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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第87話 宝探しの男たちを訪ねて

 朝の六時。

 学苑の正門前は、まだ薄暗く底冷えしていた。

 吐き出す息は真っ白で、吐いたそばから冷気に溶けて消えていく。


 オレは手袋越しに、愛用の魔導カメラのストラップをぎゅっと握りしめた。


 十月のあの日から、頭の中のどこかがすっぽりと抜け落ちている。


 思い出そうと深く潜ろうとすると、頭の奥で嫌なノイズが走る。

 激しい耳鳴りと、視界が真っ暗になる「暗転スキップ」が来そうで、オレは無意識に思考にブレーキをかけていた。


「で、何か思い出せた?」


 袖の長いカーディガンのポケットに両手を突っ込み、綺羅星キラが横目でオレを見てくる。


 マゼンダ色の瞳が、心を値踏みするように細められていた。


「い……や。全然。すっぽり抜けたみたいだよ」


 オレは乾いた笑いを浮かべ、首を横に振った。


「ってか、そこに触れようとしたら、頭がバグって気絶しそうになるし」


 すると、隣から透き通るような蒼水晶の髪がふわりと揺れた。

 金色の満月のような瞳を潤ませて、月詠が心配そうにオレの顔を覗き込んでくる。


「……無理しなくていいよ、守部くん」


 相変わらずのヒロイン補正全開な美少女フェイスだ。

 至近距離で無自覚な上目遣いを食らうと、モブの心臓には甚だよろしくない。


「思い出せなくても、大丈夫だから。ね?」

「そうね。今は無理にこじ開けない方がいいわ」


 キラが呆れたように息を吐き、正門の向こうの薄暗い並木道へ視線をやった。


「それより——あの五人でしょ。まだ、帰ってないんだって」

「朔の国の……。『月の宝物探し』だっけか。流石に探せないだろ。そんなイベント知らないし……じゃなくて」


 オレはため息をついた。


 メイン攻略対象の五人——東雲、真昼、夕星、暮小路、そして常闇。

 決めきれないヒロインの為に、特別イベントがあった——とか。


 一か月前までは本気で思っていた。


 でも行われたのは、政府主体の竹取月詠の夫決めの競争だった。


「みんなが心配です……。あんな遠くまで、何かあったらって思うと……」


 月詠が胸の前で両手をぎゅっと組み、不安そうに眉を寄せる。


「あたしも同じよ。日和見のあたしが言うのもなんだけど、タイミングがおかしすぎる」


 キラの鋭い視線が、早朝の静寂を切り裂くように遠くを睨みつけていた。

 短い沈黙が三人の間に落ちる。


 オレはカメラを持ち上げ、最初の一歩を踏んだ。


 先ずは


「……宵坂先生なら、何か裏の事情を知ってるんじゃないか? とりあえず、司令部に行ってみようぜ」

「はい。私も一緒に行きます」

「当然でしょ。宵坂先生がそれぞれに宝の場所を教えているんだから」


 ◇


 保健室もとい臨時司令部の一室。

 扉を開けると、そこは分厚い資料と古びた魔導書で埋め尽くされていた。


 濃紺の髪を無造作に流した男——宵坂千秋。

 室内のデスクで、白衣の肘をついて書類を眺めていた。


 扉の開く音に、彼は気だるそうに顔を上げる。


「おや……守部くん」


 群青の瞳がオレを捉えた。

 その瞬間、宵坂先生の口元にふっと柔らかな笑みが浮かんだ。


 彼は、オレに対して冷たい。

 ゲームじゃないんだから、教師を撮る生徒を叱るのは当然だった。


 そして彼は、教師の顔でオレに言った。


「よかった。本当に、無事でよかったよ」


 魔術専門の教師。

 でありながら、保健室の先生。

 純粋な安堵の響きが混ざっていた。


「……先生」

「十月のあの一件はボクのミスだ。正直、かなり焦ったよ」


 宵坂は机の上の書類を軽く片付け、立ち上がる。

 一歩近づいて、オレの顔をじっと観察するように覗き込んだ。


 無精髭に手を当て、やはり危うい大人の色気を漂わせている。


「君がいないと、記録が滞ってしまうからね」

「そっちの心配かよっ!」

「あは。冗談だよ」


 前も現実ではあったが、生で見ると本当にカッコよい。

 それに、親しみやすさもある。

 月詠が彼に懐くのは、自然だったのかもしれない。


「先生……守部くんは、記憶がまだ少し混乱していて……」

「そうか。なら無理は禁物だ。ゆっくり休みながらでいい」


 宵坂は優しく頷くと、再びオレを見つめた。

 その視線には、教え子を慈しむ以上の、熱が宿っているように見えた。


「先生、ずいぶんと守部を心配してくださるんですね」


 キラが長い袖の中で腕を組み、冷ややかな声で口を挟む。


「当然だよ。守部くんは特別なんだから」


 あっさりとそう言ってのける。

 宵坂に、オレは背筋が少しだけむず痒くなる。


 すると、キラがすっと半歩前に出た。


「先生、その話は置いておいて。最近、身の回りで何か気付いた変化はありませんか?」

「ちょ、綺羅星」


 先生にほだされたオレを睨み、彼女は宵坂を探った。


「いや、いいんだ。それにしても探偵みたいなことを聞くね」

「一応、日和見貴族やってるんで」

「そうだったね。ん-、身の回りの変化……あぁ」


 宵坂は小さく息を吐き、視線を月詠へと滑らせた。


「これから、月詠くんの結婚式が始まる。次の三百年に向けた、新たなスタートだ」


 普段の気だるげなトーンとは違う、どこか熱を帯びた響き。


