第91話 最多イベントスチルの意味
人の気配は完全に途絶えている。
議事堂の円形ホールは、不気味なほどに静まり返っていた。
「全員が出払ってます。父の命令で」
少し前は議論が交わされていた重厚な革張りの議席たち。
しかし、今はただの冷たい置物と化している。
議論の場に誰もいない。
それが、意味することは——なにか。
天井の高いドームから差し込む光は、誰の影も落とさない。
白く濁り、床の大理石を無機質に、直接照らし続けていた。
「もう一度、言って貰えませんか」
空気が重く澱んでいる。
「先生のっ。宵坂千秋の写真が、一番多いんだよ。オレの記憶だとさ。あ、繰り返した世界の中の合計って意味だけど」
「それであんた……。やたらと固執していたのね。条件から外れているのに」
冷え切った空間の中央に、オレたちは立っていた。
靴音ひとつ立てるだけで、世界の終わりの鐘のように反響する。
「宵坂千秋……って、あいつか? 先生がかよっ?」
オレの中では、回収してきたイベントスチルの量が正義だった。
回収した枚数の順位が、勝つために重要だった。
ゲームなんだから、最もイージーな攻略対象だと信じていた。
ちょろヒーローだから、一番多くシャッターを切ってきたと思ってきた。
「うん。今回の……じゃなくて。過去のオレが最も注目していたのが、宵坂千秋なんだよ」
全員の表情が、一斉に強張った。
何を言われたのかを理解しようと、張り詰めた沈黙が場を支配する。
そして、一人の少年に視線が集まった。
「わ、私は知りません。記憶を操ることができる元・宮廷魔術師家系で、守部くんの記憶のことしか」
暮小路の声は、いつになく弱々しかった。
すると月詠は、胸元のアンティークなロケットペンダントをぎゅっと握りしめた。
クリスマスイブに、宵坂から手渡された、古めかしい細工の施された品だ。
彼女は顔を上げ、静かにオレを見つめた。
「守部くんは、月を見ても何も驚かなかったよね」
予想外の言葉に、オレは一瞬だけ言葉を失った。
ここがゲームだと思っていた時にも、同じことを言われた。
それが、今なら違って聞こえる。
普通に考えて、おかしい。
「あぁ……6人のルート。全部で同じ満月の背景だった。この時期の月はそういうものだと思ってた」
東雲が、静かに首を横に振る。
「月が昇ったままなんて、そんな分かりやすい伝承はないぞ」
夕星も、薄紫の瞳を細めて同意した。
「うん。それなら三百年でも風化はしないね」
その言葉に、朔が低い声を上げる。
それはそう。
三百年という時が、出来事を風化したとしても
望月の臣民全員が見える月の異常が、話から消えるとは思えない。
「ふむ、朔の国には残っている。じゃが、異界が離れるときの僅かな時間じゃ」
「それ、本当?」
キラは即座に反応した。
彼女の問いかけに、朔は誇るような、しかしどこか苦い表情で頷いた。
「本当じゃ。じゃが、伝承では5年以上先。固定というよりは現れて消えるのみ。そも、直ぐに帰るなら、ワシは入学などせぬじゃろう?」
帰る側にはちゃんと残っていた。
だが、沈黙が落ちる。
「どっちにしても、暮小路はなんか知ってんだろ?」
真昼が面倒くさそうに言った。
視線が暮小路に集まる。
彼は細目を伏せたまま、しばらくしてから口を開いた。
「……私が聞いていたのは、多くの、選ばれなかった人たちに、等しく平等に……と」
言葉を区切り、続ける。
「三百年に一度の力を、特定の家系や選ばれた者だけが独占するのではなく。もっと広く、分け与えられるようにする、と」
選ばれた人間をオレは撮り続けてきた。
オレ自身が選ばれてもいない。
月詠の空間魔法の度に息が止まりそうになるオレは、才能ある若者を撮り続けてきた。
「力の民主化です。すばらしい……と。そう、聞かされていました」
一体誰だ、腹黒なんて言ったやつは。
暮小路は、誰よりも庶民に目を向けていた。
「オレは暮小路が悪いとは——」
「月詠の、輝夜の力の根源は月……。皆にも見える月……だよね」
すると夕星は静かに、しかしはっきりと声を重ねた。
月詠は、ロケットに触れたまま、うつむき加減で呟いた。
「先生……に、いつも聞かされてた。平等に愛しなさいって」
短い沈黙の後、綺羅星は冷たく切り出した。
「簡単ではないわよ。それより、つまりは」
家の力を、魔力の家系図を見てきたから。
日和見の家系だからこその、キラの冷静さだった。
「先生は平等という言葉で、月詠を固定しようとしていたのね」
オレは首を傾げた。
なんで、だ?
