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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第88話 穏やかではない背景(上)

 廊下の冷たい空気の中、オレたちは立ち止まった。

 キラが腕を組み、静かに口を開く。


「じゃあ、話し合いましょう。誰から行くか」


 短い沈黙が落ちた。

 キラが視線を巡らせ、淡々と言葉を継ぐ。


「普通に考えて、王族でしょ」

「……東雲、か」

「ええ」


 キラはカーディガンの袖を軽く引き上げた。


「王位継承を控えてるし、国の安寧のために月詠の力が必要だって重圧を抱えてる。一番、動きやすい立場かもしれないわ」


 月詠が静かに唇を結ぶ。


「……暁くん」


 キラの鋭い視線が、オレへと向けられた。


「守部はどう思う?」


 オレは首にかけたカメラの感触を確かめ、少し考えてから頷いた。


「……どのみち、全員を探らないと、だろ」


 キラの口元に、ふっと笑みが浮かぶ。


「そういうこと」


 その瞬間だった。



 オレの両膝から、唐突に力が抜け落ちた。


「っ……」


 足元が崩れ、腰を抜かしたように床へへたり込む。

 すかさず月詠が身を乗り出し、慌ててオレの肩に手を伸ばした。


「守部くん!?」


 キラは目を丸くしながらも、すぐに楽しげな笑みを漏らす。


「なになに? おどろいたぁ?」


 オレは床に両手をつき、顔を跳ね上げて叫んだ。


「驚くだろっ! ってか、ここ、どこだよ!」


 視界が切り替わった先——そこに立っていたのは、東雲暁だった。

 金色の髪を整然となでつけ、いつもの完璧な笑顔を浮かべている。


 公式イラストそのままの王子が、すぐ目の前で見下ろしていた。


 オレは大きく目を見開く。


「なんで場面転換してんだよ。やっぱゲームか……!」


 月詠はオレの傍らで、戸惑いながら小さく頷いた。


「あ……うん。ここはゲームだよ」


 腕を組んだキラが呆れたように息を吐く。


「っいうか。魂過去に送られてて、よく驚けるわね」


 東雲は、オレたちのやり取りを穏やかな瞳で見下ろしていた。

 だが、その完璧な笑顔がわずかに揺れる。


「……流石は月の姫」


 東雲は薄く目を見開き、月詠へと視線を向けた。


「まさか、他の誰かが——」

「違うわよ。それに選ぶのは」


 キラが即座に、はっきりと首を横に振った。

 わずかな静寂を挟み、キラが事情を手短に説明し始める。


 オレが断片的に話した、四人が抱えるそれぞれの重圧。

 誰もが月詠という存在を喉から手が出るほど求めていること。

 そして、誰を選んでも破滅へ向かうという、オレの記憶の奥底に残る不吉な感触。


 東雲の顔から、ゆっくりと営業用の笑顔が消えていく。


「……月詠が僕を選んだら、国が滅びる……?」


 声が落ちた。

 先ほどよりも明らかに低く沈んでいた。


「その可能性が高い、って話ね」

「えっと……私は」


 月詠は静かに視線を足元へと伏せる。


 オレは無意識にカメラを強く握り締め、東雲の表情を追っていた。

 張り詰めた沈黙を、キラが乾いた声で破る。


「で。王家に、不穏な動きは?」


 東雲の暁色の瞳が、すっとキラを射抜いた。

 いつもの穏やかさは消え、冷徹な光が宿っている。


「……不穏、か」


 静かに息を吐き出し、東雲はゆっくりと語り始めた。


「王位継承を控えている。国の安寧のために、月の女神の力が必要だという重圧がある……」


 東雲は一度言葉を切り、視線を月詠へと滑らせた。


「この三百年は長すぎた。文明開化が終わり、立憲君主制が始まった」


 月詠はただ静かに、彼の紡ぐ言葉に耳を傾けている。


「象徴などなくてもよい、という考えがあるのは聞いている。王族の中からもね」


 キラが皮肉げに唇の端をつり上げた。


「へぇ。だから月詠とくっついて、三百年のおかわりがしたいって?」

