第6話 序盤。序盤。序盤。
皇華高等学院での生活が始まって、数日が経った。
帝国の次代を背負うエリート集団――
一年A組の教室は、午後の柔らかな陽光に満ちていた。
大正モダン様式の高い天井と、年季の入った木の床が軋む微かな音。
オレは教室の最後列、窓際の『モブ特等席』で、首から下げた守部魔法具(魔導カメラ)の冷たい質感を指先で撫でながら、ぼんやりと外を眺めていた。
(乙女ゲーの序盤って、こんなに代わり映えしないもんだったっけ……。何をやったらいいのか、さっぱり分からないぞ)
現在行われているのは、一般教養の歴史の授業だ。
教壇に立つ冴えないオジサン先生が、白チョークをカツカツと鳴らしながら淡々と帝国の成り立ちについて語っているが、やはり低周波の催眠ボイスすぎて正直半分も頭に入ってこない。
オレは退屈まぎれにノートを取るフリをしながら、視線を少しだけ左前方へと移した。
そこに、この世界の『メインヒロイン』がいた。
竹取月詠が、背筋をピンと伸ばして真面目にノートを取っている。
窓から差し込む逆光が、彼女のサファイアブルーの長い髪の輪郭をフワリと光らせ、繊細な肩へとさらりとこぼれ落ちていた。
教科書を見つめる金色の瞳は真剣そのもの。
その凛とした横顔は、今すぐファインダー越しに光の粒子ごと切り取りたい。
それほど清楚で、残酷なまでに絵になっている。
(……いいな。今の光の当たり方、最高にエモい。背景の埃さえ、彼女の周りでは星の欠片に見える)
そんな完成された静止画に、隣の席から桃色のつむじがひょこりと割り込んできた。
親友ポジションの綺羅星が、月詠の袖を小さく引いて小声で話しかけている。
ショッキングピンク寄りのゆるふわボブが軽やかに跳ね、マゼンタの瞳がいたずらっぽく生き生きと揺れていた。
「月詠、昨日の体術の授業どうだった? 私、ちょっと派手に転んじゃって……でも、月詠はすごく綺麗に動けてたよね! なんか、才能あるって感じがする~」
先生の単調な講義をすり抜ける、女子高生特有の内緒話。
月詠は少し困ったように眉を下げつつも、照れくさそうに微笑んで小さな声で返した。
「ううん、そんな……私もまだ全然だよ。綺羅星さんの方が、動きがすごく軽やかだったと思うな。これから一緒に頑張ろうね」
二人の声は小さかったが、モブの席からはそのやり取りがよく見える。
すると昴は、クラスの周囲を少し気にするように視線を巡らせてから、さらに声を潜めて月詠に顔を寄せた。
「ねえ、月詠って……本当に平民の出なの? なんか、すごく上品で、他の子たちと雰囲気が全然違う気がして……」
貴族社会の観察眼が、無意識にヒロインの『異質さ』を捉えた瞬間だった。
月詠は少し驚いたように目を丸くした後、優しく微笑んで静かに答えた。
「そう聞いてるけど……。文明開化からもう何十年も経ってるし、今は平民でも努力すればこの学院に入れるようになったって、お母様が言ってたし。だから私も……せっかくもらったチャンスだし、頑張らないとって思ってるの」
その健気で真っ直ぐな言葉に、昴はパッと顔を輝かせて身を乗り出した。
彼女のマゼンタの瞳に、打算を越えた純粋な好意が宿るのがわかる。
「へえ~、すごいね! 私なんか一応貴族だけど、月詠さんみたいな自然な優しさとか一生懸命なとこ、すごく羨ましいよ。一緒に頑張ろうね! ここにいたらきっと、素敵な出会いだってあるはずだよ♪」
二人の会話はまだどこかぎこちないけれど、徐々に、確実に距離が縮まっている。
青と桃色の美しいコントラストを眺めながら、オレは心の中で腕を組んだ。
(いいぞいいぞ……ヒロインとアドバイザーの好感度が順調に上がってる。これは超健全な学園生活の展開だ。ステータス上げの序盤って感じがして実にいい……って、じゃ……なくて!!)
オレは内心でノリツッコミを炸裂させた。
(アドバイザーと好感度上げてどうすんだよ! ここは百合ゲーじゃない、乙女ゲーだぞ! 月詠と男たち――つまりヒーローたちの攻略をばんばん進めてもらわないと困るんだよ!)
