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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第89話 穏やかではない背景(下)

 朔の動揺した声が残る。


 そんな中


 オレの膝から、またしても力が抜けた。


「っ……」


 無様に足元が崩れ、変わらず床へとへたり込む。

 キラはジト目でオレを見下ろしながら、溜め息混じりに無言で手を差し伸べてきた。


 オレはその手を取ろうとして、少し遅れた。

 頭の奥で、また何かが激しくざわついていたからだ。


 顔を跳ね上げた先、そこにいたのは夕星律だった。


 夜の帳に霞むような、淡い藤紫の直髪。

 冷ややかな薄紫の瞳。


 左目の下に刻まれた、小さな泣きぼくろ。


 いつものように少し距離を置き、品定めするような目でこちらを見下ろしている。


「……また、君たちか」


 声は低く、感情の起伏をほとんど感じさせない。

 だが、その視線は確実にオレたちを射抜いていた。


 少し間を置いて、夕星は淡々と続けた。


「しかも、揃いも揃って。あれかな。僕が一番手強いと見て、手を組んだとか?」


 オレは床に片手をついたまま、慌てて周囲を見回した。


「ってか。……え? 学校の図書室?」


 高くそびえる本棚が整然と並ぶ。

 高い窓から薄暗い夕暮れの光が差し込んでいる。


 見慣れた、学苑の図書室だった。


 夕星は窓辺で静かに佇んだまま、冷ややかな視線を向けてくる。


「僕は既に、宝物を手に入れたからね……」


 涼しげな顔で言った。


 その言葉に視線に、東雲の顔色が一変した。

 真昼も、はっきりと表情を強張らせる。

 朔は苛立たしげに、低く舌打ちを鳴らした。


「なんだと?」

「マジ……かよ」

「ちっ……」


 三人とも、一斉に踵を返そうと身構える。


 だが、夕星が静かにその動きを制した。


「本当に宝があるなら、の話だけど」


 東雲が、低く絞り出すように呟く。


「嘘……か」


 真昼が腕を組んだまま、ギリッと眉を吊り上げた。


「コイツ、マジで。……じゃあ、てめぇは降りたってことだな」


 朔が、吐き捨てるように言った。


「ワシは騙されんぞ。持っておるのだろう」


 その険悪なやり取りを、

 桃色の髪を傾けて静かに割って入る。


「でも、月詠は欲しいんでしょ?」


 いつものあざといキラの笑顔。

 夕星は、軽く肩をすくめてみせた。


「勿論。だからちゃんと用意はしてる」


 彼は流れるような所作で鞄に手を入れた。

 そして、きらびやかな石の鉢を取り出した。


 差し込む光を受け、それは神秘的な輝きを放っていた。

 全員が、息を呑む。

 焦燥を帯びた視線が、一斉にその鉢へと集中する。


「三百年前に失われたものだよ。一体、誰が本物だと鑑定するのかな」


 夕星は静かに目を細めた。


 嘘とも、真実ともつかぬ顔に、ヒーロー達が顔を顰めた。


 彼は気にせずに、髪色と同じ薄紫の視線を、月詠へと滑らせた。


「それに、選ぶのは月詠。君だよ」

「え、えっと……」


 月詠が困惑して言葉を濁す。


「だから、それまでに——」


 夕星の言葉の途中で、オレは思わず口を挟んでいた。


「……あの、結界術の」


 夕星の薄紫の瞳が、わずかに見開かれた。


「そっか。そういえば、君には話したよね」


 キラが腕を組み、探るような目で夕星を見据える。


「で、二人だけの秘密のその話、聞かせてくれる?」


 夕星はわずかに目を細め、静かに口を開いた。


「僕の知らない結界……だった。僕が知らないってことは古いものだろう」

「新しいものは知ってるってこと?」

「そうだね……。だから、あたりはつけていた」


 彼の目の前の机には、膨大な古書が積み上げられている。

 学苑の図書室の本だけではない。

 輝夜の物語から当時の思想本。

 更には結界術において秘匿とされる文書まで並べられている。