「キラちゃん!」


 月詠が慌ててキラの袖を引く。


 東雲はその辛辣な言葉に、薄く目を細めただけだった。


 彼は否定をしなかった。


 キラは腕を組んだまま、容赦なく切り込む。


「ま、それは皆だし」

「……みん……な?」

「そ。あたしが聞きたいのは、もしも選ばれなかった場合のこと」


 東雲の視線が、再びキラへと戻る。


「にわかに信じられないが、僕は……」


 東雲はふっと力を抜いた。

 金色の髪がふわりと跳ねる。

 彼は小さく肩をすくめた。


「——選ばれた者を、祝福するつもりだよ」


 その横顔には、王子としての仮面を外したような。


 疲弊さえ孕んだ顔だった。


「僕自身も、この体制に無理があるとは思っている。それに正直——この肩は、少々重いんだ」


 その視線を、再び月詠へと移す。


「……月詠がいなかったら、だけどね」

「暁くん……」


 正直な言葉、と思った。

 そのしんみりとした空気を、キラがあっさりと断ち切った。


「感傷に浸るのは後。次行くわよ」


 時間がないのは間違いない。

 それでも綺羅星の決断は余りにも早かった


「待ってくれ……」


 だからか、それとも考えていたのか。


 オレの背後から小さく呟く声が聞こえた。


「ふぅん。宝探しはぁ?」


 東雲はオレたち三人をまっすぐに見据え、静かに告げた。


「みんなというのが気になる。誰を選んでも国が滅びるように聞こえた。なら、僕も協力したい」


 月詠が目を見張った。

 キラは腕を組んだまま、品定めするように東雲の顔をじっと見つめていた。


 ◇


 オレが


「……どうする」と口を開きかけた、まさにその瞬間だった。


 またしても膝から、一気に力が抜け落ちる。


「っ……」


 視界がぐらりと揺れ、再びその場にへたり込んだ。


「守部くん!」


 月詠が身を乗り出して手を伸ばす。

 キラは腕を組んだ姿勢のまま、冷ややかな視線をオレへと落とした。


「……また?」


 オレは床に突いた手のひらを握り締め、顔を上げる。


「なんでだよ……」


 視界に飛び込んできたのは、真昼剛の姿だった。

 燃えるような緋色の短髪を逆立て、太い腕を組んでいる。

 真夏の青空のような瞳が、見下ろすようにオレを捉えた。


 真昼が、からかうように肩をすくめる。


「モブくんには、刺激が強かったかな」


 キラが間髪を入れずに言葉を返す。


「月詠が心配することじゃないわよ」


 すっと東雲が前に進み出た。


「真昼。少し話がある」


 真昼は不快そうに眉を寄せ、東雲を睨みつけた。


「あ? 俺に折れろってか。そんなのは——」


「アンタが勝ったら、世界が滅びるの」


 キラの鋭い声が、会話を遮る。


「アンタだけじゃないけど、ね」


 真昼の精悍な表情が、わずかに強張った。

 そしてキラがオレへと顎をしゃくる。


「モブくん。彼はどうだったっけ」


 オレは急に振られて口ごもった。


「オレ? でもあれは——」


 その逡巡に、東雲が静かに頷いてみせる。

 真昼は頭をガシっと掻きむしり、短く息を吐いた。


「あぁ、守部には前に言ったよな」


 真昼は腕を組んだまま、視線を斜め下へと逸らす。


「表向きは、朔の国がいつ攻めてくるか分からねぇから備えてるって話だ。でも——」


 握られた拳に、ぐっと力が込められた。


「朔の国とは友好条約を結んだってのに、武装を解く気がない。念の為って親父は言うけどよ……念の為に戦力を増やすか?」


 声の端々に、隠しきれない苛立ちと戸惑いが滲み出ている。

 東雲が静かに、だが核心を突くように口を開いた。


「クーデターでもするつもりか」


 真昼が鋭い視線で東雲を睨み返す。


「なーに言ってんだよ。月詠と俺がいたら、そんなもんせずとも政権はかわるだろ」


 キラが冷めた眼差しで言葉を挟んだ。


「それって、真昼先輩が選ばれなかったらクーデターを起こすって聞こえるけど?」


 真昼は虚を突かれたように、きょとんとした顔を見せた。


