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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第92話 皆に平等で優しい先生

 深い森の中。

 木々が天を覆い隠すように密集している。


 見上げれば、巨大な赤い月。

 その光すらも、ここには淡くしか届かない。


 足元の落ち葉は、嫌な湿り気を帯びていた。

 一歩踏みしめるたびに、泥に沈むような重い感触が足裏から返ってくる。


 視線の先。

 鬱蒼とした暗がりの中心に、白衣の男が立っていた。


「ここで何をしてんだよ、先生よぉぉ!」


 静寂を切り裂いたのは、燃えるような緋色の短髪。

 真昼剛が、真っ先に声を荒らげて前に出た。


 隣では、明度の高い金色の髪を整然と撫でつけた男——東雲暁が、静かに目を細めている。


「特別講師……お前が」


 さらに視線をずらす。

 墨色の髪を持った異国の少年、常闇朔が、見事な鞘に収まった刀の柄に手をかけた。


「……都合の良い場所に、いるものじゃな」


 地を這うような低い呟き。


 続いて、エメラルドグリーンの髪を揺らした暮小路慧が口を開く。

 常に細められた黄昏色の瞳の奥で、何かが危うく揺らいでいた。


「先生が、ここにいるということは……」


 最後に、夜の帳に霞むような藤紫の髪を揺らし、夕星律が静かに言い放つ。

 泣きぼくろのある薄紫の瞳は、痛いほどに白衣の男を見据えていた。


「ううん……結界の外だね。僕たちの動きが読まれていた……」


 その言葉に、ヒーローたち全員が息を呑み、目を剥く。


 対する白衣の男——宵坂千秋は、悪びれもせず軽く肩をすくめた。

 指先に挟んでいたタバコを、無造作に地面へと落とす。


 コツン、と。

 革靴のつま先で、ゆっくりと火種を踏み潰した。


「思ったよりも早かった……?」


 だらしなく開いた白衣の首元。

 夜の底を吸い上げたかのような濃紺の髪を掻き上げ、彼はわざとらしくため息をつく。


「いやいや、折角禁煙してたのに、台無しだよ。遅い。遅すぎるね。ヒーロー諸君」


 気だるげな声が、暗い森の底へと静かに落ちていく。

 宵坂は、ゆっくりと顔を上げた。

 澱んだ群青の瞳が、月明かりを反射して怪しく光る。


「竹取月詠が追ってくるのは、やはり優しい教師のボクだってことだね」


 透き通るような蒼水晶の髪を揺らし、月詠がロケットペンダントをきつく握りしめる。

 その大きな金の瞳が見開かれるのを、宵坂は楽しげに見つめていた。


「邪魔はされたくなかったんだ」


 彼は、両手を広げる。


「だから、待ってたんだよ。こーんな真っ暗な森の中で、一人。分かるかい?」


 背丈はさほど変わらない。

 それでも、大きく見えた。


「君たちは結界の外にいる。でも、結界はもう動いているよ」


 自慢げな、どこか暗い悦びに満ちた響き。


「計算通り、無事に起動したんだ」


 律が、鋭い視線を射抜くように放つ。


「月の女神を固定したって? どうやって」


 宵坂は、薄く笑った。


「学生たちでも語られる都市伝説は、呪術的に正しい。何が言いたいか分かるかい?」


 大人の余裕を見せる宵坂。

 そして、氷のように冷たい視線を返す律。


 律は、小さく息を吐き出した。


「——女神が祭られる神社に、カップルで行ってはならない……」


 律と宵坂以外の全員が、ハッと目を見開いた。

 誰もが知っている、本当にありふれたただの都市伝説。


 だが、宵坂は良き教師の顔のまま、満足げに笑みを深めた。


「流石は夕星家のエリートだね。ボクにはもう教えることはないかな」


 意味が分からない。

 けれど、宵坂の底知れぬ余裕と自信は、確かな絶望となって肌にまとわりついてくる。


 森の空気は、限界まで張り詰めていた。


 すると——。


 白衣の男は、ゆっくりと首を巡らせた。

 ファインダー越しに見つめるオレと、視線が交差する。


「守部くん」

「……オレ?」


 宵坂は、オレに向かって優しい笑みを見せた。


 こんな最終決戦の場にいるだけでも奇跡に近い。

 ただのモブ生徒に向かって、彼は甘い声で囁いた。


「君がボクのことをつけまわって、ハラハラしたよ」


 オレは息を呑む。


「お前がカメラを嫌がってたのは、そういうことか……」


 この男は一人だけ、異様に写真を撮られることを嫌っていた。

「ボクは対象外だから」と、あの時はぐらかされたけれど。


 こいつは——自分の狂った計画が、写真から発覚するのを恐れていたから?