 オレの記憶が確かなら、夕星律は一目で月詠の才能に気付いた。


 ある意味で、やはり怪しい。

 キラが、核心を突くように静かに問いかけた。


「一応聞いておくけど。月詠と結ばれたら、その結界で世界を支配するつもり?」


 夕星は、飄々と肩をすくめた。


「確かに月詠と結ばれたら、試してみたい結界はあるよ」


 その物騒な物言いに、全員の目が丸くなる。

 夕星は気にした様子もなく、淡々と続けた。


「でも、僕が調べてるのとは違う。僕のは『守る』、あるいは『弾く』という結界だ。だが、あれは……『引き寄せる』類のものだ」


 キラが、冷徹な声で切り込む。


「これも一応全員に聞いてるんだけど、もしも選ばれなかったら……」


 夕星は薄紫の瞳を眇め、酷薄な笑みを浮かべてみせた。


「全員を……呪い殺す」


 再び、その場の空気が凍りついた。


 数秒の沈黙の後、夕星はわざとらしく肩をすくめる。


「なんてね。僕には他にもやるべきことがあるから……」


 オレは思わず、身を乗り出して口を挟んだ。


「それが、さっきの」


 夕星は、静かに頷いた。


「うん。何を引き寄せるのか……何のために、ね」

「引き寄せ……?」


 そこまで突き止めていた。

 でもキラは、面倒そうに手をひらひらと振った。


「神道系は専門外で分かんない! 次行くよ」


 夕星が、興味深そうに目を細める。


「次? 丁度良い。僕も暮小路に聞いてみたいことがあったんだ」



 夕星がそう口にした、まさにその直後だった。


 キラが電光石火の速さで、オレの二の腕をがっしりと掴んだ。


 膝から力が抜け落ちそうになったオレの体を、見事に先回りして支え切る。


「っ……!」


 キラはジト目を向けながら、耳元で短く呟いた。


「仕方ないでしょ。へたり込む前に支えたの」


 視界がぐにゃりと歪み、広がったのは壮大な議事堂の光景だった。


 見上げるほどに高い天井。

 扇状に整然と並ぶ、無数の議員席。

 磨き抜かれた重厚な木の床。


 その演壇の近く、議場の中央に暮小路慧が立っていた。


 エメラルドグリーンの柔らかい髪。


 細められた黄昏色の瞳の奥で、常に冷静な計算を巡らせている。


 いつもの穏やかな貼り付けたような笑み。

 彼は、こちらを見下ろしていた。


「あら。皆さん、揃っていらっしゃいましたね」


 暮小路は笑みを崩さず、ゆっくりとオレたち全員を見渡した。

 そして、何の前触れもなく口を開いた。


「月詠さん。私を選んでくれませんか?」


 穏やかで、静かな声だった。

 しかしその一言で、議事堂の空気が一瞬にして張り詰める。


 刹那、真昼が怒声を響かせた。


「宝がねぇじゃねぇか!」


 太い腕を組み、猛烈な剣幕で暮小路を睨みつける。

 でも暮小路は、完璧な微笑みを崩さなかった。


 彼が優雅に指を鳴らすと、議事堂の奥の扉から使いの者が現れた。

 布で覆われた台車を押し、静かにこちらへと運んでくる。


 使いが恭しく布を取り払うと、そこにあったのは——


 炎鼠の外套……だろう宝物だった。


 鮮やかな赤みを帯び、異質な魔力の光沢を放つ外套。

 周囲の空気が、じわりと熱を孕んで揺らめいた。


「炎鼠の外套、そのものです。本物ですよ」


 暮小路の静かな宣言が、議場の緊張をさらに一段階引き上げる。

 オレは即座に夕星に目を向けた。

 彼は肩をすくめて言った。


「……彼のは本物のようだね」


 逆に言うと、夕星のは偽物。

 やはり別格か——

 その空気を破るように、キラが猫なで声で問いかけた。


「ね、東雲先輩。今、行政はどなたがやっていらっしゃるの?」


 東雲はわずかに目を細め、静かに応じる。


「立憲君主制だ。憲法があり、行政がある。王は署名をするに過ぎない」


 真昼が噛みつくように声を荒らげた。


「ってことは、暮小路家が決めてんじゃねぇか! 八百長だ、八百長!」


 夕星が、心底呆れたように深い息を吐き出した。

 寧ろ、興味深そうに宝物を眺めながら言う。