オレは授業の合間に、脳内データベースにアクセスし、これまでエンカウントした二人のヒーローを思い浮かべた。
一人目。東雲暁。
金髪碧眼の王子様系。気さくで完璧、笑顔標準装備。
あいつは平民にも優しくて自然と月詠に近づきやすいタイプだけど、王道ゆえに『身分差の恋』で周囲の貴族たちが反発するハードルが高い。
早めに距離を縮めすぎると、かえって面倒なイベントに巻き込まれるかもしれない……。
二人目。夕星律。
ラベンダー髪のクール系。無口で不登校気味、塩対応の魔術師。
月詠の特別な魔法の才能に誰よりも早く気づくタイプだから、魔法実技や才能を引き出すイベントが発生するのを待つべきか?
でも、あの人を寄せ付けない冷たい距離感をどう埋める?
モブの俺が「もっと仲良くしなよ!」なんて橋渡しできる相手でもないし……。
ダメだ、どれも一長一短すぎる。
オレはふうっと小さくため息をつき、無意識に呟いていた。
「……結局、オレは何をすればいいんだ? ただこうやって見守ってるだけじゃ、世界は救えない気がするんだが……どういう攻略方法が――」
その時だった。
自分の思考に没頭するあまり、つい声が大きくなっていたらしい。
オレは反射的に声を上げてしまっていた。
「あっ!」
静まり返った教室内で、その短い感嘆詞は妙に響いた。
ビクッとして、月詠と昴が条件反射のようにこちらを振り向く。
サファイアブルーとマゼンタの四つの瞳が、モブであるはずのオレを同時に捉えていた。
しまった……!
オレは慌てて視線を泳がせ、首から下げたカメラを弄りながら苦し紛れの言い訳を口にした。
「い、いや……その……。カメラ見てて、変な声が出ただけで……」
(カメラ見て、変な声って変態かよ! っていうか、他の生徒はスルーなのに、なんで二人は反応した?)
確かに、オレは思いついていたが、モブが言ってもよいか分からなかった。
すると、ゲームアドバイザーである綺羅星が、パァッと目を輝かせて猛烈な勢いで食いついてきた。
「守部くん! 今の『あっ!』って何ぃ!? もしかして、何か面白いこと思いついたの!? 気になるぅ~!」
ゲームのメインキャラ二人に真正面から見つめられ、モブの心臓は変な汗をかき始める。オレは緊張を隠してなんとか言葉を繋いだ。
「いや、だから……写真部に顔出してないな……って。部活……ほら、オレ、カメラ係だし」
アドバイザーは、「それだ!」とばかりに両手をポンと合わせ、月詠の手をぎゅっと握った。
「月詠! 学園生活と言えば、勉強だけじゃなくて部活だよ! 誰かが汗を流す姿にキュンとする……それも青春の醍醐味じゃない!」
「えっ、ええっ!? き、綺羅星さん、急にどうしたの……?」
その時――
開け放たれた窓の外から、風に乗って熱気と勇ましい音が飛び込んできた。
高等学院の敷地奥にある剣道場の方からだ。
竹刀がぶつかり合う乾いた音と、丹田から振り絞るような「えいっ!」「はあっ!」という気合の入った野太い掛け声。
遠くからでもはっきりと聞こえてくる。
その男達の熱いエネルギーに弾かれたように、綺羅星が月詠の腕を引いて元気よく走り出した。
「行こっ、月詠! 新しい出会いは、汗と涙の向こう側にあるのよ!」
「わあぁっ!? ちょっと、綺羅星さん、引っ張らないでぇ~っ!」
ヒロインを強制牽引して嵐のように教室を飛び出していく、桃色髪のゲームアドバイザー。
その残像を見つめながら、オレの脳内に一人の男のビジュアルが閃いた。
――燃えるような緋色の短髪、真夏の空のような青い瞳。
初対面で「お前は俺が守る」とか言っちゃう、脳筋熱血系のイケメン。
「ふぅ。やっと動き出した……って! オレも仕事じゃねぇかっ」
オレはずっしりと重い守部カメラを右手にしっかりと保持した。
そして、美少女二人の背中を追った。




