第97話 こうしてオレはモブになった。
目が覚めた。
柔らかくて、肌触りのよい布団。
布団とは対称的に、古くて低い天井。
そして、木の匂い。
「知らない場所……。オレは寝てたのか」
嗅覚は環境の変化に敏感だった。
それは、聴覚も同じだった。
こんな牧歌的な臭いも、やわらかな風の音も、オレは多分知らない。
「ま……。危ないことはなさそうだ」
オレはゆっくりと上体を起こした。
枕元に、名札が置いてある。
——『喪部』そして、『空』
部屋にはオレしかいない。そしてオレの枕元。
オレのとしか考えられない。
「喪部は……モブ……って読むのかな。空……はクウか、ソラか。オレの名前……。いや、なんで迷ってんだよっ」
声に出して呟いてみて、自分でもおかしくなった。
オレの名札があって、その隣にも名前がある。
隣にある名前は、見知らぬ卒業証書のものだった。
更にはご丁寧に、手鏡まで用意されている。
ここにはオレしかいないし、二つの名前が一緒。
白黒の顔写真もあるから、オレは喪部空だと特定できる。
偽物の可能性は——
残念ながら、ない。
卒業証書から漂う紙と朱印の匂いと魔力で分かる。
「普通に高校に通って、普通に高校生やって、普通に卒業した……」
夢の中の学校に通った、そんな筈ないのに。
思い出そうとするほど、考える力が失われる。
「あーめんどくさい。変な事考えるなって、オレ」
だから、ややこしいことは考えない。
無事に卒業できたんだから、御の字である。
とりあえず、窓の外を見てみた。
「ド田舎じゃん。ま、そんなもんか」
広がっているのは畑だった。
緑の畝は、遠くまで続いている。
雲ひとつない青空が、この世界は平和だと言っている。
「で。オレはどこに就職したんだっけ。畑を耕したらいいのか」
オレには家族がいない。
でも、国の制度が良かったのか。
運良くか、成績良くか、学校に通えることになった。
だったら、社会貢献をしないといけない。
そういう常識は、オレにだってある。
コンコン……
すると背後で、ノックの音がした。
「どうぞ……って、オレの家じゃないし。すみません、オレ」
「空くんは力仕事に向いてないでしょ」
振り返る。
「へ?」
煌めく桃色の髪。
ゆるふわのボブ。マゼンダの瞳。
綺麗な女の人が、そこに立っていた。
心臓が跳ねるのは仕方ないだろう。
「えっと……」
「……綺羅星」
「きらぼし、……さん?」
初めて聞く名前……ではない。
超有名な財閥の名前だった。
「す……すみません。オレ、勝手に入っちゃって」
彼女はくすっと笑った。
「勝手じゃないわよ。あたしが雇ったんだから」
「え……? でも、オレは」
「そうよ。そら君は文官にむいてるからね」
萌え袖が優雅に動く。
その手には数枚の紙があった。
「……回答用紙? オレ、試験なんて……いや、オレの字だ」
しかも、かなりの正答率。
ごく普通の高校に通った筈だが、満点に近い成績を叩きだしていた。
そして、何故か美女はジト目だった。
「あたしより成績良いって、どういうことよ。ってわけで、綺羅星で雇ったってわけ」
◇
木造の役場の一室。
机の上に、山のような帳簿と公文書が積まれている。
熱心に勉強をした記憶はない。
でも、勉強は得意だった。
綺羅星さん曰く、オレは人の七倍は勉強をしているらしい。
オレはペンを走らせながら、今日の処理分を読み上げていた。
「……東雲家。月の巫女の神託を受け、元王族として未だに君臨。前王は退位し、今は若くして眉目秀麗な暁様が君臨されている、と。国政の任命権は夕星様に移ったが、所有する土地は望月国一で、今後も財閥として影響力を残す……。しかも、イケメン……。って、なんでもないです」
隣で書類を整理していたキラさんが、軽く相槌を打つ。
「ふうん。まあ、そうなるわよね。統治機構が変わっても、所有権を奪うなんてしたら、それこそ戦争だもの」
「……ですよね」
「次は?」
次の報告書に目を通す。
「真昼剛。月の巫女を守り抜いた功績により、若くして軍司令官に任命。朔の国から伝わった新兵器の配備が急がれている。政府所属ではあるが、夕星家との繋がりが強く、一定の独立性を所持、とありますね」
相変わらず綺麗なキラさんが、懐かしそうな顔をした。
「へえ。剛くん、元気にしてるんだ」
