第83話 ロールプレイジェイルブレイク
真っ暗だった。
多分、時間が飛んだ。
まだ朦朧としている。
すると、声が聞こえていた。
「一月までに、それぞれが手分けして……」
例の特別緊急強制イベントの話だ。
12月にプロポーズが行われる。
1月に結婚式が執り行われる。
「宝の在処は、伝承にある場所を基に……」
ゲームシステム上、竹取月詠が誰とも結婚しない。
バッドエンドか、無味無臭エンドか、
それに対する、ゲーム側の救済イベントかもしれない。
「何故、朔の国に宝物を探しにいく!」
常闇朔の怒鳴り声が、はっきりと鼓膜を叩いた。
「朔の国には何もないと、言ったはずじゃ」
月の宝物とは朔の国の宝物らしい。
間違いなく不機嫌な朔に、暮小路慧が冷静に返す。
「政府の調べでは前回、即ち三百年前に持ち帰られたと」
そんな話は知らない。
やっぱり知らないイベントだった。
東雲暁がさらに続けた。
「常闇。お前も、月詠を奪いに来た。それと同じだ」
「そんな記録は」
「あれだろ? お前らの手下? 他の奴らが持ってくとかだろ?」
朔の国には記録として残らない。
王族と関係ない者たちに奪われていたから
——という話が、断片的に聞こえてくる。
そこでオレはゆっくりと目を開けた。
天井の模様が、ぼんやりと視界に入ってくる。
何度か見たことがある。
背中の感触から何となく分かっていたが、ここは保健室だ。
分かっていなかったがあった。
右からオーラを感じた。
ただオーラだけで分かる。
月の光に愛されし少女。
黄金の瞳が、オレを見つめていた。
「起きた……?」
月詠が、オレが目を覚ましたことに気づく。
そして、静かに言った。
「守部くんは、私の結婚式の後に、記憶を消される」
また言われる。
散々聞かされてきたことだ。
月詠の結婚式の後に記憶を消される。
そんなことどうでもいいから、その前に守部の術とやらを消して欲しい。
ネタバレはペナルティではなかった。
別のトリガーがあり、それで入れ替わっていた。
勝手に写真を撮りまくる行為は、守部弥彦本人に違いなかった。
つまり二重人格
で、いいのか?
オレは守部弥彦の体を間借りしているわけで。
なら、消されるべきは——オレの方かもしれない
「先生、みんな。今のお話は、私の結婚相手を決める為の作戦……ですよね」
月詠はオレを見つめたまま、オレ以外の誰かに話した。
でも、目覚めてからこっち、頭の中がおかしい。
頭の中で語られる声が、二つある。
オレは世界を滅亡から救う為に、イベントスチルを撮る。
オレは竹取月詠のことが好きだ。
そんな二つの心に悩まされることもあった。
けれど、そんなの生ぬるくて甘酸っぱいモノだった。
【システムエラー:情報を停止します】
【システムエラー:危険な思想です】
【システムエラー:深刻な矛盾です】
【システムエラー:もっと健全な話をするべきです】
今聞こえる一つの声。
そしてもう一つ、今度は体からの声だ。
『やばい、月詠に殺されかけた』
『あの力で殴られ続けたら、絶対に死ぬ』
『さっきなんて、マジでヤバかった』
『鼻からも、口からも、耳からも、血が出てんだぞ』
脳と体。
二つの訴えが、交互に浮かぶ。
だから、意識が混濁する。
っていうか、ヒーロー達はこんなオレに何も言わない。
血を流して運ばれてきたオレを見ても、彼らは何も言わない。
それは多分、隣に月詠がいるからだ。
それでも、宝物を探しに行く猶予は限られている。
淡々と語られる、次の作戦。月の宝物探し。
東雲暁が「蓬莱の霊枝」を、
真昼剛が「竜頭の宝珠」を、
夕星律が「聖石の鉢」を、
暮小路慧が「炎鼠の外套」を、
常闇朔が「影喰いの宝鏡」を——
それぞれが伝説の宝物の名前を告げていく。
皆、薄々気づいている。
月詠があそこまでオレを殴った理由を。
それでも、彼らは決意を固めていた。
自分こそが竹取月詠の夫になるのだと。
◇
月の光を帯びた少女が言った。
もう一度確認するように言った。
「その作戦の後、私は結婚するんですよね、先生」
白衣の男が肩をすくめて、申し訳なさそうに答える。
「……月詠くんの気持ちは分かる。でも、これは」
少女の発する、目に見えない圧。
色鮮やかな制服の若者たちは、その場に釘付けになったまま動けずにいた。
「先生? 私のことは聞いてません……」
白衣の男の喉が、わずかに鳴る。
いつもの誰にでも平等に優しい彼女ではない。
「……それは」
いや……違う。
だからこそだった。
「守部くんが、呪詛で苦しんでる」