すると真昼が腕を組んだまま、低く呟く。
「月を離さねぇために、か?」
朔が、刀の鞘に手を添える。
「神を縛る、ということじゃな」
夕星が、薄紫の瞳を険しく細めて頷いた。
「うん、そう考えると。結界を張るなら、月岩戸山……だね」
月詠と夕星、二人の言葉が示す場所は完全に一致していた。
月詠はロケットを握りしめたまま、すがるように叫んだ。
「先生に、ちゃんと話を聞かないと……!」
夕星はその横顔を冷徹に見やり、低く切り捨てるように言い放つ。
「話どころじゃないよ。神を勝手に縛る行為」
「あまりにも烏滸がましい考えじゃな」
夕星の冷たい断言が響いた。
その瞬間、場の空気は「交渉」から「阻止」へと完全に切り替わった。
オレは首にかけたカメラの冷たい感触を確かめてみた。
「山……? 林間学校……」
頭の中に散らばる、点と点を必死に手繰り寄せる。
「そういえばあの時、宵坂はほとんど姿を見せなかった」
あの時の違和感、
最悪のパズルのピースとして、目の前の状況と重なり合っていく。
「クリスマスイブも、僕たちとすれ違ったよね」
「月が落ちた日……あの時……か」
答えかは分からない。
でも、怪しい人物は決まった。
腕を組んでいたキラが言った。
長いカーディガンの袖を揺らしながら凛とした声で言った。
「直接聞く。行くしかないわね」
その一言に、五人のヒーローたちも、それぞれの理由を瞳に宿して動き出す。
東雲は王族の威厳を漂わせながら、静かに頷いた。
真昼は腕を組んだまま言った。
「へっ、しょうがねぇな」
朔は腰の刀の鞘を鳴らした。
「チッ……仕方あるまい」
面倒臭そうに応じた。
夕星はすでに手慣れた動作で呪符の準備を整えている。
暮小路は細目の奥で何かを計算しながらも、静かに彼らに従った。
月詠がロケットペンダントを握りしめ、静かに前へ踏み出そうとした
――その時。
ガクンと、オレの膝から唐突に力が抜け落ちた。
「悪い……」
いや、オレは悪くなかった。
オレのは、普通なのだ。
「オレは……ここまでらしい」
東雲、真昼、常闇、夕星そして暮小路の居場所への空間移動だ。
さっきも言ったが、耐えられる方が異常なのだ。
「犯人は分かった。オレは力になれそうもないし、ここに」
「……うん、分かった。直ぐに説得してくるから……」
月詠が振り返り、心配そうな顔でオレを見つめる。
スーパーヒーローの足手まといになるわけにはいかない。
オレが行っても足を引っ張るだけ。
月詠も理解していて、みんなも同じ——
その瞬間、ふわりと甘い香りがした。
正面から強い力で抱きしめられた。
「アンタは月詠を助けるために、ここまで来たんでしょ!」
綺羅星の声だった。
桃色の髪が揺れ、細い腕がしっかりとオレの体を支える。
「あたしが支えるから! ……月詠っ!」
「うん。ありがと、キラちゃん」
月詠が小さく頷き、空間魔術を発動させた。
床一面に幾何学模様が浮かび上がり、眩い光が走る。
◇
――次の瞬間。
オレを除く全員が立っていたのは、深い森の中だった。
木々が幾重にも密集し、鬱蒼とした枝葉が空をほとんど覆い隠している。
見晴らしのいい山頂ではない。
山の中腹か、あるいはそれよりもさらに深い場所だった。
「ん……失敗したのか?」
重苦しい空気の中、誰の口からもそんな言葉が出そうになる。
月詠が震える手でロケットペンダントを握りしめ、静かに口を開いた。
「ううん……」
声は小さかった。
「先生。嘘だと、言ってください」
でも、静まり返った森の中にはっきりと響いた。
木々の切れ目に、その男は立っていた。
最も目立つ白衣を纏っているはずなのに、森の背景と同化するように佇む男。
宵坂千秋。
燃えるような緋色の短髪を逆立てた真昼が、真っ先に声を荒らげた。
「ここで何をしてんだよ、先生よぉぉッ!」
金色の髪を整然と撫でつけた東雲が、静かに目を細める。
「特別講師……お前が」
墨色の髪の少年、朔が刀の柄に手をかけたまま低く呟いた。
「……都合の良い場所に、いるものじゃな」
エメラルドグリーンの髪を揺らした暮小路が、細目の奥で何かを揺らしながら口を開く。
「先生が、ここにいるということは……」
そして、藤紫の髪を流した夕星が、薄紫の瞳を細めたまま静かに言った。
「……結界の外。僕たちの動きが読まれていた……」
その決定的な言葉に、ヒーローたち全員が目を剥く。
白衣の男は、軽く肩をすくめてみせた。
吸っていたタバコを、指先から無造作に落として捨てる。
高級そうな革靴の先で、ゆっくりとそれを踏み潰した。
「思ったよりも早かった……?」
宵坂は群青の瞳を細め、薄く笑った。
「……いや。この吸い殻の本数を見れば分かるだろう」
冬の乾燥した枯れ葉に落ちたタバコを、入念に丁寧に踏みつぶす。
一本や二本ではない。ひと箱分は軽く超えていた。
「遅い。遅すぎるね、ヒーロー諸君」
冷ややかな声が、暗い森の中に静かに落ちた。
――世界の命運を懸けた、月下の戦いが始まろうとしていた。




