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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第86話 花婿選びは全てバッドエンド

 大聖堂の扉が、ゆっくりと開いていく。


 白亜の石造り。

 青みがかった銀色の金属が、要所に使われている。

 尖塔は二本、左右に細く伸び、中央のドームがわずかに膨らんでいる。

 正面の大きな扉の上には、月を模した円形のステンドグラスがはめ込まれていた。


「写真で見たままだ」

「おのぼりさんね」


 夕暮れの光を受けて、淡く青白く輝いている。

 石畳の広場を抜けた先に、その建物はあった。


 遠くを見やると、低い稜線の向こうに、一つの山が沈んでいる。


「あの山も見たことあるっ」

「月岩戸山。月の女神が隠れるという名を持つ山よ」

「月が隠れる……アレだけ高ければまぁ」


 オレはキラの後ろについて、中へ足を踏み入れた。


 天井が高い。

 アーチ状の梁が何本も走り、白い大理石の床が足音をわずかに響かせる。

 奥の祭壇の向こうの壁には、大きな月の浮き彫りがあった。

 青と銀と薄い紫で構成されたステンドグラスから差し込む光が、床にぼんやりとした月の模様を落としている。

 照明は魔法灯で、全体が青白い光に包まれている。


 静かで、少し息が詰まるような空間だった。

 打ち合わせの場にいたらしい人たちが、こちらに気づいて顔を上げる。


 その中に月詠がいた。


 サファイアブルーの長い髪が、わずかに揺れる。

 黄金の瞳が、オレを捉えた。


 一瞬、月詠は固まった。


 次の瞬間、彼女は椅子を蹴るようにして立ち上がり、一直線にこちらへ走ってきた。


「守部くん……!」


 声が少し裏返っている。


 オレの前まで来たところで、足が止まった。

 止まったというより、力が抜けた。


 月詠はその場に崩れ落ちた。

 膝をついたまま、肩を小刻みに震わせている。


「良かった……」


 掠れた声だった。

 オレは慌てて身を屈める。


「うん。月詠のお陰だ。ありがとう」

「ううん。私のせい。私が」

「その。あれだって。守部の呪詛ってやつだよ? アレがこびり付いてたんだ」


 すると月詠が心配そうに顔を上げる。

 黄金の瞳が、揺れていた。


「ほん……とう?」


 嘘だった。

 それにしても——

 彼女は現実の存在。ゲームのキャラではないのだ


 ここにいる。彼女は——


「本当だ。何を言ってもオレだ……ていうか。本当に……綺麗……だな」


 月詠の頬が染まる。本当に本当に綺麗だし可愛いし、清楚。


「え?!」


 パンッ


 だが、オレの感動も束の間で、後頭部に軽い衝撃が走った。


「まーだ、残ってたみたい。うん。これで呪詛はなくなったわね」


 キラが平然とした顔で、手を下ろしている。


「痛いって……。綺羅星、あのな」

「そんな話をしてる場合じゃないでしょ……で、月詠。決まった?」


 オレを殴ったことを少しも悪びれずに桃色の髪がオレの前に立ち塞がった。

 ショッキングピンクの隙間から垣間見える、月詠は恥ずかしそうに視線を泳がせる。


「え……っと、まだ」


 もじもじと手を握りしめながら、続ける。


「さ、先に段取りだけでも決めておこうかな……って」


 オレは背中に汗が流れるのを感じた。

 今は11月。オレが倒れたのは10月。


「って。もしかして終わった? 最終イベン……じゃなくて月の宝探しは」


 オレの言葉に、月詠が小さく目を見開いた。

 周囲の空気が、わずかに変わる。


 キラは腕を組んで、首を傾げた。


「そうね。それ、ちゃんと話さないとね。でも、後にしましょ」

「うん。そうだね。まだ、途中だし」


 月詠は膝をついたまま、オレを見上げた。

 まだ目元が少し赤い。


「……守部くん。起きてくれて、本当に良かった」


 それだけ言って、彼女はゆっくりと立ち上がった。


 ◇


 大聖堂の奥、控室に続く短い廊下。


「あの……説明は」

「後で。それより見たいんでしょ」

「……うん」


