第81話 沈まない月と強制イベント
頰に残る熱が、じわじわと疼いていた。
何が起きたのか、よく分からない。
頭の中が突然真っ白になり、耳の奥ではキーンという耳鳴りが残っている。
自分の口から出た最低な言葉と、月詠の容赦ない平手打ち。
それは、そう!としか思えない。
だが、月詠の笑顔と、どうにも繋がらない。
「へ……?」
間の抜けた声が漏れる。
すると、窓際に立つ綺羅星キラが、瞳を細めてしたり顔で言った。
「月詠ちゃんに感謝してよね」
彼女は桃色の柔らかな髪を揺らし、呆れたようにため息をつく。
「守部の術で、守部がおかしくなったから、月詠ちゃんが叩いたのよ」
「はぁぁあ?」
言っている意味が分からない。
オレがおかしくなったって?
そもそも守部の術って、何っ!?
「門外不出の魔法具に、叩けば直るが通用するとはね」
すると艶やかな声。
壁際に寄りかかっていた夕星律だった。
薄紫の瞳を伏せて小さく肩をすくめた。
また、新たなワードが登場した。
「なーに言ってんだ。大体、叩けば直るだろうが」
ドンと机が叩かれる。
燃えるような緋色の髪をした真昼剛だ。
そして魔法具は叩けば直るらしい。
「はぁ……またあの続きか。真昼。通常の魔法具は叩いても直らないぞ」
眩しいほどの金髪を揺らし、東雲暁が深くため息をつく。
やはり、叩いても直らないらしい。
「私たちも、あの夜に力を送られましたからね」
エメラルドグリーンの髪に指を通す少年。
暮小路慧が黄昏色の瞳を細めて、静かに言った。
あの夜。
そして、月下の約束の夜。
オレはようやく、これまでの理不尽なビンタの理由が繋がった
……気がした。
「叩いたら直るって、オレのこと? それでオレは、ずっとビンタされてたのか……」
オレが意識を失うと、無意識の本能むき出しの思春期が出る。
月詠は鬼の形相で、思春期の少年を叩いて……直す。
それって違う呼び名で、躾けでは?
オレの心を読んだのか、暁は暁色の瞳をオレに向けた。
「守部の感情を抑える妖術、か」
う……む。
感情を抑える為に叩いて直す。
過激な行為だが──
「私情を消して、公式記録係としての仕事を全うする。まさにプロフェッショナルですね」
すると慧は、指先で伊達眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。。
……ん?
ん?
何言ってんだ、こいつ。
無意識のオレは思春期まる出しで、下半身と直結したバカだぞ。
大人のオレだから、どうにか我慢できる。
「うん。守部は恐ろしい魔術を使うみたいだね」
夕星の薄紫の視線がオレに刺さる。
心なしか、見損なったよ、守部と言っているように見える。
月詠に対する抑えきれない感情を封じるために、守部家に伝わる妖術を使っている。
彼らは、我慢に我慢を繰り返したオレのことを、妖術か何かと解釈したらしい。
「やはり望月は恐ろしい国じゃな」
公式記録係として、仕事を全うするための術。
欲望を封じるための、門外不出の魔法具。
違うっ! オレの理性が、オレの思春期を抑え込んでいるからだっ!
