第96話 ハッピーウェディング
白亜の大聖堂は、夕暮れの光を受けて淡く青白く輝いていた。
尖塔が左右に細く伸び、中央のドームがわずかに膨らんでいる。
正面の大きな扉の上には、月を模した円形のステンドグラスがはめ込まれていた。
石畳の広場を抜けた先に、その建物はある。遠くを見やれば、低い稜線の向こうに月岩戸山が沈んでいる。
月の女神が隠れるという名を持つ山だ。だが、今夜、月はない。
参列者たちが静かに席につく。
皆、貴族らしい姿勢で、屈託のない笑顔を浮かべている。
後方には宵坂千秋の姿があった。
検閲が強くかかった状態で、教師らしい安全な笑顔を崩さない。
その周囲には、暮小路慧と生徒会員がさりげなく控えている。
祭壇の前に、夕星律が立った。
続いて、月詠が入ってくる。
真っ白なドレス。
シンプルな生地を基調に、裾と袖口に銀糸が走り、月の模様が細かく刺繍されている。
動くたびに、その銀糸が青白い魔法灯を受けて淡くきらめいた。
サファイアブルーの長い髪が背中に滑らかに流れ、黄金の瞳がドレスの白さの中で際立っている。
「月詠ちゃん、綺麗……!」
誰かが小さく漏らした声が、堂内に溶ける。
短い誓いの言葉。
指輪の交換。
静かな進行の中で、「夕星先輩、かっこいい」という声も、自然に混じった。
参列者たちは皆、柔らかく微笑んでいる。
宵坂も例外ではなかった。
式が終わると、守部弥彦がカメラを構えた。
月詠と夕星を中心にした構図は、どこか既視感のあるものだった。
フレームの端に、検閲状態の宵坂と監視役の暮小路たちが自然に収まっている。
それでも、写真全体は明るい記念の空気を纏っていた。
◇
披露宴が終わり、参列者たちは外へ出た。
遠景の月岩戸山に、月はない。
石畳の広場に、馬車が十台以上並んでいる。
どこへ運ばれるのか分からないよう、デコイも厳重に交ぜてあった。
オレは端の方に立ったまま、カメラのストラップを握り直した。
一人ずつ、前に出てくる。
「ありがとうございました」
「お幸せに」
短い挨拶が繰り返される。
皆、貴族らしい屈託のない笑顔だ。
演技だと分かっていても、その表情に影はなかった。
宵坂は後方で、教師らしい安全な笑顔を保ったまま誰かと言葉を交わしている。
暮小路が、視線だけで彼を捉えていた。
綺羅星は早めにいなくなった。
満面の笑みで何か言い、人混みに紛れて消えた。
振り返りもしなかった。
人数が、少しずつ減っていく。
挨拶の声が遠ざかり、馬車の扉が閉まる音が断続的に響く。
車輪が石畳を軋ませて去っていくたびに、広場の空気が薄くなっていく。
気づけば、残っていたのは三人だった。
オレと、夕星と、月詠。
月詠は白いドレスのまま、こちらを見ていた。
銀糸の月模様が、残った魔法灯の光をわずかに拾っている。
「……守部くん」
「うん」
世界で一番美しくて、誰にでも優しい少女は、一人の男を選んだ。
そしてもう、巻き戻ることはない。
「来てくれて、ありがとう。カメラも」
「こちらこそ」
短い言葉しか出なかった。
月詠は微笑んだ。
仕方なく合わせたようなものではない。
夕星の方をちらりと見てから、自然に口元を緩める笑顔だった。
本当に、好きになっている顔をしていた。
「よかった……な」
月詠の足が、一瞬だけ止まった。
「うん……」
彼女は静かに言った。
「そろそろ……行くよ」
夕星が短く言った。
オレは頷いて、後に続く。
大聖堂の側面に回ると、目立たない扉があった。
夕星が何かを使い、中へ入る。狭い通路を抜けた先は、小さな密室だった。
石の壁に囲まれ、窓はない。照明は一つだけ、青白く灯っている。
扉が、後ろで閉まった。
夕星がこちらを向く。いつもの落ち着いた表情のまま、静かに口を開いた。
「準備はいい?」
「あぁ」
夕星先輩の手が、ゆっくりとオレの額に触れた。
指先が冷たい。
魔術の気配が、静かに広がっていく。
「記憶の封印は、君の言うロールプレイジェイルブレイクごと、封印することになるから……」
低い声だった。
いつものクールな口調のままで、でもどこか掠れている。
