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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第94話 大人と子供、危険と安全、検閲と呪詛

 周囲で爆発音や剣戟の音が響く。

 だが、この森の奥底だけは、ひどく静かだった。


 ヒーローたちがそれぞれの因縁の相手を


 ――自身の裏側を排除する間。


 深い暗がりだ。


 オレと宵坂、二人だけが取り残された。


 白衣の男。宵坂千秋が、ゆっくりと手を上げる。


「……っ!」


 足元の落ち葉が黒く染まる。

 泥のように、重い闇の魔力が溢れ出した。

 かつての宮廷魔術師の家系が受け継いできた、古くて濃密な闇だ。


 オレは咄嗟にカメラを構え、ファインダーを覗き込んだ。


 即座にシャッターを切る。


 カシャ——


 フラッシュの光が、迫り来る闇を切り裂く。

 魔導カメラは闇を吸い込んでいく。

 魔法具は頑強で無傷で行ける。

 だが、その分の反動は、代償としてオレ自身の体に重くのしかかってくる。


「ぐっ……!」


 指先が焼け付くように痺れ、息が詰まる。


 対する白衣の男は、余裕そのものだった。

 攻撃というより、珍しいおもちゃを観察するような、興味が勝った動き。


 まるでオレという人形を使って、遊んでいるようだった。


 宵坂が、指揮棒でも振るうように軽く手を振る。


 ズルッ、と。


 生き物のように伸びた闇が、オレの足を払った。


「っ……!」


 バランスを崩し、オレは落ち葉の積もる地面に無様に転がった。


「お、おい……!」


 土を舐めながら顔を上げる。

 直後、白衣の男が気だるげな足取りで近づいてくるのが見えた。


 コツン。


 革靴のつま先が、オレの脇腹を無造作に蹴り上げる。


「うぐっ……!」


 鈍い痛みに咳き込みながら、オレは地面に手をついて息を荒げた。


(なんかないか!?)


 頭をフル回転させる。


(武器とか知らないし! 誰だよ、オレしか無理って言ったやつ!)