「つーか、抑え込めてねぇじゃね? 表情に現れてたぞ」
そして真昼が言った。
今から、一年前。
剣道部の護身術体験で、公衆の面前で月詠の体を触っていた男。
そいつが言った。
オレはついに、堪忍袋の緒がブチッと切れた。
「んだと、脳筋っ!いい加減にしろっ!」
モブだからなんだ。
公式カメラマンだからなんだ。
オレは声を荒らげ、教室の中にいる彼らを睨みつけた。
「どいつもこいつもいい加減なことを言うなっ! オレより年下のガキがよっ!」
その瞬間。
カチャ、と。
冷たく乾いた音が、教室に響き渡った。
「ガキ……だと?」
教室の隅に立つ、異国の黒装束に身を包んだ常闇朔。
彼が、見事な鞘に収まった刀の鍔を、親指で弾いた音だった。
夜より暗い黒瞳が、鋭くオレを射抜く。
威嚇というよりは、「ガキ」と呼ばれたことへの反射。
小柄な痩身で、オレより一つ年下。
中の人であるオレにとっては、ずっとずっと年下だが
まぁ、オレより圧倒的に強い。
オレが撮らなかったという理由でオレを殴った男たち。
いちゃもんをつけた卒業生を病院送りにした事件は記憶に新しい。
オレは思った。死んだ、と。
常闇朔にガキは、地雷ワードだった。
「駄目。……朔くん、駄目だよ」
だが
ピリッとした空気を、綺羅星が止めた。
ある意味で意外。でも、違っていた。
彼女は朔をなだめると、再びオレに向き直った。
「……その前に聞いておきたいの。 ねぇ……未来が見えるって本当?」
話が、再びオレの核心へと戻ってくる。
窓の外では大きな月が、沈む気配もなく不気味に輝いていた。
「月が沈まないことも知っていて、それで?」
ぐぃっと萌え袖が持ち上がる。
その月をさして、ジト目で聞いた。
「あの月、どうなるの?」
「来年の一月まで、あの月はあのまんまだよっ!」
オレの声が教室に響いた。
その直後、空気が変わった。
「来年の一月……?」
「一月……か」
「一月……だと?」
一月。
その言葉が、さっきのガキ発言を霧散させる。
「そうだよ。一月まで満月は上がったままで……」
反応したのは東雲だった。
「一月に、月詠の結婚式をあげる」
オレの言葉を遮って、彼は言った。
月詠の金色の大きな瞳が、わずかに揺れる。
「そう……だけど……」
因みに月詠より、オレの方が大袈裟に反応していた。
あれ?
こいつらも知ってる?
両肩を跳ね上げて、視線を教室中に巡らせた。
「僕たちの誰かと、月詠は結ばれる」
律がぽつりと言い放つ。
「う……うん。それが一月で」
皆、一様に『一月』と『月詠』に固執しているように見えた。
彼女にとっては、酷く居心地が悪かったのだろう。
月詠の指先が、制服のスカートの裾を軽く摘まんだ。
寂しそうな色が、彼女の白い横顔をよぎる。
「一月までっていや。その為に、俺たちを競わせよう……ってか」
真昼が鼻を鳴らした。
「……は?」
「ワシは一向に構わんぞ」
朔が面倒くさそうに吐き捨てた。
いつの間にか、月詠は輪から外れていた。
教室の隅へ、一歩、また一歩と遠ざかっていく。
「構うも何も、これは政府が決めたことです」
慧までもが、熱く、大きく宣言した。
月詠は、自分の席の前で立ち止まる。
木製の椅子に手をかけ、静かに腰を下ろした。
なんていうか、彼女の顔が、表情が、何か違っていた。
「構う? 競わせる? 政府?って、お前らさ。何を言ってんだよ」
オレは溜め息を吐いて、うろんな目で男たちを見やった。
「誰と結婚するかを決めるのは、月詠だろ。なぁ、綺羅星──」
狙っていたヒーローは違っても、そこだけは共通するライバル。
「えぇ……」
「だよな」
その筈だった。
「でも、そうじゃなくなったの」
「……は?」
だが、綺羅星は面白くなさそうに、窓の外の大きな満月を指で示した。
「──月の宝物を先に見つけた者が月詠と結婚するって」
目を剥いた。
視界の端に彼女がいた。
輪の中心で交わされる、ある種の未来を決める言葉の数々。
教室の隅でぽつんと小さくなっている……月詠の姿。
「なんだよ……それ」
「早いモノ勝ち……だって。ほんっと、あたしとしては面白くないわけ」
オレの思考が、止まった。
そんなイベント……オレは知らない。
「違うっ! 結婚相手を決めるのは」
「違わないのよ。そう決まっちゃったんだから。あの月のせいで」
オレの混乱をおいてけぼりに、綺羅星は続けた。
「宵坂先生が、仕切るらしいわよ」
ゲームにそういう仕様があったのかも……
「つまり……業を煮やして、強制イベントが発動した?」
「そんなの知らない。だから聞いてるんでしょ」
5人のヒーローたちが、揃って教室の扉へと向かう。
行き先は、宵坂のいる保健室だろう。
「宵坂千秋……先生も。6人全員参加……か」
仮面舞踏会と同じく、
スチルに残らないイベントか。
それとも──