「知り合い……でしたよね。皇華高等学院……。上の上のそのまた上の……」
「はい、次」
次の報告書。
「常闇朔。異界への道が通じたことで帰国。噂では望月の次代の当主と密約を交わし、望月の宝物を異界に持ち帰ったとされる。特に真昼剛と意気投合し、新兵器の開発に寄与したと言われる、か」
すると桃色美女が小さく鼻を鳴らした。
「あの二人、けっこう気が合ってたしね」
「朔の国……ですか。あの時は大変だった……って記憶しか」
「へぇ。どうだったの?」
少しだけマゼンダの瞳が輝いた気がした。
オレは期待に応えようと考えた。思いだそうとした。
「天変地異ですよ。危ないに決まってます」
「ふぅん。それもそうね。じゃあ、次」
どうやら間違えたらしい。
彼女は明らかにつまらなそうにした。
で、次の報告書。
「暮小路慧。暮小路家を飛び出し、新たな政党の当主となった。財閥制度の見直しを訴えて若者から圧倒的な支持を得ている。社会主義的な思想を危険視する声もあるが、月の姫への信仰は本物であり、過激な行動には出ないとされている」
桃色のボブがさらりと流れる。
「慧くんらしいわ。真面目なところは変わらないのね」
「オレから見たら、ヤバそうな匂いプンプンですけど」
「そう?」
「そう……って、ここに書いてある通り」
この人は本当に顔が広い。
そしてまた、オレは答えを間違えたらしい。
次のページをめくる。
「宵坂千秋。獄中で囚人に平和を訴え、安全を伝え、犯罪者の矯正に貢献。その様子から冤罪ではないかとの声も多く、月の姫の恩赦によって近々出所すると言われている、と」
ここで彼女の手が、一瞬止まった。
「……そう。出所、ね」
「模範囚の中の模範囚と書かれてます。なんで、犯罪者になったんでしょうかね」
「さぁ。あたしが知ってるのは、女子学生に手を出そうとしたことかしら」
オレは苦笑いを浮かべた。
真面目な模範囚も、やはり男だったらしい。
雰囲気を紛らわす為に、オレは次の報告書に移った。
「夕星家。望月の宗教の実質的なトップに君臨。月の姫と共に世界の安寧を祈っている。今日も平和が続いているのは、女神輝夜のお導きによるものである、と。月詠姫は現在ご懐妊中で、大変おめでたきことである、……ですか」
彼女が、静かに息を吐いた。
「そっか……。よかったね、月詠ちゃん」
「あ、同じ女子生徒で仲が良かったんですね」
「まぁね。はい、次——」
軽く流されて、オレは最後の報告書を手に取った。
その内容に、少し震えた。
「綺羅星家。落月事件後、直ぐに持ち株・土地を全て売り払い、辺境の地に移り住んだ。専門家によると『日和見主義が仇となったのではないか』『計画が狂ったのではないか』と言われている。根拠は、夕星竹取の結婚式で早々に姿を消したこと。『綺羅星はつく相手を間違えたのではないか』と言われている、と」
オレの上司、キラはオレを見つめた。
「そら君はどう思う?」
宝石のようなマゼンダの瞳。
今度こそ、間違えてはならない。
「オレなんかの考えですけど」
「なんか、とか。そういうの、いいから」
ジト目でも、高貴な香りがする。
でも、これは流石に簡単すぎる回答だった。
「え……えと。新聞記者は綺羅星様のことを分かってな……」
「様はだーめ」
彼女は頬を膨らませた。
オレの脳内が暴走する。
多分同い年。だが、上司。
というより、綺羅星家を取り仕切っている。
だが、可愛い。
「え? その……綺羅星さんは、あそこしかないってタイミングで」
「さん——もやめよっか」
オレは彼女に雇われて、数か月。
でも、どうしてだろうか。
彼女はオレを気に入っている。
「え……」
「キラって呼んで」
ドーパミンとやらが、ドパドパと溢れる。
「えぇぇぇええ。それは」
「上司の命令……」
に、逆らえるはずもなく
「キラ……さ……は。見る目があります……。そ、そもそも。さっきまでの報告書だって、火薬の臭いがしそうでした。て、帝都は色々……きな臭いですから」
するとキラさん——いやキラは、少しだけ目を細めた。
◇
綺羅星家は中央の土地や建物を全て売り払った。
東夷と呼ばれる地に移り住んだ。
文明開化とは程遠い、今だに中世を残す町並み。
「そら君。あっちの書類も見てくれる?」
書類整理は慣れたものだ。
財産の整理から、新たな商売の為のそろばんも。