オレは苦笑した。カメラはもう、手放している。
手元に何もない。
(あー、オレ。バカみたい。恥ずかしすぎるっていうか)
フラれるどころか、最初から恋愛対象にすらなっていなかった。
月詠の隣に立っているのは、夕星先輩だ。
オレはただの、記録係。モブのカメラマン。
でも、不思議と、そんなに辛くはなかった。
「勿論です。スパッとやっちゃってください」
オレははっきりと言った。
夕星先輩の紫の瞳が、わずかに揺れた。
辛そうに見えるのは、むしろあっちの方だった。
オレは視線をずらして、月詠を見た。
サファイアブルーの長い髪。金色の瞳。
少しだけ、俯いている。
「で、月詠。今度こそっておかしいけど……幸せにな」
「うん。君の……おかげ」
月詠の肩が、小さく震えた。
「月詠……君も行って」
夕星が使うのは、秘匿の術だ。
誰に見せられない。
「うん」
彼女は悲しそうな顔をしていた。
でも、すぐにゆっくりと頷いた。
「……そういう、決まりだもんね。」
月詠が、一瞬だけ止まった。
「……私のために。皆の為に」
そのまま扉に向かった。
彼女は振り返りはしなかった。
「ありがと」
小さく、でもはっきりと、そう言った。
(止められることもない……か。……やっぱ、オレはただのモブだったわ)
バタン
今度こそ扉が閉まり、オレと夕星だけが残された。
「……これで、誰も居なくなった」
夕星先輩が、額に伸ばしかけていた手を止めた。
静かな声だった。
そして、徐々に魔力が薄れていった。
「僕だけが黙ってればいい。スキャンダルにならなければ、それで。君は忘れた演技を——」
でも、オレは首を振った。
「夕星先輩。……これ、半分はオレの望みでもあるんです」
夕星先輩の紫の瞳が、わずかに細められる。
「望み?……月詠のことを忘れたい……から? でも、それは——」
ラベンダーの瞳が揺れる。
「僕に言う資格はないかもしれないけど、人生はそういうものだ。 他の……宵坂は除いてだけど、みんなだって」
オレを救おうとした彼。
だけど——
「……オレ、思いだしたんです。 」
時が少しだけ止まった。
「オレは子供の頃、この力で家族を死なせてます。余りにも強すぎて、親戚からも恐れられて」
夕星が、息を呑んだ。
「記憶を消す……っていうの、寧ろオレにとっては撮影を忘れて、生きる上で必要で。それが望みでもあったんです」
沈黙が落ちる。
しこたま呪詛を吐いて、漸く思いだした。
とんでもなく呪われた力だ。
「こんな大事な事、なんで忘れてたんだろ。……じゃなくて、忘れてた理由は夕星先輩が推理してくださいましたよね」
夕星は、何かを考え込むように視線を落とした。
「……そっか。 君も、月詠とは違う意味で故郷を。 そしてその力がある限り、これからもずっと」
オレは小さく息を吐いた。
「宵坂のように甘くない。ジェイルブレイクの隙も作らない……それでも?」
強く頷く。もしも、月詠が止めたなら、多分。
オレの決意も揺らいでいたけど
「オレの為に、やっちゃってください」
夕星先輩は、静かにこちらを見た。
「そう……か。 正直言って、キミは僕よりずっと英雄なんだけど、確かにその力は余りにも強すぎる」
「そう……ですよね」
月詠はいない。
危険だと知って、オレを放置したのか。
それとも、そういう決まりだったからか。
「……分かったよ。 僕の覚悟が甘くならないよう、直ぐにやるよ」
もう一度、考えた。
もしも、彼女が止めていたら。
——オレの決意は、絶対に違っていた。
「はい……お願いします」
夕星は、ゆっくりと頷いた。
指先が再び額に触れる。
冷たい感触。魔術の気配が、静かに広がっていく。
すると、光が差した。
「守部……ありがとう。君は」
額に触れていた指先から、温かくて、容赦のない光が広がっていく。
視界が白く染まる。
「間違いなく、世界を救った。勇者だ」
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
(オレはちゃんと救えた……よな。この世界を——)
最後に、そんなことを思った。
それから先は——