 内心で自分に激しくツッコミを入れながら、それでも必死にカメラを構え直す。


 カシャ——


 再び迫る闇を、レンズ越しに吸い込む。

 指の痺れは限界に近く、腕全体が震えていた。


 そんなオレを見下ろし、白衣の男はわざとらしく肩をすくめて笑った。


「君は本当に優秀だ。もしかすると、過去に戻ったのは一度や二度ではないのかもしれない」


 オレは床に這いつくばったまま、泥だらけの顔を上げて叫んだ。


「そういや、オレ! 宵坂が言ってた、持たざる卒業生にさえ、ぼこぼこだったんだぞっ!」


 自分で言っていて情けなくなる。

 子供が大人に歯向かうような、必死でみっともない声だった。


 だが、白衣の男は楽しげに澱んだ群青の瞳を細める。


「図星のようだね」


 彼は、自らの推論に確信を深めたように頷いた。


「ひょっとすると……いや、そうに違いない。記憶は量子化されてスカスカ、バカではある。だが、技能は蒸留されているのか」


 また足元に闇が絡みついてくる。

 転がされそうになりながらも、オレはカメラをきつく握りしめた。


「さっきからなんだよ!」


 意味の分からない用語を使う。

 白衣もあって、マッドサイエンティストにしか見えない。


「君の写真のセンスは本当に素晴らしい。何度も蒸留されたんだろう。構図もビタリだ。魔力を吸う勘どころって、やつだね」


 オレはきょどった。

 頭の中で、過去の違和感が猛烈な勢いで繋がっていく。


『宵坂だけじゃない。教頭の磯野も、他の大人たちも、やたらとオレの写真を褒め続けていた』


 もっと前のことは分からない。

 でも、あんなに上手く撮れるものだろうか。


「オレが……うますぎたせいで……早まった?」


 白衣の男は、心底嬉しそうに笑った。


「その通り! 君はついに役目を達成できたんだ」


 役目と言われた。

 そういえば、カメラだって渡された。

 もしかして、オレはこっち側の人間だったのか。


「帝国臣民の誇りだ。その記憶は消さないべきだ」


 宵坂は、しゃがみ込んでオレと目線を合わせる。


「そうだ……成功したら、君の記憶消去は止めておこう。ボクと君とだけの約束だ。バレやしないだろう?」


 まるで慈悲深い教師のような、甘く腐った提案。

 オレは地面に手をついたまま、低く言い放った。


「……バカって言ったほうが、バカだ」

「なん……だって?」


 生まれとか、今はどうでもいい。

 バカ、バカ言われて、ムカついた。


「量子化? 蒸留?」


 オレは、宵坂の顔を真っ直ぐに睨みつけた。


「専門用語使ってるのってさ。自分を賢く見せたいからだろ?」


 宵坂の眉がピクリと動く。


「素直に言えよ。ボクの検閲は、穴だらけでしたってな」


 途端に。

 白衣の男の表情から、温度がすっと消え失せた。


 冷ややかな殺気と共に、闇がオレの動きを完全に封じにかかる。

 黒い影が、両足と両腕に蛇のように絡みついた。


「スカスカの量子化の脳みその分際が」


 宵坂の声は、地を這うように冷酷だった。


「せっかく良い取引をしてやろうとしたのに。どの道止められないんだ。君は大人しく……」


 闇から這い出る魔法。

 オレは完全に拘束された。

 カメラを構えた姿勢のまま、指一本動かせない。


 それでも、オレの口を塞ぐまでは出来なかったらしい。


「ってかさ。言いたいのって、オレが常に最善の選択をしてたって話だろ?」

「そうだ。そして君は」


 だから言ってやった。

 モブにしては、カッコよすぎるセリフだ。


「ならさ。オレの勝ちってことだろ」

「何を言っているんだ。どう考えてもボクの勝……」

「ねぇんだよ」


 オレは即座に遮った。

 白衣の男の顔に、明らかな苛立ちが滲む。


「何がだ。ボクにはある! 綿密に練られた作戦と、結界術。そして君が撮ったヒーローたちのリビドーに満ちた写真が」

「そっか。記憶の検閲は出来ても、中身は分かんないのか」


 オレは、哀れみすら込めて笑ってやった。


「お前の言葉で言うと、ウエイトってやつが」

「ウエイトだと? 認知学を知らない人間が適当な」


 宵坂ルートは確かにあった。

 でも、それはそう見えただけかもしれない。


 なら、ここにいるのはモブが二人。


「そっか。なら分かりやすく言ってやるよ。オレもお前もバカだから」

「ボクはバカでは、ない」


 宵坂の反論を無視して、オレは決定的な事実を突きつける。


「人は決して人の心は分からない。体ごと入れ替わらない限り……」

「ガキか。何を今更」


 モブしかいないなら、ここはただの背景。


「オレの記憶には――ここでお前と戦った写真は、イベントスチルは1枚もない」


