第90話 乙女ゲームだった理由
議事堂の空気が、どんよりと重く沈んでいる。
水を打ったように静まり返った大空間。
扇状に並ぶ議員席の真ん中、
全員の視線が一斉にオレへと突き刺さっていた。
オレは、首から下げたカメラ握りしめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「オレ……の、話を聞いてください」
言葉は、いつものように引っかかりながら出てくる。
十月の空白が、まだ頭の奥にへばりついている。
だからか、うまく繋がらない部分があった。
それでも。
断片的に残っているものを、できるだけ丁寧に並べていく。
「……みんな、月詠を必要としてる。理由は違うけど」
オレは、一人ひとりの顔を見回した。
「でも、月詠が誰を選んでも、国が滅びる。……その話ってわけじゃなくて。オレの頭に残ってることがあって」
声は低く、掠れていた。
自信があるわけじゃない。
忘れられない破滅の感触は、たった一度しかないのだ。
「オレは帝国が滅茶苦茶になった世界から、月詠に意識だけを過去に飛ばされた」
短い沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは、東雲だった。
「で……オレの頭中には6人分の、結婚式の写真……がある」
静かに、その事実を反芻する。
朔を除く各ルートの最後の記憶は、月詠とヒーローの結婚式の写真だった。
「オレ、多分。その終わりを防ぐために、ここにいて」
真昼が、はっきりと大きな声を上げた。
「六人……って。守部っち。おめぇ、すげぇな」
朔が、面倒臭そうに鼻を鳴らした。
「凄いのは月詠だろうが」
暮小路は、細めた瞳の奥で何かを揺らしながら、低く呟く。
「そんな……東夷地方までもが、戦火に……」
夕星が、薄紫の瞳を細めたまま
「それにしても……」
静かに口を開いた。
「乙女ゲーム……。変わったロールプレイだね」
オレは、カメラのストラップを握ったまま、小さく頷いた。
「っすよね。オレもなんでそうなったのか……」
キラが、腕を組んだまま首を傾げる。
「と言うより、何なんですか、ロールプレイって」
夕星は、淡々と答える。
「あの保健室の時にも、話をしていたよね。記憶の封印は、結構難しいんだよ。脳の一部に固まっているわけじゃないからね」
月詠が、静かに言葉を継ぐ。
「複雑すぎて、消せないんです……よね……」
ラベンダーの髪が揺れ、夕星が頷く。
「そう。だから、別の記憶を植え付ける。考えてはいけないというルール。そこに辿り着かないよう、ありとあらゆる場面に設定する。君は……感じていたんじゃないかな」
オレは小さく頷いた。
「頭が痛くなったり、意識が朦朧としたり。……知らないオレになってたり」
月詠が、はっと目を見開く。
「そ……そういうことだったの? だったら私のやったことって……」
オレは慌てて手を振った。
「そ、そのお陰で、ゴチャゴチャの部分を排除できたんだし! 月詠のお陰だよ」
過去から戻った。
もしかしたら、オレは死にかけで。
その死の苦しみから、逃げ出す為に
「だからこそ、乙女ゲームなんだろ。完全に乙女ゲームだと思い込んでいたのは、なんか事情があったか。オレが勝手に」
だが夕星が、薄紫の瞳を細めた。
「……それしかなかったんじゃないかな」
オレはきょとんとする。
「へ……?」
皆の視線が夕星へと集まった。
「君の話を整理しよう」
視線慣れしているのか、彼は動じない。
「君は封印されたまま、入学式前に戻っているよね」
オレは頷く。
「おそらく最初は、もっと簡単なプロンプトインジェクションが可能だった筈だよ」
「プロ……イン……?」
「難しく考えなくていい。君は実践していた」
夕星は、淡々とオレの行動を言語化していく。
「君がやっていたことだよ。この世界は現実ではなく、ゲームの世界だと思い込む。オレはゲームの人物だから、検閲しなくてもいいですよ、と。自分の脳に、そう言い聞かせていたんだ」
カメラのストラップを握る手に、じわりと汗が滲む。
「今回は……ね」
オレは静かに息を吐いた。
「……ってことは、乙女ゲームじゃなかった……ことも」
夕星が頷く。
「あの日、月詠が話した物語の人物。その程度だったんじゃないかな。でも、君は最初にそれごと封印された……」
言語化することで、耳から聞くことで整理されていく。
考えてもいなかった。なんで乙女ゲームだったのか、くらいしか。
オレは月詠の結婚式の後に記憶を封印されて、そして入学式前に記憶を飛ばされる。
そして、学校生活をして、月詠が結婚して、記憶が封印されて
「オレの……封印が解ける瞬間って、ないのか」
夕星が告げたのは、残酷すぎる話だった。
残酷な真実を、彼は口にする。
「少しずつ、難易度が上がった筈だよ。六回、か。それ以上ともなれば。最後の未来の月詠は、どうやっても思い出せない君に、色んな道を、色んな条件を試した。騎士物語かもしれない。ポエムならいけるかもしれない。全ては偽物のデミウルゴスが作った世界とか」