「相手はまだ決まっていないけれど。結婚式を挙げるという事実そのものが、身の回りの変化と言えるね」


 月詠は静かに伏し目がちになった。

 キラは表情を消して腕を組み、オレもカメラを握ったまま息を呑む。


 三百年周期の厄災と、防衛の要としての結婚。


 結ばれた者は強い力で、国を守る。


 そして月詠は、望月の女王に。


 ゲーム通り。


 オレたちがすでに知っている、世界そのものだった。


「普段はやる気のないボクだけど、流石にちょっとだけ興奮しているよ」


 宵坂先生は肩をすくめ、いつもの薄い笑みを浮かべた。


「それだけですか?」


 キラが畳み掛けるように問う。


「それだけだよ」


 宵坂先生はあっさりと答え、それから意味深にオレへと視線を戻した。


「強いて言うなら……守部くんの記憶の封印をどう解除するか、かな」


 そこで言葉を切り、先生はわざとらしく自分の口元に指を当てた。


「……おっと。これは本人の前で軽々しく口にするべきじゃなかったね」


 オレは何も言えず、ただその事実を脳内で反復するしかなかった。


 なんで、そんな約束をしたんだよ、オレ。

 守部家は、巨万の富を得るだろうけど、オレは?


 立憲君主制と言いながら、貴族が力を持つ国だから、次男とか三男とかは、そういう役目かも知れないけれど。


 そういえば教頭も、良いようにするとか言ってたし。 

 

「キラちゃん。先生は……」


 オレが呆けていると隣で動きがあった。

 月詠が控えめにキラの袖を引く。


「そうね。先生の追及は後回し。先に遠くの奴らから片付けましょう」


 キラは小さく頷き、すぐに宵坂へと鋭い視線を向けた。


「先生。あいつら……五人は今、どこにいるんですか」

「教えてください、先生」


 月詠も真剣な面持ちで請う。

 宵坂は椅子に深く背を預け、面白そうに目を細めた。


「居場所、か」


 指先で机をトントンと叩きながら、宵坂先生は淡々と告げた。


「朔の国の僻地……だよ」


 聞いた瞬間、オレの肩がぴくりと跳ねた。


「ずいぶんと時間がかかっているようだね。聞いていた予定と食い違っているんじゃないかな」


 宵坂は嘲るように唇を歪める。


「何せ、あちらの幹部からの情報によると、月の宝物を盗み出したのは、朔の国の反社会的な過激派組織らしいからね」


 キラの眉がぴくりと動く。

 月詠は固く唇を結び、胸元で拳をぎゅっと握りしめた。


「……朔の国の、僻地」


 オレは低く呟き、喉の奥でその言葉を反芻した。


 ◇


 司令部の廊下を、三人はしばらく無言で歩いた。


 オレは、頭の中に散らばる断片的な情報を整理しようと口を開いた。


「……あのさ。意識を失う直前の詳しい流れは思い出せないんだけど」


 横を歩くキラが、すかさずジト目を向けてくる。

 月詠は心配そうにオレの顔を伺っていた。


「それに過去じゃなく、今なんだけど。あ、今って言っても」

「分かってる。で?」


 オレは二人に聞こえるよう、できるだけ手短に共有した。


「東雲は、王位継承の儀式を控えてる。国の安寧のために月詠の力が必要だって、王子としての凄まじい重圧を一人で背負い込んでた」


 金色の髪を撫でつけ、完璧な笑みの下。

 何かを必死に殺していた東雲の顔が浮かぶ。


「夕星は、国を守る結界の異変に気づいてた。自分の一族すら知らない結界の秘密があって、守るべきものの正体に苦悩してたよ。あいつも月詠の力を頼りにしてた」


 薄紫の瞳を伏せていた夕星の横顔。

 いつも冷淡な彼が、あの時ばかりは酷く疲れ切った顔をしていた。


「暮小路は、宰相の息子として政治の泥沼の真っ只中にいる。朔の国との外交のねじれを正すためか、それとも現状維持のためか……月詠を手元に置きたがってた」


 細目の奥で冷徹に盤面を計算しながら、決して本音の尻尾を掴ませない慧の貼り付けたような笑顔。


「真昼は、軍部の一員として戦争の影に怯えてた。表向きは防衛部隊の配備だが、その銃口が本当はどこを向いているのか、学徒の自分には見えねぇって苦しんでたよ」


 腕を組み、苦々しく遠くを睨みつけていた真昼の険しい顔。

 あのデカい声の男が、絞り出すように漏らした不安の重さ。


 オレはそこで言葉を切り、深く息を吐き出した。


「……あの四人は、全員がそれぞれの理由で月詠を必要としてる。背負ってるものが重すぎる」


 キラは呆れたように肩をすくめ、ジト目のままオレを見上げた。


「全員が月詠を求めてるなんて、最初から分かってたことじゃない」

「キラちゃん……」

「事実でしょ。でも……」


 キラはつま先を軸にして、くるりと軽やかに一回転した。


 ふわりと長いカーディガンが広がり、気づけば彼女はオレの背後に回り込んでいた。


 トン、と背後からオレの両肩に華奢な手が置かれる。


「っ……!?」


 思わず肩が跳ね上がり、オレは情けない声を上げそうになった。

 キラは悪戯っぽく笑うと、すぐにパッと手を引っ込めて一歩下がった。


「彼らが抱えている不安や重圧の先に、今回の黒幕の糸口がありそうね。記憶を消される前提のアンタだからこそ、みんな警戒を解いて本音を漏らしたんでしょうし」


 キラはマゼンダ色の瞳を細め、フッと不敵に口元を吊り上げた。


「認めたくないけど——これは守部のお手柄よ」

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