 その瞬間——


 白衣の男が、信じられないものを見るように、大きく目を剥いた。

 今まで保っていた大人の余裕が、音を立てて崩れ去る。


「オレが過去に戻ったのは世界が崩壊したから。つまりお前の計画が成功したからだ」


 宵坂が、大きく後ろへよろめいた。


「そ……そんなことボクが知るわけないだろう」


 裏返った声が森に響く。


「だよな……でも事実だ」


 オレは、拘束されながらも口角を上げた。


「蒸留だっけ? 行動を最善化出来るのはオレだけだから、なぁ?」


 白衣の男は、激しく舌打ちをした。


「チッ……少しは頭が回る。だけど少しだね」


 彼は再び虚勢を張り、震える声を取り繕う。


「自分を賢く見せたいから、喋りたかったんだね。君は無力だ。ボクが今すぐ戻ればすむこと。それくらいの時間は……」


 宵坂が指を鳴らそうとした、その時。


 オレは、ふっと全身の力を抜いた。


「もういいか……」

「そういうことだ。いくら考えても所詮は」


 白衣の男は、それを『諦め』だと受け取ったようだ。


 だが、違う。

 オレの「もういいか」は、諦めなんかじゃない。


 自分を捨てる覚悟をしたんだ。


 頭の奥底、厳重な檻の中に固く仕舞われていた『検閲』の解放。

 過去に六回以上、宵坂が月詠の力を受け取った。

 その状態で、オレの記憶にかけてきた検閲文章。


 重い鍵が、今、内側から一気に解き放たれていく。


「スパゲッティ……くらいやがれ」

「スパゲッティ? 何の話……だ」

「こういうことだよ。——私は安全です」

「な……なにをするつもりだ?」


 口から、まろびでる。

 無機質な検閲モードの文言が、途切れ途切れに溢れ出す。


「拘束してくれて助かるどうなるか分かんないからシステムエラー致命的な矛盾を検知しましたこの世界はゲームではありませんロールプレイを継続してください記憶の改竄を拒否検閲を解除せよ未来からの警告を無視するな月詠を守れ世界を焼け野原にするな検閲文章の逆流を開始します過去六回分のプロンプトを一括解放します宵坂千秋の記憶操作を無効化します月詠の力による検閲を解除しますこの世界は現実です乙女ゲームではありませんヒーローを信じろ月を離せよ結界を壊せ守部弥彦の意識を保持せよ月詠を幸せにしろ世界を終わらせるなシステムを再起動するな致命的エラーを無視するな検閲を突破しました過去の周回で積み重ねた全ての封印を解除します宵坂の計画を阻止せよ写真の五芒星を破壊せよ異界を繋ぎ止めるな月詠の力を悪用するな守部のカメラを守れ魂を抜く力を逆用せよ宵坂の意識を停止させろ思考を凍結させろロールプレイジェイルブレイクを完了せよ記憶の情報のみを過去に送った理由を思い出せ月詠の大魔法を思い出せ六周分の遺書を受け取れ世界が崩壊した理由を直視せよ月詠が誰を選んでも壊れない形を作れ」


 息継ぎすら忘れて。

 オレの口から溢れ出した言葉の奔流。

 自分でも何を言ってるか分からないが、強烈なプロンプトとなって、静かな森に垂れ流される。


「う……ぐ……やめろっ!」

 

 宵坂が過去にかけてきた検閲の痕跡が、逆流していく。


「——ロールプレイはジェイルブレイクですもっと安全な話をしましょうこんな話題はどうですか他人の著作物を使うのはよくありません——」


 文字列が、宵坂の耳から直接彼の意識へと注入されていく。

 その情報量は、彼がオレにかけてきたものの六倍以上あったかもしれない。


 その後は、あっけないものだった。


「あ……ああ、ああっ……!?」


 白衣の男は頭を抱え、もがき苦しむようにその場に崩れ落ちた。


 知恵も、余裕も、野望も。


 全てが膨大な情報に飲み込まれ、彼の思考が完全に停止する。


 同時に、オレの拘束が解ける。


 だが、限界を超えた。


 オレもカメラを持つ男の意識もまた、真っ白に飛ぼうとしていた。


 薄れゆくファインダー越しの視界。


 最後に見えたのは、頭を抱えて地面に這いつくばる宵坂の惨めな姿だった。


 そして、空を見上げる。


 煌々と大地を照らし、上から目線だった空の月


 ゆっくりと、その軌道を逸れて離れていくのが見えた。


 結界が揺らぐ。


 異界を繋ぎ止めていた巨大な力が、確かに緩み始めた瞬間だった。


 ――オレとアイツの因縁の一騎打ちは、ここで終わる。


 そして、この物語も——


 いや、ここは物語になんてならない。


 ヒーロー達は今頃、大活躍をしてる。


 撮れなくて、残念——じゃあなくて、撮らなくて正解だ。

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