第93話 守部の魔導カメラ
白衣の男――宵坂千秋。
「生徒は先生の言うことを聞くものだけどね」
静寂に包まれた森の中で。
彼は、どこまでも気だるげに言葉を紡いだ。
「とはいえ、君たちを行かせてしまったら……ボクの大切な、無能な生徒たちがやられてしまう」
ヒーローたちの間に、一触即発の空気が膨れ上がる。
立ちはだかる相手は、宵坂ただ一人。
普通に考えれば、行ける。
六人がかりで力ずくで押し通るのは、自然な流れだった。
「ただ、始末するぞ」
「俺だって容赦しねぇぞ」
だがそのとき。
宵坂が、ゆっくりと白衣の懐に手を入れた。
全員が身構え、息を呑む。
だが、彼が指先で挟んで取り出したのは、武器ではなく。
数枚の『写真』だった。
それを見て、ヒーローたちは怪訝な顔を見合わせる。
「月詠との……」
「ツーショット……?」
「お主の軽薄な顔なぞ見ても……」
宵坂は、蒼水晶の髪を揺らす月詠へと視線を向ける。
そして、あの気だるげで爽やかな、いつもの『先生』の笑みを浮かべた。
「ちょっ!」
甲高い声が響く。
ピンクのゆるふわボブが、ふわりと浮いた。
「月詠を変な目で見ないで!」
彼女は両手を広げ、月詠を庇うように前に出た。
その後ろで、月詠は怯えるように肩を震わせている。
宵坂の視線が孕む底知れぬ意味を、彼女は本能的に悟ってしまったらしい。
宵坂が、静かに語りかける。
「意識とは、記憶とは……複雑に絡み合った情報は、扱いが非常に難しい」
乙女ゲームのヒロインとされる彼女に。
「……そう、あの焼け野原で教えたよね」
キラが、はっきりと吐き捨てるように言った。
「あいつ、変態です! ちょっと前の守部以上に」
シリアスな空気の中、オレは思わず低い声でツッコミを入れた。
「はいはい。分かったから。……アイツを排除してくれ」
オレの言葉を合図に、ヒーローたちが一斉に動こうとする。
だが、その次の瞬間。
異様な光景に、全員の動きがピタリと固まった。
宵坂は、微塵も焦る様子なく言葉を続ける。
「でも、単純なエネルギーなら……封印も消去も容易い……」
ビリッ……
静かな森に、紙を裂く音が響いた。
写真の中の、宵坂と月詠の間に亀裂が入る。
いや、宵坂が自らの手で、写真を真っ二つに破き捨てたのだ。
その裂け目からだった。
ズバァッ!
宵坂色の――
濃密で暴力的な群青の魔力の光が、爆発的に溢れ出した。
「そん……な」
月詠が声を震わせる。
津波のように押し寄せる、圧倒的な魔力の波圧。
それに当てられ、ヒーローたちが次々と力なく膝をついていく。
「君は誰にでも優しい」
宵坂が、残酷な事実を口にする。
「誰にでも……平等だ」
明度の高いブロンドを乱し、暁が困惑に顔を歪める。
「なんだ……? どうなっ……」
力が抜けていく——
ではなく、力で圧倒されていく彼らの姿を見た瞬間。
オレの脳裏に、強烈なノイズと共に過去の記憶がフラッシュバックした。
——1年、入学頃
オレは、ファインダー越しに宵坂の姿を追い続けていた。
アホみたいに、何枚も何枚も写真を撮りまくっていた。
ゲームの重要キャラだからと、疑いもせずにズケズケと。
「流石は守部魔導カメラだね」
現在の宵坂が、オレを見て静かに笑う。
「皆も聞いたことくらいあるだろう。写真は、魂を抜く……と」
忘れやしない。
宵坂は極端に、オレのカメラを嫌っていたのだ。
「流石は弱者の味方だ。守部家……ここまでとは、ね」
その1年目の夏だ。
林間学校へ向かう列車の中。
宵坂は、ひどく気分を悪くしていた。
あの時は、ただの乗り物酔いだと思っていた。
虚弱体質な先生の、コメディイベントだと信じていた。
でも……もし、違ったら?
オレが写真を撮りまくったこと自体が、原因だったとしたら?
