第10話 魔術科特別講師とすれ違う
月詠たちは特別教室に向かう。
渡り廊下は、午後の授業へと移動する学生たちの陽気な声で賑わっていた。
その華やかな人流の中心で、三人の星たちが竹取月詠をエスコートして歩いている。
右側を並んで歩く東雲暁が、王子の微笑みを向けて優しく声をかけた。
「この棟は構造が少し入り組んでいるから、新入生は迷いやすいんだ。次からも僕が案内するよ。君を一人で迷子にはさせない」
「待て待て、東雲!」
真昼剛が左側から豪快に割り込み、月詠の視線を自分の方へと向けさせる。
「お前ばっかり格好つけんな! 俺が先導するって言っただろ! 月詠、遠慮せす俺の背中についてこい!」
その一歩後ろを歩く夕星律が、呆れたように長い前髪を揺らし、静かに補足した。
「……前を歩く二人が無駄に騒がしいだけだ。月詠さん、次の授業で使うその資料なら、僕が持ってあげるからここに置くといい」
右から甘い言葉、左から熱血な導き、後ろから気遣いの手。
三方向からの過保護すぎるアプローチに挟まれ、月詠は少し困ったように眉を下げながらも、照れくさそうに微笑んでいた。
「あ……皆さん、本当にありがとうございます……。でも、私一人でも大丈夫ですから……」
そのとき、賑やかな廊下の後方から、パッと場をさらに明るくする声が響いた。
「月詠ぉーっ! 探してたんだから!」
綺羅星キラが、小柄な体を軽やかに走らせて追いついてきた。
ショッキングピンクのゆるふわボブがフワリと跳ねる。
魅力的なマゼンタの瞳は、興味津々に輝いている。
「うわぁ、凄い! 三人とも月詠に声をかけてくれてたんだね〜! なんだか楽しそうだし、私も一緒に連れてって!」
四人となった一行は、ますます賑やかな雰囲気で歩みを進める。
その華やかな青春の一幕を、オレはほんの少し離れた太い装飾柱の陰から、ステルス状態で見守っていた。
(おいおい、メインキャラたちが次から次へと集まってくるぞ……。 これ以上目立つとモブのオレまで巻き込まれる。もっと深く隠れないと……!)
オレが息を殺して魔導カメラのグリップを握り直した
——その時だった。
それまで学生たちの笑い声や足音でざわついていた廊下の空気が、まるで冷たい水滴を落としたかのように、スッと静まり返った。
賑やかだったムードが、一瞬にして特有の緊張感――あるいは、魅了の静寂へと変わる。
「あれ……はっ!」
オレはふと鼻を動かした。
風の通り道が変わったのか、古い校舎の匂いに混じって、どこか冷涼で妖艶な、魔術用の薬草と香草が混じり合った独特の香りが漂ってきたのだ。
そして、静まり返った廊下の角から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
――魔術学の特別講師、宵坂千秋だった。
濃紺から群青へと深く沈む無造作な後ろ流しの髪が、午後の斜光を受けて冷たく、かつ艶やかに輝いている。
深い群青の瞳は静かな夜の海のように底知れず穏やかだ。
顎に薄く伸びた無精髭が、年上の男だけが持つ余裕と、どこか退屈そうな物憂げな疲れを同時に感じさせていた。
オレの心臓は、ある意味でときめいた。
(キターーーっ!! 四人目の星、宵坂千秋先生!!)
羽織った白衣の首元はネクタイを締めずにだらしなく開けられ、スラックスのポケットに片手を突っ込んだまま、彼は少し猫背気味に歩く。
その隙だらけの佇まいからは、若く未熟な学生たちとは次元の違う。
妖しくも圧倒的な大人の色気と包容力が滲み出ていた。
廊下の両端に道を譲った生徒たちが、少し緊張したような、それでいて熱を帯びた声で次々と挨拶を交わす。
「おはようございます、宵坂先生」
「先生、午後の特別講義、よろしくお願いします!」
宵坂先生と呼ばれた男。
彼はポケットから手を出すこともなく、軽く片手を上げた。
優雅で掴みどころのない柔らかな笑みを返しながら、静かに通り過ぎていく。
「やあ。頑張っているようだね、若者たち」
低く、耳の奥を直接撫でるようなテノールボイス。
オレは柱の陰で、悶絶する。
彼の落ち着く声にあてられて、ドパドパとドーパミンを垂れ流し続けている脳が沸騰寸前だった。
だが、勘違いしないでほしい。
宵坂は確かに、とてもカッコいい大人だ。
でも、その基準なら他の三人も負けていない。
オレのテンションがバクあがりなのは、実は違う理由があった。
( なんと言ってもこの男、ゲーム内におけるイベントスチルの量が圧倒的ナンバー1なんだよ! 先生ルート、他のキャラを寄せ付けない圧倒的スチル数! つまり最イージー、開幕で即落ちる大本命のチョロヒーローだ!!)