ただ今回は、ちょっと毛色が違っていた。
「それ……知ってる?」
そう言って、別の束をオレの前に置いた。
一冊の絵本が混ざっていた。
文字のない、絵だけの本。ページの途中が、不自然に破れている。
「知らない……ですね。これをまとめろ……って文字もない絵本を」
良い出来とは言えないし、悪い出来とも言えない。
子供向けの絵柄じゃないのに、文字が書かれていない。
すると、キラは肩をすくめた。
「それもそうね。だったら、あたしが覚えてる限り教えてあげる」
彼女はページをゆっくりとめくりながら、語り始めた。
話の中身は、よく分からなかった。
ただ、淡々と、
でもどこか懐かしむような声で、彼女は物語を続けた。
そして、最後のページを閉じたときだった。
「……で、この本はね——」
萌え袖が一部破れた絵本を持つ。
オレの前に差し出しながら、彼女は言った。
——この本のルール
オレは思わず、口を開いていた。
「は……?一番最後まで読んだら、最初に戻って、もう一度読む?」
「そういう物語だもん、仕方ないでしょ」
キラは、あっさり言い放った。
しかも、もう一つ。
「最初から最後まで、話を作りながら読んで……」
特大のルールがあった。
オレは思わず、顔を顰めた。
「……真ん中の青い髪の女の子が幸せになるまで読めって……酷くないです?」
その瞬間
キラの桃色の髪が、薄く光を帯びた。
マゼンダの瞳が、強く輝く。
オレは慌てて手を振った。
「よ、読みますって、読めば」
でも、桃色の髪は横に振られた。
「ううん、そら君が正解。だーいせいかいっ! ほーんと、いい迷惑だったのよ……」
彼女の声は、どこか遠くて、でもはっきりとしていた。
その時——
風が窓から吹き込んできた。
神棚の上で、何かが小さく揺れた。
ポロッ、と音がして、小さなボタンが落ちる。
スイッチとかじゃなく、服のボタンだ。
オレは反射的に手を伸ばした。
丁寧に刻印がされた、一見すると高そうなボタンだった。
「守部……?えっと、コレってキラさ……じゃなくて、キラの」
守部という名前は知らない。
今までの報告書にも、出て来ていない。
でも、大事に飾ってあった。
もしかしたらキラさんの大事な人……かも
すると、オレの手からボタンが消えた。
魔法ではなく、キラがさっと掠め取ったのだ。
「これね、結婚式のあと、盗んだの」
「……え?」
彼女は嬉しそうに言った。
「記憶を封印された者なら、リープしても深刻なエラーが起きにくい……」
そのボタンを指でつまんで確かめて、彼女は何かを言い
神棚に飾ってある古いカメラの隣に、そっと置いた。
「キラさん、何か言いました?」
綺羅星家ならではの計算、彼女はそんな顔をしていた。
「気にしなくていいのよ」
そして、あざとい笑顔で振り返った。
「それより、さん付け」
「え……で……でも………資料で見る限り綺羅星家は大財閥で……」
「そして、日和見」
「そ、そこまで言ってませんって」
キラが、オレの背後に回り込む。
華奢な腕が、胸の前で組まれる。
そのまま後ろから、抱き締められた。
華奢だけど……オレの背中には弾力があって
……背中が……幸せ?
「だって、オレは何も……」
すると彼女は耳元で、オレに囁いた。
「日和見だから、ここにいるの」
風がもう一度、部屋を通り過ぎていった。
神棚のカメラの隣には、小さなボタンが並んでいる。
今度の風だと、それは落ちなかった。
「あの……さっきのボタン……」
「気になる?」
オレは首を傾げた。
「君の本質と繋がっている……なんてね」
「オレの? ん-なんだろ」
キラも嬉しそうに首を傾げた。
「そら君は、ね。いざというとき、体を張れる人。守ってくれる人」
「……え。いや、オレはそんなこと」
あるかもしれない、と思った。
なんとなく、だけど
「ね、あたしのこと、どう思う?」
そして、眼を剥いた。
ドーパミンどころではなく、血液が頭まで昇った。
「え……っと」
人生、何があるか分からない。
あまりにも不公平だと、世の中の男子諸君は思うだろう。
何もなく、安全に、真面目に生きてきたオレに
こんなモブの前に
——幸福の桃色天使が舞い降りたのだから。
「結婚式はぁ、和式がいいかなぁ。ね、あたしだけの勇者様っ」
(最終章完)