 オレと綺羅星は、ある目的で歩いていた。

 結婚式の準備と言えば、コレ。

 廊下を抜けた先に、月詠は立っていた。


 ──息を呑むほど美しい、真っ白なドレス姿で。


 シンプルな白い生地を基調に、裾と袖口に銀糸。

 月の模様が細かく刺繍されている。

 動くたびに、その銀糸が青白い魔法灯を受けて、淡くきらめいた。


「月の……姫」


 サファイアブルーの長い髪が、背中に滑らかに流れている。

 黄金の瞳が、ドレスの白さの中で際立っていた。


「流石ねぇ」


 大きな月の浮き彫りから落ちる光が、月詠の肩と髪に重なる。

 青と銀と薄い紫の光が、彼女の周囲にぼんやりと散っている。


 息が止まった。心臓が止まった。


 世界で一番、綺麗だ。


「……でも、オレは」


 完璧だった。

 なのに、胸の奥がざわついて仕方ない。


 この姿は、誰かのためのものだ。

 宝を持ち帰った誰かが、この大聖堂で彼女を迎えるための姿だ。

 わかっている。

 わかっているのに、目が離せない。


「……」


 寂しさが、静かに広がる。

 同時に、焦りのようなものが胸を締め付ける。

 このまま目を逸らしたら、二度とこの光景を見られなくなる気がした。


「……これを私が」


 月詠はまだ、こちらに気づいていない。

 鏡の前で、そっと裾を摘まみ、刺繍の感触を確かめている。

 その仕草さえも、どこか神聖に見えた。


 オレは、ただ立ち尽くしていた。

「綺麗だ」以外の言葉が浮かばない。

 下手に口にすれば、それだけで何かが壊れてしまいそうで、喉が動かない。


 寂しさと焦りを孕んだまま、それでも綺麗だ、としか思えなかった。


 すると月詠がふと、視線を上げた。

 本来の望月のようにゆっくりと動く。

 黄金の瞳がオレを捉える。


「……守部……くん?」


 彼女の声が、少し上ずった。

 オレは慌てて視線を外そうとした。


「どう……かな。私、似合ってる?」


 誰かの為の、誰かの隣にいる為の、誰かと生涯を添い遂げる為の


 誰かの誰かの誰かの誰かの誰かの誰かの誰かの誰かの


「……うん。凄く、いいと……思う」


 誰の心にもきっと──


 ◇


 服選びはその後も続いた。

 着替えが始まるとオレは追い出されるわけで。


 暫く、荘厳な大聖堂で一人、手持ち無沙汰をしていた。


「終わったわよ」


 日が傾いて、どれだけ経っただろうか。

 遠くから、元・アドバイザーの声がした。


 控室から出てきた月詠は、いつもの制服姿だった。

 それでもオレは、目が離せなかった。


 白いドレスの残像が、まだ瞼の裏に残っている。

 銀糸で縫い取られた月の模様が、残像で浮かぶ。

 動くたびにきらめいていた光景は、簡単には消えない。


「どうかしたの? 守部くん」


 月詠が首を傾げる。


 コホンッ


 その瞬間、キラが咳払いをした。


「はいはい。月詠はきれい、きれい」

「キラちゃん、からかわないで」


 所詮はゲーム。

 どこかできっと、そう考えていた。


 でも、オレはこの世界に生まれていて、オレはこの世界で記憶を失っていて──


「で、守部。聞きたいことがあったんじゃないの?」

「え……、ゴホン……」


 射貫くようなマゼンタの瞳


 オレは慌てて咳払いをごまかした。


「あ……そうだった。オレの記憶だと宝探しが始まってて。アレってもう。早いもの勝ちなんだし」

「それは現在進行系……」

「は……。あの時の会話の流れは全然違っただろ」


 すると月詠が視線を泳がせる。


「え……と。それは私が」


 そして、綺羅星が肩を竦めた。


「早いもの勝ちは変わってない……でも。選ぶのは月詠、でしょ?」

「それは……そうだけど」


 前に綺羅星が言ったことだ。

 彼女はそれを、あのヒーローたちにも言ったのだ。


 何の為に……って月詠の為。


 月詠が、躊躇うように口を開いた。


「キラちゃんは朔くん……がいいって」


 そう言えば、そう。

 オレはキラを睨んでみた。


 彼女は大きく息を吐いて、月詠に言った。

 思ったよりも、あっさりと言い切った。