「ははははは……。いや、失礼」


 宵坂は、愉快そうに肩を揺らす。


「どうやら何もかもが杞憂で、キミがただ真面目過ぎただけだったみたいだね」


 ——いや、違う。


 少しの間を置いて、群青の瞳がスッと細められた。


「バカにしているわけじゃないよ。君のその真面目さに、感謝している」


 背筋に冷たいものが走る。

 今日の宵坂は、オレのカメラを一切嫌がらなかった。


「寝ても覚めても、写真、写真。何も言わなくても、ツーショットを集めてくれたんだし」


 ズゥン……。


 その時だった。

 首から下げた守部魔導カメラが、急激に重みを増した。

 見えない手に、地面へと力強く引っ張られるような感覚。


 これは、オレにしかシャッターを切れない魔道具だ。

 その重みで、首が千切れそうになる。


「……お陰で計画が思いのほか順調に進んだ」

「何それっ!」


 カメラの重圧に動けずにいるオレの前に、鮮やかな色が飛び込んできた。


「っていうか、遅かった、みたいに言ってくれちゃって。綺羅星の名にかけて吊し上げるわよ!」


 ショッキングピンクのゆるふわボブ。

 魔力を孕んで輝く髪を揺らし、親友のキラが両手を広げて立ちはだかる。


 隣では、明度の高いブロンドが月光を弾いた。

 東雲暁が、王子の顔で静かに前に出る。


「一応、僕はまだ王子だからね。国を守る責務がある」

「先生っ! どうして!」


 月詠の悲痛な声が、森に響く。

 蒼水晶の髪が震え、金の瞳から涙が溢れそうになっていた。


 真昼剛は、腕を組んだままギリッと牙を剥く。


「このまま力が暴走し続けたら、どうなるか。俺が試してやろうじゃねぇか」


 暮小路慧は、エメラルドの髪を掻き上げ、細目の奥を光らせる。


「そ……その前に。お……お考えを聞かせてくれませんか。私は」


 常闇朔が、面倒くさそうに鼻を鳴らす。

 墨色の髪が揺れ、夜より暗い瞳に赤みが差した。


「決まりを破るやつの考えることなど、聞く必要はない」


 ヒーローたちが一斉に殺気を放つ。

 普通に考えれば、絶体絶命の包囲網。


 それでも、宵坂の肩は呆れたようにすくめられた。


「全く。これだからガキは——」


 空気が、凍りついた。

 宵坂の纏う気配が、決定的に「化け物」のそれに変わる。


 ヒーロー達は勿論、咄嗟に身構えた。


「……君たちはいいよ。選ばれた存在だ」


 宵坂は、蔑むような目で彼らを見下ろす。


「これからも望月でヒーローとして活躍するんだろう」

「なん……だと……?」

「いやいや」


 そして、スッと視線を逸らした。

 群青の瞳が、再びオレを捕らえる。


「守部くんには言っていないって。ボクは、君の側だ」


 ブチッ……と。

 頭の中で、何かが千切れる音がした。


「宵坂ぁ! お前だって、その選ばれた一人だろうがっ!」


 オレは叫んでいた。

 元宮廷魔術師の名門。選ばれた血筋のくせに。


 宵坂は、少し驚いたように目を丸くし、また肩をすくめる。


「流石は守部。目だけは良いらしいね」

「元宮廷魔術師の家系が、調子に乗らない方がいい」


 静かな声が割り込んだ。

 藤紫の髪が、殺気と共に揺れる。


 宵坂の顔が、わずかに顰められた。


「調子に? このボクが……?」

「夕星家が結界を読めないとでも?」


 バチバチと、魔力の火花が視線で交錯する。

 だが、宵坂はすぐに不敵な笑みを取り戻した。


「いいねぇ。いいねぇ。ヒーローは遅れてやってくるってやつかい?」


 オレの心の中には、違和感しかなかった。

 宵坂は、本当に彼らをヒーローだと思っているのか?


 その前提が間違っていたとしたら——。


「ボクには眩しすぎる。その眩しさを、全員で享受できたら」


 宵坂の視線が、慧へ向けられる。


「あの日のことを覚えているよね」


 次に、オレへと真っ直ぐに向けられた。


「あ、こっちか。──撮られていない卒業生にボコボコにされた、彼だったね」


 そして、もう一度慧を見やる。


「守部に撮られるのは、優れた生徒のみ。酷いとは思わない?」


 慧の細目が、僅かに見開かれた。


「それは……そうですよね」

「暮小路っ!」


 剛が吠える。

 だが、慧は本当に真面目な男だった。

 国の歪みを見つめ続けてきた次期宰相候補だからこそ、宵坂の語る「平等」という甘い毒に、心を動かされてしまっていた。


 理由は勿論——彼らが本当の結末を知らないからだ。


「みんなに力を……?」


 オレは、声を絞り出す。

 脳裏に焼き付いている、あの「光景」がフラッシュバックする。


「その結果、帝都はボロボロになる。国中が炎に包まれて……噴煙で太陽も見えない……みんなが、死ぬんだぞ……!」


 悲鳴に近いオレの訴え。

 しかし宵坂は、楽しげに喉を鳴らした。


「見てきたようなことを言うねぇ」


 彼は、両手を天に掲げる。


「でも、いいじゃないか。次の三百年なんて、待たなくていい……!」


 絶望的な情報の非対称。

 目の前のヒーロー達には、この先の時代も、次代も分からない。


「暮小路くんも言ってたじゃないか。民主化を目指したい……ってね」


 そして、言葉が彼らの心に落ちる。


「そう……です」


 慧の声が、微かに震えていた。


「三百年前に決まった階級が、我が国を歪ませているのは確か……です」

「騙されるな。制度なんて変えればいいんだ」


 暁が、強い光を宿した瞳で切り捨てる。


「その前に、てめぇをぶっ殺してやるけどな」


 剛が、腕を解いて重心を落とした。


「インテリぶるな。ワシらもバカではない」


 朔が、鞘走る音と共に刀を抜く。


 ヒーロー達は、確かに宵坂へと立ちはだかった。

 武器を構え、魔力を練り上げている。


 でも、オレのファインダー越しの目には、はっきりと見えていた。


 彼らの動きに、いつものキレがない。

 足取りが重い。


 理由は——迷いだ。

 宵坂の言葉が、彼らの奥底にある大義を揺さぶっている。


 これは、ただの善悪の戦いじゃない。

 そういう、呪いのような戦いだったのかもしれない。


 この先に待つ、本当に崩壊した世界を知っているのは。


 ……オレだけなのだから。


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