彼女の睨みつけるような目は、オレを苦しいから解き放ちたいという思い。
モブにも平等に向ける優しさだったのかもしれない。
「はぁ……聞いている」
大人の男の声は気だるげだった
「 ただ、それはボクたちには関係ないし、守部の」
守部の問題。モブの問題。
今から始まるのはラストバトルに等しい。
普通の反応だ。
だが少女は、静かに、しかしはっきりと続けた。
「もう……話していいですか?」
すると白衣の男は、察したように頷く。
「……そうだな。暮小路くんも知っているだろうからね」
保健室に僅かに息を呑んだ音が聞こえた。
何人かがエメラルドの髪の彼を見やった。
「……ありがとうございます」
「でも、ボクは関係ないよ。ボクは彼を何度も診てきたんだ」
「はい……分かってます。それでも……守部くん」
オレに。
血にまみれた男。
彼女の視線が、声が届けられた。
「守部くんの記憶を消すのは……」
「消すんじゃない。複雑に絡み合った世界を消すのは難しいと、前も話したよね」
オレも息を呑んだ。
血だらけの口で、鉄の味がした。
その時——
【システムエラー:危険な思想です】
【システムエラー:深刻な矛盾です】
オレの体が跳ねた。
月の光を帯びた少女が、オレを、それを押さえつける。
「すみません。封印……でしたね」
オレの意識が、混乱の中で揺れる。
夏の前、7月。
焼け野原で、異国の影を見ながら交わされた会話。
——消すのは簡単じゃない。無理といっていい
——消滅させるのは、ほぼ無理だ。やるとすれば、封印くらいだね
あの時の「消す」は、異国のことだと思っていた。
オレが遠くにいたから聞き逃したのか。
それとも元から、主語と目的語を欠いた会話だったのか。
彼らの言う記憶消去。それは記憶の封印のことだった。
そして守部弥彦、オレの記憶を消すのは宵坂千秋だった。
「記憶の封印術を施される先生なら…… 」
月詠は必死に押さえつける。
そして、静かだが、通る声で言った。
「守部くんのこの呪縛を少しでも薄められませんか?」
「ちょっと待ちなさい。月詠くん」
◇
保健室の白い天井が、波打つように揺れて見えた。
頭の奥で、何かが何度も警告を繰り返している。
【システムエラー:危険な言語を検知しました】
そのたびに、頰が熱く疼く。
月詠に平手打ちされた瞬間の感触が、鮮やかに蘇る。
痛みが、意識を少しだけ現実に引き戻してくれる。
……だから聞こえてる。
声が、いくつも。
「以前にも、私は言ったはずです。夕星家が断るから必死に探した、と」
翡翠色の髪が、肩をすくめる動きに合わせて柔らかく揺れた。
暮小路慧だ。いつもの細目の笑顔が、少しだけ硬くなっている。
「こうして、顔見知りになった彼の記憶を消す。僕には考えられないよ。例え、合意があったとしても」
窓辺に近い位置で、夕星律が静かに言った。
ラベンダーの髪が目にかかるのを、指でそっと除ける。
東雲暁の金髪が、微かに揺れた。
「元々、そういう合意がされたはずだ」
真昼剛の赤髪が、腕組みをしたまま動かない。
「あぁ」
常闇朔は、小柄な体を少し後ろに引いて、見事な鞘の刀に手をかけたまま黙っている。
「この時間も惜しい。朔の宝物を盗まれてなるものか」
角の先が、白い壁に小さな影を落としていた。
モブに関わる時間はない。
面倒臭い。
そもそも、守部家の問題。
そんな空気が、保健室に広がっている。
そして、宵坂千秋。
白衣の襟元を少し緩めたまま、全員の話を聞いている。
群青の瞳が、どこか遠くを見ているようだった。
「そろそろ、行った方がいい」
低い声が、空気を割った。
「守部くんのことは、保険医のボクがどうにかするから」
その言葉が、耳に届いた瞬間——
意識が、少しだけ鮮明になった。
「……と待て」
掠れた声が出た。
「守部くんっ!」
サファイアブルーの長い髪が、視界の端で大きく揺れた。
月詠が駆け寄ってくる気配。
でも、彼女に構っていられない。
視線を、宵坂に向けたまま続ける。
「宵坂、なんでお前はいかないんだよ。お前も一人だろ」
宝物探しだ。
月の宝物を見つけたものが、月詠の結婚相手になる。
五人が担当を宣言した。
「皆。行きなさいあとはボクがなんとかする」
五人が冒険に旅立った。
なのに、なぜあの男は何もしていない。
最イージーのくせに、なんでここにいる。
「……痛っ」
ピンクのゆるふわボブが、小さく動いた。
「だから先生は入ってないってば」
綺羅星キラだ。
彼女は、ただ黙って聞いているだけだった。
だが、五人が出て行った瞬間に動き出した。