月詠は過去に戻ったことを知らない。
保健室での時みたいに、その場で色々考えた筈だ。
「なら……」
そして、辿り着いた。
偶然にも
「うん。今回うまくいったのが、作り物のゲーム。しかも、乙女ゲームだったんだろうね」
オレは、静かに息を吐いた。
「そういう……ことか」
敢えて、ではなく。仕方なく。
「乙女ゲームになった。そして、オレの仕事はカメラマン。 記憶が全部イベントスチルに見えてたのは、カメラマンとしてのオレとゲームが繋がったから……」
但し、これはある意味で運が良かった。
「全ての検閲を突破できる方法でもあったんだね」
「オレが撮った写真の光景が、乙女ゲームだと何周もしたって設定に出来たから……」
キラは腕を組んだまま、じっと考え込んでいる。
五人のヒーローたちも、衝撃に言葉を失っていた。
短い沈黙の後、朔が面倒臭そうに口を開いた。
「記憶を送るのは他者でなければならぬ……というのは、何となくじゃが、分かる」
夕星が頷く。
「僕もそう思うよ。反作用もあるだろうし。何より月詠自身だと、もっと簡単に未来を変えられただろうしね」
真昼が、腕を組んだまま声を荒らげた。
「にして、なんで守部なんだ? 俺でも良かっただろ」
東雲が、静かに口を開く。
「守部は封印された後、辺境へ送られる、だったな、暮小路」
暮小路が、細目の奥を揺らしながら、低く答える。
「はい……ですから、守部はある意味で生きていた」
朔が、面倒臭そうに鼻を鳴らした。
「つまり、ワシらは。月詠の知り合いは皆、ここにおったのじゃろうな」
暮小路の声が、わずかに上ずる。
「そ……そんな……こと」
夕星が、薄紫の瞳を細めたまま、無機質に事実を突きつける。
「なるほど。あの結界術はそれほどの力……だったんだね。僕たちはみんな。月詠の周りの月詠の知り合いは、みんな死んでしまったんだ」
破滅は全て卒業後、オレの生活圏の外で進行していたのだ。
月詠が目を見開いた。
「え……うそ……」
彼女の両膝から、ふっと力が抜けた。
そのまま、議事堂の床へと崩れ落ちる。
そのとき。
キラが、はっきりと通る声を上げた。
「ってか、守部は未来を変えに来たんでしょ! アンタがぼーっとしてどうすんのよ」
ドンッ、と。
キラがオレの背中を、強く押した。
オレは弾かれたように、少し前に踏み出す。
カメラのストラップが、胸に当たる硬い感触があった。
「なこと言われても……乙女ゲーだった理由を今知ったくらい……で……」
でも、その瞬間。
時間が、止まった。
オレの中だけで。
『守れなかった……世界を……』
月詠の声が、頭の奥で鮮明に蘇る。
絵本を手に、必死に色んなことを言っていた彼女の姿。
まざまざと、目の前に浮かび上がる。
記憶の端々に残っていた、あの感触。
封印の隙間から、こぼれ落ちてきたもの。
月詠の命を賭した大魔法で、記憶という情報だけが過去のオレへと送られていた。
「やっぱり……そう……なのか」
床に手をついたままの月詠が、心配そうにオレを見上げている。
その顔と、記憶の中の泣きそうな彼女の顔が、ぴたりと重なって見えた。
ポンッ、と。
もう一度、背中が押された。
月詠ではない。
綺羅星キラの手だ。
「月詠を助けに来たんでしょ。だったら」
オレは、カメラのストラップを固く握りしめた。
深く、静かに息を吐き出す。
ファインダー越しに見えていた世界が、今、はっきりと輪郭を結ぶ。
「そう……か」
「時間が何度も戻るのと、乙女ゲームのとじゃ違う。やっぱり……逆なんだ」
全員の視線が、オレに集中する。
「オレが、チョロヒーローだと思ってたアイツ……」
キラが、小さく言葉を継ぐ。
「あたしが、絶対にないって言ってたやつね」
キラはオレの撮影対象の偏りを敏感に察知していた。
二人にしか分からない、暗号のようなやり取り。
オレは、夕星の方を真っ直ぐに見た。
「夕星先輩……。つまり、前の回ならもっと早くに気付けてたってことですよね」
夕星が、薄紫の瞳を細めたまま頷く。
「タイムリープなんて考えたこともないけど、おそらく。最初の頃に君はもっと自由に行動していた」
オレは、カメラのストラップを握り直した。
「だったら……オレが撮ってたのは、イベントスチルじゃない」
考え方が反対になる。
イベントカメラマンってことも利用した筈だ。
「アイツの写真の数は、群を抜いてる。それは難易度なんかじゃなく、過去のオレの意志。何かを感じて、記録に残そうとした……」
朔が、面倒臭そうに声を上げる。
「つまり、誰なんじゃ」
「因みに、お前の数は2位な。ま、普通に考えて、朔の国って思うだろうから」
暮小路が、細目の奥で何かを揺らしながら、這いずるような声で呟く。
「お……お願いします。国が滅びるなんて聞いてない」
オレは、全員を見据え、はっきりとした声で続けた。
「ちゃんとお前も怪しいって気づいてたらしいけど……」
失われた宮廷魔術の復活を願い、月詠の才能を利用した危険な研究に没頭している男。
「オレが一番写真を撮ったのは、怪しいと思った1位は、宵坂。——宵坂千秋だ」




