第7話 まだ序盤は終わらない
剣道場はひときわ古式ゆかしい空気感を纏う場所だった。
床に敷かれた畳の匂いと、若者たちの熱い汗と木の香りが混じり合った独特の空気。
遠くから響く竹刀の打ち合いと鋭い気合の掛け声は、戦国時代から続く武の息吹を今に伝えているようだった。
オレは入り口近くの死角で足を止め、観測者モードに切り替えてその様子を眺めていた。
初めて見る道場の迫力に、月詠が少し緊張した面持ちで周囲を見回していた。
そして、親友役のキラが楽しげに背中を叩く。
「ほら、月詠! 剣道部も見てみようよ。ここには絶対に、汗の似合うかっこいい人がいるはずだよ~!」
その時。
道場の奥から、一人の男が豪快な足音を立てて歩み寄ってきた。
――燃えるような緋色の短髪を逆立て、日焼けした肌に真夏の空を思わせる鮮烈な青い瞳。
まくった袖から覗く太い前腕と厚い胸板が、騎士らしい逞しさを雄弁に物語っている。
三人目のヒーロー、真昼剛だ。
彼は竹刀を片手に持ち、白い歯を見せる屈託のない笑顔で声を張り上げた。
「よう! 新入生か? 見学に来たなら、遠慮なく入ってこい! 俺が直接、剣道の魅力ってやつを見せてやるぜ!」
その圧倒的な陽のエネルギーに、月詠が少し驚いて後ずさりする。
その斜め後ろで、オレは内心で指を鳴らした。
(……三人目、エンカウント完了! 熱血騎士系の真昼剛……。一見脳筋だが、実は『お前は俺が守る』って初対面で言っちゃうタイプの真っ直ぐな男だ。ここはヒロインの優しさに触れさせて、早めにフラグを立てて――)
オレが脳内で、脳内の攻略ルートを組み立てる。
だが、熱いまなざしに思考が停止した。
真昼の青い瞳が、月詠をすり抜けて、なぜか最後列のモブに注がれたのだ。
無論、そのモブとはオレである。
「おい、そこの後ろにいるお前! 首からそんな厳重なカメラ下げてるってことは、守部弥彦だろ?」
「……えっ?」
オレはビクッと肩を跳ね上げた。
なんでまたしても、オレに目が向くんだ……!?
ゲーム内転生だ。
モブ生徒やモブ先生たちは、メインキャラクターとは殆ど絡まない。
その一人である筈のオレ。背景の存在は、オレとは何故か絡む。
「えっと……オレはただの写真部で、その、見学の付き添いというか……」
オレがモブらしく気配を消して逃げようとする。
すると、真昼は快活に笑い飛ばしてズンと一歩近づいてきた。
「知ってるぞ! 守部家のカメラマンってのは、この学院じゃ有名だからな。入学式のときも、お前、いい目をしてカメラ構えてたよな!」
うっ……東雲先輩や夕星先輩と同じパターンだ。この学園のメインキャラどもは、どうしてこうも『公式記録係』の存在に敏感なんだよ!
言葉に詰まるオレに対し、真昼は竹刀を肩に担ぎ直してニカッと笑った。
勿論、磯野という教師に、守部家の役割は聞かされている。
帝国の未来を担う若者を撮影することが、イベントスチルを残すことが、どうやらオレの使命。
ゲームでも、そういう設定だったのかもしれないが。
「どうだ? 剣道部の練習風景、お前のそのカメラで一枚撮ってくれよ! 俺の剣裁きを、最高の画で残しておきたいんだ!」
(ド直球ナルシスト! オレとしてはありがたいことだけどっ)
オレは慌てて手を振り、会話のバトンを本来の主役へとパスした。
「じゃぁなくて、ほら! 見学に来たこちらの、竹取月詠さんたちの案内が先じゃないですか……!?」
オレの誘導に、月詠は少し驚いたように肩をビクつかせたが、すぐに凛とした仕草で丁寧に頭を下げた。
「あ……竹取月詠です。あの、突然お邪魔してしまってごめんなさい……」
相変わらずの清楚な佇まい。
真昼はパッと目を輝かせた。
「竹取月詠か! 響きのいい名前だな! さっきから見学の様子を見てたけど、お前、すごくいい目をしてるな。どうだ、剣道に興味あるのか?」
月詠は少し困ったように眉を下げつつ、柔らかい頬をほんのりと染めて微笑んだ。
「い、いえ……まだ部活はどこにするか決めていなくて……。今日はただ、いろんな場所の見学をさせてもらっていて……」
その控えめで裏表のない態度が、熱血騎士の保護欲を刺激したのだろう。
真昼は満足げに大きく頷くと、胸をポンと叩いて堂々と宣言した。
「ま、困ったことがあったら何でも俺に言ってくれ! かわいい後輩に何かあったら――この俺が、絶対に守ってやるからな!」
オレの背筋が伸びた。
(お約束の『俺が守る』テンプレ台詞!!)