「はぁ……今頃気づいたの?」


 直後、朔が鋭い声を張り上げた。


「ふざけた話じゃ! お主の家が勝手に決めて、月詠を取り合うだと? ワシは認めんぞ!」


 暮小路は、少しも動じることもない。


「八百長ですか……」


 相変わらずの、笑みを浮かべたままだった。


「八百長の証拠はあるんですか? 私だって大変だったんですよ。大冒険でした」


 キラが冷めた目で、淡々と切り込む。


「で。宰相が国を滅ぼすってことで決まりかしら」


 暮小路が、わざとらしく首を傾げてみせた。


「はて、何のことでしょう」


 すると朔が、吐き捨てるように言い放つ。


「貴様と月詠が結ばれたら、世界が崩壊するということじゃ」


 暮小路の張り付いた笑みに、わずかな困惑が混じり始める。

 真昼が腕を組んだまま、畳みかけた。


「お前のもだろ」


 東雲も静かに同調する。


「真昼のもだ」


 夕星が、薄紫の瞳を冷徹に細めた。


「というより、ここにいる全員だね」


 もしもゲームなら、クソゲー決定のシナリオだ。


 綺羅星は見つけたと言わんばかりに、楽しそうに唇を歪めた。


「暮小路家が、裏で糸を引いているのかもねぇ」

「なるほどな。宰相が怪しいってのは」

「……実質、学校を仕切っているのも暮小路家か」


 すると——

 

 暮小路の表情が、僅かに歪んだ。

 そして、ついに耐えきれず大きく揺らいだ。


「ななな、何を言ってるんです……! 私が目指すのは民主的な国家ですっ! 富も、魔力も、武力も、皆に等しく……分けるんです」


 息を乱し、早口で言葉を重ねる。

 眼鏡がズレ落ちても気にせずに、身振り手振りを加える。


「ち、父上も……そんな希望溢れる社会を作るために、今も……!」


 声が上ずり、狼狽を隠しきれていない。

 あの常に余裕を崩さなかった穏やかな笑顔は、完全に消え去っていた。


「決まりね」

「月詠。暮小路は信用すんなよ」

「え……でも。暮小路くんは真面目で」


 月詠は彼を庇う。

 オレもそう思いたかった。

 暮小路は真面目で、あの肝試しの時だって、月詠より自分の役目を重視してて


 ……って、あれはゲームの話……じゃなく


 ん……? あれ


 オレの中でバラバラだったイベントスチルが。


 散りばめられたピースが、イベントツリーが不意に繋がり始める。

 カメラのストラップを握り締め、ゆっくりと横に一歩


 また一歩。


 キラの隣についた。


「あの……さ、綺羅星」


 キラは腕を組み、訝しげにオレを睨んだ。


「何? 何か思い出した?」

「思い出したって言うか……オレはあんまり望月の中枢事情には詳しくないけどさ」

「だったら口を挟まないで」


 この感じ。

 既視感——の先にあるのは


「挟んで良いだろ」

「へぇ……なに?」


 バチバチとやりあった日々。


「 東雲先輩はまぁ、国を守る方向だ。真昼先輩は軍部がどうのこうので」

「どうのこうのって何」


 オレの行動は——

 

「夕星先輩はヤバい結界について調べてた。で、常闇のは朔の国の怪しい動き。暮小路は自由とか言いながら、あいつとアイツの親が裏で動いてる」


 常に綺羅星とぶつかっていた。


「そうね。で、何が言いたいわけ?」


 だからこそ、確信を込めて言い放った。


「イベントスチルの数に比例してる、——怪しさが!」


 キラが眉をひそめる。


「イベントスチルって?」

「乙女ゲームのイベントスチルだよ!」


 夕星が、薄紫の瞳を険しく細めた。


「乙女ゲーム……?」


 キラの瞳が、オレの奥底を探るように鋭く細められる。


「……ま、そうなるわよね。守部、アンタが今まで経験したこと、それから何があったか——ここで全部話しなさい」


 議事堂の広い空間が、水を打ったように静まり返った。

 立ち並ぶ攻略対象たちと月詠の視線が、


 一斉にオレへと集中していた。

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