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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第95話 世界を救った勇者

 頭が割れるように痛かった。


 視界が白く濁り、輪郭のぼやけた世界が揺れている。

 耳の奥では、何かがキーンと甲高く鳴り続けていた。


 体の芯が異常に熱い。

 まるで溶けた鉄を流し込まれたみたいに、内側からじわりと熱波が広がっていく。


 その一方で、足の爪先だけが妙に鋭く痛んだ。


 ……ここは?


 鉛のように重いまぶたを無理やり押し上げる。

 ピントが合った視界のすぐ近くに、顔があった。


 薄暗い天井の灯りに照らされて、ラベンダー色の髪がぼんやりと光っている。

 左目の下にある小さな泣きぼくろが、妙に近くて目に入った。


 藤紫の直髪と薄紫の瞳を持つ、夕星律だ。


「君にしてはよくやったね」


 夕星の声は、いつも通り低めで、感情が薄い。

 でも、その響きにはどこか疲労の色が混じっていた。


 オレはぼんやりとしたまま、視線を下へと落とす。


 自分の腕。胸。太もも。

 そこに、細い銀色の針が何本も刺さっていた。


 肌に深く食い込んだ針の根元から、じわじわと温かさが染み出してくる。


 視線を少し横へ振る。


 月詠がオレの右腕に両手を重ね、必死に魔力を流し込んでいた。

 左の肩には、キラがそっと手を当てている。

 足元に視線を移すと、東雲が屈み込んで何かを確認している様子だった。


 その奥に、真昼と朔が立っている気配もする。


「……やってることと、言ってることが一致しないんだけど。普通に拷問だよね」


 オレは掠れた声で、どうにかそれだけを呟いた。

 夕星が、小さく息を吐き出す。


「宵坂は随分と脳に拘っていたみたいだけど。人の意識はここ、身体に宿るんだ」

「知ってる。文字通り、身体で味わってるからな」


 頭痛は、魔力を使い果たした強烈な後遺症だ。


 爪先の痛みは、無数に刺さったこの針のせい。

 体中を満たす温かさは、治療のための魔力供給。


 理屈はわかっている。


 分かっているのに、オレを取り囲むこの状況。

 どうにもシュールで仕方がなかった。


「まさか、あんなに反乱分子が潜んでいたとは」


 東雲が深く頭を下げて言った。

 第一王子の正統継承者らしい、きちんとした声音だった。


「学校の背後に野党勢力がいるとは思いませんでした」


 暮小路が、定位置である伊達眼鏡を中指で押し上げながら続ける。

 いつもの余裕を纏った口調なのに、どこか力が抜けていた。


「親父らがマジでクーデターやってるとは、頭が痛え」


 真昼が太い腕を組み、忌々しそうに舌打ちした。

 月詠の力を軍事利用しようとする武門の一族が、本当に暴走していたのだ。

 普段の大声が、少しだけ抑えられている。


「ワシは……やはりガキだったようじゃ。ただの傀儡でしかなかったのじゃからな」


 朔が低い声で自嘲するように呟く。

 魔界の王子としての強気な響きが、珍しく弱まっていた。


 オレが宵坂を足止めしている間に、ヒーロー達がそれぞれの「裏側」と対峙してきた結果なのだろう。


 詳しいことは聞かないでおいた。

 聞かなくても、全員の疲弊した顔を見ればだいたいわかる。


「えっと……せんせ……じゃなくて、宵坂は?」


 オレが尋ねると、視界の端でキラが呆れたように肩をすくめた。


「何をやったのか知らないけど、おかしくなったアンタみたいに、素直過ぎて不気味なくらいよ」

「せんせ……。危険な行動は改めます……って」


 月詠が、少し悲しそうな顔で教えてくれた。


「え……そこまで?」


 オレは目を瞬かせた。

 せいぜい混乱する程度かと思っていたのに、まさかあそこまで素直になるとは。


 夕星が軽く肩をすくめる。


「いわゆる呪詛返しってやつだよ。呪詛を抱え込んでいるからこそ、増幅してしまう」


 失われた宮廷魔術の復活を願い、危険な研究に没頭していた。

 宵坂の狂気が仇となったのだ。


 過去に宵坂がオレの記憶にかけてきた検閲が、逆流して増幅されたらしい。


 自分がかけた呪いを、自分で倍にして食らったわけだ。

 因果応報ってやつ。


「今後のことを考えないといけない」


 東雲がそう言い残し、暮小路と一緒に保健室を出ていった。


