黒い球体
何事もなかったかのように、日の暮れた静かな星空がいつもの夜を告げる。まだ浮遊していた俺は桜田が手招きしているのを視認した。
「ん?」
視認できたことに違和感を覚えた俺は魔導書に確認した。
「何かした?」
確かにここは郊外ではなく街中で、街灯もあれば窓から漏れる光もあって明るい。しかし、今は結界に包まれた裏世界。
家一つ一つに光は灯っていないし、街灯も灯ってはいないのだ。
だから違和感を感じた。
「はい、魔力で視覚を補助いたしました」
「そう」
魔導書の便利機能だったようだ。よかった。
よかった、そう思ったのはこの一瞬だけだった。いや、後々を思うと俺はこの便利機能にすごく感謝した。
だって、何かの予感。虫の知らせとでもいうのか、俺が嫌な気配を感じて後ろに振り向くと、そこには何もない穴が、存在していたのだから。
黒く、真っ黒で、深淵を思わせるような黒い穴。
その穴は次第に二次元的から三次元的になっていき、丸みを帯び、いつの間にか球になっていた。
いつの間にか、という曖昧さは時間を忘れるほどということではなく、気づかないほど緩やかにという意味合いが正しい。
俺はすぐに桜田の元へと戻った。
「やあ、瑞樹ちゃん。魔導書は出来上がったみたいだね」
「ねえ、桜田。あれ何?」
俺は黒い球体を指さした。
「あれは、・・・・・・わかりやすく言うとラスボスだよ」
「今の間は何!?」
「あんまり時間なさそうだな~って思ってね。とりあえず、輪花さん頼みました」
「わかりました。お久しぶりですね、瑞樹さん。説明は桜田にしてもらってくださいね」
忍者のような恰好で刀を三振り携えた輪花さんは、闇夜に紛れていた姿をすっと現した。
そして輪花さんは何を足場にしているのかわからない感じで上空に上がっていった。
「彼女には瑞樹ちゃんが戦えるようになるまでの時間稼ぎを頼んでおいた。僕たちじゃ、どうあがいてもかの神にとどめはさせないからね」
「あれ神様なの?」
「神様というか、悪魔だ。僕たちは悪魔王と呼んでいるけれど、この事態は想定されていた。この王は大罪の所有者であり、その王。わかりやすく言うと色欲の魔導書を取り戻しに来た管理人というところかな」
「じゃあ、返せば」
「そうだね。瑞樹ちゃんが自分を差し出せば、ことは丸く収まる」
「ん? えっ!?」
「リリスも瑞樹ちゃんが色欲の主となれるようにキスをしていただろう。あれは因子を授けていたんだって言ってなかった? だから魔導書だけでは意味がないんだよ」
「そうだったね・・・・・・」
どうして桜田がリリスとのその時のことを知っているのかなんて、聞いてやるものか。どうせ、見ていなくとも、というか桜田はあらかじめ知っていたのだろう。
だから魔導書を持ってきたのだとも合点がいく。
「倒さないとだめなのね」
「瑞樹ちゃんの力があれば追い返すことくらいはできるはずだよ。それにリリスは追い返していたはずなんだ。だから自信を持って」
「が、頑張る・・・・・・」
俺は意気込むと同時にガッツポーズして見せた。今までやったことなくてすごく恥ずかしかった・・・・・・もう二度とやらない・・・・・・
「これは・・・・・・」
輪花さんは黒い球体に斬りかかろうとして咄嗟に止め数歩後退る。
そして刀を鞘に戻し、居合切りの構え。
「ふんっ!!!」
音速で振り抜いた刀は確かに黒い球体を斬った、そのはずだった。
「斬れていませんね」
輪花さんは刀を持ち変えた。
冥刀羅刹。
桜田命名の輪花さんが居合切りをするためだけの刀。
「はっ!!!」
またも音速で振り抜いた刀は今度こそ黒い球体を斬った。
「手ごたえはありましたが、効果はなさそうですね」
しかし、黒い球体に変化は見られなかった。
刀身に魔力を流している私の居合が効いていないということは、躱されている可能性が高いと踏んだ。
だから、
「何かの魔術をすでに使っている」
輪花さんは迂闊に斬りこめなくなってしまった。もし自分より早く動けるのだとしたら、これ以上に怖い敵もいない。
「まずいですね。いったん・・・」
輪花さんが引こうとしたその時、黒い球体が動き始めた。
黒い球体は機敏に形を変えていき、人型のような形へと変わっていく。ただ違うのは角があったり、尻尾があったりするところだろうか。
「魔力が上がってませんか・・・・・・私の役回り切なすぎますよ~~」
そう言いつつ、輪花さんはもう一度居合切りした。
その心は乱れていたかもしれないし、音速に刃は届いていなかったかもしれない。ただ、今までで一番魔力を乗せた刃だったことは間違いなく、その刃はみじんもなく砕かれていた。




