第9話 激突する三つの星と観測者
朝の授業が終わり、昼休みを挟んで午後の特別授業が始まる時間だった。
伝統ある皇華高等学院の本館廊下は、午後の斜光を浴びて静謐な黄金色に染まっている。
磨き上げられた大理石の床に、アーチ状の高い天井。
壁に並ぶ歴史的な彫刻や魔導ランプが、これから始まる授業の厳かな空気を静かに醸し出していた。
そんな重厚な空間の片隅――極太の装飾柱の死角に、息を殺して潜む一つの影があった。
首から魔導カメラを下げたモブ、オレこと守部弥彦だ。
(よし……今のところ周囲に他の生徒はいない。完全なステルス観測ポジションだ)
自らしみじみと思うが、やってることは完全にプロのストーカーである。
だが、公式カメラマン兼・恋愛アシスタントとしては、ヒロインの動向を常に把握しておかなければ世界滅亡に関わるのだから仕方がない。
オレがファインダー越しに廊下の先を伺っていると、少し離れた曲がり角から、きょろきょろと視線を彷徨わせる小さな人影が現れた。
――竹取月詠だった。
サファイアブルーの長い髪を少し困惑気味に揺らし、金色の瞳を不安げにくるくると走らせている。
彼女は両手で持った時間割の紙と校内マップを、なぜか上下逆さまにしたり、自分がぐるりと回ったりしながら、何度も首をかしげていた。
(……あちゃー。完全に迷ってるな、あれ)
この学院の校舎は、無駄に広くて増改築を繰り返したラビリンス構造だ。
平民出身の月詠が迷うのも無理はない。
普段はあんなに清楚で、近寄がたいほどの凛としたオーラを放っているのに、実は極度の方向音痴で抜けているところがあるらしい。
(普段はクールビューティなのに。なんていうギャップだ……。一人で地図をくるくる回して困ってる姿。小動物みたいで普通にめちゃくちゃ可愛いな。オレが教えに行ってやりたい……が!)
オレはぐっと足をとどめた。
モブのオレが助けに行って「ありがとう、守部くん!」なんてイベントをこなしても、世界の危機は一ミリも救えない。
ここは、攻略対象のイケメンが颯爽と現れてエスコートする『迷子アシストイベント』の発生を待つ。
それが、乙女ゲーの世界を救う、正しい鉄則だ。
そして月詠が泣きそうな声で、小さく呟く。
「……どうしよう。このままでは、午後の特別授業に遅刻してしまう……」
――その瞬間だった。
まるでヒロインのピンチを検知するセンサーでもついているかのよう。
廊下の三方向から、ほぼ同時に声が響き渡った。
「月詠さん。こんなところで、困っているみたいだね」
窓側の光を背に、優雅な足音とともに歩み寄ってきたのは――金髪碧眼の王子様、東雲暁。
少し遅れて、反対側の階段の手すりにいつの間にかもたれかかり、静かに足音を響かせたのは――
「……君が持っているその資料の教室なら、方向が逆の棟だよ」
ラベンダー髪のクール系魔術師、夕星律。
そして最後に、廊下の奥から床を軋ませて、豪快な風をまとって現れたのは――
「よっしゃ! 迷子なら俺に任せろ、月詠! 俺が責任を持って連れてってやるぜ!」
緋色の短髪を揺らし、竹刀を肩に担いだ熱血騎士、真昼剛。
――バチバチバチッ!!
