた輪の前で足を止める。
幼さの残る顔付きを見せる輪であったが、観測された脳波が芳しい状態ではなかったため、そのことを火名に説明するべく大地は彼女の隣に並び立って彼に目を向ける。
「彼の脳波は拡張子特有のものを発しているが、あまりにも低く、未熟だ。 そして、意識が戻らない原因は脳機能の拡張が停滞している影響でそれ以外へのリソースが断たれた事に起因する、所謂、拡張不全による脳の仮死、或いはその兆候が出ている」
火名が不在の間も調べた結果、輪に重大な異常があることを発見していた大地は、口を休めることなく動かした。
「……じゃあ、彼はもう……」
脳の仮死。父から告げられたその字面の強さと想定できる意味から、なにひとつ希望を持つことができなかった火名。彼女は継との約束を最悪の形で果たしてしまうことがありありと目に浮かび、無念からその胸中を弱々しく漏出してしまう。
だが、彼女とは違い、拡張子への造詣が深い大地には違う光景が見えていた。
「――――まだ、だ。 拡張不全による脳の仮死。それは、拡張子としての羽化を損ねた者達の末路であり、淘汰の一種とも揶揄される症例だが、彼は目撃者の証言によれば拡張子の力を既に使用している。 このことから、兆候や影響の範疇を出ておらず、不全ではない、飽くまで未熟な拡張子であると私は睨んでいる」
しかし、それを解決するだけの具体的な対処方法は現段階で存在していない。そのため、脳波を伝って相手の意識や記憶に潜り込める火名の力が、唯一の望みでもあったのだ。
「────私に任せて」
「……すまない」
それ以上の言葉は要らない。火名は輪の横に立って深呼吸をすると、瞼を閉じず、只管に無言のまま彼の心を視る。今日起こった湾岸沿いの旧道や交差点での出来事、朝の自宅で交わした継との約束や、誰にも明かしていない将来への不安。そういった彼の心の動きは浅層の時点で溢れ返るも、火名はひとつひとつを手に取り、静かに確認と把握を繰り返していく。
火名の行っていた作業は当時の輪が感じていたストレスを追体験することと同義であり、それ相応の負担を彼女にも強いている。そのため、大地は輪のモニタリングをしながら火名のセーフティーとバックアップ体制を整えて万全を期していた。
緊張が走る中、火名は最終確認のため、事件の始まりでもある交差点の出来事をより詳細に追い始める。だが、彼にとっては余程衝撃的だったのか、聞こえた悲鳴や銃声が鮮明に記憶されていたことで、火名にも還元された感覚は、幻肢痛のように彼女の頭の中にこびりついていく。
「――っ⁉」
彼女は堪らず腕を抑え、目を閉じた。原因は明白。火名は距離を見誤ってしまい、知らぬ間に彼の心に深入りしていたからだ。完全に近い痛覚の再現。寸でのところで踏み止まることができた火名は、慌てて記憶の詮索を中断し、逃げるように輪の心から離れた。
「大丈夫だったか、火名⁉」
「……うん、何とか……」
少しでも位置取りを間違えれば、ふたりまとめて生涯寝たきり。その危険性を重々理解していた大地に心配される中、彼女は肩で呼吸をしながら額を伝う汗を拭うと、乱れた心を落ち着けていく。火名の拡張子の力は非常に便利で大変優秀。しかし、相手の脳活動に干渉するという性質上、こうした力の使い方は、手術のような非常に繊細な扱いを心掛けなければならないものでもあった。
「もう一度視てみるね」
「気を付けるんだぞ」
彼女は間を置いて息を整えると、今度は少しだけ離れた場所から改めて探りを入れる。しかし、交差点であれだけのことがあったにも関わらず、彼が拡張子となった瞬間を火名は未だ見つけられていない。
「まさか、もっと過去に何かが……」
半年前、一年前、数年前。火名は巻き戻すように輪の古い過去を辿っていく。すると、小学校にも進学していない十年前に差し掛かったた辺りで、輪の容体に変化が起きた。
「……ぅ……お姉ちゃん……」
輪は眠りが浅くなったのか寝言を口にする。だが、その一言は幼く、寂しいものであった。
「──ッ⁉ お父さん!」
「こっちでも彼の脳波を観測している、成功だ」
長い間だんまりを決め込んでいた輪の意識であったが、その長い沈黙は火名による意識の人工呼吸を前に破られる。珍しく動揺や昂ぶりを見せて呼び掛ける火名であったが、大地はモニタリングにより輪の脳波に変化が訪れて脳が息を吹き返したのを把握していたため、冷静な態度で彼女を労う。
「これだけ活発になれば安全域だ、直に目が覚めるだろう……ありがとう、火名。 後は私に任せて、ゆっくり休むと良い」
「うん、そうさせてもらうね……」
モニターに映される変動したデータとグラフを見て、山場は超えたと判断した大地。だが、彼は完全に意識が回復するその時まで油断せず、慎重に見守ることを選んだ。