「月詠、ごめんね。ちょっと事情が変わったの」

「え? だって、朔くんは」


 黄金の瞳が揺れる。

 オレの隣に綺羅星がいて、綺羅星の隣に守部がいる。


「キラちゃんも朔くんが世界を滅ぼすって……」


 流れはそうなる。

 そして、綺羅星キラは躊躇いがちな月詠とは違った。


 彼女は全く躊躇わない。


「竹取月詠が常闇朔と結ばれたら、世界が国が崩壊する」


 月詠の瞳が大きく見開かれる。


「それは間違いないの」


 月詠の声が、少し上ずる。


「どうして? 前はそんなこと言わなかった! どうして間違いないなんて言うの?」


 彼女の気持ちは朔に偏りつつあったのか。

 流石は恋愛アドバイザーと言うべきなのか。


 でも、ここはゲームではないわけで


「守部の未来視の正体が分かったからよ」

「え……」

「しかも、月詠のとは全然違ってたの」


 オレは内心で頭を抱えていた。

 この事実を月詠にどう説明するのか。


 オレには無理だ。だから綺羅星に任せる。


 任せようと思っていた。


 だが、桃色の髪が横に靡いた。

 マゼンタの瞳がオレを捉えた。


「守部。説明して」

「え、オレ?」

「あんたしかいないでしょ」


 オレは半眼で、綺羅星を睨んだが、彼女は気にした風もない。

 そして月詠が、怯えるようにオレを見つめた。


 オレは息を整え、考えを整えきれずに言った。


「オレさ。朔と結婚した月詠に、魂を過去に戻されてるっぽいんだ」


 そのまま伝えた。


「過去に……? 守部くん……何を。私にそんな力は」


 それはそうなる。

 だが、それはオレだからの認識だった。


 キラはそんなオレの理解しにくい言葉を、冷静に繋いだ。


「徐々に増えていく魔力の先に、無いと言える?」

「……えと」

「人間丸ごとを過去に送るんじゃないのよ。情報のみを過去に送るの」


 すると月詠はたじろいだ。


 オレも、息を呑む。


 綺羅星の理解はオレの言葉の完全な上位互換だった。


「どう? できそう?」


 肉体全部に時を越えさせる必要はない。

 というか、肉体ごと送ったら、オレが二人いる。

 しかも大人のオレだ。


 オレの記憶という情報のみを、過去のオレの脳に送る。


「今は無理だけど。これから先、もしかしたら」


 月詠は、小さく頷いた。


「なら、朔くん……は」

「あ、アイツはイイ奴だよ。でも……アイツと結ばれたら」


 ドンッ。


 するとキラが、何故かオレを突き飛ばした。


「ちょ、何すんだよ」

「何、しれっと誘導してんのよ。ロールプレイジェイルブレイクで思考力まで失ったの?」


 月詠がハッとしたように目を見開く。


「あ! そうだった。守部くん、じゃなくてモブくん……」

「そ、そうだった。オレの名前は、モブだった……」


 オレも目を剥いた。

 一か月前、と言ってもオレにとっては眠る前の今。


「モブくん……が言ってた、笑顔の私って」

「えっと、残りの結こ……」


 ドンッ。

 キラがまたしても、オレを突き飛ばした。


「って、違うでしょ! モブとか守部とかどうでもいいし」

「え……?」

「キラ……ちゃん?」


 キラは頭を抱えていた。


「6人のウェディングシーンを記憶してるんでしょ」

「あぁ、なんでか、6人のウェディングシーンが、オレの頭の中に」


 オレが余りにもとんちき過ぎて、呆れていた。


「なんでか……じゃないのよっ!月詠は少なくとも六回……。あんたの、守部の記憶を過去に戻してるってことでしょ」


 静かに大聖堂の空気に落ちた。

 月詠の顔から、血の気が引いていくのがわかった。


 オレも顔が青褪めた。

 自分の頭の悪さに、戸惑った。


 この世界は乙女ゲームじゃない。

 そして、ただ過去に戻ったわけじゃない。


 六回。少なくとも、六回。


 タイムリープを繰り返したことになる。


 月詠は、オレの記憶を、何度も何度も過去へ


 つまり、残り5つのウェディングシーンの先も


 ──やはりバッドエンドだったということだ。

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