第8話 朝靄の中の出会い
寮のベッドで目を覚ました朝は、まだ薄暗かった。
オレはぼんやりと天井を見つめながら、ふと思いたった。
(……待てよ。乙女ゲーって、早朝遭遇イベントとか、確かあったよな……?)
乙女ゲームの中の話だけれど——
だがその瞬間、頭の中で激しい警報が鳴り響いた。
「ってか、出逢いイベントにそういうのがあった……!」
オレはベッドから跳ね起きた。
寝癖もそのままに慌てて制服へ着替えた。
体が勝手に反応したのか、それともハッピーバッドエンドを避けたい一心か。
「っていうか、さ! よく考えたら、早朝から深夜の密会まで! イベントスチルって一日の時間帯を問わずあるじゃん! それ全部、撮るの? こっちはカメラマン一人だぞ!?」
ずっしりと重い魔導カメラを首から下げ、寮の廊下を急ぎ足で駆け出す。
守部家の仕事だとしたら、一枚くらい、そう思っただろう。
だが、ゲームならば
心臓がばくばくと焦りで鳴り続けていた。
「逃したら、六分の一が五分の一になる。なら、早朝から深夜まで……全部オレが一人で? 少なくとも、オレが知ってるイベントは撮るべきだし!」
出会いから、好感度アップで出るイベント、そして仲睦まじいイベント。
六人全員のウェディングパーティのイベントスチルが、そこにある。
「 モブなんだから、のんびりさせてくれよ。モブのオレにそんなブラックな労働環境、負担かけすぎだろ!」
部屋を飛び出して、朝の匂いを嗅ぐ。
既に、女子寮に行く選択はなかった。
遠くから馬の嘶きが聞こえてきたのだ。
「校門だっ」
学院の正門近くまで息を切らして駆ける。
そこで、霧の残る並木道に一台の馬車が静かに停まっているのが見えた。
黒塗りの車体に金色の華やかな紋章が輝き、朝の柔らかな光の中で幻想的に浮かび上がっている。
その馬車の扉がゆっくりと開き、優雅に降りてきたのは――
一人目のヒーロー、東雲暁だった。
朝焼けが美しく情景を染める。
明度の高いブロンドの髪が、朝霧の中でキラキラと輝く。
暁色の瞳が優しく細められる。
制服の着こなしから佇まいまで完璧な王子様だ。
彼は、ただそこに立っているだけで、まるで一枚の絵画のようだった。
「あ……その」
そのとき、少し離れた並木道の向こうから、朝の光を受けて凛とした姿の月詠が歩いてくるのが見えた。
偶々、朝早く起きたのか、いつもこの時間には起きているのか。
サファイアブルーの長い髪を朝風にさらりと揺らし、金色の大きな瞳を真っ直ぐ前へ向けて、彼女は静かに歩いていた。
親友役の綺羅星キラはまだ夢の中らしく、月詠は一人。
「君は……竹取月詠さんだね。朝からそんなに凛々しい姿を見られるなんて、素晴らしいな。同じ学院の生徒として、これからよろしく頼むよ」
東雲は歩いてくる月詠に気づくと、自然で柔らかな笑顔を浮かべて声をかけた。
月詠は少し驚いたように足を止めると、丁寧に深く頭を下げた。
「あ……東雲先輩……。おはようございます。私のような者から突然お話ししてしまって、ごめんなさい」
東雲は優雅に微笑みながら、軽く手を差し伸べるような、気品あふれる仕草を見せた。
「いや、謝ることなんてないよ。朝の光の中で美しい君を見かけた。僕も、声をかけたくなってしまってね。馬車を急がせたんだ。それにしても……君の瞳、この朝の光によく映えるね」
その甘い台詞に、月詠の白い頰がうっすらと桜色に赤らんだ。
――今だ!!