オレが心の中で叫んだ瞬間、指先は無意識に、そして完璧な速度で守部カメラのシャッターへと掛かっていた。
突然の頼もしい言葉に照れくさそうに笑う月詠と、豪快に笑い飛ばす緋色の剣士。
窓から差し込む陽光が、二人の間をキラキラと繋いでいく。
――カシャッ。
乾いた、心地よいシャッター音が道場に響いた。
三人目のヒーローとの出会いのイベントスチル、回収完了だ。
オレはカメラを胸元へ戻しながら、誰にも見せない安堵の吐息をそっと漏らした。
(よし……! 三人目もばっちりイベントスチルを回収したぞ)
まぁ、それはオレ自身のノルマ達成だとして。
「そうならないように、精進いたします……」
月詠はシャッター音の数秒後に、数歩後退りをして、ただ畏まった。
ヒーローと会わなければ、その後のイベントは発生しない。
常闇ルートの阻止のため。
また一つ、世界滅亡を回避するためのノルマが達成された──のかは、正直分からなかった。
◇
剣道場の熱気を後にし、廊下を歩いていた時のことだ。
少し前を歩いていた月詠が、ふと立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。
金色の瞳が、首からカメラをぶら下げたオレを、じっと見つめている。
「……あのね。写真部も……見てみたい、かも」
「……はい?」
オレの思考が、一瞬停止した。
(は……? いやいや!)
部活を見る流れだから、おかしなところはなかった。
だが、写真部はモブ生徒のオレしか部員がいない。
オレは猛烈に焦り、隣を歩くゲームアドバイザーのキラへと目線を送った。
『なんとかしてくれ!』というSOSだった。
しかし、キラはそんなオレの動揺など一ミリも介さず、パッと顔を輝かせて手を叩いた。
「いいじゃん、いいじゃん! 部活見学だもんね。どんなとこか気になるし、月詠、行ってみようよ!」
「おいちょっと……!」
オレの制止も虚しく、結局、二人の美少女を自分の城――写真部の部室へと案内する羽目になった。
――東棟3階、写真部部室。
古い洋館の扉を開けると、そこにはいつも通りの、どこかレトロで静謐な時間が流れていた。
うっすらと漂う現像液特有の匂いと、窓から差し込む午後の斜光が舞うチリを黄金色に照らしている。
年季の入った木の机や、頑強な棚に並べられた魔導レンズや感光板。
壁一面に飾られた、歴代部員たちによる無数の白黒写真が、メインキャラの登場に今日は一段と、モノクロに見える。
「興味深い部屋……ですね」
月詠は、その静かな空間に少し息を呑み、棚に並んだ古い機材を不思議そうに見回した。
彼女はゆっくりと歩み寄り、棚に置かれたスペアのレンズへそっと指先を近づける。
「……それにその魔道カメラ。守部くんしか、使えない……というのは?」
ぽつりとこぼれたその問いは、普段の彼女より少しだけ、声のトーンが落ちていた。
振り返った月詠の金色の瞳と、オレの視線が一瞬だけ、ごとりと音を立てるように深く絡み合う。
――な、なんだ……? 今の目。
さっき、真昼剛が言った。夕星律も同じことを言った。
竹取月詠の目は、本当に不思議な感覚を抱く。
そして、ひどく意味深な視線だった。
「え……っと。それはせって……。じゃなくて」
居心地の悪さに耐えかねて、オレは慌てて視線を逸らしてしまった。
来てみたはいいものの、何を話していいのか分からない、モブには重すぎる気まずい間が漂う。
そんな空気を破ったのは、やっぱりゲームアドバイザーのキラだった。
彼女は愛想よく笑いながら、カメラの棚へと近づく。
「確か、魔法特許なんだよね? 学院には普通のカメラもあるみたいだけど、守部家のは特別なんだって、噂で聞いたよ!」
「あ、ああ、そうなんだよ……」
そう。そういう設定らしい。
磯野先生曰くだが。
オレは少しほっとしながら、手持ち無沙汰をごまかすために現像室にこもった。
遮光カーテンの向こう側に、主人公とアドバイザーがいる。
ヒソヒソと何かを話しているが、オレは無心で現像を終わらせた。
すると──
「……え? もう終わったの」
「え……?」
やはり、何かを探すような視線が刺さる。
オレはまた目を逸らして、現像が終わっていた『最近の成果』を何気なく机の上へと取り出した。
入学式の壇上で輝く【東雲暁】
廊下で冷たくも美しく佇む【夕星律】
道場でシャッターを切ったばかりの熱血【真昼剛】
三枚とも、驚くほど鮮やかなフルカラーで、被写体の魅力が120%引き出された高精細な仕上がりだ。
壁に飾られた歴代の守部家による白黒写真の中で、その三枚の静止画だけが、まるでそこだけ時間が生きているかのように、色鮮やかに浮き上がっている。
それを覗き込んだキラが、「うわぁっ!」と目を丸くして感嘆の声を上げた。
「すごい……めっちゃ、メロい! なにこのクオリティ! これを出せるのは、やっぱり守部家の技術だからなの!?」
逆に、白黒しかないイベントスチルが想像つかないが
「まあ、オレの専用魔法具だからな……って、あっと!」
オレはもう限界だった。
わざと少し時計を見上げて、忠告するように口を開いた。
「この部屋、現像の薬剤とか色んな薬品の匂いが残ってるんだよ。あんまり長居すると、二人の可愛い制服に匂いが移っちゃうかもよ?」
案の定、キラが「ちょっ!」と肩をすくめて反応した。
「もう! そういうことは先に言ってよ~! 月詠、匂いついちゃったら大変だし、次はもう一つの文化部に行こっ!」
「あ……うん」
キラに手を引かれ、部屋の入り口へと向かう月詠。
だが、扉を閉める直前、彼女はもう一度だけ部屋の中――鮮やかに並べられた三枚のスチルと、その奥に立つオレを静かに見つめた。
「…………う、うん」
パタンと重い扉が閉まり、二人の軽い足音が廊下の向こうへと遠ざかっていく。
静寂が戻った薄暗い部室で、オレはようやく溜めていた息を、ふううっと長く吐き出した。