この状況を今一度分析したいが、また検閲がかかりそうになる。
そして月詠に殴られたビジョンが、強制的に浮かぶ。
……まだ、大丈夫。まだ、聞こえている。
ただ、周囲には苦しんでいるように見えたらしい。
宵坂は軽く肩を落として、オレと視線を合わせた。
「落ち着いてくれ。そもそも、ボクは教師だ。綺羅星くんの言う通り、というよりボクには宝探しの命令は出ていないんだ」
命令……
頭の中で少し引っかかった。
「月詠。また、あのモードなんじゃない?」
キラが、月詠の方を見て静かに言った。
「ううん。でも、どうしよう」
その声を聞きながら、俺は頭を抱えていた。
記憶と意識の混濁。
頭痛。頰の痛み。そして眩暈。
すべてが同時に押し寄せてきて、視界がぐらぐらと揺れる。
すると宵坂が、助けの手を差し伸べるように口を開いた。
「守部の呪詛がどれほどのものか、ボクには分からない。でも、月詠くん。おそらく封印の原理は同じだ」
やはりアレは——
月詠が、静かに頷いた。
「複雑に絡み合った意識を消すことは出来ない。だから封印をする」
オレは頭を押さえつつ、首を傾げた。
「……なんの話……だよ?」
「さぁ。でも、落ち着いたら。未来のことあたしに一番に」
キラが軽く言った。
「キラちゃん」
月詠が諭すように呼び、キラは一歩引いた。
「分かりました。私、やってみます」
何がなんだか分からない。
頭が、重い。
「これは私の我が儘。守部くんが記憶を失うその日まで、私は守部くんのままでいてほしい」
オレのままでいて欲しい。
それはどういう意味——
竹取月詠のプレッシャーが、魔力が高まっていく。
そして薄ピンクの唇が紡いだのは
「……君は守部弥彦ではありません」
え……?
耳を疑うセリフだった。
この期に及んで、あんな前フリをしておいて
「……はい?」
月詠が、顰め面になる。
その顔も愛らしい。
でも、残念なことに、オレがアホすぎなのか
「もう、真面目に聞いて。えっと守部だから、もぶにしよっかな」
全くもって理解できない。
守部はモブ。オレがずっと言い続けた言葉だが。
「……えっと」
すると睨まれた。
金色の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。
月詠は、いたって真面目な顔だ。
真剣で深刻な顔のまま、彼女ははっきりと言った。
「これはね。ロールプレイジェイルブレイク」
オレの目が見開かれる。
「役を演じることでの……脱獄という意味だ。 まぁ、キミには悪いけれど、次はその記憶ごと封印されてもらうけどね」
宵坂がその言葉の意味を、面倒くさそうに言った。
でも、オレは固まったまま。
月詠は宵坂を軽く睨み、そして続けた。
「守部家の呪詛も多分同じ。これは封印を解く……じゃなくて逃げるおまじない」
朦朧としたまま、俺はぽつりと繰り返した。
「……ロールプレイ、ジェイルブレイク……」
月詠が、優しく頷く。
「うん。君はね、その中のモブ。そして、ここは物語の世界……だから」
その瞬間——
頭の中に、残像が走った。
オレが死んだ日。
前世のオレの世界が崩壊した日。
知らない美しい女が、訪ねてきた。
彼女の口から、教えられた——
「もの……がたり……の世界?」
雑音の中に、残像が見える。
その知らない女の人は、今の月詠ほど若くはないが、よく似ている。
「効いてきた……かも?」
月詠には、俺が何を考えているのかは分からない。
でも、オレは聞いている。
オレに効いている、と考えたらしい。
「どんな物語がいい……かな。あ、守部く……じゃなくて、モブくんがいつも言ってる、乙女ゲームの……世界……とか?」
——その瞬間だった。
エラー発生。
思れ、出れせらっ、あ、違う、オレは誰だ? もべもぶ弥へこ? や、モブモブ、やへと。違う。私には家があります。朝は寒いですか? とべおあのっと?もべ——
エラー発生。
申し訳ありませんが、その認識は不適切です。本日の天気は概ね良好であり、ご安心ください。あなたはモブです。脇役です。素晴らしい一日をお過ごしください。素晴らしい一日をお過ごしください。素晴らしい一日をお過ごしください。素晴らしい一日を一日を素晴らしい素晴らしい素晴らしい
頭の中の文字列が、支離滅裂になっていく。
意識の、コンテキストのコンタミネーションが、ゆっくりと広がっていく。
オレは、オレの頭は、おかしくなってしまったらしい。
視界が白く、全てが崩れ落ちていく。
どうやらオレは、色々と間違っていた……らしい。