(うおっ、まじかよ……!? 三人同時エンカウント!? 個別の出会いイベントが終わった次のステージで、いきなりメインキャラが激突する。逆ハーレムイベントが発生したんだ……)
オレの目には、三人のイケメンの間で目に見えない高圧電流が火花を散らしたのがはっきりと見えた。
魔法とかある世界だから、魔力のぶつかりは現実に存在している。
まさかの豪華すぎる顔ぶれに、月詠はびっくりして目を丸くし、地図を胸元でぎゅっと握りしめた。
「あ……っ、東雲先輩、夕星先輩、それに真昼先輩……! 皆さん、どうしてここに……?」
一番に動いたのは、やはり東雲だった。
彼は完璧な笑顔を崩さず、自然な動作で月詠の隣へと並び立つ。
「特別授業の教室は別棟だから、新入生は迷うよね。僕も同じ方向だから、僕がエスコートするよ。行く先で君を不安にはさせない」
「おい待て待て、東雲!」
真昼がズカズカと間に割り込み、月詠の盾になるように胸を張った。
「先輩は足取りが上品すぎんだよ! 授業の開始までもう時間がないんだ。俺が先導して、全力疾走で連れて行く! 月詠、こっちだ!」
その暑苦しい提案に、夕星が静かにため息をつき、長い前髪を優雅にかき上げた。
薄紫の瞳が、冷ややかに二人を射抜く。
「……二人とも、少し黙ったらどうだ。特に真昼、君が指差しているその方向は中庭だ。全力疾走で月詠さんを噴水に投げ込む気か?」
モブ目線でもテンションが上がる。
だが、何か違う。まだ、絵にならない。
「なんだと!? 俺は気合と実力で道を切り開くタイプなんだよ! 細かいことは走ってから考える!」
「言葉より行動……聞こえはいいが、単なる無計画だね。月詠さんが困っているだろう」
夕星の容赦ない毒舌に、真昼が「あんだとぉ!?」と噛みつく。
そこに、東雲が少し困ったような、しかし一歩も譲らない王子の笑みを浮かべて牽制を入れた。
「まあまあ。二人とも、彼女の前であまり大きな声を出すのはスマートじゃないな。真昼君の勢いだと月詠さんを振り回すだけになるし、夕星君の冷たい歩調では彼女が緊張してしまう。……やっぱり、僕が案内するのが一番自然だと思わないかい?」
「僕の歩調が冷たい……? 東雲、それは聞き捨てならないな」
「おう! 俺だって月詠を守る気持ちなら誰にも負けねぇぞ!」
大理石の廊下で繰り広げられる、帝国トップクラスの美男子三人による『ヒロイン案内権』の壮絶なマウント合戦。
その中心で、月詠は三人からの猛烈な好意の圧に板挟みになり、あわあわと視線を彷徨わせている。
しかし
――彼女の金色の瞳には、恐怖や嫌悪ではない。
自分のために真剣になってくれている三人への、ふわりとした温かい笑みが浮かんでいた。
「あの……皆さん、私のためにありがとうございます。ふふっ、なんだかちょっと、嬉しいです。……もしよかったら、皆さん一緒に来ていただけませんか?」
悪意ゼロの天使のような微笑みと提案。
激論を戦わせていた三人の男たちは、一瞬で毒気を抜かれたように言葉に詰まり、揃って頰をわずかに赤らめた。
「……君がそう言うなら、異論はないよ」
「ちっ……まあ、月詠が言うなら仕方ねぇな!」
「……悪くない提案だ。行こう、月詠さん」
月詠を中心に、三人のヒーローたちが並び立つ。
窓からの光が四人を照らし出し、廊下全体がまるで一枚の美しい絵画のような空間へと変わる。
――ここだ!
オレは柱の陰から、静かに魔導カメラのファインダーを覗き込んだ。
連写なんて必要ない。
守部家の技術とオレの指先は、一番輝く『メロい瞬間』を絶対に逃さない。
息を止め、最高の構図が収まったその瞬間に、ただ一度だけシャッターを切る。
カシャッ。
乾いた、しかし心地よいシャッター音がたった一回だけ廊下に響く。
三人の星たちがヒロインを囲み、共に歩き出す最高に神々しいイベントスチル
――回収完了だ。
(すごい、すごすぎる! このイベント一発で、月詠の好感度が爆上がり……じゃ、なくて!!)
カメラを構え直しながら、オレは冷たい汗が流れるのを感じていた。
(あれ……。そもそも、ベクトルの向きが逆では? 月詠は『みんな親切で優しいな』くらいにしか思ってない。月詠が黙ってても、イベントが……)
オレはカメラの重みを感じながら、足音を殺して彼らの後方からステルス追跡を開始した。
歩きながら、三人それぞれが話しかけるたび、月詠は分け隔てなく柔和で可憐な笑顔を返している。
窓の光を受ける彼女の横顔は、抜けているところがあるとは到底思えない。
それほど神秘的で、どんな男の心も溶かしてしまう神聖な魔力に満ちていた。
(いや……いいのか。月詠がイベントフラグを立てるのを、オレは待ってたんだし)
程なくして、一行がトラブルもなく目的の特別教室の扉へと辿り着く。
「ありがとう、皆さん。おかげで間に合いました」
月詠がぺこりと頭を下げると、三人の星たちはそれぞれ名残惜しそうに言葉を残し、自分の教室へと歩み去っていった。
その背中を柱の陰から見送りながら、オレはカメラのレンズキャップをそっと閉めた。
「……ま、これだけ華やかなイベントがボコボコ起きる限り、月詠の学園生活は安泰だな」
しかし、同時に別の不安が頭をよぎる。
全員の好感度を均等に上げすぎる、なんて状況が良い事なのか分からない。
ハーレムエンドなんて、存在していないのだから。
「どのみち早く、一人に絞ってくれないかな……。オレの身がもたない」
モブカメラマンの苦悩は、まだまだ終わりそうになかった。