「そんなもん、俺が許すかよ。……月詠が幸せなら、俺はそれでいい」


 キラが目を細め、怪しむように呟く。


「『俺は』……ねぇ」


 オレはたまらず、助け舟を出すように口を挟んだ。


「い、いや、だって! 真昼先輩のお父さんが仕切ってるんですよね?」


 真昼は肩をすくめ、冴えない表情で視線を落とした。


「……まぁな」


 キラが小さく、深くため息を吐き出す。


「もういいわ。どいつもこいつも、きな臭いわね」


 キラはくるりと踵を返した。


「次」


 そう言い放ち、キラは隣の月詠へと視線を向ける。


「月詠、いけそう?」


 月詠は胸元で拳を小さく握り締め、しっかりと頷いた。


「うん」


 その声音は静かだったが、迷いのない強さがあった。


 キラはそれ以上何も言わず、次の標的を見定めるように前を見据える。


 ——そして、またしてもオレの膝から力が抜けた。


「っ……!」


 三度目の落下。


 無様に床へ倒れ込み、顔を上げた。


 そこには、色彩を失ったモノクロームの世界が広がっていた。


 濃い影を落とす、重厚な城の偉容。


 屋根の鋭い反りも、高くそびえる塀の輪郭も、すべてが墨絵のシルエットのように沈んでいる。


 その静寂の中央に、常闇朔が立っていた。


 艶のない墨色の髪。

 底知れない闇を湛えた黒い瞳。


 面倒臭そうに歪められた口元の奥に、微かな焦燥が透けて見えた。


「……また、お主らか」


 落とされた声には、普段の気だるさを装いきれない拙速さが混じっている。

 キラが猫なで声を作り、すり寄るように一歩踏み出した。


「朔くん、なにかあったのぉ?」


 朔の細い眉が、ぴくりと跳ねる。


「ワシの居ぬ間に、許可なく望月に……いや、なんでもない」


 朔は言葉を無理やり飲み込み、ぷいと横を向いた。

 焦りを隠そうとする仕草が、かえってその動揺を際立たせている。


 そのとき、後ろから真昼が腕を組んだまま割って入った。


「この流れは俺でも分かるぞ。コイツが月詠と結ばれても国が崩壊すんだろ。コイツの場合は分かりやすいがな」


 朔の黒い瞳が、すっと細められる。


「……なんじゃと?」

「あー、いいから」


 キラが手前で手を振り、強引に会話を打ち切った。


「あたしが聞きたいのはぁ、朔くんはもしも選ばれなかったらどうするの?」


 朔は口を噤んだ。


 気だるげな表情の裏で、慎重に言葉を選んでいるのが見て取れる。


「選ばれぬことなど……じゃが」


 朔は視線をわずかに落とし、ぽつりと呟いた。


「月詠はいいやつじゃ。それに……月詠を返せと言うたのは、そういうものじゃと聞いておったからじゃ」


 再び顔を上げたその瞳には、不器用な誠実さが宿っていた。


「ワシはオトナじゃ。月詠が別の男を選ぶのなら、ワシは身を引くだけじゃ」


 声にはいつもの勝ち気さがあったが、どこか真っ直ぐな響きが含まれていた。


 キラが短く「そ」と呟く。


 その眼差しから、わずかに軽薄さが消えた。


「一応、言っとくけど。朔と結ばれた世界の望月は滅ぶそうよ」


 朔の瞳が、刃のように鋭く細まる。


「な……? 何を根拠に」


 キラは何の前触れもなく、床にいたオレの首元を勢いよく抱え込んだ。


 完璧なヘッドロックが決まる。


「こいつ、やけに朔に詳しかったでしょ。知る筈がないことを、ね」


 締め上げられるオレの頭上で、朔の顔色が一変した。


「そんなわけ……あるはずがない!」


 朔は声を荒らげ、激しく動揺を露わにする。


「第一、再び三百年分かつ世界じゃぞ。滅ぼしても無意味ではないか……!」


 面倒臭そうに被っていた仮面が、完全に剥がれ落ちていた。

 月詠がオレと朔を交互に見比べ、心配そうに眉を寄せる。


 その背後では、真昼と東雲が並び立ち、朔の国の王子を値踏みするように鋭い視線を突き刺していた。

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