オレは急いでカメラを構え、ファインダー越しに二人の構図を捉えた。
カシャッ。
月詠と東雲の、早朝の穏やかで実に華やかな出会いの瞬間。
見事、一枚のイベントスチルに収めることに成功した。
東雲暁としては二枚目の写真だ。
だが、最初の一枚は在校生代表としての確定演出だ。
このイベントを熟さないと、多分東雲ルートは幕を閉じる——かもしれない。
「私、そんな目つきが悪いですか?」
「誰だい。そんなことを言ったのは」
「いえ……」
写真撮らなくても、大丈夫だった——かもしれないが
いやいや。守部家としても、株が上がる……はず。
立憲君主制の帝国で最も力を持つ家系の東雲家だ。
出会いのあの瞬間を逃した……だと? なんて言われては困る。
「……ま。東雲暁のイベントスチルは少ないんだけど……な」
因みにオレは、実はイベントスチルコンプはしていない。
それにちゃんとストーリーを覚えているわけでもない。
だけど、攻略しやすさくらいは分かる。
記憶の中のイベントスチルの多さ。
数が、それぞれのヒーローで違っているのだ。
◇
六人の中で一番、スチルが少ないのが、東雲暁だ。
朝の出会いを済ませたその後。
二人は和やかに言葉を交わしながら、本館の教室に向かって並木道を歩き始めた。
(流石に王子様だから。攻略難度も高い。世界滅亡を避けるなら、本命じゃないけど……)
それでもオレは、次のイベントフラグが立つかもしれないと淡い期待を抱いた。
気配を消して観測者として二人の後を追う。
少しして、月詠が少し控えめな口調で東雲に尋ねた。
「あの……先輩はいつも、馬車で学院にいらしているんですか?」
満月を思わせる月詠の瞳は真っ直ぐ。
その純粋な質問に、東雲は一瞬、完璧な笑顔を崩した。
そして表情を少し曇らせた。
「あ……。いや、今日はたまたまでね……」
その変化を月詠は察知したのか、僅かに温度が下がった気がした。
――まずい!
オレの本能が反応した。
最もスチルが少ない東雲暁が眉を顰めた。
難易度が高いヒーローだから、やはり難しいらしい。
『貴族と平民の壁』を意識させる気まずい空気が流れた。
このままでは、好感度が下がってしまう。
だが、オレは諦めない。確率は高い方が良い。
え……っとぉ
オレはモブの死角から、慌てて二人の会話にカットインした。
「お早うございます、暁さん。暁さんは、ほら! 学生寮の生活じゃないから、ですよね!」
突然現れたカメラマンに、東雲は少し驚いた顔でオレを見た。
身分を考えれば、出過ぎた真似だったかもしれない。
でも王子様は、ほっとしたような柔らかな笑顔に戻った。
「守部か。……よく知っているな。でも、そう……だな……。今までも馬車なんだ。……でも、これからは僕も、歩いて登校してみようかな」
その言葉に、月詠はほっと表情を和らげた。
だけれど、まだ空気は冷たかった。
彼女は、少しうつむいて小さな声で言った。
「いえ……私、先輩のご事情も知らなくて……。その、不躾なことを聞いてしまって……」
今度は月詠の方が、『身分の違う貴族に余計なことを聞いてしまった』と気まずそうに肩を竦めてしまっている。
やはり難攻不落……か
ダメだ、ここもモブカメラマンが全力でアシストするしかない!
オレはもう一度、場を和ませるように明るいトーンで続けた。
「それにしても、毎日あの広いお屋敷から通うのって、本当に大変っすね! 朝も早いし!」
東雲は少し視線を遠くへ逸らした。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
静かに、どこか訳ありな響きを滲ませて答えた。
「……そうだな。僕も本当は、皆と同じように寮から通いたかったんだけどね……」
その声には、単なる贅沢ではない色があった。
家に縛られた貴族ならではの孤独なムードが漂っていた。
月詠は少し真っ直ぐに視線を上げ、そんな彼の横顔を見つめて、心から申し訳なさそうに言った。
「あの、暁先輩……! さっきの質問のこと、本当にすみませんでした。私……」
その駆け引きのない、平民ならではの素直な謝罪。
そして瞳の優しさに、東雲は少し驚いた様子で目を見張り、ふっと肩の力を抜いて微笑んだ。
「いや、謝る必要なんてどこにもないよ。……君のそういう飾らない言葉は、とても素直で、いいね」
東雲の頬に、今度は作られた王子様の笑みではない、本物の温かい光が差していた。
オレは背後で、安堵の冷や汗を拭いながら内心でほっと胸を撫で下ろした。
(あ、危なかったァ〜っ! やっぱ、きびぃ……。早朝から好感度マイナスルートに入るところだった。 なんとか会話のフォローで回避できた……かも)
そして同時に痛感していた。
五人の好感度を上げるという目的の難しさを。
モブカメラマン兼恋愛アシスタントの観測者ライフは、いばらの道だったかもしれない。
――並木道の頭上。
遠い青空に残って浮かぶ月は、朝の光に照らされながら、ほんの少しだけ不吉な赤みを帯びていた。