「俺らもだな。その前に行っとくか?」


 真昼が、挑発するように朔へ視線を向ける。


「剣の腕でワシに敵うじゃと?剣道の神髄を見せてやろう」


 二人も連れ立って出ていった。

 重い足音が、廊下の奥へと遠ざかっていく。


「私も……ちゃんと考えないと」


 月詠が静かに立ち上がる。

 夕星が、オレの腕に刺さった針を微かに動かした。


 そして、淡々と口を開く。


「結界も割った。写真は皆、破ったよ。僕はもっとスマートにやりたかったけど」


 その言葉を聞いた瞬間。

 オレの頭の中で、ふっとある光景がフラッシュバックした。


 山頂で、宵坂が写真をビリッと破った瞬間。


 月詠とのツーショット写真が、無惨に音を立てて引き裂かれていく姿。


(……アレをやった、ってことだよな)


 ヒーローたちが、自分と月詠のツーショット写真を無理やり引き裂いたのだ。


 シュールすぎるだろ……


 オレは小さく、長く息を吐き出した。


「写真を破ることに、意味があったんだな」


 夕星が、薄紫の瞳を少しだけ細める。


「……単に魔力を向上させての破壊だよ。結界だって、無敵じゃないからね」


 その言い方に、何か引っかかるものを感じた。


 けれど、深く考える余裕はオレにはなかった。


 まだ、頭痛がガンガンと響いている。


「輝夜への結界か。膨大な魔力が必要だね」


 夕星が一人ごとのように呟き、月詠と一緒に保健室を出ていった。


 ドアがバタンと閉まる音。


 広い保健室に残ったのは、オレとキラの二人だけになった。


「……なーんか、疲れた。あたしも帰ろっかなー」


 キラが伸びをし、ドアへ向かって歩き出す。


「ちょ!拷問器具を!」


 オレが慌てて声を上げると、キラが足を止めて振り返った。


「身体に刻み込むまで、動かせないんだってぇ」

「マジ……かよ」


 オレの顔面が引きつるのが、自分でもわかった。


「ま、仕方ないから。あたしが見ててあげるよ」


 キラはやれやれと息を吐きながら戻ってくる。

 そこで、オレの体に刺さった針を一本ずつ抜き始めた。


「で。あんたから見て、これは成功?」

「拷問されたまま言うセリフじゃないけど。帝都は吹っ飛んでない」


 キラは肩をすくめた。


「そうね。ていうか、あんたこのままでいいの?」


 針が抜かれるたび、肌がひりひりと痛む。


「痛っ。ゆっくり!ゆっくり!」


 キラは面白くなさそうな顔をした。

 それでも一定のペースで手を止めなかった。


「宵坂に言葉を返した時に、ちょっと思い出したんだ」

「何を?月詠のことが好きってこと」

「なっ!痛……。それは……そうだけど。そっちじゃない」


 キラの手が、少し乱暴に針を抜く。


 絶対にわざとだ。


「同意したのはオレだ。守部は関係ない」


 キラの動きが、ピタリと止まった。

 目を丸くして、オレの顔をマジマジと見下ろしている。


「どういう意味?」

「記憶消去はオレの希望でもあったんだよ」


 国は後のスキャンダル対策として、オレの記憶を封印した。


「守部……じゃなくて弥彦の?」

「オレ……。この力のせいで親戚からも恐れられてんだよ」


 キラが、小さく息を飲んだ。


「は? それは……そうね。っていうか月詠と同じじゃん」


 彼女はそれ以上何も言わず、黙々と残りの針を抜き終えた。

 立ち上がると、再び保健室のドアに向かって歩き出す。


「ちょっ……見ててくれるんじゃないのかよ」


 キラは今度こそ、本当にドアノブに手をかけた。


「そういうのもあって、月詠に惹かれてたのかも?」


 少し、間を置いた。


「そう……かも?」


 キラが、ドアを開けながら軽く振り返る。


「ふぅん」

「ふぅんって」

「だから……ちょっとだけ、仕返し」


 キラは桃色の内巻きの髪を揺らし、軽く舌を出して笑った。


 そのまま、ドアの向こう側の廊下へ消えていく。


 カチャリ、と。


 ドアが静かに閉まる音だけが、部屋に響いた。


 オレは呆然としたまま、薄暗い天井を見上げた。


「仕返し……って、え?」


 何が仕返しだったのか、よく分からない。


 無数の針の痕が残る痛む体で。


 オレは一人、保健室の白いベッドに横たわった。

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