「抜かれた分を、月詠が埋めていく」
オレの絶望をよそに、宵坂が種明かしを続ける。
「気付かなかったんだね。ガキだから」
膝をつきながらも、ヒーローたちは歯を食いしばる。
それぞれの戦い方で、宵坂に向けて再び動き出そうとする。
しかし、魔力の差は歴然だった。
オレのカメラが、彼らの力を奪い続けていた。
——写真部の風景。
壁一面に歴代部員が撮影した白黒写真が飾られていた。
アレがこの時代の当たり前なのだ。
でも当時は、乙女ゲームのご都合主義と流していた。
綺羅星キラさえ感動する、被写体をフルカラーで
かつ魅力を余すところなく、閉じ込めたのがイベントスチル
それを、ただ撮るだけのモブ……のはずだった。
でもここは、ゲームではなく、現実の世界だった。
間違いなく、魔力が関与する魔道具の一つだった。
それが守部魔導カメラの力だ。
そして、月詠の
『誰にでも平等に優しい』
彼女のそんな性格が、奪われた分の魔力を無意識に補填していた。
勿論、月の姫の夫の器の一人の、宵坂にも流れ込んでいた。
「このカメラに、そんな力が……」
「知らない。あたしが知らないなんて……守部、アンタは」
少なくとも六回。
オレはウェディングシーンを撮り、その後宵坂に記憶の封印をされた。
竹取月詠は、その後の戦乱の中で、オレに会いに来た。
彼女が飛ばしたのは、入学式直前の日だ。
「悪い……忘れて……た」
「忘れてたって、そんな大事なことっ。力を吸われてたなんて」
勿論、魂を吸った量なら、宵坂も変わらない。
だが写真はその後、回収されていた。
「全く、凄いものだね。月の姫……。これは平等に分けないといけないね」
人数不利など、全く苦にならない。
絶望的で、圧倒的な力の差が、そこにはあった。
「どの口が言ってんのよ」
綺羅星が懸命に立ちはだかる。
でも彼女は、力なく静かに口を開けた。
「もう……いい……」
鮮やかな青い髪の竹取月詠だった。
ゆっくりと視線を流して、彼女は言った。
「……守部くんは、嘘つきだね」
オレは眉を顰めた。
記憶を封印されていた
とはいえ、こんな肝心な事を忘れていたのだ。
返す言葉が見つからなかった。
「私は、幸せな顔には……なれないみたい……」
月詠の悲痛な声が響く。
でもその言葉は、オレを責めるものではなかった。
「私がいるから……だもん」
彼女自身の悲壮な覚悟の表れ、だった。
「私が、いなくなれば」
革靴が落ち葉を踏む音が、大きく聞こえた。
「何を言っているんだ。君は誰にでも優しい子だ」
宵坂が、ゆっくりと月詠に近づいていく。
「そんなことない! 君は素晴らしいんだ」
月詠は特別な存在。
本当に、本物の特別な存在だった。
「私、優柔不断で……結局……っ」
月詠の目から、大粒の涙が零れる。
「大丈夫だ。彼の言うようにはならない」
一歩、また一歩と距離が縮まる。
「諍いなど、起こさせない」
月詠は怯え、後退りした。
「考えてもみてほしい」
宵坂は普段の優しい教師の顔で近づく。
「ここにいる男子たちこそが、国を滅ぼす力をもっている」
その言葉は、鋭い刃となって、彼女の胸に突き刺さった。
皮肉にも、オレが導き出した結論と完全に合致していたのだ。
『誰を選んでも、世界が滅びる』
絶望的な事実に、月詠の動きがピタリと止まる。
「そうだ。そもそも、もう止められない」
オレ以外、本当の未来なんて見えていない。
ひょっとすると、守部ってヤツの妄想かもしれない
なんて、考えるかもしれない。
「みんなで仲良く、力を……」
そして、あと一歩のところまで宵坂が迫る。
その手が、月詠の華奢な肩へと伸ばされた。
月詠の肩が触れられる。
その……瞬間は……
カシャ──
「なん……だと?」
間違いなく、オレの領域だ。
強烈なフラッシュが焚かれ、宵坂の手が空中でピタリと止まった。
オレは、ファインダーから目を離さずに、静かに言った。
「月詠。大丈夫だ」
呪縛が解けたように、月詠がハッと息を呑む。
僅かに、動きを取り戻した。
「守部……くん?」
オレしかいない。
「未来の月詠が、笑顔かはさておき」
ここを切り抜けられるのは、オレしかいない
だって——
「オレは知ってる。未来のオレは、知ってる」
オレはカメラを構え直した。
ヒーロー達の魔力を吸うカメラの持ち主。
どの口が言う、という話だが。
「月詠がオレを過去に飛ばした時、太陽どころか、満月もなかった……」
止まっていた宵坂の顔が、微かに歪む。
ギリッ……
歯を食いしばり、再びオレへと向き直った。
カシャ──
「月詠は、ちゃんと月を追い返せたんだ。だから」
カシャ——
「ここはオレに任せろ」
連続するフラッシュの光。
「コイツ、オレのカメラが、どうやら苦手らしい」
白衣の男の顔から、ついに余裕の笑みが消え失せた。
宵坂は、地を這うような低い声で呟く。
「月の姫に選ばれない弱者。なぜ、ボクの邪魔をする」
オレは、ファインダー越しにアイツを真っ向から睨みつける。
そして、はっきりと言い放った。
「生徒に手を出すコンプラゼロ野郎に、言われたくないね」
「……それは、お前が勝手に決めたことだっ」
宵坂の怒気が膨れ上がる。
だが、オレの心は不思議なほど澄み切っていた。
「守部家がどんな家か……結局思い出せなかった」
オレはカメラを構えたまま、視線だけをキラへ向ける。
「どのみちオレのせいだ」
6周も回って、今さらだ。
守部家が元々何を考えていたかなんて、遥か昔のハナシ。
「綺羅星、月詠を頼む。みんなも! ……暮小路も」
でも、確かなことが一つだけある。
オレは知っている。
アイツら5人が、5人とも、規格外のスーパーヒーローだ。
竹取月詠を『ひと時』でも、幸せにさせる力を持つ。
「モブのオレに、世界は救えない」
だから、オレは背後にいる男たちに向けて言い放った。
「——だから頼んだぜ、ヒーロー」
一瞬の静寂。
そして、オレの言葉に応えるように、次々と力強い声が返ってきた。
「国を守らねば」
「戦争を止めねぇと」
「夕星家の尊厳を守るため」
「朔を蛮族の国にするつもりじゃと……」
そして、最後に。
「父上。私はやっぱり……認めません」
全員が立ち上がる。
奪われたはずの魔力を底力で捻り出し、それぞれの瞳に決意の光を宿す。
カメラで黒幕の動きを封じ続けるオレに向かって、アイツらは口々に言った。
「君もね」
「お前もな」
オレは、ファインダーの裏で軽くだけ目を見開いた。
「守部だって……みんなのヒーローだよ」