宵坂にではなく、自分の記憶の「確かな攻略情報」にテンションを急上昇させていたのだ。
要するに、オレにとっての本命は彼。
一年以内に入学する常闇朔を突き抜けて、ダントツのスチル数を誇る彼。
六分の一とか五分の一とか考えていた。
けれど、スチル数を確立に置き換えると、彼の存在だけで、世界が終わらない確率が二分の一にまで跳ね上がる。
オレは息を止め、狙い澄ましたたった一度のチャンスに、シャッターを切った。
――カシャッ。
「……よし。これで四人目も観測完了だ」
静寂の廊下に、小さな機械音が一度だけ響く。
大人びた色気をまとう群青の背中と、それを見上げるヒロインたちの一瞬を、見事ファインダーの中に焼き付けた。
「それでは失礼します。先生っ!」
「宵坂先生。今度は、魔術を教えてくださいよ」
半端に手を挙げて、宵坂は応え、背を向けて別校舎に歩いていった。
その背中に背を向けて、学生たちも動き出す。
「じゃ、俺たちも行こうぜ」
特別授業だからって、宵坂の授業ではない。
彼との出会いは別のイベントを介して始まる。
だって、特別講師だし……?
特別な先生だし……?
(……って、ちょっと待て! よく考えたら、先生と生徒の恋愛って! いくら文明開化の時代とはいえ、コンプライアンス的に完全にアウトだろ! 学校の中で何やってんだよ、あの不良教師は……!)
月詠たちに気づき、思わせぶりな余裕の視線を向けた群青の魔術講師。
その背中に、光の粒子と妖しい影が交差する。
流石は、国防級とも呼ばれる男。
宮廷魔術師の家系は伊達じゃない。
柱の陰でそっとカメラを下ろし、オレが胸を撫で下ろしていた。
その時だった。
ふと視線の先で、ある違和感に気づく。
廊下の女子生徒たちが皆、宵坂先生の残した大人の色気にあてられて、頬をポッと赤らめたり、ため息を漏らしたりしている中
――たった一人だけ、全く異なる反応を見せている少女がいた。
綺羅星キラだ。
さっきまで「私も一緒に連れてって!」とキャッキャはしゃいでいたはずの彼女から、いつの間にか陽気な熱が完全に消え去っていた。
マゼンタの瞳から愛想笑いと無邪気さが落ち、まるで冷徹な査定人のように、ただ静かに宵坂千秋の去っていった背中を見つめている。
「宵坂先生……か」
小さく、温度のない声で呟くキラ。
その瞳の奥で、何かの思考が回っていそう。
ただの学生ではない『情報収集モード』の光が鋭く点滅したのを、オレは見逃さなかった。
(綺羅星……? そうか、オレがカメラマンの役目があるように、彼女には彼女の役目がある。月詠にヒーローたちの情報を開示しながら、彼女自身はほとんど動かない。アドバイザー役と言えば、それまで。だけど、オレと同じくそういう家柄……って設定なのか)
だが、その張り詰めた空気はほんの一瞬だった。
キラはくるりと月詠の方へ向き直ると、すぐにいつもの親友の顔へと戻り、月詠の手をそっと引いた。
「んー月詠、いこ。ぼんやりしてたら、授業に遅れちゃうよ」
「え、あ、うんっ! そうだね、行きましょう!」
月詠たちの歩調が早まり、廊下の向こうへと遠ざかっていく。
柱の陰に残されたオレは、首をかしげて一人呟いた。
賑やかな仲間たちと、静かに立ち去る大人の影。
そして、無邪気な笑顔の裏で見え隠れするそれぞれの思惑。
皇華高等学院での生活は、ますます波乱と華やかさを増していくようだった。




